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星見

掲載日:2026/01/20



 世界が終わりに向かっているのだと、人々が本気で信じ始めたのは、最後の星が消えた夜からだった。


 かつて夜空を彩っていた無数の星々は、一つ、また一つと消えていった。まるで誰かが天上で灯火を吹き消すように。魔術師たちは警告を発し、神官たちは祈りを捧げたが、星の消滅は止まらなかった。そして三年前、最後の一つが闇に沈んだ時、人々は悟った。この世界そのものが、ゆっくりと死につつあるのだと。


 アルディン・クロウは二十三歳の時、故郷を離れた。


 彼が生まれ育ったのは北方の辺境、フロストヘルムという小さな街だった。かつては交易で栄えた街も、星が消え始めてからは衰退の一途を辿っていた。商人は去り、職人は店を閉じ、若者たちは希望を求めて街を出て行った。


 アルディンが旅立ちを決意したのは、父が病で倒れた冬の朝だった。


 「……行け」


 病床の父は、痩せ細った手でアルディンの腕を掴んだ。


 「お前には、ここで朽ちる人生は似合わない。お前の母は……お前が生まれる時、こう言ったんだ。『この子は遠くへ行く。誰も見たことのない場所へ』とな」


 母のことは覚えていない。アルディンが二歳の時、謎の熱病で亡くなったと聞いている。だが父の言葉には、抗いがたい重みがあった。


 「世界が終わるなら、終わりを見届けてこい。そして……もし奇跡があるなら、それを見つけてこい」


 父は三日後、静かに息を引き取った。


 葬儀を終えたアルディンは、父の形見である古びた剣と、母が遺したという青い石のペンダントだけを持って、フロストヘルムを後にした。行き先も目的も定かではなかった。ただ、じっとしていられなかった。


 旅の最初の一ヶ月は、ただ南へ向かって歩き続けた。街道を行く旅人は少なく、時折すれ違う商人たちの顔には疲労と諦めが刻まれていた。宿場町に立ち寄っても、活気はなく、人々は小声で世界の終わりについて語り合っていた。


 そんな旅の途中、アルディンは最初の出会いを経験することになる。


## 第一章 ― 火を灯す者


 エルドラの街に着いたのは、雨の降る夕暮れ時だった。


 街の門は半ば開け放たれ、衛兵の姿もなかった。石畳の道は泥に汚れ、家々の窓からは弱々しい灯りが漏れている。アルディンは宿を探して街を歩いたが、どの建物も荒廃の気配を漂わせていた。


 ようやく見つけた宿屋「銀の鈴亭」は、外観こそ古びていたが、中からは暖かな光と、食事の匂いが漂っていた。扉を開けると、カウンターの向こうから若い女性が顔を上げた。


 「いらっしゃい。……旅人さん?」


 彼女の名はリィナといった。二十歳前後だろうか、赤みを帯びた茶髪を後ろで束ね、エプロン姿で立っていた。印象的だったのは、その瞳だった。暗い時代にあって、彼女の目には不思議な明るさがあった。


 「部屋と食事を」


 アルディンが答えると、リィナは微笑んだ。


 「あいにく客はあなただけよ。でも、だからこそゆっくりできるわ。上がって」


 その夜、アルディンは宿の食堂で、リィナが作った温かいシチューとパンを食べた。久しぶりの まともな食事だった。食後、暖炉の前で温まっていると、リィナが紅茶を持ってやってきた。


