楽観
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ほんの少しの気まずい沈黙。藍華は心配そうに僕を見つめ、僕は彼女の視線から目を逸らす。何とも言えない緊張感。それを破ったのは藍華だった。
「あのね、潤。あたし、わかってるんだよ。かがみにうつったのって、藍華なんでしょ? わかってるの。でもね、わかんないの。なんで潤は悲しいの?」
少女の問いかけが僕の胸に刺さる。深く、広範囲に渡って鋭く抉る。自覚がなかったわけではないが、自覚したかったわけでもない。そういうむず痒いところを、彼女はストレートに突いてくる。
「悲しい……のは、ほら。僕が、こうだから。ね、なんだか、情けないんだよ。自分の保身ばかりで、まるで君のことを考えてやれない、自分が……」
「それは、いけないこと?」
あまりに率直な疑問。子供じみた疑問。しかし、それは同時に僕には抱くことのできない疑問でもあった。僕は横目で彼女を見る。彼女は首を傾げながらまっすぐ僕を見つめていた。そこには同情も嫌悪もない。ただただ問いだけが静かに映り込んでいる。
「いけないよ。人を傷つけて……自分だけ逃げてる。そういう生き方が染み付いて、そう簡単に止められない。そのくせ、逃げてから後悔するんだ。あぁ、またやってしまった、って」
「コウカイは、しちゃいけないの?」
藍華が再び問いかける。僕は再び瞳を伏せて顔を背けた。彼女は分かっていないのだ。この、凍えるような温度差を。それが生み出すものの無意味さを。
「しちゃいけないわけじゃないさ。でも、人は誰だって後悔することを忌み嫌って、避けて通りたいと思うものだよ。後悔なんて、しないにこしたことはないんだ」
それから少しの沈黙が流れた。僕は耐え切れずに口を開く。
「……藍華は、後悔したいの?」
やっとの思いで出た問いは、あまりにも空虚だった。我ながら笑えてくる。誰がこんな無意味な問いに答えようか。誰もそんな問いに興味など抱きはしないのに。
「ううん、したくなーい。でもねぇ? あたし、じぶんのしたことがわるいとかおもわないよ。だから、ハンセイはしても、ヤツアタリはしないの」
そこで僕は、ようやく自分の無意味さに気づいた。子供から見れば、これは八つ当たりでしかないのだ。一見強固なように見える理論武装も、結局は自分が傷つかないための予防線に過ぎない。情けないのだってそうだ。自分の無力さ、至らなさに気づくのが怖いから、それを誰かに共有して欲しいと思うのだ。
それを彼女は八つ当たりだと言う。
「僕のこれは、その……なんていうか、悪癖なんだよ。直すとか、そういう問題じゃなくて。やることなすこと、全部が偽善だと感じてしまうのが僕の短所なんだ。だから、なんというか……。おかしいなぁ、君と話していると、調子が狂って仕方ないよ」
言葉が出てこない。久しく忘れていた感覚だ。僕は頭を掻くと、ほんの少しだけ目を伏せた。自分らしくない、と思う。しかし同時に、彼女らしいとも思う。
「潤、やっとわらったね。よかったぁ……。潤、ずっとかなしそうでつらいんだもん。げんきになったかなぁ?」
彼女の言葉に、僕は首を傾げた。作り笑いだったのはそうだが、笑っていなかったわけではない。しかし彼女は『やっと笑った』と言った。それはつまり、僕が無理をしていると気づいていたということだろうか。そう考えてから、そんなはずはないと首を振る。幼い少女に、それが伝わるとは思えない。もし分かっていたのだとしても、嬉しい反面、何だか悔しかった。
「うん。なんだか、吹っ切れた気がするよ。ありがとう。藍華は——優しいんだね」
「えー、潤だってヤサシーよぅ」
唇を尖らせる彼女に、僕は小さく微笑みかけた。すると彼女は、目をぱちくりさせてから微笑んだ。その笑顔には向日葵の花が相応しい。しかし、きっと僕は彼女のようにはなれないだろう。藍華のように、自分の利益を無視して善意を振る舞うなんてことは不可能だ。だからこそ、僕の口から出たその言葉は、自嘲にも近い意味合いが含まれているような気がした。自分でもよく分からない。けれど、分からないそれこそが彼女の言う八つ当たりの概念なのだろうと、僕は勝手に納得していた。
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