プロローグ
何かで塗りつぶしたような。そんな黒すぎるこの髪は、この世界に馴染んでなどいない。
だけど、これが唯一自分にできる、この世界に対する抵抗なのかもしれない、と彼女は小さく呟いた。
彼女は6歳の時、淡い恋心を、ある少年に抱いた。彼女が迷いの森へ足を運び、案の定迷子になったところをこの少年がどこからともなく現れ、森の入り口まで彼女を届けてくれたのがきっかけだ。少年の第一印象は、背が低く、痩せ細った自分と同じ黒髪。そしてーーー闇の魔力をもつ者の証明である黒眼の不思議な少年、だった。少年は涙をうかべ立ちすくむ彼女の手をひき、どこかおぼつかない足どりで複雑な森の中をゆっくりと歩んでいく。彼女には景色が変わったようには見えず、何より沈黙が耐えきれなかったため、暴れる心臓をしずめながら、目の前の少年に話しかけた。「助けてくれるのね、ほんとうにありがとう。あなたのお名前は?」
彼女にとって少年は天使にみえたのだ。親のいいつけを破り、道に迷い途方に暮れていた彼女の手を優しくひき、時節彼女を気にしながら道を歩む少年が。
「ーーーアリフ。 」
ボソッと、とても小さな声で少年は名を答えた。透き通っていて綺麗な声である。
しかし彼女はそれどころではなかった。少年の名を聞いた瞬間、遠い遠い昔の記憶のような。古く色褪せたセピア色の、誰かの記憶が、彼女の脳内に鮮明に流されたのだ。その記憶は彼女の元からあった記憶にじんわりと染み込み、ジトリとまとわりつくような、そんなしつこさをもっていた。
「ーー…乙女ゲーム?」流れてきた記憶の中で何度もでてくるその聞きなれない言葉を彼女は何度か繰り返し口にした。そして何かを悟ったような目を隠すように顔を伏せ、もう一度目の前の少年の小さな背中をじっとみる。
「この世界が乙女ゲーム、そして貴方がーーー…」
彼女が何かをいいかけようとしたとき、まるでそれが望まない何かであるかのように、森がざわめき、黒くおおきな不気味な鳥がその羽を広げ上空を舞い、呻くような鳴き声で森全体を支配した。そして少年は彼女の手の強張りに気づいたのか、歩みを止め、彼女に顔を向けた。
「君の名前は?」
「ーーキキョウよ。」
彼女は茜色に染まったなんともいいようのない不気味で神秘的なその空を一瞥しながら、少年に名を名乗る。そして少年は破顔し、とても美しい笑顔を彼女にむけた。
「よろしくね、キキョウ。」
彼女はその美しすぎる笑顔をみて、思う。
この世界は残酷すぎる、と。
これが全ての始まりだった。