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閏年計画  作者: 椎名円香
第二章 奇数
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花園

ご閲覧頂き誠にありがとうございます。

 仄暗い階段を下りて、僕は花園に戻ってきた。辺りを見回しながら奥に進む。右の方に藍華の姿を見つけた。小さなうなり声を挙げている。悪い夢でも見ているのだろうか。僕は藍華に近づき、隣に腰掛ける。

「ん……」

 藍華が体をよじりながら目を擦る。起こしてしまっただろうか。元から起こすつもりだったのだ、起こしてしまった方がいいだろう。

「藍華、おはよう。うなされてたみたいだったけど、気分は平気?」

「んー、おはよ……。まだ、眠い……。でも、平気、多分」

 小さく唸りながら藍華が上体を起こす。まだ目が開いていない。かなり眠たそうだ。しきりに目を擦っている。

「んー、ねぇ潤、あたし、寝言とか言ってなかった? ていうか……あれ? 潤、ずっとここにいたの? さっき、足音が聞こえた気がしたけど……」

 藍華が小首を傾げてこちらを見る。これは、少しまずい展開だ。正直に言えばひどい目に遭うことは分かりきっている。しかも、今回の件については僕には弁解の余地がない。危険があるにもかかわらず何も言わずに一人で行動したのだから、怒られて当然だ。できればずっとここにいたことにしたい。しかし、それでは足音の説明がつかない。気のせいだと言ってしまうこともできるが、これは疑われる可能性の高い危険な橋だ。できれば、なるべくそれらしい理由が欲しい。僕はそっと視線をずらして花々を見た。これは、使えるかもしれない。僕は再び藍華を見た。

「いや、僕ってあまり花の名前とか知らないからさ。藍華の話を聞いていたら、ちょっと興味が湧いてきて、知っている花がどれぐらいあるのか気になって見て回ってたんだ」

 軽く挙動不審になりながらも、いつもの僕らしく振る舞ってみせる。本当のことがばれて怒られるのはごめんだ。きっと、このぐらいの隠し事は、閏も許してくれるだろう。

「あぁー、なんだ、そうだったのね。もう、そう言ってくれれば、あたし教えたのに。ほら、人に教えることから学ぶこともあるって言うでしょ? せっかくだから、教えてあげるわ。あたしがあの花を咲かせるまでは、きっとここは崩れないから」

 藍華が力の抜けた微笑みを浮かべる。幸い疑われてはいないようだ。僕はほっと息を吐いて立ち上がった。咄嗟に吐いた嘘だったが、花の名前が気になっていたのは事実だ。藍華はよく花言葉の話をする。最後の鍵を握るこの空間に、彼女の夢の象徴とも言える花があることには、何か意味があるように思えて仕方ない。床に落ちていた青いバラも、今思えば彼女の不安を駆り立てるような花言葉を持っていた。それと同じように、彼女が過去を乗り越えるきっかけとなる花が、この中にあるのではないだろうか。青いバラに、彼女の背中を押す言葉が抱かれていたように。

「藍華、立てる? ほら、手」

「えへへ……ありがと、潤」

 藍華が僕の手を取って立ち上がった。どんなに閏年計画が変わっても、その微笑みだけは変わらない。彼女の笑顔を見るたび希望はまだあるのだと信じられる。その笑顔を守ることが同時に僕自身を守ることにも繋がっていた。

 彼女の方が、不安なはずなのに。

「藍華はさ、お気に入りの花とかってあるのかい?」

「お気に入り、かぁ。どうだろう……。ガーベラとか、結構好きだよ。あとは、ペチュニアとか、リンドウとかかな。他には……うん。いろいろ好き。あたし、花ってものが好きなのね、きっと」

 藍華は次々に花の名前を挙げていく。その横顔はとても楽しそうだ。僕は微かに内面が幼かった頃の彼女を連想した。彼女はたまに幼く見えるときがある。彼女を取り巻く雰囲気が明るい、ということもあるだろう。しかし、それがいつもより脆く感じるときがあるのだ。はじめは、勘違いかもしれない、と思った。しかし、ここへ来てから、勘違いではないと感じるようになった。今の彼女は、過去と今が混在しているように感じる。そのどちらにも共通しているのは、花が好きだということぐらいだ。だから、今ここで探れるだけのことは探っておきたかった。

「ああ、でも……エンドウとかは、ちょっと苦手かな」

「どうして?」

 藍華は視線を落として俯いた。それまで明るかった声音が、少しだけ暗くなる。花そのものが好きだという藍華が苦手だというのだから、きっと何か理由があるのだろう。僕は藍華の言葉を待った。

「えっと、花そのものが嫌いなわけじゃなくって……。むしろ、花は好きなんだけどね。花言葉が、あんまり好きじゃないのよ。夢がないっていうか……ちょっと、寂しい気持ちになるのよね」

