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幕間5 単姫朝駆け

「あ~、体が重い……」

 夜明けまでには渡りきるつもりで居たのだが存外翼の動きが悪い。滑空すればもっと早く飛べるのだろうがそれでは上に登る道を見つける必要が出てくる。

 それに、今は大渓谷の上の部分を飛んでいるからそれほど影響は感じないが、下に降りてしまえばどんな影響があるかわからない。

(動けなくなったからってわたしを助けに来る者もおらんしな)

 一瞬オルダーニの顔が浮かんだがふるふるふる、と首を振って前を向く。

(阿呆がっ!甘えてどうする。オルダーニの制止を振り切ってここに居るんだぞ、わたしは。せめて完遂せねばただの我儘ではないか)

 残してきた部隊が心配だがオルダーニと親衛隊長が居る。まさか全部隊で大渓谷になだれ込むという事も無いだろう。わたしが居ない事も公表はすまい。予定通り遠回りして帰還するはずだ。

(つまり援軍は来ない。わたし独りでも、わたし達を誘い出した身の程知らずを捕まえてやる)

 それにしても動きが悪い。

 まだ夜明け前。大渓谷の底の部分は闇に閉ざされており、崖部分も真っ暗だ。バーカンディの特徴である赤い鱗のお蔭でその闇にまぎれる事が出来ている。

 しかし夜が明けてしまえば逆に黒く目立ってしまうだろう。オルダーニが警告したように対岸から狙われた場合回避し続ける自信はない。普通の矢ぐらいならいくら命中しても問題はないが魔法攻撃などされてはたまらない。

槍戦斧(ハルバート)は置いてくるべきだったか?)

 ひ弱な人間に対してはわたしの戦闘力があれば武器は必要ないだろうが、何となく持ってきてしまった。

 やはり不安はあるのだ。これでも。

 いやいや、と首を振る。

(弱気になってどうする。ともかくこの大渓谷の対岸に居るはずの人間を駆逐する。それだけだ)

 何処までも真っ暗な大渓谷が眼下を流れる。そこでようやく視線が下を向いていることに気が付いて、振り払うように前に向けた。

 対岸も真っ黒だ。

 右斜め後ろから太陽が上がっているので向かう先の空はまだ夜の暗さを保っている。

 ピカッ

「何だ?」

 向かう先の崖と空を隔てる稜線の一部が輝いた。

 ドォン……

 遅れて空気が振動する。

 ヒュルルゥゥ

 さらに遅れて何かが空気を引き裂く風切り音が頭上から聞こえる。音に反応して身体ごと仰向けになって上空を確認すると、黒くて小さなものが通過していくのが確認できた。

(花火?いや何かの合図……狼煙か?……それとも発見された?わたしへの攻撃にしては外れすぎているが……)

 何かが降ってくるのかと思ったがそんなこともなく完全に上空を通過し、後方へ流れていく。

(ひょっとしてあれが昨日橋を落した爆発の正体なのか?)

 とにかくわたしを狙ったものではなさそうだ。再びうつ伏せの状態に戻ると翼を打って速度を上げた。

 少なくともあちらはもう起きている。もたもたしていると発見されるだけだ。動けば動くだけ発見されるリスクは増えるが、少しでも早く大渓谷を渡りきるほうを優先させるべきだろう。

 竜としては情けない限りだがこの場所に限っては地に足を着けた方が有利なのは確実だ。

 考えををまとめて再び翼を打った瞬間それは来た。

 ドッオオオオオオォォォォォ。

「なんっ!?」

 轟音と共に高温の空気が背中を押す。そして続く光の洪水。

「……っ!?」

 後方を振り返って確認していると、今度は前方から複数の破裂音。

「なあっ!?」

 今度は正確にわたし目がけて黒い物が飛んできた。翼を畳み、尻尾を振って一気に高度を下げる。通過する砲弾の動きに併せて顔がそちらを向く。

 鋭利なデザインだ。爆薬の詰まっているであろう弾頭部分がかなり鋭い角度の円錐になっている。そこから後方に伸びる突起部分から白い煙を出して飛んでいる。

 そんな弾頭が3つ。さっきまでわたしが飛んでいた高度を通過していく。その動きを観察するために完全に顔が後方を向いてしまった。

 ピリリッ

「っ!?まさかっ!?」

 頭頂部。つまり進行方向から魔力的なプレッシャーを感じて、無意識に翼を広げた。今度は一気に上昇をかける。

 私の体の下。砲弾が胸の谷間を抜けて、下腹すれすれを掠め、スカートに穴をあけて後方へ抜けた。

 魔力を感知できない人間の目には映らないだろうが、竜であるわたしには認識できる。砲弾とは比べ物にならない速度の魔力砲撃である。

(胸が小さくて良かった……って違う。よくもわたしのドレスをっ!)

