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赤の姫

 かつて魔王と呼ばれる存在が居た。

 

 魔族を統べし王。魔法を極めし王。魔界を征服した王である。当然のように魔界を支配するだけでは満足しなかった魔王は、次なる征服地として人間界へ目を向け侵攻を開始する。

 ――その力は、圧倒的であった。

 人間は剣や槍といった対抗手段しか保有しておらず、魔法に対する抵抗力も知識も技術も全く足りていなかったのである。技術で勝る魔族は1年という短期間で世界の半分を掌握。数においては圧倒的に優勢だったはずの人間が滅びるのは時間の問題であった。

 そこに救世主として立ち上がったのが竜である。

 後に13支族(しぞく)と呼ばれる竜族の始祖たち12体の竜と、1柱の神竜が人間と共に魔王に戦いを挑んだのだ。竜の参戦によって形勢は逆転した。絶滅寸前だった人間は息を吹き返し、魔王軍を追い詰めていく。

 かくして魔王は魔界へ逃げ帰り、人間界に平和が訪れた。一部の魔族や魔物は残ったものの、もはや人間にとって脅威ではなく徐々にその数を減らしていった。

 ――それから500年。

 魔界からの侵略は一切なく、人間界は泰平であった。

 しかしそれも永遠には続かず、世界には再び血の臭いが漂い始める。

 人間同士の戦争だ。

 当初こそ友好を目的としていた都市の合併・同盟は、明確に敵と味方を分け、その規模が拡大するにつれて軍備を拡張し、終には世界のあちこちで衝突が起こるようになる。

 森は焼かれ、川は濁り、海は人間の血で淀んでいく。

 そこで再び横槍を入れたのが竜人たちである。500年前の伝説に謡われている竜ほどには超然とした存在ではなかったが、人と竜の混血である彼らは「族」と称されるほどには増加していた。

 そしてその膂力は人間の軍事力を軽く超える。

 扱う魔法の技術も。

 瞬く間に人間たちの国を併呑した竜人たちは連邦都市郡を分割し、各支族が国として強制的に統治した。

 ただし神竜が治めるカピトリーナだけは国という形にはならなかった。世界を救った竜に対する信仰心が、当時すでに神竜に集まっていたのである。故に国家ではなく聖地というかたちで受け入れられ、その行政機能はカピトリーナ教の信者からの寄付によって全て賄われ続けている。

 ある意味で世界唯一の竜統治の成功例だろう。

 そして他の国においても、圧倒的な力による停戦状態によって世界に強制的な平和をもたらした。

 さらに500年後、……現代。

 武力によって行なわれた強制平和は続いている。しかし一方で、竜による支配を望まない者たちは確実に存在し、その火種が静かに足元を燻らせていた……そんな時代。




 ――レッドドラゴンが治める共和国マグナ・サレンティーナ、首都ヴァルシオン。

 大地と同じ赤茶色の城壁が都を囲っている。材質はレンガだ。そのレンガの壁が途切れている場所……全部で4箇所ある門からは絶えず人が出入りしている。町並みもレンガが目立ち、中央の城に向かってやや螺旋状にカーブした道が伸びている。

 西はシルバードラゴンが治めるジルバン・シュニスタッド、東はイエロードラゴンのマディーナ・アン=ナビーを経て、ブルードラゴンが治める海洋国家シャイレーンドラへと続く大陸随一の交易路の上に建っている。そのため古来より人の往来が絶えず、荒野にできた都市ながら、経済的に裕福であった。

 人間が支配していた頃はその有り余る経済力を以って軍備を拡張し、他国への侵略を繰り返していた。しかし、レッドドラゴン……特に当代女王ヴィットーリア・ディ・サヴォイアが治めるようになってからは、インフラ整備に力を入れる一方で税金も安くなり市民生活は向上しつつある。

 それでも弊害はある。

 選民思想。

 本人たちにその気はなくとも、支配階層である竜人は被支配階層である人間を見下すし、人間は竜人を恨み、妬み、憎む。それは生活習慣にもあらわれ、法的な規定はなくとも住む場所や家の規模、食べる物などへの差別化が進んでいた。

