戯言
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「初めまして、強がりな僕」
「弱虫なお前なんか、僕じゃないさ」
僕たちの眼前に現れた黒い影——幸村閏は、心の底から嫌そうに言った。吐き捨てるように、という表現が一番正しいかもしれない。彼の感情の揺らぎにあわせて周りのもやも形を変えているようだった。今はもやの塊がいくつかに別れて鋭利な槍のような形になっているようだ。あれも僕たちを襲った黒いもやと同種のものだろう。僕は警戒を怠らないように少しだけ身を引いて様子を見る。数秒間、誰も動かなかった。彼は微笑み、僕は彼を睨み、藍華は僕を心配そうに見つめ、雨帝は全て悟ったかのように目を閉じた。
「ふうん……」
彼はその口元に嘲笑じみた薄ら笑いを浮かべていた。それは僕が上辺だけの友人に見せていたのと同じ表情だった。今ならその愚かさがよく分かる。だからこそ僕は、未だ逃げ続け救われた気になっている彼に教えなければならない。
それは閏年計画の破壊となる。
けれど、全員、救ってみせる。
僕は覚悟を決めてほんの少しだけ前進した。彼は不思議そうに小首を傾げたが、さほど気にしていないようだった。黒いもやもただの煙のようなものに戻っている。今が好機だ。そう思って、僕は大きく息を吸った。
僕が加減を間違えれば、後ろの二人に危害が及ぶ。
しかし逃げの姿勢に徹していても仕方がない。ここは一つ、押しの姿勢で行ってみよう。
「そうやって周りの全てを遮断して、受け入れたつもりになって拒絶して。馬鹿みたいに善人面して、仮染めの評価に満足して生きるのは楽しかったか? 自分の弱さを拒絶して、知らない誰かの粗探しに明け暮れる自分が好きだったのか?」
「……なんだと? 弱さ? 優しさの間違いだろ。それに、善人面じゃあない。善人なのさ。僕の行動は、総じて善意から生じる」
かなり苛立たしげに答えた彼に、少し言い過ぎたかと冷や汗が出る。しかし、もやがなんの動きもしないのを見てほっと胸を撫で下ろした。ただ単に口調が攻撃的なだけのようだ。そこだけは僕と違っていた。
本当に危険な橋を渡っている、と思う。しかし、閏年計画そのものが僕自身の弱さだと気づいた時から、もうすでにこうすると決めていたのだ。彼の甘えを、弱さを、逃げを。その全てが単なる我侭だと教えてやろうと思った。それが今の僕にできる唯一のこと。彼を、弱さを受け入れることだと思った。それに、僕の彼への糾弾は同時に彼の僕への糾弾でもあるのだから。
これで、全てを終わりにしようと思った。
「善意? いいや、違うね。君のそれは余計なお世話だ。要求されてもいないのに、さも自分が空気の読めるいい人みたいに振る舞っている」
「みたいに、じゃない。事実だ。屁理屈ばかり並べて、寂しくないのか?」
無理に強がる姿がこんなにも痛々しいなんて思わなかった。これは距離をとられても仕方ないだろう。僕だってこんな奴と友達になりたいとは微塵も思わない。言い訳がどれほど醜いのか、彼はまだ認められない。受け入れられない。
「これだけは断言するよ。君のそれは逃避だ。受け入れたくない現実に、思い通りに動かないおもちゃの兵隊にだだをこねてるただの子供の遊戯だ。それを君は高尚だとはき違えている。尊いのだと言い張っている。そんなものは戯言だ。甘えだ。そして何より、安っぽい気休めなんだ」
「くっ……」
余裕の仮面が脆く崩れる。彼は小さく唸って唇を噛み締めた。僕の後ろでは藍華が心配そうに、固唾をのんで見守っている。そのすぐ近くでは、雨帝が藍華を庇うようにして立っていた。その様子は騎士さながらの凛々しさで、変数の覚悟を伝えるのには十分すぎた。片目を隠す前髪が揺れる。深淵の底のような闇が見え隠れしていた。
「今ようやく分かったよ。そのもやは、僕にとっての理論武装なわけだ。だから反論のしようがない正論には何の意味もない。そういうことなんだろうね。じゃあ君にとっては何なんだい。理論武装じゃないだろう? どちらかと言えばもっと攻撃的なやつだよ。攻撃は最大の防御。けれど攻撃なんてする勇気はないから結局何の役にも立たない。その繰り返しに、いい加減飽きてきているんだろ? それなのに止められないのは、ただ単に君が、僕が弱いからだ」
そして僕は、拳を握りしめる彼に向かって宣言した。
「その弱さを、僕は受け入れる」
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