幕間8 魔族
こんにちは、エルフリーデだよ。
あれ、こんばんはの方が正しいんだっけ?
ねえ、ハルくん……あれ?そうか、今いっしょに居ないんだよね。
えっと、いまあたしはハルくんとわかれて、マリアさんとー、しんえーたいの人たちと、山に登ってるんだよ。
どこの?えっと、どこだっけ?ねえ、マリアさーん。
失礼いたしました。
読み苦しかった点をお詫びいたします。
ここからはエルフリーデ様に代わり、ルイーザ第一王女親衛隊長、不肖マリア・パレストリーナが地の文を担当させていただきます。
よしなに。
さて、現在我々はヴァルチェスカ城の裏に聳える岩山のさらにその裏側を垂直に上っている最中でございます。
目標は岩山の中腹付近にある泉。首都ヴァルシオンの水源となっているその泉に所長様謹製の溶解液を流すことによって、現在首都ヴァルシオンで行なわれている市街戦における劣勢の原因、竜血を無効化することです。
魔界の植物であるという竜血草から抽出された竜血は我々竜人の魔力を奪い取ります。その結果軍人である警備隊ですら、人間と同程度の力しか出せなくなっており首都は大混乱となっているのです。
とはいえ、ここまで来ると竜血の影響もないようで、通常通りに飛ぶことが可能です。尚、エルフリーデ様の白銀の翼は夜に目立ちますので、わたくしが抱えさせて頂いております。
「総員、降下」
私の声に従って親衛隊8名も比較的傾斜の緩やかな場所に降り立ちました。ここからは警戒しながら登る必要があります。
ひとつは人間が潜伏しているかもしれないから。
そしてもう一つは竜血です。レーゲンハルト様の見立てが正しければここには多くの竜血が運び込まれている、あるいは運び込まれた可能性があります。飛んでいる状態でその影響を強く受ければ墜落する危険を伴うからです。
「ルドラ、レイナは先行して警戒。セシリア、ロリエルは後詰。残りは私と共に来てください」
「「「「はっ!」」」」
周囲への警戒しながら行軍を開始しましたが、不思議なことに人間の気配がありません。動物の気配も感じませんから何か居る、あるいは何かあるのは確実なのでしょうが、竜血の影響すらないのは不思議です。
特に罠も待ち伏せも無いまま、我々は泉のほとりに到達しました。さすがにここまで来ると竜血の影響を感じます。
暗いのでよくわかりませんが、泉の水もピンク色に染まっているはずです。
ここに溶解液を流してもいいのですが、泉全体に広がると効果が薄まる上に飲み水として使えない期間が延びてしまいます。そこで反対側、出口の方へ向かいます。
月明かりに照らされた泉の岸をゆっくり進みます。このような事態でなければ、水面に移った月とあいまって非常に美しい光景なのですが。
相変わらず一切の妨害が無いまま泉の出口に到達しました。水の流れで竜血が集まっているためでしょう。体の違和感はもとより、意識まで持っていかれそうな倦怠感を覚えます。
「ここでいいの?」
「もう少々先でございます、エルフリーデ様」
「『エル』でいいよ?」
「そうは参りません。エルフリーデ様、レーゲンハルト様はルイーザ第1王女のご友人でございます。つまりマグナ・サレンティーナの客人です」
「えっと……?」
「お気になさらないでください。わたし共が勝手にそう呼ばせていただきたいだけでございますので。よろしいでしょうか?」
「う、うん」
「……それよりも。ほら、あちらが目的の場所です。水面が途中で消えていますでしょう?」
泉から出た水は一旦滝として流れ落ちた後、地下へ消え岩山の中を通ってヴァルチェスカ城へ至ります。わざわざここまで上ってきたのはそのためです。
首都の方は未だ赤く燃え上がり、戦いの喧騒も聞こえてきます。
早く任務を終えて合流した方が良さそうです。
「おんや~、おかしいな。なぜこの場所がわかったんだい?」
「っ!!!」
声がした方に視線を向けましたが何もいません。水面が静かに揺れているだけです。
もしやと思い視線を上に向けると居ました。
(人間?)