 自分のことなので確認はできないが顔がひきつるのはわかった。

「まだ来るっ!?」

 対策を打つ前に魔力砲の第2波が放たれた。ほとんど無意識に尻尾を振って体をバレルロールさせる。再びスカートを焼かれたが翼も尻尾も無事だ。

 さらに回転運動によって発生した遠心力で強引に軌道を変えていく。とはいえいつまでも回転していられない。数秒ののち翼を広げて姿勢制御を行う。広げた翼が風を捉えて少ない力でさらに上昇する。

 ドゴオォォォォォ

「くぁっ!?」

 しかし整えた姿勢が再び発生した爆発によってあっさり崩された。先行していた砲弾に魔力砲が追いついて誘爆したのだ。

「うっ!?まずい……」

 不自然な体制で爆風を受けたので、体が完全に垂直になってしまった。水平に飛んでいる時よりも魔力砲撃の的になる部分が増えてしまっている。

 ピリリッピリッ

 やはり魔力砲撃は続いている。音は聞こえないが感じるプレッシャーの数が増えた。複数の砲撃で本格的に狙い始めたようだ。

 バジジィッ

 ドスッ

 ギィィィン

 今度は回避が間に合わず一発は肩のプロテクターを掠め、一発は翼の皮膜部分を貫き、最後の一発はなんとか槍戦斧(ハルバート)で撃ち落した。

「くっ……、まさか直撃とは」

 尻尾を振って身体を水平状態に押し戻し、身体を傾けることで滑るように横移動をする。それを追うように一文字に走っていく魔力砲。方向転換時に立ち上がりが遅れ、足のプロテクターにもう一発砲撃を食らう。

 その後も回転するたびに1発、ないしは2発ずつ攻撃を浴びてしまう。

「このままでは……、止むを得んっ!」

 わたしは身体を水平状態からやや前傾姿勢に傾けると翼を畳んだ。前方の崖、その暗くなっている部分に向けて加速を開始する。魔力砲はその動きについていけずわたしの後方を抜けていく。

 このまま高度を下げていけばますます力を失うだろう。しかしこのまま砲撃を受け続けるよりはましだ。

 それに人間が生身で魔力砲を打てるはずがない。何らかの道具を用いていると考えるのが自然だ。つまり発射角には限界があり道具が設置されていると思われる崖に近づけば打ってこなくなる。

 崖に近づくと逆に矢や石などの実体弾に変わるかもしれないがそんなもの竜であるわたしにとっては脅威になりえない。

 それに大渓谷の暗闇を背にすればこちらの姿が見えにくくなるだろうというのもある。あの最初の砲撃は私を狙ったものではない。後方で破裂させることによってわたしの姿を浮かび上がらせるのが目的だ。

「ん……?」

 ということは目視ではなく、魔力的な物でわたしの存在を発見、あるいは感知したということになる。

(そのような道具を盗賊風情が入手したというのか?)

 人間側が独自に開発したのかあるいは我々が保有している道具を盗んだのか……どちらにせよやはり違和感は残る。実際に人間たちと対峙して見ないとわからないが真犯人はもっと別のところに居るような。

 バジジッ

 魔力砲が髪を掠めた。わたしの加速を予測して撃ちはじめたようだ。

「命中精度が上がっているのか?しかし……」

 一度動き出した以上、その動きを変えるには存外(ぞんがい)大きな力が必要だ。今のわたしに方向転換して再加速できるほどの力は出せない。

 だから尻尾を出来るだけ大きく振るとこのまま加速する方を選んだ。魔力砲が尻尾を掠めたが気にしてはいられない。目標地点だけを見据えて滑空していく。

「っ……!止まった!?」

 おそらく魔力砲の発射角から外れたのだろう。唐突に砲撃が止んだ。

 しばらく様子をみたが魔力砲の変わりに石やら矢やらが降ってくる様子もない。

(わたしを見失ったとみるべきか?)