「200Lになります」

「はい、これ」

 俺は言われた金額……100Lコイン2枚を手に載せて差し出した。

「っ……、ありがとうございます」

 俺の手からコインを受け取った店員は俺の頭や尻のあたりを見て「人間がここで何やってるんだ」というような顔をしたが、後ろに居るエルと視線を交わすのを見て「奴隷か、あるいは召使いか」と納得したような表情になる。

 エルはそんな店員の微妙な表情には気づかず、楽しそうにハルヴァ――アイスクリームのようなお菓子を頬張った。そのまま俺の腕を引いて、噴水のある広場まで移動する。

「おいしーっ」

「そりゃ良かったな」

「ハルくんも食べる?……あ、ハルくんのも頂戴」

「はいはい」

 自分の分を俺に突き出すと、俺の手に握られたままのハルヴァにかぶりつく。俺の視線に気づくと、おいしいねというように目を細める。

 俺にとってはまだ少し寒いくらいの気候だ。正直なところ冷たい食べ物は遠慮したかったのだが、人間より暑がりのエルに今の服装をさせているのだから、これくらいは付き合ってやるべきだろう。

 ちなみにエルは先ほどと変わって黒いドレスのような服装になっている。肌が露出しているのは胸元と手先。あとは顔と翼と尻尾くらいか。足は、俺の位置からは完全に靴が隠れて見えるほどのロングスカート。

 だから当然暑く感じているはずだ。

「しかし、ほんと人間が居ないな」

 俺はハルヴァを一口食べ、その冷たさに眉をひそめながら広場を見回した。時間は正午を少しまわったくらい。あちこちに建っている出店には昼飯を求める人が群がって活気を見せている。しかしその人たちの尻からは一様に鱗で覆われた尻尾が生えている。

 しばらくあちこちに視線を這わせてみたが、見つけたのは荷物持ちをしてつき従う数人くらい。人間の姿はほとんど見えない。

「馬車の中には、けっこー居たよね?」

 自分の分を食べ終わったエルが物欲しそうな視線をしていたので、俺のハルヴァを押し付ける。やたー、とばかりにすぐに食いつくエル。

 自分で持てよ、という意味をこめて軽くハルヴァを揺すったら、今度は俺の手ごと両手で掴んできた。

「んー、まあこのあたりに住んで居そうな服装じゃなかったけどな」

 実際、彼らが馬車を降りてから向かった先は今俺たちが休憩している地区とは別方向。町の西側。ぱっと見、あんまり綺麗じゃなさそうなところだ。

(用水路が向かう先ってことは、衛生状態もそんなに良くないんだろうな)

 この都市は岩場を中心に形成されており、町の中心から東側には大きな城と屋敷群が岩に張り付くように建てられている。そして北と南には竜人と人間の庶民がそれなりに別れて住んでおり、西側には人間を中心に下流の者たちが住んでいる。

 数では圧倒的に少ないはずの竜人たちの居住区が都市の半分近くを占めているのだ。支配者である以上、城や屋敷は仕方ないにしても、とりわけこの首都は竜人優遇が色濃く出ているように思う。

(それにここに来てからの竜人たちの態度)

 エルが隣に居るからいいようなものの、一人で物陰に入ったら絡まれそうな雰囲気だ。

(でも、それだけじゃないんだよな)

 敵愾心……下等生物を遠ざけ、蔑むような視線以外にも、怯えや恐怖といった感情が見え隠れしている。よくよく考えれば先ほどの店主も少しびくついてたような印象がある。

 さらに注意深く見回してみれば竜人の子供たちの姿がほとんど見えない。特にエルと同い年くらいの子供……10才未満の、この時間なら外で遊んでいそうな子供たちの姿が見あたらない。

(支配階層である竜人の子供が働いてるはずがないし、働いていたとしても見かけぐらいするだろう。……ガッコーとかいうやつか?)

