人間たち
「所長大変ですぅっ!街がっ!!」
突然一人の子供が転がり込んできた。
白衣を着ているのでここの研究員か助手的な立場なのだろう。腰を越えそうな長髪を首の辺りで結っているが、性別の判断が付かない程に幼い。
「騒々しいですよ、フェリーチャ」
名前からすると女の子のようだ。へたり込んだまま怯えた目で俺たちを見回した。
「ああああ、すいませぇんすいませぇん。でも、町が燃えててぇ……」
「「っ!!」」
少女の声に反応して全員で階段を駆け上がる。降りてきた階段を一度だけ上がり別のルートを進む。その突き当りにある階段は建物の地上部分に繋がっていたようで、屋上まで繋がった階段を数珠つなぎのように上っていく。
ちなみに先導者はマッチョ。
以下、俺、エル、ルイーザ、マリアさんと続き――この辺りは何となくこういう順番で走っているだけで、全員まだ余裕を残した表情をしている――、その後方に先ほど転がり込んできた子供……フェリーチャに、所長が息切れしながら続く。その後ろはもう見えない。
(あきらめたのか、あいつら)
何となくのんびり歩いている姿が目に浮かぶ。それよりも所長がついて来れていることに驚いた。
「はーっ、はーっ、はーっ、はーぅ……はーっ」
足元を見ながら大きな息を吐いて、なんとか、という感じで追いかけて来ている。
本当に大丈夫だろうな。
バンッ!
屋上へ続く階段を開けて、飛び出した俺の目にオレンジの光が飛び込んできた。
もちろん夕日ではない。太陽はとっくに沈み、空は黒く色を落としている。
しかしここヴァルシオンの空だけは赤く染まっていた。
俺達が居る西街は相変わらず真っ暗だが、隣接する北街の住居の向こう側から勢いよく炎が上がっている。
西町でも北寄りのこの位置からははっきりと確認できないが、人間の多い南町は被害が少ないようだ。空の色が暗い。
「ひぃーっ、ひぃーっ、ひー……。もうっ、走れましぇぇんっ。所長……大丈夫ですかぁ……」
「はーっ、はーっ、はーっ、はー……」
遅れて二人が屋上に到達して、折り重なるように倒れこむ。
キン、コン。
俺達が登ってきた階段とは反対側に当たる位置から機械的な音がした。その壁に設置されていた扉が横に開いてあきらめたと思われた他の人間たちがぞろぞろ出てくる。
魔力装置か何かだろうか。ワープしてきたようで、息を切らした様子もない。
「そーいえばありましたねぇ、『エレベーター』」
「はーっ、はーっ、はーっ、これだからっ、年を取ると……物忘れが……」
あの箱は『エレベーター』っていうのか。
少女は早々に息を整えて立ち上がるが、所長の方はまだ息苦しそうだ。
「町が……ヴァルシオンが……」
ルイーザの呟きと、エルが服を引っ張る動作で前に向き直る。呼吸が落ち着いたおかげで音が耳に入ってきた。
オオオオオオオオオォォォォォォォ……。
火の燃え上がる音や、雄叫びを上げて戦う人の声が混ざり合って、まるで巨大な怪物が上げる咆哮のようだ。
赤く赤くヴァルシオンを焼く怪物。
恨み。
妬み。
憎み。
そんな人間の感情と。
侮り。
蔑み。
恐れ。
そんな竜人の感情を糧に成長する怪物。
「どうしよう……姉様に託されていたのに……」
女王ヴィットーリアはまだ戻っていない。戻っていればエルたちが気づくだろう。
ルイーザの小さな背中が震えている。それでも踏ん張って座り込んだりはしない。
彼女にもわかっている。ヴィットーリアが居ない今、首都に残る軍を率いてこの騒動を鎮圧するのは、王家の人間であるルイーザの役目だ。
「ルイーザ。独りで考えるな」
「ハルトくん……」
「俺達が居る。一緒に考えよう。……まずは現状の確認だ」
「はい……」
ルイーザに加えてマリアとエルが寄ってくる。所長たちは遠巻きに見ているだけ。
「この状況、既に国軍は動いているな」
「間違いありません。担当地区の警備兵が急行しているはずです。もしかしたら既に城に待機している警備本隊が駆けつけているかもしれません」
