女王ヴィットーリア
ズゥゥゥゥゥゥゥン……。
太陽が落ちてきた。
そう錯覚するような高温の圧力がのしかかる。魔力を感知できないはずの俺や人間が頭を垂れたくなるほどの。
「なっん……?」
「おぉぉ……お?」
「ひっ……」
俺にもエルにも何が起きたのか判らなかったが、ルイーザは何かを察したようだ。頭を抱えてその場にへたりこんでいる。そんなことしてたら狙い撃ちにされるぞ、と言おうとしたが敵の攻撃が止んでいることに今更気がついた。
人間は元より、魔族も動きを止めて一様に空を振り仰いでいる。竜人も同様だがその様子は安堵の色が濃い。
ルイーザも竜人なのだが、何を恐れているのか。
「……あれか」
闘技場の外から飛来したソレは滞空する竜人の死人部隊を一掃する。
元々数が少ないとはいえ『一掃』と称するしかない早業だった。影が駆け抜けた後には炎の花が上空に残る。
あっという間に20の花を咲かせたソレは闘技場の観客席、その屋根の一角に降り立った。
「貴様ら、わたしの国で何をやっている?」
髪はルイーザと同色だが、腰を超える長さをもっている。身に着けているのはバトルドレス。頭に載った小さな王冠。
そして身の丈を超える槍戦斧。
「姉様……」
ルイーザの声を聞いてようやく思い至った。女王ヴィットーリアである。
「あれが……ヴィットーリア女王?」
自分よりは年下だとは聞いていたが、かなりの童顔だ。胸もルイーザよりはあるがまだまだ発展途上だろう。きっと。
(あくまで擬体だから、年齢と見た目が一致しているわけじゃないだろうけど……)
それにしても拍子抜けだ。女王というからにはもう少し威厳というか、貫禄みたいなものがあってほしかったのだが。
(13支族筆頭と比べるのも可哀想か)
少なくとも敵ではなさそうなので他の竜人がしているように身体の力を抜いた。下げた視線がすぐ隣で震えたままのルイーザを捉える。
「なあルイーザ、なんでそんなに怯えてんだよ」
「姉様は怒ると他人の話を聞かないんですの」
「どういうことだ?」
「とりあえず本能的に、直感的に物事を解決しようとします」
「えっと……」
「多分これからこの場に居る人間を殲滅し始めます。……ハルトくんも含めて」
あれだけの力を持った者が暴走する。
「姉様からすればこの事態を止められなかったわたくし達にも非がありますから、場合によっては……」
「エルツィオーネ・ヴルカーノ」
ルイーザの声を遮ってそれは来た。
声と共に高温の圧力が揺らぐ。ヴィットーリアが突き上げた掌に集まった魔力が、まるで火山から噴火する溶岩のように、放物線を描いて地面に向かう。
「んげっ!?」
俺は咄嗟にブリューナクで迎撃する。少しだけだがエルに魔力を補充してもらっていたので難なく撃ち落すことができたが、遠距離攻撃とは思えない程の衝撃が手に伝わる。
周りを見渡せば冗談抜きで地獄絵図だった。
人間とか竜人とか関係なく火の暴力が降り注いでいる。
竜人は同じ火属性のバーカンディであることも相まって、ある程度魔法に耐性があるので悲惨な事にはなっていないが、人間はそうはいかない。直撃を受けて足とか腕とかをもがれた奴があちこちに転がっているし、攻撃を受けなかった人間も爆風の余波で壁に叩きつけられて気絶したりしている。
残っていた人間の死人部隊などは一瞬のうちに炎にまみれ、まとめて全滅している。
火の雨はまだ止まらない。
人間たちは逃げ惑い、遅れてマリアさんたちも避難指示を出して撤退を始めている。俺はエルと背中合わせになって斜めに降ってくる魔力砲撃を食い止める。
防ぐのは簡単だが火が燃え広がったせいで煙が上がり、どんどん視界が悪くなる。
「そろそろ見えなくなってきたぞっ!」
「目で見るんじゃなくて心で感じるんだよ」
「格好いいアドバイスありがとう!でも何の役にも立たないぞ、エルッ!」
多分目で捉えるんじゃなくて魔力の動きを見て受け流せばいい、ってことなんだろうけど、あいにく人間である俺には魔力の動きを細かく感じる事なんてできるわけがない。魔力が火や水として顕現しなければ感知できないのが人間だ。
言い訳していてもしょうがないか。ともかく出来る範囲で迎撃を……。
「っ!止まった?」