 この大渓谷の脱力現象が魔力の減衰で、人間が魔力的な道具でわたしを追尾していたのだとしたら、この渓谷に落ちた時点でわたしの魔力が拡散し発見できなくなっている可能性は高い。相変わらず渓谷の底は真っ暗なので目視による発見も不可能だろう。

 もう安全だと判断したわたしは翼を広げて制動をかける。そのまま壁に向かって滑空した後、槍戦斧(ハルバート)を突き刺してそこに腰かける。

「……ともかく一息か」

 落ちないように壁から生えた苔に手を添えながら上を見上げる。茜色だった空は色が薄くなり、水色に変わり始めている。

 あれだけ撃たれたにもかかわらず地上からは人間の声や戦闘の喧騒といったものは聞こえて来ない。魔力の流れもすでに感じなくなっている。大渓谷の影響で霧散したのだろう。

「ふぅ……」

 視線を自分がいる高さに向ける。

「まあ、何も見えないのだが」

 地上から見ても真っ暗な対岸の崖は、この位置からもその存在は認識することもできない。

 逆に下へ視線を向けると意外にも植物が生えているのが確認できた。地上付近こそ切り立った崖だが、ある程度降りるとその角度は緩やかになっているようだ。光が届かないためにあまり背の高い植物は生えていないが、それでも生い茂っていると言っていいほどには広がっている。

 その草の隙間からきらきら光って見えるのは水の流れ。今居る位置の右から左に向かって細い水の道が何本か流れている。

「意外に緑豊かなのだな」

 崖のおかげで日光が遮られている反面、荒野を吹く乾燥した風からもこの場所は守られている。そのため植物が生長し易い適切な湿度が保たれているのかもしれない。

 加えて竜人が踏み込まないことから無用な争いからも逃れてきたのだろう。

 小さな虫もそれなりに居るようだ。時折感じる羽音からそれがわかる。

「未開の楽園……か」

 ちゃんと探してみなければわからないが果物も見つかるかもしれない。おそらくこの場所で繁殖している動物も居るだろう。

 しかし我々竜や竜人は拒まれている。

 こうして槍戦斧(ハルバート)に座っているだけでも脱力して眠ってしまいそうになる。

 このまま眠ってしまったらこの闇にとらわれて……。

「いかん、いかん」

 フルフルと首を振る。

 疲労と暗闇、そして一人で居るという状況に少しネガティブになっているようだ。

「いや、寂しいわけじゃないぞ。わたしは」

 誰にというわけでもないがついつい口に出して言い訳する。ちゃんと口に出して言わないと簡単に心が折れそうになる。

 そもそもオルダーニの制止を振り切ってここに居るのだ。完遂は絶対である。

「んっ!」

 胸の前で小さく手を握って決意を込める。

「休憩は終わりだ。……上るか」

 上を見上げて様子をうかがう。馬鹿正直に落ちたところから上るのは危険だが、横に移動できる距離にも限界がある。中途半端に移動するくらいなら敵がいるという前提で上ってしまったほうがいいだろう。ある程度上がれば飛び上がるくらいはできるだろうし。

 ひとまず上らないことには始まらない。

 まず右手を手近な岩に添えて体を持ち上げた。左手で槍戦斧(ハルバート)を引き抜き尻尾に持たせる。さっきまで槍戦斧が刺さっていた穴に左足を突っ込み、右手の力も合わせて体を持ち上げる。そして左手を突き出した岩に引っかけ右足も腹ぐらいの高さのでっぱりに引っかけて体を持ち上げる。

 今度はまた右手をちょうど開いていた穴に突っ込み……。

 カササッ

「え?」

 左足を持ち上げようとしたところで手に変な感触を感じてそちらに視線を向けた。

 ちょうど頭のてっぺんと同じ高さくらいだ。体を支えるために力を入れた右手の上にやたらと足が多い、黒くて長い虫が乗っていた。

「ぴっ!ぐぬぬぬぬぬぬぬぅぅ……」

 無機質な視線をこちらに向け、せわしなく触手を動かすその気持ち悪さに思わず悲鳴を上げそうになる。

 しかしそこいらに居る少女のように悲鳴を上げるのはプライドが許さないし、一応敵に見つからないように静かに上らなければならない。

 わたしはなんとか悲鳴をこらえて、きっ、と虫を見据えた。

(こんなやつ炎で一発なのに……)