ルイーザに変わってマリアさんが答えた。
「だが火まで上がっているってことは押されてるってことだよな」
「人間さんの数が多いって事?」
驚いたことにエルが話についてきていた。
「それもあるだろうが、原因はあれだと思う」
俺が指差した先に3人の視線が向く。
用水路の水がピンク色に染まっている。
「あれって『竜血』ですの?」
「だろうな。さっきあのおっさんが言ってたろ?『配管に流してしまった』って。水に溶けても魔力侵奪が有効なんだよ、きっと」
東にそびえるヴァルチェスカ城。その裏に聳えている岩山からか流れ出した水は、ヴァルシオン各所を巡りここ西町に集まった後、外壁の下を通って外へ排出される。
「なるほど。人間たちは城の裏山から『竜血』を流して都全体に行き渡らせ、竜人の力を無力化している、と」
「多分な。ただこの施設内で3人が気絶していないから、ひょっとしたら水に溶かすと効果が薄まるのかもしれない」
「だから戦っている声が聞こえるんですのね」
気絶まで至っていないから応戦する事が出来ている。
「じゃあ、その『りゅーけつ』をどうにかすればいいだよね?」
「ですが、どうやって……」
「おいおい、この不思議な現象をどうにかする手段を俺たちは持っているだろう?」
俺は所長を始め、白衣を着た人間たちに向き直った。
「おや?我々は協力するとは言っていませんよ」
「っ……」
ルイーザが悲しそうな声を出した。マリアさんはそうだろうなという感じ。エルは相変わらずよく分かっていなさそうな顔で、俺と所長を見比べている。
しかし所長の反応は当然だ。彼らは人間でこっちは竜人。
この被害はどう見ても竜人が多いエリアで増えている。
つまり人間が竜人を攻撃しているということ。
人間で、この西町に居を構える者たちが俺達につくわけがない。
「ああ、そうだな。だから交渉だ」
「ほう……?メリットを示せると?」
「ああ、まずは人間側につくデメリットから言おうか」
「まさか女王が戻ってきたら一緒に粛清されるから、とは言いませんよね。それはあくまで我々が協力して勝った時の場合。矛盾しています」
所長が先手を打ってきた。確かに一瞬それは考えたがまあそういうことだ。加えて、そもそも参加しなければ粛清の対象にはならないだろうから、デメリットにもなっていない。
「俺達が負けた場合のお前らのデメリットだよ」
「……」
所長が値踏みするように目を細めた。
「お前らの収入源であるところの香水……。アレの主原料は『竜人の汗』だな」
「ええ、まあ現段階では『竜人の少女の汗』ですけど」
ブリューナクを抜きそうになったがなんとかこらえる。
「それが手に入らなくなるとしたら?」
「?むしろ逆でしょう。首都が制圧されれば竜人たちは本当に奴隷に落ちます。それこそ簡単に手に入るようになるのでは?」
「一時的には、な」
所長の笑顔が深くなったような気がする。まるでその答えを待っていたと言いたげだ。
「人間が竜に勝てるわけないだろう?ヴィットーリアが帰ってきたらあっという間に終わるぞ。仮にマグナ・サレンティーナは征服できても、すぐに他国に攻められて終わりだ。戦争状態になれば規制も厳しくなるだろう。その後も国が存続したとして、奴隷の汗が含まれている香水なんて誰が買うんだ?それが売れるのは竜人が上位種として支配しているからだろう?」
人間が国を治めるようになったとしても、貿易が出来なくなるから確実にマーケットは狭くなる。
「ふむ……いくらか強引な印象は受けますが、まあいいでしょう。しかしまだまだ弱い。我々が敵対しない理由にはなっても、共闘する理由にはなっていませんね」
ヴィットーリアの性格がイマイチわからないが、大人しくしている人間まで制裁を加えるとは思えない。
たしかに足りない。
「もう一度確認するけどアレの主原料は『竜人の汗』だな」
「ええ」
「ルイズ、お前の姉ちゃん、歳いくつ?」
「え?えっと……もうすぐ18ですけど……」