火の雨が唐突に止んだと思ったら、今度はその元凶が煙を裂いて降ってきた。
俺たちの前に。
「なんで俺たちのところに来るかな」
「ハルくんが人間で、『どっかーん』じゃ倒せないと思ったからじゃないかな」
エルが手を広げてヴィットーリアの技を表現しながら俺の横に並ぶ。
幸か不幸か漂っていた煙はヴィットーリアの登場と共に消し飛んだ。落ちてきた衝撃もあるだろうが、おそらく彼女が放っている魔力のせいだろう。
煙が晴れたおかげでその表情をはっきり見ることができた。
「……」
怒ってる。
今にも泣くぞ、という怒りではなく。
殺すぞ虫ケラ共、という感じの怒りだ。
背は俺より小っちゃいのに、全身から見下した殺気を振りまいている。
一言も発さず、一歩も動かず。尻尾だけは怒りを抑えきれないのか、ときおりずべしっと地面を叩いている。
「あ~、初めまして、かな。俺はレーゲン……、どわっ!?」
一瞬翼が広がって、羽ばたいた途端にヴィットーリアの姿が掻き消える。嫌な予感がしてかざしたブリューナクに、右から突進してきたヴィットーリアの槍戦斧が激突した。
「ほう?」
「ちょっ、馬鹿かお前はっ!話している最中に攻撃しかけてくるなよ。それでも王族か?」
「ラ・ノブリタ・オブリーガとかいうやつか?生憎と敵の言葉を最期まで聞くつもりはないのでな」
見た目通りに体重が軽いのか、振り払うと案外簡単に引き離す事ができた。しかし地面に足が付いたと思った瞬間、再び突進してくる。おまけに槍戦斧はそのままに体だけ回転させて刺突力を増す芸当まで。
「敵じゃねえって言ってんだよっ!」
「貴様、人間ではないのか?」
「人間だよ。だけどルイズと協力して……」
「人間であれば今回の事件の共犯者だろう?妹が人間と共闘するはずもない。だいたい、今回の騒動に人間が関わっているという事実がある以上、この場に居る人間の殲滅は絶対だ」
「おいおい、どんな暴君だよ」
「これが我々バーカンディの……いや、おおよそ世界を統べる十三支族全てのやり方だ。世界の人口の大多数を占める貴様ら人間が少数派である我々に大人しく従っているのはなぜか認識しているか?
それは我々が強いからだ。
我々が力を誇示することによって争いを抑制している」
「だったらこの騒動を起こしたやつだけ倒せばいいだろう?」
「それは誰だ?どうしてわかる?ソイツで間違いないと言えるまでどれだけの時間が必要だ?そんな事をやっている間に世界は動き、新たな火種が燃え上がるぞ」
「くっ……」
為政者として正しいのは犯人を見つける事ではなく、騒動を起こさない事。既に起こってしまった暴動を早期に鎮圧し、新たな決起を許さない事。
「勘違いしているようだが、人間だけを粛清しようとしているわけではないぞ。この騒動を止められなかった竜人たちにも責はある。……同属のよしみだ。殲滅まではしないがな」
「俺達人間は別ってか?」
「この騒動の発端は人間側にあるからな。大人しくしていればいいものの……」
槍戦斧の刀身を軽く弾いて軌道を変えようとしたが、存外重い。もう一度、今度は強めに押して右へ避ける。嫌な予感がして身を屈めるとさっきまで頭があった場所を鱗に覆われた赤い尻尾が通過していく。
「ほう、いいな。戦い慣れしている。思ったより楽しめそうだ」
尻尾の回転力を利用して今度は槍戦斧が横凪に迫ってくる。このまま近くに居ると危険だと判断した俺は受け止めると同時に地面を蹴って、ヴィットーリアの腕力も利用して後方に飛んで距離を取る。
「ラーヴァ・フューメ」
ヴィットーリアがこちらに向かって構えた槍戦斧先端から真っ赤な液体が迸る。
「まさかっ!溶岩流?」
地面を真っ黒に焦がしながら灼熱の塊が迫ってくる。本物の溶岩であれば触れた途端ブリューナクも俺自身も炎に包まれるだろう。しかしあれは魔力で生み出した擬似的なモノ。
(魔力で中和してやれば)
そうはいっても全てを受けきれるはずはない。俺は中心から右に寄るとブリューナクを振り上げる。さっきエルに魔力を補充してもらったが、魔族の魔法を受けるのに使ってしまって残りは半分ほどだ。
「(ちゃんと補充してもらえばよかったかな)それでもっ!」
ゴッオオオオオオオオオオオオオオッ