 そう言うと藍華は、おもむろにこちらを向いて、切なげに微笑んだ。内面が幼かった頃には見せることのなかった表情だった。

「どんな花言葉なんだい?」

「うんとね……三つあるんだ。約束、っていうのは別にいいんだけど、他の二つがちょっとね。『いつまでも続く楽しみ』と『永遠の悲しみ』っていう花言葉もあってね、なんか、楽しいことは同時に苦しみだって言われてるような気がしちゃうんだ。何にも努力しないでさ、自分のやりたいことだけやってさ、だらーんと生活できたら、きっと楽しいんだろうけど、それってつまり、自分が今まで積み重ねてきたものを自分の手で壊してるだけで、ほんとは虚しいことなんだよね。なんか、これ、業って言うのかな。なんか、切なくなっちゃうんだ。ああ、なんか怖いよね、こういうの。あたし、こういうの苦手。なんで幸せにいられないのかなぁって思っちゃうの」

 彼女は朗らかに笑うと、「ロマンはあるけどね」と付け足した。確かに、ロマン溢れる話だ。藍華は対応する二つの花言葉に焦点を当てていたが、僕はもう一つの花言葉の方が気になった。約束、という言葉が重く胸にのしかかった。

「ところでさ、潤には好きな花とか……じゃなくても、知ってる花とか、ある?」

 ふと、藍華が問いかけた。どこか遠慮するような、そんな声だった。

「花……そうだね。ずっと前に一度、えっと、パンジーだったかな。学校の観察の課題かなにかで、育てたことがあるよ。好きな花って言うと……何かな。紫陽花とか、桜とかは、家の近くに咲いてるから、好きな方かな」

「桜かぁ……あたしの家の近くの公園にも、大きい桜の木があってね、小さい頃は春になるとよく家族とお花見に行ってたよ。あたしの家の近く、結構自然豊かなの。季節ごとに山の色が変わってね、すごく綺麗なのよ。それに、近くにお花屋さんがあって……。あたしがフラワーコーディネーターになりたいって思ったのは、そういう所が大きいかな。……あのね、潤。あたし、さっき夢を見たんだ」

「夢?」

 唐突な藍華の言葉に、僕は不思議に思った。藍華の言う夢というものは、何なのだろう。思い描かれた理想の未来、という意味なのか、あるいは単なる夢にすぎないのか。今の『夢』が後者だということは分かる。しかし、彼女の中で夢という言葉が重要な役割を果たしていることだけは確かだ。僕には、藍華が自分が思い描いた未来さえも泡沫の夢のように思っているように思えて仕方がなかった。

「そう、夢。桜の木の下に、小さなあたしがしゃがみ込んでるの。触ろうとするんだけど、すり抜けちゃってね、ああ、これは夢なんだって、あたしは気づくの。でも、夢は覚めなくて、小さいあたしはずっと俯いたままなのよ。だからあたし、どうしたらいいのか分からなくって、小さいあたしの隣に座ってみたの。でも、何もできなくて……。瞬きして、次に目を開けたときには何かが変わってるかもしれないって思って、何度も試してみるんだけどね、どうにもならないんだ。でも……何回目ぐらいかな。目を開けたらね、小さなあたしはいなくなってて、あたしは一人で取り残されてるの。誰かいないのって、叫んでみるんだけど、返事はなくって、あたし、不安になっちゃって。そしたら……潤が起こしてくれた。ありがとね」

「ああ……だからさっきうなされてたのか」

 僕が帰ってきたとき、藍華は確かに少し苦しそうだった。そんな悪夢を見ていたのだ、うなされて当然だろう。

「もしかして、まだ具合が悪いとか? 何ならまだ休んでても……」

「ううん、大丈夫、ありがとね。具合は、平気だよ。ただ、あの夢はどういう意味だったのかなって、ちょっと、気になるかな」

 藍華が物憂げに視線を落とす。視線の先には青い色をした小さな花があった。

「……その花、何て言うの?」

「これ? これは……勿忘草だよ」

 藍華は勿忘草にそっと手を伸ばす。しかしその指は小さな花に触れることなく空を掻いた。藍華は息を吞んで手を引くと、驚いた顔で僕の方を見た。状況が飲み込めない、という表情だ。

「ああ……やっぱりこれ、本物じゃないんだね。ホログラム、みたいなものかな。こっちのも、うん、触れない、ね」

 僕は試しに近くの花に手を伸ばしてみた。しかし、やはり触ることはできなかった。生暖かい感覚が手のひらに残る。まるで陽炎を掴んだようなその感覚は、僕の手に虚しさだけを残した。

「幻影みたいなもの……ってことだよね。触れないんだ。……潤、勿忘草の花言葉は、私を忘れないで、なんだよ」

 幻影の花を見つめながら、藍華が悲しげに呟いた。その言葉には、何か別の意味も含まれているように感じる。ずいぶんと意味有りげな花言葉だ。それを藍華が見ていたことには何か意味があるように思えてならない。藍華に花のことを聞いた僕の判断は、正しかったのかも知れないと思った。

 閏年計画は、藍華に何かを気づかせようとしている。

「あたしの夢に出てきた小さいあたしは、そのために出てきたのかな。小さい頃の夢を、忘れちゃいけないんだよって。それとも……あたしが過去に縛られてるだけ?」

 勿忘草に語りかけるように、藍華が小さく呟く。しかし、幻影の花がそれに答えることはない。言葉だけが虚しく反響する。

 彼女の声が彼女自身に問いかけているように聞こえた。

お読み頂き誠にありがとうございました。

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