 あの竜に聞いたことがある。竜人だけじゃなく人間でも貴族であれば、子供のうちに机に座って本を読み知識を蓄える専門の場所があるらしい。食料が手に入るわけでもないのによくやるもんだ。

「ねえねえ」

「……(何だろう、この違和感。首都にも関わらず、竜人が怯える何かがあるってのか)」

「ねえってばっ!」

 腕を引っ張られてようやく気がついた。視線を横に向ければむくれた顔のエルが恨めしそうに見上げている。何か言いたいみたいだが、それより先に口のまわりのハルヴァを拭いてやる。

「ぷはぅ、ありがとう。……じゃなくてっ!」

「何だよ」

「あの子、見てよ」

 エルが指し示す先を見れば丁度見当たらないな、と思っていた年代の子が数人の大人と共に歩いていた。いや、従えているといった方が正しいか。たぶん貴族の子女とかだろう。

「なんだ、普通にいるじゃないか」

 多分エルよりは少し年上。まだ小さいがそれなりに胸もあるし、手足も少し女性的な丸みを帯び始めている。

(それより……何でコイツら総じて薄着かな。羞恥心が無いのは竜人としての特徴か?)

 その少女の服装はパンツ丸出し。あちこちに飾り布が付いているものの、やはりエルの民族衣装と同じような踊り子か娼婦のような出で立ちだ。付き従っている者たちも全て女性。少女ほどではないにしろ、女性である事が一目で分かる程度には身体のラインが出るような軽装だ。

 当然ながら全員竜人。

 そしてレッドドラゴンだ。色の濃淡には個人差があるものの、赤っぽい鱗に覆われた尻尾を揺らしている。

「ねえハルくん」

「ん?」

「あの子、すっごい涼しそうなんだけど」

「そうだな。でもエルは良い子だからあんな破廉恥な格好人前でしないよな」

 何を言いたいかはわかる。他の子が涼しそうな格好してるから自分も着替えていいよね、といったところか。

 だがエルよ、暑いなら俺の膝の上から降りろ。こっちが暑い。

「『はれんち』?」

「ああ、公衆の面前で……」

「誰が痴女ですのっ?」

 と、そこで横槍が入る。聞いたことがない声だ。

「そこまで言ってねえよ」

 つい、いつものエルとの掛け合いのつもりで突っ込んだが、誰だコイツ。いや……パンツ丸出し少女か。さっきまで広場の向こうの端を歩いていたはずだが、いつの間にか手が届きそうなほど近くに居る。

 その移動速度はさすがは竜人、といったところか。

「あなたには言ってませんわ。わたくしはそちらの淑女-レディ-に言ったんですの」

「あん?」

「あたしぃ?」

 まるでゴミを見るような目で……あれば、即座に激昂したところだが、やはりコイツの目には軽蔑だけでなく、恐怖が滲んでいる。

 やはりこの都で何かあったのだろう。あるいは起こっている最中か。竜人と人間の関係を決裂させる何かが。

「確認いたしますが、そちらの人間はあなたの奴隷ということでよろしいのですわね」

 結局、俺を無視してエルに話しかける。

「ん~、『愛の奴隷』?」

「なっ!?」

「誰がだっ!」

「え、否定しちゃうの?」

「オ前意味分カッテル?ドコデ覚エテクンノソンナ言葉」

 びっくりして平坦な口調になってしまったじゃないか。「性奴隷」とか言う意味だったら嫌だな。

「あたしとハルくんは硬い絆で結ばれているんだよ」

「あ、あ~、ああ。そうそう、俺達は家族という愛で結ばれてるんだ」

「夫婦愛も家族の愛のひとつだよね~?」

「あ~、はいはい、そうだね~」

「む~、ハルくん投げやり~」

 エルは俺の頬をその小さな手でぐにぐにと押して不満をあらわす。しゃべれないから止めてくれ。ついでにイチャついてるようにしか見えないだろ、これ。

「『家族』?人間ごときが竜人と?」

「ごときっていうなよ。そりゃ俺らはお前達より寿命短いし、短気かもしれないけどさ……。全員が全員、竜人のこと悪く思ってるわけじゃないんだぜ」

「そ、そんな事わかってますわ。ですがっ、……」

「姫様……」

 ふと少女の後方から声がかかる。落ち着いた感じの声だ。振り向いた少女の体越しに見れば、声の印象と同様落ち着いた雰囲気の女性が立っていた。

 他の女性に比べて格が高いのだろう。黒っぽい装飾具を肩と腰に巻いている。それでも薄着なので直視するのが恥ずかしいのだが。

「何、お前『姫』とか呼ばれてんの?その口癖が原因?」

「な、何ですの?その馬鹿にした態度はっ!失礼ですわよっ!」

「すいませんね、姫様(笑)」

「きーっ、わたくしを誰だとっ!」

 少女はその場で地団駄を踏んだ。その動きに合わせてポニーテールが揺れ、ついでに尻尾と飾り布も揺れる。繋がっている金属製の装飾具がぶつかり合ってしゃらしゃらと不思議な音色を奏でた。

