長い夜の始まり
「はっ……、はっ……、はっ……」
俺とルイーザは北町へ向かう階段を駆け上がっていた。
さらにルイーザの親衛隊2名が追随している。共に装備は市街戦を想定して中射程のレイピアになっていた。
作戦はこうだ。
まず二手に分かれる。
俺とルイーザはヴァルシオン北町へ直行。救援活動を行いつつ、警備部隊と合流、戦線を緩やかに後退させヴァルチェスカ城前に防衛線を敷く。
エルとマリアさん、そして残りの親衛隊は裏山へ向かう。この不利な状況を作っている竜血を無力化するためだ。
この危険な状況でエルと離れたくはないが、ルイーザを1人にするわけには行かないし、裏山の道を知っているのは王家のみ。どちらかといえば戦闘が起こる可能性が低い裏山の方に、エルを当てることで妥協した。
(もちろん待ち伏せや防衛のために何人か割いている可能性はゼロじゃないけど)
それでもあっちの方が親衛隊が多いから安全だと思う。こっちは乱戦になったらどこから攻撃が来るかわからないし、同士討ちの可能性もある。
曲がり角でルイーザが止まった。
喧騒が近い。
「姫様方はここでお待ちを」
親衛隊の二人が道の先を素早く確認し、瞬く間に道を横断、反対側の路地に滑り込んだ。
そこから首を出して戦況を確認している。
道が続く先は噴水のある広場になっていて、その両端に竜人と人間が分かれて対峙しているようだ。弱体化していてもさすがに一方的に攻撃されているわけではないらしい。
下の方からの視線を感じてそちらに注意を向けると、ルイーザが不安そうな目で見上げていた。
ちなみに彼女の服装は最初会った時の民族衣装……やたらと露出が多いものに変わっている。親衛隊の娘たちが予備を持っていたらしい。
一応普段着とは違うものらしく肩や腰のあたりに布が追加されているが、どう見ても戦場に立つ姿ではないと思う。
一方の俺の方は同士討ちを避けるために親衛隊の服を借りている。ただしマントと上着だけ。さすがに女性用の装備は着けられないし、尻尾も生えていないので尻が丸出しになるからだ。
背中と胸元に王家の紋章が入っているので、不思議そうな顔はされるだろうが竜人側であると示すことはできるはずだ。
「ハルトくん……」
「不安か?」
「はい……うまくできる自信なんてありません。失敗したら多くの命が失われますの」
「そこがわかってるなら大丈夫だよ。少なくともここで動かないともっと多くの命が失われる。だから俺たちは行かなくちゃいけない」
「はい……」
頷きはしたもののまだ不安そうなルイーザの頭を撫でて抱き寄せる。
小さな体は震えていた。
「うまくやろうとしなくていい。まずは城まで兵を導くこと。町の皆を守ること。……そんで必ず生き残る事だけ考えるんだ」
「ハルトくん……えっと……んぅ……」
「何だよ?」
「えっと……えっと……」
ルイーザが切なそうな瞳で見上げた後、すぐに視線をはずす。自分の胸元に視線を向けたり、こっちの首のあたりに視線を向けたり。かと思えば全然関係ないところに視線を向けたり。
自分の胸の前で手を開けたり閉じたり。
いわゆるもじもじしているという感じだが。
「どうした?」
「わっ、わたくしっ!……い、今から嫌な女になるますのっ!」
「は?」
「こっ、こんなエルちゃんを裏切るようなやり方駄目なんだって分かっていますの……。でも……でも、お願い致します。わたくしに……勇気をください」
一瞬、俺の瞳を真っ直ぐにみたルイーザは目を閉じた。両手を胸の前で組んで祈っているようなポーズ。
何を要求されているかは分かる。
キス、接吻、口づけ。
いろんな呼び方はあるがまあそういうことだ。