 「どこから来たの?」


 「北のフロストヘルム。知らないだろうが」


 「聞いたことはあるわ。雪深い街でしょう? そこからこんな南まで、随分な距離ね」


 リィナは隣の椅子に腰を下ろした。


 「何を探しているの? 旅人はみんな、何かを探しているものよ」


 アルディンは少し考えてから答えた。


 「わからない。ただ……世界が終わるなら、その前に何かを見つけたいと思っている」


 「何かって?」


 「それがわからないから、探しているんだ」


 リィナは笑った。透明感のある、鈴を鳴らすような笑い声だった。


 「正直ね。でも、それでいいと思うわ。探すものなんて、探しながら見つけるものだもの」


 彼女は暖炉の火を見つめながら続けた。


 「私はね、ここでずっと火を灯し続けているの。この宿の火を。客が来なくても、世界が終わろうとしても、毎日火を灯して、料理を作って、掃除をして。それが私のやり方」


 「なぜ?」


 「誰かが来るかもしれないから。あなたみたいに、疲れて、迷って、温かいものを求めている人が。そういう人のために、火は灯し続けなきゃいけないの」


 その言葉には、静かな強さがあった。アルディンは初めて、諦めていない人間に出会った気がした。


 アルディンはエルドラの街に三日間滞在した。


 本当は一泊の予定だったが、リィナに頼まれて、宿の修繕を手伝うことになった。壊れた屋根を直し、軋む床板を張り替え、詰まった煙突を掃除した。作業をしながら、リィナは様々な話をしてくれた。


 彼女の両親は五年前、流行病で亡くなった。一人娘のリィナは、両親が遺した宿を守ると決めた。最初の頃は常連客もいたが、星が消え始めてから旅人は激減し、街自体が寂れていった。


 「それでも続けるのか?」


 屋根の上で作業しながら、アルディンは尋ねた。


 「続けるわ」


 地上からリィナが答えた。


 「誰も来なくなっても、私はここにいる。それが私の場所だから。みんながみんな、旅に出られるわけじゃないでしょう? 誰かは残って、帰る場所を守らなきゃいけない」


 三日目の夜、修繕を終えたアルディンは出発を告げた。


 「明日の朝、出る」


 「そう……」


 リィナは少し寂しそうに微笑んだ。


 「ねえ、一つだけお願いがあるの」


 彼女は暖炉の前に立ち、その火を見つめた。


 「もし、旅の先で何か美しいものを見つけたら、いつか教えて。手紙でもいいから。私、ここを離れられないけれど、あなたの目を通して世界を見たいの」


 「約束する」


 アルディンは頷いた。


 「必ず、美しいものを見つけて、知らせる」


 翌朝、夜明け前に宿を発つアルディンを、リィナは門まで見送った。


 「またいつか」


 「ああ。その時はもっと良い客として来る」


 「楽しみにしてるわ。それまで、火は消さずにいるから」


 振り返らずに歩き始めたアルディンの背中に、リィナの声が届いた。


 「あなたはきっと、何か大きなものを見つけるわ。そんな気がするの」


 その予感が正しかったことを、アルディンはまだ知らなかった。


## 第二章 ― 影と歩む者


 エルドラから南へ二週間、アルディンは古代森林の入口に辿り着いた。


 「嘆きの森」と呼ばれるその場所は、かつて精霊たちが住まう聖域だったという。だが今では、光を失った木々が立ち枯れ、霧が立ち込める不気味な場所になっていた。街道は森を迂回しているが、地図を見る限り、森を抜ければ三日は短縮できる。


 アルディンが森に足を踏み入れた時、背後で声がした。


 「北の者か」


 振り向くと、黒いフード付きのローブを纏った人影が立っていた。背丈はアルディンよりやや低く、細身の体躯。フードの影から覗く顔は若く、中性的な美貌を持っていた。


 「森を抜けるつもりなら、やめておけ。この森は生者の通る場所ではない」


 「あなたは?」


 「……ヴェイン」


 男はそれだけ答えた。


 「森の案内人、とでも言っておこう。金を払えば、安全に案内してやる」


 普通なら怪しい申し出だったが、アルディンには断る理由がなかった。持っている金も少なく、危険な森で道に迷うよりは、案内人をつける方が賢明だ。


 こうして、アルディンとヴェインの奇妙な道行きが始まった。


 ヴェインは無口だった。


 森の中を歩きながら、彼はほとんど口を開かなかった。ただ的確に道を選び、危険な場所を避け、野営の場所を見つけた。その動きには無駄がなく、まるで影のように静かだった。


