幕間7 第1王女の冒険
朝食を挟んで2時間後。
人間達の下流街、西町の入り口にわたくしは立っています。
「確かに何でもするとは言いました……」
階段を下りて向う先は、隣接する北町の歓楽街と似た雑然とした雰囲気ながら、明らかに活気がありません。
まず人通りが少ないし、時折見かける店員は雑誌を読んだり煙草をふかしたり。通りを歩くわたくしに目も向けません。接客するつもりがあるのか、とも思いましたが今のわたくしにとっては好都合です。
「ですがっ!なんですの?この格好はっ!」
どうしても我慢できずに往来の真ん中で声を上げてしまいました。一時的に注目されましたが、人間たちは関わりたくないとばかりに視線を逸らします。
こんな扱いは生まれて初めてです。まあ、それもしょうがないことでしょう。
わたくしの格好は、その……娼婦です。
ハルトくんは『普段とそんなに変わらないだろう?』と言っていましたが、全然違います。アクセサリーは安物ばかりですし、裸足じゃありませんのっ!王家を示すものは根こそぎ外されて、見苦しいったらありませんわっ!
我慢できなかったわたくしは上からローブを被っていこうとしたのですが、王家の紋章が入っていましたのでそれも取り上げられました。仕方ないので無地のローブを被ったら、『奴隷っぽくてそれはそれでいい』とかっ!!
さすがに城の者たちに顔を見られるわけには行かなかったのでそのまま裏口から出てきてしまいましたが、情けないかぎりです。
「わたくし、これでもお姫様ですのに……」
人間の男性と触れ合うのはもちろん初めて。種族が違うしひょっとしたら子供としか思われていないのかもしれませんが、もう少しレディとして扱ってくれてもいいですのに。
ここはきっちり任務をこなして、立派な女性と認めさせてやりますわ。
「たしかこっちで良かったんですわよね」
市場のようになっている場所を離れて、平屋が立ち並んでいる方に向かいます。ハルトくんが言うにはその先の工場区が怪しいとのこと。
ただし工場にまっすぐ向かってしまうと間違いなく怪しまれるので、細い道が複雑に走っている居住区を通ってから向かうようにと言われています。あくまで迷い込んだように見せかけろ、と。
「タイムリミットは3時間……」
あまり遅くなっては別の……今回の事件とは関係ない、竜人の存在を快く思わない人間に危害を加えられる可能性があるので、日暮れまでには北町に戻るようにとも言われています。
狙いはエルちゃんを攫ったグループ。あの時わたくしも目標にされていたので、昼間でも攫う隙があれば行動を起こすはず、と。
「すこし、怖いですけど」
エルちゃんが攫われてから一晩経っていますが、まだ無事な様子。攫われてもすぐに危害を加えられる可能性は低いだろうということで、わたくしは了承いたしました。
了承したからには絶対に攫われてみせます。
(あれ?気合い入れるところではないのかしら?)
少なくとも今は物見遊山でいいのかもしれない、と辺りを見回してみて違和感を覚えました。
考え事をしている間に随分と歩いていたようで、見渡す限り周りに建っているのは薄い板で囲われた平屋の家。先ほど通過した市場はもう見えません。
「え?道が……ない?」
進むべき道は続いています。しかし進んできたはずの道がありません。緩やかに蛇行した先には近くの家と同じ薄そうな板と、その上にはやはり薄い屋根。
ぞくり、と。背筋に嫌な悪寒を覚えました。
本当は道が曲がっているからここからは見えないだけなのかもしれません。でもそれ以上におかしいのはここは居住区であるはずなのに人の暮らす音を感じることができないのです。
「や……いや……」
何か得体のしれないモノの中に入ってしまったような、嫌な予感が襲ってきます。後ろから、首筋の辺りをじぃっと見られているような気がして振り返ったわたくしは見てしまいました。
「なん、で……。いやっ!だって、さっきまで、道……」
わたくしが進もうとしていた道までもなくなっていたのです。まるでそこには最初から何もなかったかのように薄い木の板が立っていて完全に行き止まりになっています。
冷静に考えれば木の板なんて打ち破って進めば良かったのかもしれません。しかしわたしは恐怖で動けなくなっていました。
「やだ……やだよぅ……。マリア……姉様……ハルトくん……」
わたくしはローブをすっぽりと被り、膝を抱えて座り込みます。見ないようにすれば、じっとしていればまた道が開ける。そんななんの根拠もない希望にすがって。
ジャリッ
地面を何かが擦るような音がしました。
「ハ、ハルトくん……?」
ザッ、ジャリリリィッ
音は一つではなく、たくさん。
わたくしの周り、全方向から聞こえました。
恐る恐る顔を上げると板の間から何か鉄の棒のようなものがわたくしに向かって伸びています。そしてその鉄の棒のやや上、暗くなってよく見えませんがしかし、少ない光を反射して不気味に光る人の眼だけはなぜかくっきりと見えてしまったのです。
「ひあああっ!!いやっ、いやぁぁぁぁぁっ!」
ずざあぁぁっ、とみっともなく、お尻を着いたまま後ずさって逃げようとしたわたくしの尻尾は、すぐ後ろにぶつかって、それ以上さがれなくなりました。
反射的に見上げるように振り返ってしまったわたくしの視界には、同じように板の間から除く鉄の棒と光る眼。それもひとつではありません。視界に入る限り全ての隙間からわたくしを無機質に観察する眼が。
「ひっ!あ、ああああぁぁっ!」
わたくしはもうそれ以上動くことが出来ずうずくまりました。尻尾を体に巻きつける時に、バキッとか、うげっとかいう音が聞こえた気がしましたが確認する勇気はもう残っていません。
「やだっ!やだっ!ハルトくん、ハルトくん……」
ただただ今の状況から逃げ出したくて、助けてほしくて。
そんなわたくしの耳に何かくぐもった音が聞こえた後、びちゃっという液体が降りかかるような感触が。背中や後ろ頭に染み込んでくる感覚を覚えたわたくしは、そのまま意識を失いました。




