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閏年計画  作者: 椎名円香
第二章 奇数
33/60

廃墟

ご閲覧頂き誠にありがとうございます。

「——ん、……、潤!」

 ものすごい近くで藍華の声が聞こえた。先ほどまでの藍華に比べれば舌足らずだが、初対面の時の藍華に比べれば幾分大人っぽい。そこでようやく、僕はその(・・)ことに気づく。

 間違いない、ここは閏年計画の世界だ。

「あい——か? ここは——って、ちょ! なんだよ、これ……」

 そこは死した世界だった。

 かつての面影は欠片もなく、そこにはただ積まれた瓦礫の山と砕けた鏡の地面があるだけだった。鏡は氷のようで、踏んだだけでバラバラに崩れる。しかし瓦礫は完全にガラス細工の形を模していて、異質な雰囲気を放っていた。

 鏡には見覚えがある。藍華の象徴がそれだった。しかしガラスは何だろうか。この前まではなかったはずだ。それに鏡だって、前はこんなに床一面に広がってはいなかった。

 完全に廃墟。終わった物語の世界だった。

「どうなってんのさ、もう……。藍華、転ぶと危ないよ。気をつけてね」

「うん、分かったぁ」

 間のびした口調で藍華が言う。何だか眠たそうだった。おそらく現実の藍華からこの藍華になった反動のようなものだろう。僕はちょっと迷ってから藍華に手を差し伸べた。

「藍華、大丈夫? ほら、手、一緒に探そう? 足場も危ないし、慎重に進もう」

「え? う、ううん。大丈夫だよ、あたし。歩けるもん、ほらっ!」

 無理に明るく装ったような藍華の態度に、僕は小首を傾げる。しかし藍華も閏年計画の効果が弱まって本来の自分に戻りかけているようだから、僕はそれ以上深入りはせずに手を退いた。藍華はこちらに手を伸ばしかけたようだったがすぐに引っ込めた。

「そ、それならいいんだけどさ。辛いようなら言って。じゃあ……そろそろ行こうか」

「うん。そ、だね」

 行こうか。

 僕は自己暗示のように繰り返した。

 消えてくれるな、『変数アナグラム』。

 このままいなくなってしまったら、それは。

「……ッ」

 僕が殺したようなものじゃないか。

「潤……? どうしたの? 早く雨帝、探しに行こうよ」

「あ、うん、そう、だね……」

 上の空の返事に、藍華は不思議そうに首を傾げた。彼女は僕の心中を知らない。現実との境界が曖昧になったにしろ、今の藍華の精神年齢は十歳そこそこだろう。そんな彼女にこれ以上無駄な心配をかけるわけにはいかない。僕は藍華の後を追うように早足で歩き出した。

 いつもと変わらない様子の藍華は、手を後ろ手組んで跳ねるようにして歩いていた。その背中は何だか少し寂しげだ。一体何を考えているのだろうか。この世界のことか、はたまた雨帝のことか。

 自分のことか。

「藍華、君は雨帝に会うのが怖くないのかい?」

 何となく聞いてみる。彼女はぴくりと体を震わせてから、歩くスピードを少しだけ落として答えた。

「怖いよ、怖いよ。すごく怖いよ。だけどね」

 彼女は足を止めた。量のある髪を揺らして振り返る。

 途端、車体から投げ出される彼女の姿と重なった。

「怖いのより、助けたいって思うから」

 あの日。

 彼女と僕が出会ったあの日、僕は決意したのだ。どんなことが起きたとしても、必ずこの子を守ろうと。僕は正義のヒーローではない。だからきっと二人がまったくの無事で出ると言うのは不可能だと思っていた。それが怖くて、結果僕は誰も助けることができなかった。それでもそこに、柄にもなくヒーローになろうとした僕がいたことは確かだ。

 怖かった。なのに守ろうと思えた。

 それはきっと、一人じゃなかったからだ。

「だから、あたしは歩けるよ」

 一人で、歩けるよ。

 独りじゃないから。

「だから、二人で助けよう」

お読み頂き誠にありがとうございました。

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