 最初の夜、焚き火を囲んで座った時、アルディンは尋ねた。


 「なぜこんな森で案内人をしている?」


 ヴェインは炎を見つめたまま答えた。


 「……それしかできないからだ」


 「どういう意味だ?」


 「俺は、生まれつき影の中でしか生きられない。光の下では、体が持たない。だからこの森が、俺の居場所だ」


 それは奇妙な告白だった。だがヴェインの言葉には嘘がないように感じられた。


 「珍しい体質だな」


 「呪いだと言われたこともある。だが、これが俺だ。変えようがない」


 ヴェインはフードを少し下げた。月光に照らされた彼の肌は、異様なほど白かった。


 「子供の頃、村を追われた。化け物だと。それから一人で生きてきた。森の中で、影の中で」


 「孤独だったろう」


 「孤独には慣れた」


 ヴェインは淡々と言った。


 「だが……お前のような旅人を案内している時だけは、少しだけ孤独じゃない気がする」


 その言葉に、アルディンは何も返せなかった。


 二日目、森の奥深くで、彼らは異形の獣に襲われた。


 それは熊とも狼とも違う、闇から生まれたような黒い生き物だった。目は赤く光り、牙からは毒液が滴っている。アルディンが剣を抜く間もなく、獣が飛びかかってきた。


 その瞬間、ヴェインが動いた。


 彼の手から黒い霧のようなものが噴き出し、獣を包み込んだ。獣は苦しげに吠え、その場に倒れた。霧が晴れた時、獣は動かなくなっていた。


 「……影魔法か」


 アルディンが呟くと、ヴェインは頷いた。


 「俺の呪いは、同時に武器でもある。闇を操る力。だが、これを使うたびに、自分もまた闇に呑まれていく気がする」


 「それでも使うのか?」


 「守るべきものがある時は、使う」


 ヴェインはアルディンを見た。


 「お前を案内すると決めた以上、お前は俺の守るべき者だ。それだけのことだ」


 三日目、森を抜ける直前、彼らは森の最深部に辿り着いた。


 そこには巨大な枯れ木が立っていた。幹は太く、天に向かって伸びた枝は全て葉を落としていた。だがその根元には、小さな光が灯っていた。


 「精霊の灯火だ」


 ヴェインが囁いた。


 「この森に残された、最後の光。もうすぐこれも消える」


 アルディンはその光に近づいた。それは青白く、儚く揺れていた。まるで今にも消えそうな、小さな命のように。


 「美しいな」


 「……そうか? 俺には眩しすぎて、よく見えない」


 ヴェインは距離を置いたまま言った。


 「だが、お前がそう言うなら、きっと美しいのだろう」


 アルディンは母の形見である青い石のペンダントを取り出した。不思議なことに、ペンダントの石が精霊の灯火に反応するように、淡く光り始めた。


 「これは……」


 「その石、ただの石じゃないな」


 ヴェインが近づいてきた。


 「精霊の欠片、だと思う。お前の母親は、どんな人だった?」


 「知らない。俺が幼い頃に死んだ」


 「……そうか」