魔力同士がぶつかる衝撃と左側を抜けていく溶岩流の地響きが体を打つ。ブリューナクの青いゲージがみるみる減っていく。
(女王様の魔力は伊達じゃないってか。あっちは多分10分の1の力も出してないんだろうな)
これを受けきったところで女王の攻撃は止まらないだろう。それを思うと体の力が抜けそうになる。それでも。
「んなところで負けてたまるかあああぁっ!」
一気に振り抜いたブリューナクが溶岩を切り裂く。その先には一瞬驚いた顔のヴィットーリア。しかしすぐに喜びの表情に変わる。
「はははっ!いいな、人間っ!」
再び突進してきたヴィットーリアと再び刃を合わせる。隙を見て脚を払おうとするも、ふわりと避けられて踵落としが迫ってきた。
「んぐぅっ!」
反射的にブリューナクで受けようとして思いとどまり、強引に身体を逸らして回避する。
「何だ?それで受ければいいだろう?」
「んなことしたらお前の足が砕けるだろうがっ!こいつは竜骨でできてんだ。多分お前の武器より硬いぞっ!」
ヴィットーリアが不快そうに眉を顰める。
(あ、竜骨ってことは竜の遺骸から抜き取られたものだから……)
何か余計な事言ったかもしれない。実際にはあの竜からもらったものだから俺自身が竜殺しをしたわけじゃないけど、今のコイツにそんな理屈は通用しないだろうし。
ドゴォォォォンッ
考え事を遮る轟音が戦場に響く。ヴィットーリアの向こうを振り仰げば城壁が赤く、黒く崩れ落ちていた。先ほどの溶岩流が到達したのだろう。逃げ道ができたとばかりに残っていた人間がそこへ向かって動き出す。
「あ~あ。自分の城ぶっ壊してどうすんだよ」
「ふん。あんなもの建て直せばいいだけだ」
「そうかい、……って、あーっ!アイツ逃げやがった」
逃げていく人間に混じって、魔族の男も建物の隙間に入っていく。
「おいぃっ!首謀者逃げたぞっ!」
「そうかっ!だったらさっさと倒されろ。わたしが追うっ!」
「ふざけんなっ!何で倒されなきゃいけないんだよっ!」
今度も真っ直ぐ突っ込んできたヴィットーリアの姿が消えた。途中で針路を変えたのだろうという事は予想できたが目で追える速度じゃない。しかし今回は煙が漂っているお陰で助かった。左側の煙に何かが駆け抜けた穴が開く。
直後に左前方から現れたヴィットーリアを弾いて上空に跳ね上げた。すると何の危なげも無く翼を広げて急制動。槍戦斧を真下に構えて急降下してくる。
「おわっ!」
俺が咄嗟に避けるとヴィットーリアはそのまま地面に激突する。
「ふんっ!」
そこで止まってくれればいいのに、突き刺さった槍戦斧を支点に回し蹴りを放ってきた。避ければ尻尾が襲ってくる。それを回避すると両足を揃えた飛び蹴りが迫ってくる。大きく身を引いて避けると、どうやったのか突き刺さった槍戦斧を空中で抜いてそのまま身体ごと縦に回転して叩きつけてきた。ブリューナクを打ち合わせて衝撃を和らげようと踏ん張る俺に、ヴィットーリアは翼を一つ打つと急速に身を寄せる。
「ぐっ!」
さらに俺の顔面に向けて人指し指を突きつける。
「フェブレ・ラッジョ」
何か宣言でもしてくるのかと思ったが、意味不明な言葉を呟いただけだった。
「ハルくんっ!」
そこでどこに居たのかエルが翼を広げて突っ込んできた。
「馬鹿っ!近づくな離れてろっ!」
「ダメーッ!!」
ヴィットーリアの指先に熱を感じるにいたってようやく分かった。至近距離での魔法攻撃だ。魔力を感じる事ができない俺には熱を発するまで分からなかったが、竜であるエルには離れていても分かったんだと思う。
そしてエルはブリューナクが抑えられていることも分かったから助けに入ろうとしているのだ。
「ふん」
その指先が俺からエルのほうに向いた。
「っ!お前っ!」
止めに入ろうと動き出した俺の右目に向けてヴィットーリアの指先が動く。
「え?」
「愚かな……」
その指先が徐々に赤く輝いていき、熱も上がっていく。ブリューナクは未だ槍戦斧に抑えられたままだ。体重が前に行ってしまっているために回避行動がとれない。
(やべぇ、死んだかも)
……このまま死んだらエルを独り残すことになる。
まだ10才で。
母親と死に別れたばかりで。
(そんなの、ダメだっ!)