 ひとりで騒がしいヤツだ。

 それにしても口調はともかく見た目は姫って感じじゃないんだよな。赤みがかった金髪の端は、確かにちょっとだけ縦ロールになっているけど、基本的にストレートで、ポニーテール。どっちかっていうと……山賊の娘?

「姫様っ!あなたは竜人の代表の一人なのですから、それ以上感情的な発言はお控えくださいませ。……それと、姫様はまだ名乗っていませんよ」

「別に名乗らずともわかるでしょう?」

「知らないからこそ、そちらの人間は馬鹿にした態度をとっているのではありませんか?」

 そこまで言われて初めてその可能性に気が付いたとばかりに少し目を見開く、そして恐る恐るこちらへ振り向いた。

「えっと……わたくしの事、知らないんですの?」

 当然自分の事を知っている、というノリで噛みついた事を少し恥じているような印象も受けたが、やはり小馬鹿にしたような雰囲気は変わらない。ずっと人の上に立つのが当たり前の生活をしてきたんだろう。

「知るか。俺達は今日ヴァルシオンに着いたばかりだからな。レッドドラゴン系の竜人だってことぐらしかわかんねえよ。ああ、姫様なんだっけ?」

 ぴくりとこめかみが動く。ヤベエ。これ以上からかうと洒落にならんかもしれん。竜人の腕力は人間よりもはるかに強い。いくら幼く見えても、人間よりはるかに強いなんてよくあることだ。