 ヴェインは何か言いかけて、口を閉じた。


 森を抜けた時、二人は小さな泉のほとりで別れることになった。


 「ここからは街道だ。もう案内は必要ないだろう」


 「一緒に来ないか?」


 アルディンの問いに、ヴェインは首を横に振った。


 「俺は森の者だ。光の世界では生きられない。それに……」


 彼は空を見上げた。曇り空の向こう、もはや星はない。


 「俺は、影の中で影として消えていく。それが俺の運命だ」


 「運命なんて、変えられる」


 「お前は優しいな」


 ヴェインは微笑んだ。彼が笑うのを見たのは、それが初めてだった。


 「だが、全ての運命が変えられるわけじゃない。俺は自分の場所で、自分のやり方で生きる。お前は お前の道を行け」


 ヴェインは懐から小さな黒い石を取り出し、アルディンに渡した。


 「影石だ。危険が迫った時、これを握れ。一度だけ、影の加護がお前を守る」


 「ヴェイン……」


 「礼はいらない。これは、友への贈り物だ」


 友、という言葉にアルディンは胸が熱くなった。


 「またいつか、会えるか?」


 「世界が終わる前にな」


 ヴェインは森の暗がりに消えていった。まるで最初からそこにいなかったかのように。ただ手の中の影石だけが、彼の実在を証明していた。


## 第三章 ― 歌を紡ぐ者


 街道を南へ進むこと一週間、アルディンは大きな川に辿り着いた。


 ルナリア河と呼ばれるその川は、大陸を東西に分ける巨大な水脈だった。川を渡るには渡し船を使うしかなく、船着き場のある町リバーサイドに向かった。


 リバーサイドは川沿いの交易町として栄えていたが、今では往時の賑わいはなかった。それでも他の街よりは活気があり、酒場や宿屋も営業していた。


 アルディンが宿を取った夜、広場で人だかりができていた。中心には一人の女性が立ち、リュートを抱えて歌っていた。


 彼女の歌声は、驚くほど透明だった。


 歌詞は古い言葉で、意味は完全には理解できなかったが、旋律は胸に染み入った。喜びと悲しみが混ざり合ったような、不思議な歌だった。周囲の人々は静かに聴き入り、歌が終わると拍手が起こった。


 女性は深く一礼し、帽子にいくらかの銅貨が投げ込まれるのを受け取った。人々が散り始めた頃、アルディンは彼女に近づいた。


 「素晴らしい歌だった」


 「ありがとう」


 彼女は微笑んだ。二十代半ばだろうか、長い黒髪を編み込み、旅装束を身につけていた。目は深い緑色で、どこか遠くを見つめているようだった。


 「私はセレナ。吟遊詩人よ」


 「アルディンだ。俺も旅人だ」


 「旅人同士ね。今夜、良ければ話さない? あの酒場で」


 セレナが指差した先には、「笑う魚亭」という看板の酒場があった。


 その夜、二人は酒場の隅のテーブルで向かい合った。


 セレナは果実酒を飲みながら、自分のことを語り始めた。彼女は東の島国、ミズハの出身だった。幼い頃から歌が好きで、十八歳の時に吟遊詩人として旅立った。それから七年、各地を巡りながら歌い続けている。


