隻眼
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僕たちの第一の目的は、雨帝がまだここにいることを確認することだ。それがなければ僕らの旅は始まらず、また終わることもできない。そして、僕らの切望に答えるように、閏年計画が崩壊してもなお荒井雨帝はそこにいた。
しかし、それはあまりにも残酷な形で。
「雨……帝? 嘘、ちょっと……。起きてよ、ねぇ。どうせ全部聞こえて、からかってるんだろ?」
僕らの切望に与えられたのは絶望。
頭が回らないのは、きっと鏡の地面のせいだ。自分の泣き顔が反射して見えるというのは、決して気分のいいものではない。あの時の、閏の泣き顔を見た時とはわけが違う。悔しくて、目を逸らしたくないのに逸らしてしまう自分への嫌悪感で胸がいっぱいだった。そんな僕の隣で、藍華は目を見開いて無表情のまま泣いていた。ふと、藍華の言っていたことを思い出す。
——あの日から、ずっとね、雨帝が夢に出てくるの。その雨帝は、笑顔で、言うのよ。
——アナタ達が無事でよかった——って
「雨帝が無事じゃなかったら、意味、ないじゃない……っ!」
目の前に広がるのは惨劇。
電波の悪いテレビのように霞んだ全身、捥げた義手、千切れた左手。そして、黒く塗り潰された顔。実際はそれ以上に惨たらしい景色が広がっている。しかし、これ以上は冷静に見ていられそうない。僕は口元を押さえて俯いた。鏡に僕の泣き顔が映る。雫が数滴、ぽたりと鏡に落ちる。弾んで転がる感情の欠片にありもしない光が反射した。
「ねぇ、雨帝。僕はどうすればいい? 君がここで、まだ形を持っていたことを、喜べばいいかい? それとも、君を救えなかったことを、嘆けばいいかい?」
崩れ落ちるようにその場に座り込み、拳を握りしめる。内心がごちゃごちゃしすぎてとりとめもない感情ばかりが無為に通過していく。
どうしようか。
どうしようもないな。
「……ん、じゅん、潤! こっち……来て」
ずっと遠くの方から聞こえる藍華の声に、僕ははっとなって意識を戻した。未だに目の前がはっきりしない。それでも、なんとか藍華のところまで行くことができた。目元を拭って藍華の視線の先を見る。はっきりとは見えないが、それが何なのかはすぐに分かった。
「これ、藍華の義手……だよね?」
僕の問いに、藍華は何も言わずに頷いた。その表情には悲しみも怒りもない。ただ強い決意だけが映っていた。
僕が呆然と義手を見ていると、彼女はそれを持ち上げ、義手の手首を指差して言った。
「ねぇ、この手首の機械、閏年計画の説明書じゃないかな」
「え、機械? ——ちょっと見せて」
藍華がこくりと頷いて義手を渡す。確かに手首の当たりに腕時計のような機械がついていた。そっと画面に触れる。すると黒い背景に白い字で「pass」と書かれた画面が映った。二人で顔を見合わせる。藍華はきょとんとした顔をしていた。
「パスワードがないと入れないのね、これ。どうしよう、名前でも入れてみる?」
「名前……まずは荒井雨帝だね」
パスワードの欄をタッチし、雨帝の名前を入力する。そして、ログインというボタンを押す。次に画面に映った文字は「パスワードが違います」だった。
「違うかぁ……。じゃあ、次、潤の名前ね」
「うん、まぁ、やれるだけやってみよう」
もしかしたらどうにかなるかもしれない。でも、どうにもならなかったから今のこの状況があるのだ。今やっていることだって、どうにかなるかなんて分からない。でも、今はそんなことはどうだってよかった。目の前に与えられた希望を、信じることができた。本当に、変わったと思う。僕は名前を入力して再びログインボタンを押した。案の定返事は同じだった。僕は続けて藍華の名前を入力した。しかし、結果は変わらない。
「うーん……名前は違うみたいだなぁ。藍華、何か思いついたりした?」
「パスワードかぁ。そーだね、えっと……。あ!」
「何か思いついたの!?」
聞くと、藍華は自信ありげな表情で頷いた。そして、義手を渡すと何かを入力し始めた。
「何書いてるんだい?」
「あれだよ、ここに入ってくる前に画面に映ったの。綴りは確か……こう?」
えい、と彼女はログインボタンを押した。すると、画面が真っ白になり、右上に充電量のマークが映った。
映った文字は、「ログイン完了」だった。
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