俺はそんなルイーザの両頬を手で包んだ。撫でるようにもんで固定する。
「確かに嫌な女の子だな」
「う……ごめんなさ……」
見開かれた瞳の端にあっという間に涙が浮かぶ。
「ごめんなさっ……」
後悔と悲哀に支配された表情で体を離そうとするルイーザの方に一歩踏み出してそれを阻止する。
「でもいいんだよ?もっと甘えて」
「え?」
「ルイズはこれから大変な事を……今までやった事がないことをやるんだ。もっと頼れ」
「えぐっ……」
嬉しさ半分、「意地悪言わないで」という非難半分の微妙な表情のルイーザは、うまく言葉にできずにしゃくりあげた。
「それにさ。これから、部下に手伝ってくれって言いに行くんだろ?それって頼るってことじゃないか。受け入れられなかったらどうしよう、って思うのはわかるけどさ。それでも自分の弱いところ見せに行かなくちゃ」
「でもっ、でも姉様は強くて……、皆の先頭に立って……」
相変わらずルイーザは姉にコンプレックスがあるようで、事ある毎に比べては自己嫌悪しているようだ。
しかしそれではいつまで経っても「ヴィットーリアの妹」のまま、ルイーザ王女になることはできない。
「お前はヴィットーリア女王か?ルイーザ王女だろ?誰もお前が姉のように振る舞うべきなんて思ってないよ。ルイズはルイズが望む場所に皆を導けばいいんだ」
「わたくしが……望む場所」
「ああ、そうだ。……ルイズ、お前は国をどうしたい?今このヴァルシオンに居る人たちをどうしたい?」
「わたくしは……、わたくしは皆に平和に暮らしてほしいんですの。だからこの騒ぎを止めたい。親の代から争ってきた方々には小娘の甘い考えにしか聞こえないのかもしれません。それでもわたくしは泣き顔なんて見たくありません。苦しむ姿なんて見たくありません。人と竜は共に歩んでいけるはずです。だってわたくしはもう竜にも人にも素晴らしい方がいらっしゃるのを知っているのですから」
「ああ、一緒に行って止めよう。俺も人と竜が共に歩む未来を信じている」
ちゅっ。
まさかここにきてキスされるとは思っていなかったのか、ルイーザの目が見開かれた。しかしすぐに目を閉じて受け入れる。そして我慢できなくなったのか俺の首に手を回して唇を押しつけてきた。
「……っ!!」
親衛隊の女性が隠れている方から息をのむ声が聞こえたが、ルイーザは気づかずにより一層口を寄せて抱き着く。身体も摺り寄せて全身でキスしているような感覚だ。
「んふーっ、……ふーっ」
うっとりした表情のルイーザが少し躊躇するような表情になった。なんだろう、と思った瞬間舌が入ってくる。
「んんっ!?」
「んっ、ふぅー、んんっ……」
驚いた俺の表情に驚いたルイーザが哀しそうな表情で舌を引っ込めようとしたので、口を拡げて舌を追いかけた。
「んあっ!?んふーっ、んふー……」
今度はルイーザの方が驚いた表情になったがすぐに舌を絡め出す。
「んあっ、んちゅっ、ふあぁぁ……」
途中で息が続かなくなったのだろう。名残惜しそうにしながらも口を離した。2人の間に出来た涎の橋に目を止めて赤面する。
「あああ、あの、ハルトくん……」
「確認いたしますが、姫様も同意の上ですか?」
言葉と同時に冷たい感触が首に添えられているのを知覚した。前と後ろの両方。喉仏の下と、首と頭の中間に鋭くとがったレイピアが向けられている。
言うまでもなく親衛隊の二人である。
何となくこうなるんじゃないかと思っていたが、さすがに親衛隊。すばやい判断だ。
(早い……。ルイズに付けたってことはこの2人は親衛隊の中でも手練れなんだろうな。……あれルイズは?)