 「なぜ歌うんだ?」


 アルディンの問いに、セレナは少し考えてから答えた。


 「歌は記憶だから。人々の記憶、世界の記憶。私が歌い続ける限り、忘れ去られたものも存在し続ける」


 「世界が終わろうとしているのに?」


 「だからこそよ」


 セレナは真剣な目でアルディンを見た。


 「世界が終わるなら、せめて美しかったものを覚えていたい。誰かが覚えていれば、それは完全には消えない。歌は、そのための器なの」


 彼女はリュートを取り、小さく爪弾いた。


 「この楽器も、もう作れる職人はいないわ。でも私が弾き続ける限り、その音色は生き続ける」


 その言葉に、アルディンは深く頷いた。


 「俺と一緒に来ないか?」


 思わず口から出た言葉だった。


 「俺は、何かを探して旅をしている。それが何かはまだわからない。でも……お前の歌があれば、その何かを見つけた時、それを正しく記憶できる気がする」


 セレナは驚いたように目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。


 「面白い誘い方ね。でも……いいわ。あなたと一緒に行く。あなたの旅の証人になる」


 こうして、アルディンの旅に最初の同行者ができた。


 二人は翌朝、渡し船でルナリア河を渡った。


 船頭は老人で、無口に櫂を漕いでいた。川面は静かで、灰色の空を映していた。船が川の中ほどに差し掛かった時、セレナが歌い始めた。


 それは船乗りの歌だった。遠い昔、船乗りたちが航海の安全を祈って歌ったという古い歌。セレナの声が水面に響き、不思議な残響を生んだ。


 歌い終わった時、船頭が初めて口を開いた。


 「……その歌を聴いたのは、五十年ぶりだ」


 老人の目には涙が浮かんでいた。


 「わしの父が、よく歌っていた。この川で船を出す時、必ず。懐かしい……」


 「覚えていてくれてありがとう」


 セレナは優しく言った。


 「歌は、覚えている人がいる限り死なないの」


 対岸に着いた時、船頭は渡し賃を受け取らなかった。


 「歌の礼だ。良い旅を」


 二人が岸辺を歩き始めた時、セレナがアルディンに言った。


 「ねえ、あなたの母親のペンダント、見せて」


 アルディンが青い石のペンダントを取り出すと、セレナは目を細めた。


 「やっぱり。これ、セレスティアルストーンよ」


 「セレスティアルストーン?」


 「天の石。伝説では、かつて星の光を宿した石だと言われている。今ではほとんど残っていないはずだけど……」


 セレナは石を優しく指でなぞった。


 「あなたの母親は、何者だったの?」


 「わからない。父も多くを語らなかった」


 「……そう」


 セレナは考え込むように眉を寄せた。


 「でも、この石があなたを導いているような気がする。きっと、あなたが行くべき場所へ」


 その予感は、やがて現実になる。


 対岸から三日歩いた先に、小さな村があった。村の名はスターフォール。かつて流れ星がよく見えた場所だったことから、その名がついたという。


 村に着いた二人を迎えたのは、子供たちだった。十人ほどの子供たちが、好奇心に満ちた目で二人を見つめた。


 「旅の人?」


 「吟遊詩人? 歌って!」


 子供たちにせがまれ、セレナは村の広場で歌うことになった。集まったのは子供たちだけでなく、大人たちも仕事の手を止めてやってきた。


 セレナは子供たちのために、明るい歌を選んだ。動物たちの冒険を歌った楽しい歌、恋人たちの物語を歌った甘い歌。子供たちは手拍子をし、笑顔で聴き入った。


 その光景を見ながら、アルディンは思った。この暗い時代でも、こうして笑い合える場所がまだあるのだと。


 歌が終わった後、村長が二人を食事に招いた。村長の家で出されたのは、質素だが温かい食事だった。パンとスープ、それに少しの野菜。


 「すまんな、こんなものしか出せなくて」


 村長は白髭を撫でながら言った。


 「収穫が年々減っておる。だが、まだ我々には希望がある」


 「希望?」


 アルディンが尋ねると、村長は頷いた。


 「この村には、古い言い伝えがある。世界が終わる時、星を継ぐ者が現れる、と。その者は青い光を纏い、失われた星々を再び空に戻すという」


 「伝説ですか」


 セレナが言った。


 「ああ、伝説だ。だが……信じることは、自由だろう? 我々は信じている。いつか、その者が現れることを」


 その夜、村の外れの宿舎で休んでいた時、セレナがアルディンに言った。