暗くて顔は確認できませんが、尻尾が生えていませんし、翼も確認できません。
しかし、その存在は水の上3メートルほどのところに滞空しています。
「あなたが『魔族』?」
エルフリーデ様が特に警戒することも無く話しかけます。
「そうだよ。僕が魔族だ。人間を扇動してこの国を壊そうと思ったんだけど、何でこの場所が分かったのかな。いや、そもそも何で竜血の存在を知っているんだい?」
「ここ最近の騒動は全てあなたが計画したと?」
「うん。面白いように踊ってくれたね。ヴィットーリア女王を大渓谷の向こう側へおびき出したのも、誘拐騒ぎで竜人と人の間で不信感を募らせたのも全て僕のシナリオさ。女王は大渓谷を越えちゃったみたいだけど、ここに到着するのにまだ1日はかかるよね」
何を根拠に1日と言っているのか分かりませんが、女王様なら計算など軽く凌駕する力を持っていますので、今夜にも戻るでしょう。
あえてノッてみますか。
「つまり1日持ちこたえればわたし達の勝ち、ということですか」
「そうなるかな?」
「しかしなぜ誘拐を?関係ない竜人まで巻き込んで……」
「関係ない?おかしいな。魔力が強いもの……つまり真祖を優先的に攫うように言ったはずだけど?」
「酒場で戦闘行為を行わせたのはあなたでは?」
「竜血の効果を確認する必要があったのさ。粉末にして散布する方が効果は大きいみたいだけど範囲が狭すぎるんだ。何度かためしてみたけど、やっぱり水に流した方が効果的みたいだね。……ただ水に流すと簡単に対処されちゃうんだよね。君たちが持ってるそれ、あの男が作ったものだろう」
「よくわかりましたね。我々が保有していることを」
しかし、よくしゃべる男です。勝利を確信しているからでしょうか。ならば油断している間に色々聞きだしてしまいましょう。
「別にわかったわけじゃないよ。ここに来る以上何かしら対処法を知っているってことだろう。僕が知っているのはあの男が作った溶解液だけだら、カマをかけただけさ」
「なるほど……」
「それにしても、よく彼らが喋ったね。ちゃんと餌は与えていた筈だけど」
わたしやエルフリーデ様を見て何の反応も示さないところをみると実行したのは別の人間なのでしょう。この男は終始指示を出していただけですか。
「そう簡単に情報を流すとは思えないけどな。拷問でもしたのかい?」
「ごーもん?」
エルフリーデ様が首を傾げました。
年齢的にはともかく為政者の次期候補として知らないのはどうかと思いますが。
レーゲンハルト様の過保護の影響でしょうか。
「我々にも協力していただける人間は居るのですよ」
「ふーん。ま、少なくともあの研究所の連中は裏切ったってことだよね。まあいい。竜血の生成方法さえ分かれば用済みだ。あとで処分しておこう」
「っ!随分とあっさり切り捨てるのですね。今後の世界侵攻の要になると思っていたのですが」
竜血の存在は我々竜人にとって致命的です。戦うことすらできなくなってしまいます。平時に長期的に使われれば経済低迷、治安悪化と悪いことしか起こりません。
「『要』?何を言っているんだい。竜血なんてせいぜい竜人を殺ぐくらいしかできないだろう?僕ら魔界にとって最大の脅威は『竜』だよ」
「……では、あなたは本当に魔族だと?」
「なんだ、信じていなかったのかい?そうさ、この身体も仮初のモノ。人間を殺して空いた肉体を使っているだけさ。だからすぐに腐ってしまってね。そろそろ新しい肉体がいるんだ」
魔族から不穏な雰囲気が流れ出します。親衛隊全員がそれを察し臨戦態勢。
ヒューン、ドォォォンッ
「っ!っな?」
「うぇえ?」
「きゃああっ!?」
3体の何かが降ってきました。親衛隊の娘達が悲鳴を上げながらもなんとか武器を構えます。
「ギシャアアアッ」
「ギャッギャッギャッ!」
「グオオオオオッ!」
見たことが無い……生き物?
高さだけでもわたしたちの3倍ほど。
動物の下半身に人間の上半身。そしてまた動物の頭部。いや、この世界の動物は普通足は4本しかありませんから、6本や8本もある目の前の存在を動物と呼ぶのは……。
「これは……魔物?」
「ひどいな。彼らは人間だよ。竜人の誘拐を命令していたんだけど、返り討ちにあったみたいでね。もうやりたくない、とか言うからつい殺しちゃってさ。もったいないから彼らの体とこのあたりに居た動物を混ぜて、僕の魔力を注ぎ込んだんだ」
この男は……魔族は何を言っているのでしょう。
混ぜた?
