マリオネット――倒錯的自己追求装置の枢軸
廻る廻るセカイの中心。
私が在るからこそセカイは廻り、私が認識するからこそセカイは存在して然るべきだ。
別に、世界の主役というわけではない。
別に、私が認識しなければセカイは存在し得ないと、つまりそれだけの話だ。
私のおかげでセカイは存在し得る。
だから、セカイは私に感謝するべきだと思っている。
†
「ほら、早く買って来なさいよ。いつまでもぐずついていてもしょうがないでしょう?」
彼女、操儀愛は、クラスメイトである気弱そうな男子生徒を椅子に座ったまま蔑むような目で見た。男子生徒は消え入るような小さな声で抗議をしたがその声は彼女の耳には届かなかった。
「ねえ? お互い、嫌な気分にはなりたくないでしょう? さ、早く」
愛が声を大きくすると、男子生徒はそのまま逃げるようにして教室を出ていった。
「まったく、行動が遅い人は疲れるわ……」
言って、彼女はその長く艶やかな髪を手で梳いていた。
ほかのクラスメイトは彼女の傲慢な態度を気にも留めようとしない。これがこの学級の日常であり、これが彼女の普通であった。
つまり、このクラスにおいて、操儀愛という人間はそういう人間として結果として受け入れられていた。
彼女は「世界自分中心説」を唱える人間だ。世界とは自分のために存在し、自分を中心に動いている。だから、他人を自分のモノのように扱うのは当たり前のことで、疑いようもない真理だ、と彼女はいつも言う。傍から見ればただの横暴少女であろう。
もちろんそんな彼女のあり方を、当初クラスの一部の人間は見逃すはずもなかった。抗議するものもいれば、乱暴な連中の中には嫌がらせの対象とする者もいた。しかし、いまは言うまでもなく皆が彼女のやりかたに口出しをしない。それは生徒に限ってのことではなく、教師についても言えることだった。
そんな我儘少女である愛に、周囲にいる人間は誰もが振り回されていた。
まもなく、先の男子生徒がその手に今しがた自動販売機で購入してきたペットボトルを持って教室に戻ってきた。
そんな彼を愛は、遅いわ、と冷たい一言で迎える。
「私が飲みたいと思ったときに、すぐに買ってこないのであれば意味は無いと思わないかしら?」
悪態をつきながら、愛は彼の手からペットボトルを乱暴に奪いとった。すかさずキャップを開けて、飲み始める。
「あの……お金……」
男子生徒は、愛から一歩間を置き、口ごもるようにつぶやく。
その声に気づいた愛は、飲むのをやめて、彼に顔を近づける。
「ねえ、佐藤くん」
男子生徒もとい、佐藤は怯えるように小さく返事をした。
「このジュースはさ。あなたが、あなたのお金で買ってきたんでしょう? もし、私にお金を払って欲しいのであれば、買いに行く前に、私からお金を貰っていくのが普通じゃない? でも、今回はあなたが勝手に既に支払ってきた。つまり、あなたのおごりということよね」
愛は微笑みながら、そんな支離滅裂なことを堂々と言った。そんなもの暴論以外の何物でもない。しかし、彼女が言うと、その堂々とした態度が故に、その言葉があたかも正しいものであるかのように聞こえてしまう。これが、彼女の普段からの人の使い方だった。自分の言うことはとことん貫き通す。
佐藤は、それが日常茶飯事であるとはいえ、半分泣いてしまいそうな顔のまま、自分の席によろよろと戻っていった。
別に、彼だけが標的にされているわけではなく、愛にとって、その周囲にいる人間は皆標的なのだ。だからといって、休み時間に身を隠すと後から何を言われるか、分かったものではない。
ただ、彼女に従っていれば、それ以外何をされるというわけでもない。
それはまさに恐怖政治と同じであった。恐怖による簡単な意識操作だ。
そうこうしている内に、昼休みが残り僅かであることを示すチャイムが鳴った。まもなく午後の授業だ。
授業中は授業中で、彼女は猛威を振るう。
愛は勉強も運動も万能である。特に学力に関しては全国トップクラスの秀才だ。
しかも、彼女の性格上謙虚になんてことはありえない。授業は教師ではなく、彼女を中心に動く。
実際のところ、教師もはじめは彼女に対し、どうにかしようと努力はしたがそんなもの彼女にとって意味のあるものにはならなかった。
教師はあくまで授業を進める司会者に成り下がり、授業の説明は実質愛がしているようなものだった。
午後の授業というものはとにかく眠たくなるものだ。しかし、愛は眠たくなりうとうととしている生徒にも容赦はしない。
自分が教師に当てられているのに、突然、うとうととしている生徒を指さし、
「あなた、私の代わりに答えて」
などと言う。
普通であれば考えられない光景だ。
しかし、今となっては、それが日常に取り込まれている。