答えたルイーザの瞳が、俺が言わんとしていることに気がついて見開かれた。
「むむむむ、無理っ!無理ですぅ!!」
「どうだ?一国の女王様の汗はかなりレアものだと思うけど?」
「わたくしの話をお聞き下さいなっ!!」
ルイーザが俺と所長の視線に入ってきた。とはいえ身長が低いので手をわたわたと動かして、なんとか視線を遮っている状態だが。
「なんだよ?」
「だから、絶対無理ですのよっ!そんな話したら笑顔で殺されますっ!」
「タオルちょろまかすくらいできるだろ?だいたい、国の一大事に個人の恥も何もないだろ?」
「そ、それはそうなんですが……、姉様が納得するか……(オルダーニもいますし)」
「要はヴィットーリアが帰って来る前にこの騒動を鎮圧するか、帰り着いた後でも俺たちが動いたから騒動を止める事が出来たと思わせればいいんだよな?」
「ぜ、ぜぇったい一緒に姉様を説得するんですのよ。殴られるときは一蓮托生です……」
「お前ら竜人と同じように殴られたら、俺、絶対死ぬんだけど……」
「ハルトくん……」
縋るような瞳で見上げてくるルイーザの頭をぽんぽん、と撫でる。
「わかった、わかった」
「話は纏まりましたか?」
「ああ、こちらから提供するのは『女王の汗』だ」
「……ふむ。聞いている限りではあまり期待できそうにありませんね。どうでしょう、てっとりばやくそちらの姫様の汗で手を打つというのは」
「ひぃっ……」
既にルイーザの分は手に入れているはずだが、足りない、ということか?
「レーゲンハルト様……」
すっ、と後ろに立ったマリアさんあが小さく耳打ちする。
俺は小さく頷きつつ所長へ答えを返す。
「答えはNOだ」
「ほう……交渉決裂ですか?」
「いや?改めて提示させてもらおう。お前らが俺達に敵対するデメリットってやつを」
「部隊展開ッ!」
マリアさんの声と共に屋上の外側から黒い影が現れる。彼女らはその黒いマントを脱ぎ去ると手にした獲物を構えた。それは斧だったり槍だったり、剣だったり。
人間たちに武器を向ける少女たちの胸元には王家の紋章が輝いている。
第一王女親衛隊。
つまりはルイーザの直轄である。
実際にはマリアが率いているらしいのだが、昼の間にルイーザの名前でそれとなく情報を流しておいた。
「ふむ……。脅迫ですか?」
「違うよ。俺達にはまだ戦う戦力が残っているっていうのを示しているだけだ」
もちろん心理的圧迫という効果は多少ある。
しかし俺は人間であるが故に人間の狡猾さを知っている。
目の前の男が、どう見たって戦闘向きじゃない男が何の策もなしに竜人の前に出るわけがない。
「俺たちはまだ戦える。だが、勝つにはちょっと足りない。力を貸してくれ」
「ふむ……」
所長は何か期待するように視線を向ける。
「俺たちと一緒に戦ったほうが絶対楽しいぞ?」
「ぷっ、あはははははははっ!!」
所長が思いっきり噴き出した。
自分でも何言ってるんだろうとは思う。はっきり言って交渉になっていない。さっきのも単に時間を稼いでいただけで交渉をしていたわけではないしな。
ただ彼らは人間であり、研究者だ。
研究には金がかかるし、その資材や道具を集めるにはかなりの苦労をする。だからそこを埋めてやるのが一番手っ取り早いだろう。
それゆえの「女王の汗」。
(自分で言ってて何言ってんだという感じだな)
でも彼らが本当に求めているのは金でも、資材でもない。
それは「未知との遭遇」。
見たことのない何か。
会ったことない誰か。
聞いたことのない話を。
己が好奇心を満たす何かを。
「いいでしょう。協力しますよ。面白そうなので」
所長が口を拳で隠したまま肩を震わす。
「ですが……わかってはいるでしょうが、この同盟は非常に弱い。あなた方に付くのが危険と判断した場合は即座に手を引きますし、表立って味方することもありません」
笑うのを止めた所長は、鋭い眼光でこちらを見据えた。
「ああ、解決する手段を提供してくれるだけで十分だ」




