決意
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朦朧とする意識の中で、かすかに声が聞こえた。誰かが叫んでいるようだった。いくつもの声が重なっているが、その中に藍華の声はない。瞼は重く、周りの様子は分からなかった。
「……ん。……潤!」
「ん……?」
一気に瞼が軽くなる。僕は思い切って瞼を開けた。すると、それに気づいた藍華は僕の顔を覗き込む。その近くで雨帝が微笑んでいた。
「体調は万全ですか? 何ならもう少し休んでいてもよろしいのですが……」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう」
とりあえずそうは言ったものの、やはり少し体が重い。雨帝の厚意に甘えてもう少し休んでいようか、とも思う。しかし、その前に確かめておきたいことがあった。
「それで、雨帝。一つだけ、質問してもいいかい?」
「ええ、構いませんよ。何でしょうか?」
雨帝は快諾すると、しゃがんだままの僕に手を差し伸べた。どうやら未だ不調そうな僕を気遣ってくれたらしい。僕は小さくお礼を言うと、その手を掴んで立ち上がった。
まるで、鉛かなにかのような感覚だった。
どうしてあのとき、雨帝の腕を掴んだときに気づかなかったのだろう。
気づきたくなかったからだと、僕は気づいた。
「雨帝は——現実に、いないんだろう?」
僕の言葉に、雨帝は驚くでもなく、ただただ静かにその余韻を聴いていた。左目を隠す前髪が揺れて、そこにあるはずのものが。
くらやみ。
「君は閏年計画の、機能の一つなんだね?」
嘲笑。雨帝の口元に浮かべられたそれは、紛うことなき嘲りだった。左目を押さえる。そして、それをするりと降ろし、右手の手袋を取った。
銀色のフォルム。人のものではないそれ。
義手の右腕。
「ご名答ですよ、定数。確かに、私は……閏年計画が生み出した虚像の——そう。この空間の一部でしかない。けれどね……潤。この世界は、少し歪んでいるのですよ。だから、世界が壊れれば壊れるほど、私も比例して壊れていく」
淡々とした口調だった。まるで赤の他人のことを説明しているようだった。事実、雨帝にとってはそうだったのかもしれない。雨帝にとっての自分は、きっとどこにもいないのだろうから。
「もう限界が近いんですよ、きっと……。閏年計画が達成されない限り、私は自分の意志で消えることもできない。もとより、意志などないのでしょうが。けれど、私は、藍華と潤をここから出してあげたいと……あるはずもない心で、そう思うのです。ですからもう少し、もう少しだけ、私を信じては頂けませんか?」
僕の隣で、藍華が息を呑んだ。その頬を涙が伝う。彼女はきっと、雨帝の話の半分も理解できていないだろう。けれど、彼女は、雨帝の話の一番重要なところを誰よりも深く理解している。
『私を信じて』
「うん、ずっと、ずーっと、そばにいるよ。しんじてるよ。あたし、ぜぇったいに、ウミカをけさせないもん。ずっと、さんにん、おともだちなんだよ」
拙い想いの中に、僕にはないものがあった。
「おや、それは頼もしいですね」
飄々とした仮面の裏に、僕と似た何かが見えた。
一番近くて、一番遠い何かが見えた。
「僕だって、雨帝を見捨てないさ。閏年計画も——達成させない。何か別の方法で、ここから出られるはずだよ。まずはそっちを考えよう」
もう逃げないと決めた。僕の人生における一番の分岐点だったかもしれない。しかし、今になって振り返ってみると、ここまでずっと一本道だったような気がする。
会うべくして出会った。まさに『定数』。
「うん、そーだねっ! じゃあじゃあ、ちょっとそのへんおさんぽしよーよ!」
「そうですね、お散歩。ふふっ」
頭が割れるんじゃないかというほど鳴り響く警鐘に、気づかない振りをした。
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