それでも俺は誓ったはずだ。エルの一生まで一緒に居ると。
(何かないか?生き残る方法。頭を逸らせる方法……。
身体の流れは変えられない。このまま前方に流れていくだけだ。だが、ブリューナクの方はどうだ?抑えられているとはいえ、上から圧力をかけられているだけだ。少し角度を変えてやれば、ヴィットーリアの指先から顔面を外せるんじゃないか?
……迷っている暇はない)
俺はブリューナクにかけている力を一気に抜いた。押してくるヴィットーリアの力に合わせて、俺の手を中心に刀身が回る。柄が完全に上を向いたところで逆手に持ち変えた。
バランスが変わったところで当然ヴィットーリアの指も動く。
しかし、
(ちっ、竜人の特徴かっ!)
竜骨はその強度に反して非常に軽い。竜は空を飛ぶ生き物だから当然の進化だろう。つまりちょっと圧力が変わったくらいでは、大きく体のバランスを崩さない。加えて、人間はバランスを取るときに主に両腕を使うが、竜人は両腕以外にも翼や尻尾、個体によっては魔力噴射によってそれを行う。
だから指先をズラすことことぐらいはできたが、まだ指先は右頬のあたりを指している。
(せめて、首から下……肩ぐらいまで逸らせないか)
不自然な体勢のまま身を引こうとするが、ヴィットーリアは翼を打ち体勢を立て直して、覆いかぶさるように迫ってくる。
「終わりだ、人間」
「ふざけっ!」
勝ち誇ったように宣言するヴィットーリアに吠えてみたものの、確かにこれで終わりそうだ。見開く俺の視界のなかでヴィットーリアの指先の輝きが増す。
「くっ!」
「ほう?」
ほとんど無意識だった。魔法が放たれる瞬間がわかったわけじゃない。多分生存本能みたいなものだと思うが、とにかく第一波は俺の頬を掠め、髪を焼き、地面を焦がすに留まった。
俺が咄嗟に首を反らしたからだ。
しかし、ヴィットーリアの指先から出る赤い熱線は止まっていない。ブレードカッターのように隙だらけの俺の首に迫る。
「ハルくんっ!」
ちゅどーんっ!
いつも味わっている感覚が全身を走った次の瞬間、いつものように地面に叩きつけられる。
「がふっ!」
「もぐぐっ!」
咄嗟に抱え込んでしまったヴィットーリアが俺の胸でくぐもった声をあげる。
(別の意味で二度と離したくねぇ)
離したら今度は私怨で殺されそう。しかしいつまでも抱きしめているわけにもいかない。残念ながら俺には締め上げて気絶させる技術はないし、多分この女王様は人間の腕力で落ちたりしないだろう。
そんな俺の葛藤など関係なく事態は動く。
少し遅れて、エルが俺の脇腹に突っ込み、二人そろって宙を舞った。今度はエルを抱えたまましっかり着地する。衝撃で離してしまったヴィットーリアは空中で危なげなく体勢を整え、地面に降り立った。
「ハルくんっ、生きてる?」
「お、お~。今のは成功か?」
「え?あ~うん、そうだよ?キシュー成功っ!」
多分何かしなくちゃ、と思って咄嗟に魔力を放ったのだろう。でも普段から回復魔法を使おうとしては失敗してるし、他の魔法を知っている様子もない。いつも通り暴走しただけだろう。
(今は成功うんぬんを言ってる場合じゃねえな。とりあえずは助かったんだし)
そう思い直してエルの頭を撫でた。
「んぅ……」
エルが気持ちよさそうに目を細めるので、戦闘中だという事を忘れて撫でまわす。
「貴様……」
高い少女の声なのに、なぜか重低音のように腹に響くヴィットーリアの声。その声に反応して、エルと二人で彼女に向き直る。ヴィットーリアは何か苦しそうに顔面を抑えてうつむいていた。
(鼻でも打ったのか?)