 一瞬腕が上がりかけたが後ろの女性の無言の圧力で手が止まる。

 少女の顔が痛みを我慢するかのように急にひきつり、尻尾が変な動きをしたが気のせいだろう。

「くっ、いいでしょう。では名乗らせていただきましょう。良く聞くのですわ、人間っ!」

 左手を腰に右手を胸元に、両足は肩幅に開いて踏ん張る。

「我こそはっ!バーカンディドラゴンが王家、サヴォイアの第一王女ルイーザ・ディ・サヴォイアであるっ!」

 バーカンディというのは彼女らの種族名だ。その見た目が赤い事から一般的にはレッドドラゴンと呼ばれている。

「ほへ~」

 エルが発言の内容というよりは、彼女の声にびっくりしたような声を上げた。

「本物のお姫様?」

「そういうことになります」

 俺の問いに本人ではなく後ろの女性が答える。さらにその後ろに控える女性たちも首肯した。

 ちなみに当の本人は、『どうだ、まいったか。謝れこの野郎』とでも言いたげな表情でふんぞり返っている。

「あれ?でもヴィットーリアって人がオサメテるんじゃないの?」

「おー、ちゃんと覚えてたか。えらいえらい」

「えへへ~」

 角に気をつけながら一頻りぐりぐり撫でる。ある程度強く撫でないと、もっともっととねだる動きで角があちこち刺さって危険なのだ。

「ヴィットーリアは多分コイツの姉だ。女王様っていうとちょっと変なのかな。共和国だし」

「ん~?」

 エルがわからないよ、と言うように首を傾げる。

「レッドドラゴンを束ねるという意味では女王だけど、共和国のトップという意味では大統領……っていうのが正しかったと思う」

「よく……わかんないよ?一番偉い人、なんだよね」

「どこの組織の一番偉い人かで呼び方が変わるんだよ。……正直俺もよくわからん」

 とそこまで言って目の前の少女……ルイーザの身体がぴくぴくと震えているのに気が付いた。

「(あ、ヤベエ)」

「無視しないでくださいますぅっ!?」

 ルイーザが叫んだ瞬間、その口から拳大の火の塊が飛び出した。当然その目標は俺達……というか俺だ。顔面目がけて加速してくる。

 一方のルイーザの方もその気はなかったのだろう。しまった、という表情が見て取れた。しかしそれもすぐに炎の向こうに消えてしまう。徐々に炎の塊が視界を覆っていく。

「(さすがに直撃はまずいが……)」

 軽くエルの身体を揺すると、俺の膝の上で正面に向き直る。

 ヒュガッィィィィイイイン

 エルの身体がビクリと震え、頭が軽くのけぞる。同時に左右の角が淡く発光し。翼がバランスを取るように一度、小さく羽ばたく。

 後ろからだとエルの顔面に火の弾が直撃したように見えるが、実は違う。

 エルの眼前。左右の角が伸びた先の空間に、激突した火の弾が縫いとめられている。

 魔力障壁。

 シルバードラゴンの得意とするのは防御と癒しの魔法。その防御の一端がこの魔力障壁である。本人が危険と感じればほぼ自動的に発動し、その身を守る。特に魔法に対して強い抵抗力を持つが、物理攻撃にもそれなりに通用する。

 そうは言っても至近距離。それも仮にも王族の放つドラゴンフレアだ。普通の竜人クラスに簡単に防げるものではない。

 エルの素性がバレたかもしれない。

「大丈夫か?」

「うん、平気」

 しばらくその状態が続き、唐突に火の弾は消失した。おそらく込められた魔力が尽きたのだろう。そしてエルの角も元の状態に戻った。

「その子……」

「あ~まあ、いろいろあるんだよ」

 竜人と一口にいってもその意味は二つに分類される。すなわち、竜と人が交わって生まれた混血児としての竜人と、竜が人に擬態している状態の竜人。

 世界に存在する竜人のうち前者、あるいはその子孫が大多数である。そして数少ない後者はそのほとんどが王族。つまり各ドラゴンたちの首長クラスだ。彼らは純血、あるいは真祖とも呼ばれ、現在ブラックドラゴンを除く全ての首長がこれにあたる。

 前者の竜人と後者の竜人では扱える魔力の総量・純度に差があると言われているが、人間は魔力の操作も感知能力もかなり劣るため、俺にも本当のところはわからない。だがルイーザとその取り巻きの反応を見る限り、その情報は正しいのだろう。

 先代亡き今は、エルもシルバードラゴンの筆頭である。いらぬ混乱を避けるために、先代の崩御も、エルの戴冠も公にはなっていないが。

「?」

 当の本人はなぜ驚いているのか分からない、あなたにもできるでしょ?というような顔で首を傾げた後、注目される視線が恥ずかしくなったのか俺の胸に顔をうずめた。

「姫様、少なくとも誘拐されたわけではなさそうですが」

「そのようですわね」

「『誘拐』?」

 不穏な単語に聞き返すがルイーザは詳しく話すつもりは無いらしい。これ以上関わる気はないとばかりに、くるりと向きを変えるとちらりとこちらに視線をよこす。

「こちらの事ですわ」

 その視線が恐々と俺に向けられたあと、胸にしがみついたままのエルを捉える。

「その子、大切だというなら目を放さないことをお勧めいたしますわ」

 そのままポニーテールを靡かせて広場を後にする。侍女達も一礼した後彼女に従った。

(……背中まる出しじゃん。どう見てもあいつの方が攫われやすいだろ)