愛の思うままに、まるで彼女のセカイは動いているようだった。
すべての授業が終わり、掃除とホームルームも終わると、クラスのほとんどの生徒は逃げるようにして教室から素早く出ていく。それは解放の時間であるからだ。ホームルーム後に愛が他人に何かを押し付けることはまずない。しかし、必ずとは言えない。だから皆早く帰ってしまう。今までの経験でそれが分かっているのだ。
結局教室に一人になってしまった愛は、疲れた体を伸ばした。
「うーん。今日も疲れた」
ちらと時計を見る。迎えの車が来る時間だ。
愛は荷物を整理すると教室を出た。
「お疲れ様です。愛お嬢様」
一点の曇りもないぴかぴかに磨かれた黒いセダンの前で、執事風の老紳士が軽く頭を下げた。
彼の手によってドアが開かれ、愛は車に乗り込む。
「早く出して」
「かしこまりました」
老紳士は運転席に座り、速やかに車を発進させた。揺れさえ感じさせないような熟練の運転技術。
十五分ほど走行したところで、愛を乗せた車は大きな門をくぐり抜けた。ここから先は操儀家の私有地である。
道の突き当り、そこにある家はまさに豪邸であった。ヨーロッパの建築様式を取り入れ建てられたそれはシンメトリーの美しさを持っている。家の手前にある植え込みと相まって、異国に来たような雰囲気を漂わせていた。
愛は車から降りると、その自宅の入り口に立った。カメラに顔が認証され、自動で解錠された。
中に入ると、大きなフロアがある。
愛の帰りを待ちわびていたように、いわゆるメイド服に身を包んだ若い女性が、愛の元へ駆け寄った。その手には愛の着替えが一式あった。
「おかえりなさいませ、愛お嬢さま」
頭を下げる彼女を愛はほとんど見ない。
「ああ、波河、もう下がっていいよ。今日はなんだか疲れてるから、少し眠るわ」
「……そうですか。なら、せめてお着替えだけでも」
ついてこようとする波河を愛は手で制した。
「分かった、分かったから。自分で着替えるから、もう下がって」
波河はそれでもまだなにか言いたげだったが、愛は彼女の手から乱暴に着替えを取り、自分の部屋へ向かった。
カチ、カチ、カチ。
時計の針の動く音。
時を刻む音。
薄暗い部屋の中に響く、機械的な音。
愛は着替えを済ませ、その大きなベッドの上に横になっていた。
結局彼女は夕食もろくにとらなかった。
どうせ、一人きりの食事なんて、ないほうがマシだ、と愛は思う。
「バッカみたい……」
呟きは時計の音に上書きされる。
なにもしないまま無意味に時間は過ぎていく。
愛は布団を頭からかぶった。
まもなく、彼女は深い眠りへと墜ちていった。
カチ、カチ、カチ―――――――――――――――――……………………………………………………………………………………………………………………………………
時計の音が止んだ。
「――――っ!」
愛はばっと飛び起きた。いまのいままで深い眠りの中にいたはずなのに、それは彼女自身でも驚くほどの早すぎる覚醒だった。
なぜ自分が目を覚ましたのか分からない。
こんなことは今までに一度もなかった。寝付けば基本的に朝まで目を覚まさないのが普通だった。
はじめての経験に愛は戸惑う。
何か悪い夢でも見たのだろうか、と必死に思い出そうとするが、何も分からない。
ちらと壁にかけてある時計に目をやった。しかし、当たり前のように暗い部屋の中で文字盤を読むことは出来ない。愛はリモコンを操作し、部屋の明かりをつけた。
時計の文字盤が目に入るがどうも妙だった。
「止まってる……?」
時計の秒針がその動きを止めていた。
電池が切れているのだろうか。
愛は、今度は携帯を取り出し時間を確認した。ディジタル文字で表示されるAM3:33の文字。
しかし、やはりおかしかった。ディジタル文字の下には小さなアナログ時計の表示があるのだが、その時計も秒針が止まっている。何時まで経っても、ディジタル表示の時間は進まない。
「バグ……?」
愛はそんな呑気なことを考えながら、特に理由もなく、自分で時を数えようとした。
しかし、彼女は愕然とした。
「なん…………で……?」
その感覚は未知の感覚だった。
数が数えられない。いや、時が数えられない。
自分の体は動いているのに、自分の頭はそれを時の流れとして認識していないようだった。それはつまり時が止まっているとしか考えられないような状況だった。
言うならば、真っ暗闇の空間に閉じ込められたのに似ている。一点の光源もないただただ黒の世界。体中の感覚は失われていき、時間の感覚さえ曖昧になる空間。
今の状況はそれに似ていた。
そこにあるのは――
謎の違和感と、圧倒的な恐怖。
愛はゾッとして自分の部屋を飛び出した。
無駄に長い廊下を走った。
何処へ行けばいい?