怒りと嫌悪感……そして一抹の恐怖。
我々の倫理観が、常識がこの場では通用しない。
(いけません。飲まれている。この男の雰囲気に)
見渡せば親衛隊も一様に表情を強張らせています。中には構えていたソードを地面に下ろし、口を覆っている者も。
「あなたは……悪い人?」
「エルフリーデ様?」
彼女はチラリと魔物たちを一瞥すると、興味を失ったように視線を反らして魔族を見据えました。
「ん?違うよお嬢ちゃん、普通の魔族さ。竜の敵で、世界の敵。……しかし、君は面白いね。こういうのを見せられたら普通気持ち悪くなるもんじゃないのかい?」
「もう、死んじゃってるんでしょ?可哀そうだとは思うけど、……なんでこんなことするの?」
やはりこの方は真祖なのでしょう。「殺されるかもしれない」とは微塵も思っていないようです。あるいは「何があってもレーゲンハルト様が助けてくれる」でしょうか。
「ふっ、くくくっ。いいね君。その自信は有り余る魔力のおかげかい?気に入ったよ。その身体僕が貰い受ける。……さあ僕の分身たち、彼女らを殺せ。そのちっちゃいの以外はすり潰しても構わないよ」
「総員、構えなさいっ!!ここで我らが負ければ首都は陥落する。ここでの勝利が我らがルイーザ様を守ることになると認識せよっ!!」
「「「「はっ!!」」」」
3体の魔物に対して親衛隊が2人ずつ構えを取り相対。残る2人は後方支援。わたしはエルフリーデ様を背後にまわして魔族へと向き直ります。
竜血の影響があるはずのこの場所で、なぜこの魔族は魔力によって浮遊できるのか。魔力で動いているはずの魔物がなぜ活動できるのか。
そしてなぜ我々竜人だけが竜血の影響を受け続けているのか。
理由はわかりませんが不利な状況であることだけは間違いありません。
「あなたを倒せば、魔物は止まるのでしょうね」
「正解だよ。竜人のお姉さん。だから僕は戦わない。どうやら町のほうも何か面倒ごとが起こっているらしいね。僕はそっちに向かうよ。……じゃあ、せいぜい残り少ない命を楽しんでくれ。ああ、そっちのお嬢ちゃんは腕や足をもがれないよう逃げ回っておくれよ」
「待ちなさいっ!!!」
わたしの制止などで止まるはずも無く、黒い影となった魔族はヴァルチェスカ城の上を抜け、あっという間に町のほうへ行ってしまいました。
「ギシャアアッ!!」
「きゃあっ!」
「怯むなアンジュッ!呼吸を合わせろっ!!」
「グオオオオッ!!」
「すぐに回復させるっ!踏ん張ってくれっ!!」
親衛隊と魔物の戦いは始まっています。しかし竜血の影響は大きく劣勢です。
「申し訳ありません、エルフリーデ様。ここはわたし共が何とかいたしますので……」
「ううん、あたしも戦う。あの人は止めなきゃだめだと思う」
「それは、そうなのですが……」
なんでしょう?微妙な温度差を感じるのですが。
「すぐに、解放してあげる……」
その言葉が向けられたのはわたしではなく、私の背後で奮闘する親衛隊でもなく。
「エルフリーデさっ……!?」
わたしが振り返って確認している間にエルフリーデ様が白銀の翼を広げ、空へ舞い上がります。しかしその動きは竜血の影響を受けており、非常にゆっくりです。それでも数秒もすれば手の届かない高さへ。
しかし敵も黙って見逃してはくれません。エルフリーデ様の動きに気がついた魔物の一体――おそらく大型の鳥と合成されたのだと思われます――がエルフリーデ様を追いかけて飛び立ちました。
(まずいっ!今の我々では)
竜血の影響下、何とか翼を広げましたが飛びたてるだけの浮力は得られません。
「ギシャアアアッ!!」
「グゥゥゥッ!」
「きゃあああああっ!」
それどころか、エルフリーデ様に気を取られたわたしたち親衛隊はたった2体の魔物に尻尾で吹き飛ばされ、足で抑えつけられ、身動きができなくなってしまいました。
「エ、エルフリーデ……様」
何とか首を動かして空を見上げます。三日月を背景に翼を広げた魔物が空へ上って行きます。小さなエルフリーデ様の姿は魔物の陰に隠れて確認することはできません。
守れなかったのか。
絶望感と無力感、そして竜血の影響で目を閉じそうになるわたしの視界は突如真っ白に塗りつぶされました。