「……////」
ルイーザの答えが聞こえてこないので注意を前に向けると、恥ずかしさでフリーズした姫様が居た。
「おい、ルイズ……」
「あの、姫様?」
「ひゃ、ひゃいっ!そうでしゅっ、わたくひがっ、おしたおひまひたっ!!」
「いや押し倒されてはいないけど」
「そうですか……」
なんで残念そうなんだよこの2人……。
(まあでも普通そうか。姫を守る親衛隊なんだから。どこの馬の骨とも知れない、人間とはいえ男である俺をさっさと排除しておきたいと考えるのは当然だ。俺も過去にエルの許婚と闘りあったことがあるし。……幸いエルが幼すぎてソイツの事を何とも思っちゃいなかったけど)
視線を感じて意識を現実に戻すと、いつかのようにルイーザが不安そうな顔で見上げている。
「別にそんなに必死になって吸い付かなくても良かったのに……」
「しゅいちゅきっ……!?けほっ、けほっ、……だって……、これで最後かもしれませんし……」
とか言いながらも、ルイーザの顔にはそれを肯定してほしくないと書かれている。
「(だから素直に甘えろって言ってるのに。……顔には出てるからまあいいか)これで最後ってわけじゃないだろ?」
「本当に?」
「ああ。この騒動を治めたらまたしよう」
「約束……ですわよ」
「ああ、約束だ」
髪をくしゃりと撫でて答えるとルイーザが幸せそうに胸の前で手を揃える。見ているこっちが恥ずかしくなる反面、心が温かくなる笑顔だ。
深読みするとすごい事を約束したような気がするが、とりあえずルイーザのやる気が出たので良かったと思う。
竜は長寿である上に出産回数が少ないために「つがい」に対してあまり独占欲がない。加えて子育ては全面的に雌が担当するために、その時だけ自分のほうを向いていてくれればいい、という傾向がある。
だから人間でいうところの「浮気」という概念が存在しない。
逆にいえば、求愛を断る際「付き合ってる人が居るから」とか「他に好きな人が居るから」とか言っても伝わらない。
ただ自分を受け入れてもらえなかったんだ、と思うだけである。
もちろん個体差はある。しかし助けに行った時にも、エルは丸一日近く俺と一緒に居たルイーザに嫉妬した様子はなかったから大丈夫だと思う。
多分。
「そろそろよろしいでしょうか。姫様方」
少し時間をとりすぎたようだ。道の向こうに感じていた喧騒が遠くなっている。
「こほん、戦況はどうなっていますの?」
まだ若干頬を高揚させたままの、しかし瞳に確かな意志を灯したルイーザが親衛隊の二人に確認する。
「はっ!どうやら広場の戦いは人間に押し切られる形で終了したようです。現在エイド通りにて戦闘が継続中です」
エイド通りとは先ほどの広場から城の西端へ続く通りだ。城に向かって後退しているということはある意味狙い通りではあるが、城に着くまでに部隊が壊滅したら意味が無い。
それに裏山から「竜血」が流されたとすれば、上流に位置する城が最も影響を受けているはず。城に近づけば近づくだけ間違いなく不利になるだろう。
エルたちが成功するまで持ちこたえられるだけの戦力を無事城まで届けなければならない。
「早いとこ部隊を指揮しなきゃな」
「はいっ!」
ルイーザが意味ありげな顔で俺を見上げて頷いた。
性格には口の辺りを。
(まあ分かってるけどさ。頼むから兵士達の前ではノロけんなよ)
もちろん恥ずかしいというのもあるのだが、それ以上に敵対している人間と露骨に仲良くしている姿を見られたら士気の低下につながる。
「行きましょう」
親衛隊に前後を挟まれて、ルイーザと共に広場の入り口まで移動する。
「うわ……」
「っ……」
石畳が敷き詰められた広場には途中で折れた槍や剣が転がっていて、どちらかの装備の一部と思われる布が夜風に揺れている。
石畳自体、何か所もひび割れていて、黒い血があちこちに飛んでいる。あまり見たくはないが、腕ごと斬り落された盾も落ちていた。
さらに広場の外周に面していくつか木の残骸が積みあがっている。あれはおそらく屋台の残骸だ。昼間商品を焼き上げていたであろう鉄板がひん曲がって落ちているし、鉄製の車輪が落ちていることからもそれはわかる。
広場を取り囲む家の壁もいくつか焼け焦げていて、今居る場所と戦闘が続いているであろう通りに向かう場所の近くの壁には血が放物線を描いて幾重にも飛んでいる。
幸いにして死体は一つもない。
竜人が防戦一方だからだろう。攻めてこないから人間の被害は少ないし、攻めることができないから防御に徹する事ができて竜人の被害が少ない。
「とりあえず別の通りから回り込もう。うまい具合に最前線に出られたらいいけど、まずは警備隊と合流しないと」
「わかりました」
ルイーザが頷いてエイド通りの隣の細い道へ向かおうとする。
「きゃああああああああっ!!」
悲鳴につられてそちらを見ると、14、5才くらいの少女が居た。角と翼と尻尾をもった竜人だ。