 ルイーザの服は胸に巻いている布から足の先まで丸出しだった。尻尾があるせいだろう。エルのもそうだが、パンツの両端は尻尾の上で結んであって尻がほとんど隠れていない。

「ま、悪い子じゃなさそうだな」

「そうなの?」

「ああ、人間と竜人が一緒に居るなんて珍しいからな。俺がエルを攫ってきたんじゃないかって心配して声かけてきたんだよ」

「ん~、違うの?」

「え?」

「だって今『かけおち』でしょ?『とーひこー』でしょ?それって男の人が女の人を攫うってことだよね?」

「あなたっ、やっぱり!」

 気がつけば目の前にルイーザが立っていた。遅れてやってきた風が彼女の髪を逆立てる。

「何で帰って来るんだよ。格好良く退場したんだからそのまま居なくなれよっ!」

「もしやと思い様子を窺っていれば案の定……」

「姫様、そろそろ午後の鍛錬の時間でございます。お戯れはその辺で」

 さらに侍女みたいな人も、音も無く近くに立っていた。彼女の登場にルイーザが気まずそうに視線をそらす。

「えっと……」

「お前、ただ逃げてきただけじゃねえかっ!」

「うるさいですわっ!事件解決も重要なお仕事ですのよっ!」

「だからその情報をこっちに流せって!」

「部外者においそれと流せるわけが無いでしょう。あなたが犯人の一味ではないと確信したわけではありませんのよ」

「あーもう、お前じゃ話にならん。ヴィットーリアに会わせろっ!」

「一人間風情がお姉様に謁見できるとお思いですかっ!だいたい、姉様は今この都におられません。東の不穏分子の討伐に行っております。戻るのは一週間後ですかしら?残念でしたわね~」

「姫様……」

「ひっ」

 調子よくまくしたてるルイーザの首に手がかかる。

「国家元首の動向は一級秘匿事項です。それを往来で公言するなど……、どこまでおバカなのですかっ!」

(いやそこで怒ったらこの人も肯定したようなものなんだけど)

 ……あれ?なんか結構力はいってない?ルイーザの顔が白くなってきてんだけど?

「ちょっとあんたっ!もう聞いてない、聞こえてないよ」

「あら?……私としたことが」

 俺の声でようやくルイーザの首から手が離れた。

 こいつらいつもこんなノリなのだろうか。遅れて戻ってきた他の女性たちも驚いた様子はない。力なく倒れてきたルイーザを受け止めながら一応脈を調べたが、特に問題はなさそうだ。さすが竜人。頑丈にできている。

 エルが俺の左足に寄って場所を空けたので、ルイーザの身体を右足の方に寄せて翼に触れないように右手で支えた。

「(体温も、重さも人間と変わらないんだよな……)」

 血色は大丈夫かと顔を覗き込んだ瞬間ルイーザの目が開き、しばし見つめ合う。

「なっ……★○◇■☆っ!?」

 ルイーザの顔が一気に沸騰して意味不明の奇声を上げる。ついでにドラゴンフレアを吐きそうになったのだろう。咄嗟に口を覆った指の隙間から、ちろちろと小さな炎が見え隠れしている。

 こんな至近距離で放つのは勘弁してほしい。

「おっ、目覚ました。……大丈夫か?」

「ひゃっ、ひゃいひょうひゅでひゅおっ!」

 何言ってるかわからないが、とりあえず大丈夫そうだ。しばらくもごもごと口を動かしていたがなんとか飲み込むことに――魔力に還元することに――成功して手を離す。

「あ、危なかったですわ。あなたの頭がケシ炭になるところでした」

「怖いこと言うなよ。エルはともかく俺は人間だ。防ぐ手段なんて持ってないぞ」

「い、1度ならず2度までも大変失礼いたしましたわ」

「どうした?ずいぶん素直だな」

「わ、わたくしは謝るべき時は謝る女でしてよ」

「そっか……」

 俺は何となくルイーザの頭を撫でてみた。嫌がられなかったので少し強めに。エルとは違って角が頭頂部辺りから上に向いて生えているので撫でられるのは額の狭い範囲だが、それでも気持ちよさそうに目を細めるので調子に乗って撫でまわす。

 ルイーザの髪はところどころ跳ね上がっているからごわごわした感触を予想していたが、意外に滑らかだった。手入れができていないというよりは単に癖っ毛らしい。

 髪の流れに従って耳の後ろとか、頬の辺りとかを撫でてみても、彼女に嫌がる様子はなかった。

「ほぅ……」

 むしろ恍惚といった様子。エルの羨ましそうな視線が横から向けられている気がする。

「こほん、姫様。……人間とはいえ、いつまで殿方の膝の上に乗っているおつもりですか?」

「ひゅあっ!」

 しばし夢見心地だったルイーザが侍女の声に飛び降りた。少し紅潮した頬をむにむにといじって、何か言いたそうに視線を向けてきた。

「あ~。俺の名前はレーゲンハルト、こいつはエルフリーデ。しばらくはこの都に居るから、よろしくな」

 ひょいと差し出した俺の手を困惑気味に見つめてから、ルイーザは手を重ねた。

「レーゲンハルト……様」

「『様』はやめてくれ。いいよレーゲンハルトで。何か手伝えることがあったら言ってくれ」


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