 繰り返すようだが今は隠密行動中。炎なんて吐き出そうものなら一発で登っているのがバレる。

 しかし振り払うのも気が引ける。変に刺激すると攻撃してきそうだからだ。

 いやそれだけならまだいい。むしろ手にしがみ付かれたり体を巻きつけられたりしたら今度こそ全力で悲鳴を上げる自信がある。

(そういえば虫って動物の息とか嫌いなんだよな?)

 誰にいつ聞いたかは忘れたが、息を吹きかけると逃げていくとか。

 気持ち悪い虫に向けて口を開くのは嫌だが、これ以上手の上に居続けられるのはもっと嫌だ。

「っ、はあぁぁぁ……」

 虫の体がぴくりと反応するのが伝わった。

(やったっ!)

 触手がせわしなく動き体の向きを変えようと虫がうぞうぞと足を動かしだした。

 ……そして鎌首をもたげて飛ぼうとする先は、わたしの頭。

(なんでぇぇぇぇぇぇっ!?)

 わたしを敵と認識して攻撃しようとしているのか、あるいはわたしの頭部を生物として認識していないのか。少なくとも黒くて足が多くて長い虫が次の移動先に決めたのは目の前にあるわたしの頭だった。

(無理ムリ無理ムリ無理っ!顔に飛びかかるだけはやめてぇぇぇぇぇっ!!)

 今さら炎を吐き出す余裕はない。

 ゆっくりと虫の足が持ち上がる。

 そして次の瞬間、後ろ足が蹴った感触がわたしの手に伝わり。

「ひいぃぃっ、あ……」

 怖くても目を逸らすものか、と瞬きもできずに見据える視界に黒い虫が迫る。徐々に視界の上方へ移動していき、なにやら生物的でなまめかしい腹とかが見えて、ああ、わたし汚れちゃうんだとか思って……。

 意識が飛びそうになった瞬間、虫の姿が掻き消えた。

「え?」

 左手で恐々と頭の上を探ってみるが、居座っている感触は伝わってこない。

 飛び立って逃げたのかと周囲を見渡せば……居た。右手のやや右上に。ただし自分の足では立っていない。

 あの気持ち悪い虫はトカゲの口にとらえられ、ぴくぴくと震えるばかりとなっている。虫が飛び上がった瞬間に横からかっさらっていったらしい。

 誇らしげ……に感じているのは私の勝手かもしれないが、トカゲは獲物を見せつけるようにこちらの様子をうかがっている。

「お前……。ありがとう」

 わたしがつぶやいた声に反応してトカゲの目がギョロリとこちらを向く。

 言葉が通じるとは思わないが何かは伝わったように思う。

 ……なんとなくだけど。わたしたち竜の遠いご先祖様はトカゲということだし。

 しばらく見つめあった後、トカゲはふいっと首をそらせて崖を下って行った。

「ふぅ~……。……う」

 ようやく虫という危機から脱したわたしは新たな危機に直面した。

「ううううぅぅぅ……」

 誰も聞いていないし、ごまかしても仕方ないだろう。


 ――おしっこ行きたい。


 緊張が解けると同時に股間のほうも緩んでしまったか。

(いやいやいや、冷静に分析してる場合かっ!)

 何なのだろう、わたしの体。確かに今朝は用を足さずに出てきたけど、この非常事態におしっこって……。昨日オルダーニの紅茶飲みすぎた?いやそんなに飲んでは……。まさかオルダーニ……わたしが抜け出すことを想定して利尿剤を……。

「そんなわけないか」

 言いつけを無視して勝手に抜け出したのはわたしだ。オルダーニがそんなことするはずがない。

 それよりも……。

「誰も見てないし。……いいか?」

 竜として、王として、……女として情けない限りだが、我慢したところで尿意が消えるわけでもない。

 右手と両足で体を支えてバランスをとる。スカートの中に左手を突っ込んで、尻尾の上で結んである下着のひもを緩めた。

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