そもそも、なぜ飛び出した?
そんなことはどうでもいいし、分からない。
気づくと、メイドたちの部屋の前に立っていた。わずかに扉が開き、光が漏れている。
愛は扉に手をかけ、少しだけ躊躇った。
開けてどうすればいい?
ただ、得体のしれない恐怖に怯えてやってきただけなのに。
分からない。上手く思考ができない。
謎の違和感と圧倒的恐怖が彼女を支配していた。
愛はとにかく、扉を開いた。
そして、言葉を失った。
そこには驚くべき光景が広がっていた。
「波河……?」
いつもどおりのメイド服に身を包んだ彼女らは、それぞれ部屋の中に何の形容でもなく文字通り転がっていた。
「みんな、どうしたの!?」
愛はまず波河の元へ寄った。彼女は壁を背にして、床に座っている。腕はだらんと床につき、その首は力なく項垂れている。まるで、糸の切れた操り人形のようだった。
愛はあたりを見回す、他の数人のメイドたちも、波河同様に床に転がっていたり、椅子に座っているがやはり不自然に力が抜けていたりと、散乱していた。
「イヤァァァッァァァァッ――――――!」
愛は思わず叫び、再び部屋を飛び出した。
今のは、何だ?
ただ暗い廊下を駆ける。
あれは、寝ているとも、気絶しているとも、死んでいるとも形容しがたかった。
愛には彼女らがまさに、よくできた活き人形のように見えたのだ。外見は精巧に作られた人間のようなもの。しかし中身は臓腑のないがらんどうの作り物。操られるとき以外は、動かない魂のない人形。
愛は家を飛び出した。
私有地である道を走り、息を切らしながら、裏門から外へ出る。彼女は確認したかった。
こんな異常はただの間違いで、夢なんだろうと。せめて、せめてこの異常はあの空間だけなんだと。
ただ走る。風を切り――
夜の闇を。ひた走る――
彼女は絶え絶えの息で街にたどり着いた。いくら深夜でもコンビニくらいは開いているはず……だが。
――しかし、
「なんて――――――こと」
人という名の形がそこら中に転がっていた。
「なによ……これ」
そこら中に転がる、人形の海。それは人としての生々しさと、人形としての冷たさとを同時に兼ね備えていた。道路には車が放置されるように停まっている。その中にも人影はあったが、やはり動かない。道の脇にある二十四時間営業のコンビニの明かりは消え、しかし街頭だけが灯っている。
愛は思った。やっと一つ目のまともな思考。
この街は生きてこそいないが、死んでもいない。
それが率直な感想であった。
散乱する人形の中には時折見知った顔があった。クラスメイトの顔であり、教師の顔であり、皆、愛に振り回されてきた人間たちだった。
愛以外皆同じように、ただ時を止め、動かない人形と化していた。
「フフフ、、、。ハハ。アハハッ」
ふいに彼女は笑いがこみ上げてきて堪らなくなった。一度笑い出すとなかなか収まらない。
彼女は狂ったように笑った。
「ハァ。フフ…………これじゃあ……、その通りじゃない」
そして、二つ目の思考。ひとつの結論、真実に達した。
彼女の持論。「世界自分中心説」が正しかったのだと。
世界は自分のために動いている。
まさにその通りだったのだ。
だからこうして、彼女が干渉していない場所では何もかもが人形となる。
操儀には、なぜ、今自分がいるのに彼らが「演じていない」のかは、分からない。遅い思考の中で、止まってしまった時間と関係があることだけをかろうじて理解する。
「そういうことなのね…………」
いつの間にか笑いは収まっていた。
代わりに知らず涙がこぼれた。
自分の周りには結局何も存在しなかったというわけだ。そのことが彼女にとって、寂しいのか、怖いのか、辛いのか。それは彼女自身も分からなかった。
「――――ああ。これが……」
彼女の視界には自分の指から、腕から、肘から肩から……さまざまな部位から伸びるキラメク透明な操り糸が映っていた。
糸がぷつりと切れた。