「貴様っ!わたしを誰だと思っているっ!わたしはっ!」
突如激高したヴィットーリアの顔に浮かんでいるのはやはり怒り。ただし今度は今にも泣くぞ、という方。
「あ~、うん。ごめん」
「普通に謝るな、馬鹿ぁっ!」
普通に恥ずかしかっただけらしい。仮にも王族だし同年代の異性なんてそうそう出会うまい。出会ったとしても触れ合ったことはあまりないのだろう。
おまけに竜人はともかく、竜はめったに繁殖を行わない。強靭な肉体と長い寿命でなかなか死なないために、子孫を残すことがあまりないのだ。
人間の俺が異性扱いされたことにもちょっと驚いたが。
「かわい~」
「黙れ、そこのちっさいのっ!」
エルにまで可愛いと言われるほどにヴィットーリアの顔は真っ赤だった。
「だいたいお前も竜人だろう?何で人間を助ける?」
「『人間』じゃないよ、ハルくんだよ」
「だからなぜ人間である『ハルくん』を……」
「あたしは人間を守ってるんじゃなくて、ハルくんを守りたいんだよ」
エルの言葉を聞いて嬉しいと思う反面、彼女と同じ時間を生きる事の重さを痛感する。
もちろんエルを守りたいと願っているが、実際のところ人間である俺は防御力でエルには遠く及ばない。特に魔力的なところではどうしても守られる側だ。
しかし竜とはいえ斬られれば死ぬ。コイツの相手をさせたら、強力な攻撃手段の無いエルが無事で済むわけがない。
「エル、お前は逃げた魔族を追ってくれ。まだ魔力の痕跡か何かで追えるだろ?」
「うん、だけど……」
エルはヴィットーリアの方に視線を向ける。エルの言葉で何か思い巡らせているのか、彼女は沈黙したまま動かない。
「魔力を感じない俺にはもう追いかけられない。今追えるのはお前だけだ。……頼む」
「ん……」
エルはまだ不安が残ったままの表情で頷いた。
「追いかけるだけだ。手は出すなよ?……ああ、そうだ。ルイーザどこ行った?」
「えっと……、あそこの……、階段のあたりだと思う」
少し目を細めながらエルの視線が空中を這う。魔力の流れを追っているんだと思う。戦闘で混乱している上に、似た匂いのヴィットーリアが広範囲魔法を使ったために読みにくくなっているからそんな表情をしているのだ。多分。
「あいつ……。なんとか逃げずに留まったか。でも立ち向かう勇気は出せない……か」
「ハルくん……」
心配そうな顔のエルの頭を撫でて背中を押す。
「大丈夫だ、早く行け」
エルは一度振り向いた後、翼を広げて城壁の崩れたところへ飛んでいく。
「おいっ!」
ヴィットーリアの声が側頭部を叩く。エルが離れるのを待っていたように彼女が突っ込んできた。
突き出された槍戦斧をブリューナクで受け止める。
響く金属音が戦いの再開を告げた。
「わたしと戦っている最中に余所見とはいい度胸だな。油断は死を招くぞ」
「お前だって思いっきり隙だらけだっただろ?」
「わたしを誰だと思っている。バーカンディの長、ヴィットーリア女王だぞ。あれは油断じゃない。余裕というものだ」
滞空しているにも関わらず、翼が空気を打つ力でブリューナクにさらに圧力がかかる。その表情は言葉と同様に見下した余裕が見て取れた。
「抱きしめられて慌てふためいていたくせに」
表情があっさり崩れた。エルじゃないが確かに可愛いかもしれない。そういえばこういう事で赤面するのはルイーザとそっくりだ。
「……貴様、本気で殺してやろうか」
「最初からそのつもりだろっ!」
殺しに来ている以上油断はできない。エルには大丈夫と言ったが、ブリューナクに残されている魔力が残り少ない。槍戦斧の物理攻撃は受け続ける事ができるが、魔法攻撃をそう何度も受け続けることはできないだろう。回復手段もなくなる。
(早いとこルイーザと合流しなくちゃだな)
エルの魔力ではヴィットーリアを昏倒させるだけの攻撃力は得られない。対抗できるのはおそらくルイーザの魔力だけだ。
しかしいざルイーザの元へ向かってみて初めてわかったのだが、この姉様は常に俺と妹の間に入ろうとしている。無意識なのか意図的なのかは分からないが、ルイーザを守ろうという気はあるのだろう。