この広場に面した軽食屋の店員のようで、ワンピースの制服の上からエプロンをつけている。
その少女が店から出たところ目の前に転がっていた、持ち主から切り離された腕を見て腰を抜かしている。
危ないから店に連れ戻すか、早く店に戻るよう声をかけようと考え始めたところで、メキッという音がした。
「っ!?」
少女が音に気が付いて頭上を振り仰ぐ。
考えるより先に体が動いた。座り込んだままの少女に向かって全力で足を動かす。
メキキキッ
店の入り口の上部に取り付けられた鉄製の看板が、少女に向かって落ち始める。いくら竜人が頑丈でも頭部を破壊されて生きているほど、生物離れしていない。真祖ならともかく、町娘であれば頭部への直撃は死を意味する。
「ハルトくん!?」
何事か気が付いたルイーザが遅れて追随した。本来なら真祖である彼女の方がはるかに早い。しかし今は竜血の影響を受けているせいで俺と同じくらいの速度。普段を知っているせいか俺より遅いように感じる。
親衛隊の2人も同様に遅い。
ただ彼女たちの第一目的はルイーザを守る事。彼女のためなら平気で俺や他の竜人を見殺しにするだろう。
「ルイズ、ドラゴンフレアをあれに当てられるかっ!?」
「分かりませんけど……当てて見せますっ!国民を守れなくて、王族は名乗れませんっ!!」
並走していたルイーザの姿が後方へ消えると、すぐにドラゴンフレアが俺の横を抜いていく。緩やかな弧を描きながら角度を上げ、落ちてくる看板の左側を打ち抜いた。
「ぐっ、ダメかっ?」
撃ち抜かれた衝撃で軌道をズラされた看板は、打ち抜かれていない側を下にしながら右側へ。しかし重さのためかその軌道は十分に逸らせていない。左端は未だ町娘の頭の上。
「っ!」
俺はブリューナクを握り直すと、狙いを定めて投擲した。
(危険はある。しかしこのままでは確実に彼女は死ぬだろう。だから)
ガイィィィィンッ
ガランッ……カラランッ
投げたブリューナクはどうにか目標に命中。音に怯えた町娘が頭を抱え、その身体の両脇に看板とブリューナクが転がった。
「大丈夫かっ!?」
遅れて俺達が到着した。地面に転がっているブリューナクを拾い上げ、未だ地面で腰を抜かしている町娘に声をかける。
「あっ、はい……。ありがっ……!?人間っ!?」
俺が人間であることを確認するとわかりやすく恐怖した。
当然の反応だ。世界的にも人と竜はいがみ合っているし、このヴァルシオンでは現在進行形で人が竜を攻撃している。
「ああ、俺は人間だよ。ただし国側だけどな」
俺は半身振り返り、マントに刻印されている王家の紋章を指し示す。
「あ、あの……」
「だけど同じ人間としては悪いと思ってる。ごめんな、怖い思いをさせて」
「あ、はぁ……」
よくわかっていなさそうな町娘の頭を安心させるように撫でる。
「ん……」
くすぐったそうにしながらも、嫌そうではなかったのでそのまましばらく撫でようとすると。
「あのっ!ハルトくん……、一度言おうと思ったのですけれど」
俺は少女の頭に手をのせたまま振り返った。そこには不満顔のお姫様が。
「何だよルイズ?」
「その、……お、女の子の頭を気軽に撫でないでくださいます?そ、その……勘違いしちゃいますし……」
「勘違い?」
「いや、えっと……だから……。って、何してるんですのっ!」
「何って、撫でてほしいのかと思って」
俺はもじもじと言い淀むルイーザの頭を撫でていた。
「そ、そんな事は……なくも、ないですがっ!今はそういう話ではなくてっ、ですねぇっ!」
腕を振り上げたり、足踏みしたり。全身を使って抗議しているが、頭から手を放そうとすると気配を察して頭が寄ってくる。
「っ!……っ!……んっ!」
右に左にと手を振っているうちに楽しくなって、180度回転したところで笑いを堪えている町娘の視線にぶつかった。俺の視線の先を追ったルイーザも気が付いて赤面する。
「ぷっ……ふふふっ、くくくっ……。仲……良いんですね。人間にも……あなたみたいな人が居るんですね」
「残念ながらまだまだ稀だけどな。……立てるか?」
「はい、ありがとうございます」
俺が手を差し出すと少女もビクつくことなく手を添えて立ち上がった。
「まだ外は危険だ。家の中に避難していなさい」
今まで黙っていた親衛隊が声をかけた。少女の方も軍人っぽい気配を感じたのか、俺に向けていたのとは別の緊張の目を向けると、頷いて店舗内へ向かう。入るときにチラリと振り返り、小さく手を振ってから扉を閉めた。
ルイーザの視線が痛い。
御免、という意味を込めて頭を撫でる。
(結構ルイーザは独占欲強いのか……。あの無頓着さはエル独特なのかな)
不満そうな顔は相変わらずだが、俺の手を拒否する様子はなく、次第に満足そうな顔に変わっていく。
「姫様方、そろそろ行きましょう……」
待ちかねた親衛隊の声で俺達は動き出した。