何度か打ち合いながらも徐々に近づいてきてはいるが、このままでは先にブリューナクが燃料切れになる。焦りを覚えた俺は、進行方向からヴィットーリアをどかそうと今度はこちらから肉薄する。対するヴィットーリアはその華奢な片腕で、長大な槍戦斧を振り回して牽制、こちらの攻撃もあっさりはじかれてしまう。
「どうした?攻撃が単調になってきているぞ」
「アドバイスどうも。そっちだって魔法使わなくなってんじゃねえか。燃料切れか?」
「フン、お前ごときに使う必要がないというだけだ」
「そうかい」
考えようによっては死ぬ可能性が減ったと喜ぶところだろうが、それはヴィットーリアが防御に徹するという事でもある。つまり隙を突くのが難しい。
(これは賭けだな。このままだとジリ貧なのは確実。だったら危険を冒してでも……)
「どうした?本当に終わりか?少しは楽しめるかと思ったが人間などこの程度……」
「抱きしめられたくらいで、テンパるくせに」
「ぐっ、……ふふふ、ふははははははっ!」
一瞬動きを止めたヴィットーリアは笑い声を上げた。最初は渇いたような、最後の方は抑えきれない感情が込められた声。
ひとしきり笑った後距離を取り、槍戦斧を振り上げる。
「いいだろう。そこまで死にたいなら……」
その刀身が赤く煌めいた瞬間炎に変わる。いや正確には、ヴィットーリアが握っている場所から先端までの部分が一気に炎に包まれた。槍戦斧から巨大な炎の剣に変わる。
「スパーダ・ディ・ヴルカニス」
声を発すると同時に、剣を形作る炎が勢いを増した。
「ふんっ!」
ヴィットーリアは無造作にスパーダ・ディ・ヴルカニスを振り下ろした。剣先から飛び出した炎は地面をのたくりながら直進し、城壁に激突する。
再び熔け崩れる城壁、上がる悲鳴。
「……分かっているとは思うが、今のはわざと外した。降参するなら……」
目を細めてキメ顔をしているが、ちょっと待てと言いたい。
「おいぃっ!また城壊してるぞっ!」
この女王様は自分の城を何だと思っているのだろう。
「だから、降参するなら……」
「そういう問題じゃねえっ!お前、自分の力が強いってわかってんなら少しは制御することを覚えろよっ!」
「うぅぅるさいっ!貴様がさっさと倒されないからいけないんでしょっ!?」
「どういう理屈だっ!うおっ、危ねえっ!闇雲に振り回すなっ!」
炎の剣はちょっと振り回されただけであちこちに向かって炎を吐き出した。その分スパーダ・ディ・ヴルカニスを覆っていた炎が減り、槍戦斧が見え隠れする。
「だからやめろって!城が崩壊するっ!!」
「うるさい、うるさい、うるさいっ!さっさと倒されろっ!」
振り上げられたスパーダ・ディ・ヴルカニスは再び燃え上がり、元の大きさまで戻ってしまった。そのまま下ろされる刀身は、今度は真っ直ぐにこちらを捉えている。
「ぐっ!」
「潰れろ、人間っ!」
ブリューナクで受けることで一時的に炎を飛ばし槍戦斧が露出したが、すぐに炎がそれを覆いこちらに迫ってくる。今はまだブリューナクに残るエルの魔力で炎を中和しているが、やはり魔力切れになるのは時間の問題。エルの魔力が無くなれば炎はブリューナクの刀身を焼き、俺の身体まで焼いていくだろう。
(ここまで来たら覚悟を決めるしかないか)
ヴィットーリアを抜きルイーザの元に辿り着くにはもう他に選択肢はなさそうだ。
俺はブリューナクを引き、自身の身体の下に潜り込ませると、スパーダ・ディ・ヴルカニスの炎に自ら身を投じた。
マントや上着があっという間に炎に巻かれて焼け落ちる。
続けて迫ってきた槍戦斧の本体を前進することで回避する。
目標を見失ったヴィットーリアは俺の上を滑るように通過。併せて炎も後方へ流れていく。お蔭で体がケシ炭になることは無かったが、上半身、特に背中が熱を持っている。
(火傷ですんでてくれればいいけどな)
息を吸い込んでもどこかから空気が抜けているような感覚がある。背中の肉がどこまで焼け落ちたかは確認できない。というか確認したくない。
(やべぇ、意識が……)
ショック症状から足に力が入らず、地面にうつ伏せに倒れていく。徐々に暗くなっていく視界の中、何とか手に力を込め、ブリューナクの刃先を自分に向ける。
ブラックアウトした視界の中、地面に倒れ込む感触が……。