 「あなた、自分が何者か、考えたことある?」


 「何者って?」


 「その石を持ち、精霊の灯火に反応し、影の者に認められた。普通の旅人じゃないわ」


 アルディンは天井を見つめた。


 「わからない。ただの、居場所のない男だと思っていた。でも……」


 彼は母の石を握りしめた。


 「もしかしたら、俺には何か、すべきことがあるのかもしれない。それが何かはわからないけど」


 「見つけましょう」


 セレナは言った。


 「一緒に。そして私は、それを歌にする」


## 第四章 ― 剣と誓いの者


 スターフォールの村を出て一週間後、二人は山岳地帯に差し掛かった。


 「竜牙山脈」と呼ばれるその山々は、かつて竜が住んでいたという伝説が残る険しい土地だった。山道は狭く、時折崖崩れの跡が見られた。


 三日目、山道で野盗に襲われた。


 五人組の荒くれ者たちは、剣と斧を手に二人の行く手を阻んだ。


 「置いていけ、荷物を全部」


 リーダー格の男が凄んだ。


 「女も置いていきな。楽しませてもらうぜ」


 アルディンは静かに剣を抜いた。父の形見である古い剣だが、手入れはしてある。


 「断る」


 「なら死ね!」


 野盗たちが襲いかかってきた。


 アルディンは父から剣を習ったことがあった。基本的な型だけだったが、体が覚えていた。最初の一人の剣を受け流し、体を捻って反撃する。刃が男の腕を浅く切り、男は悲鳴を上げて後退した。


 だが多勢に無勢だった。二人、三人と同時に襲いかかってくる野盗たちに、アルディンは徐々に押されていった。背中にセレナを庇いながら、必死に剣を振るったが、限界が近づいていた。


 その時、どこからか声が響いた。


 「下がれ!」


 轟音とともに、野盗たちの足元に何かが落ちた。それは小さな爆発を起こし、煙が立ち込めた。野盗たちが混乱する中、煙の向こうから人影が飛び出してきた。


 それは一人の女騎士だった。


 銀色の鎧を身につけ、長剣を手にした彼女は、見事な剣技で野盗たちを圧倒した。一撃、二撃、三撃。無駄のない動きで次々と野盗たちを打ち倒していく。残った野盗たちは恐れをなして逃げ出した。


 煙が晴れた時、女騎士はアルディンたちの前に立っていた。


 「怪我は?」


 低く、凛とした声だった。


 「ない。助かった」


 女騎士は兜を脱いだ。現れたのは、三十代前半と思われる女性の顔だった。短く切った銀髪、鋭い青い目、強い意志を感じさせる表情。


 「私はカーラ。元王国騎士団の隊長だ」


 「元、というのは?」


 「もう王国は存在しない」


 カーラは剣を鞘に収めた。


 「三年前、星が消えた後、王都は崩壊した。王は死に、騎士団は解散した。私は……ただの流浪の騎士だ」


 その言葉には、深い悲しみと疲労が滲んでいた。


 三人は近くの洞窟で野営することにした。


 焚き火を囲んで、カーラは自分の物語を語った。彼女は貧しい農民の娘として生まれ、幼い頃から剣の才能を示した。十六歳で王国騎士団に入り、功績を重ねて隊長にまで昇進した。


 「騎士として、私は国と民を守ると誓った」


 カーラは炎を見つめて言った。


 「だが、守るべき国は滅んだ。民は散り散りになった。私の誓いは、何の意味もなくなった」


 「それでも剣を握っている」


 アルディンが言った。


 「それでも、だ」


 カーラは自分の手を見つめた。


 「剣しか知らない。戦うことしかできない。だから、せめて弱い者を守りながら、死に場所を探している」


 「死に場所なんて探すな」


 セレナが強い口調で言った。


 「あなたはまだ生きている。生きているなら、新しい誓いを立てればいい」


 「新しい誓い……」


 カーラは苦笑した。


 「何に誓えばいい? もう守るべきものは何もない」


 アルディンは考えてから言った。


 「俺たちと来ないか? 俺は、何かを探して旅をしている。何かはわからないが、きっと大事なものだ。お前の剣が必要だ」


 「私の剣が?」


 「ああ。そして……もしかしたら、旅の先に、お前の新しい誓いも見つかるかもしれない」


 カーラは長い間黙っていた。炎が揺れ、影が踊る。やがて彼女は顔を上げた。


 「わかった。ついていこう。ただし条件がある」


 「何だ?」


 「お前が見つけるものが、守るに値するものだと証明しろ。それができたら、私はお前に剣を捧げる」


 「約束する」


 こうして、アルディンの旅に二人目の仲間が加わった。


 山脈を越える道のりは厳しかった。急な崖、吹雪、そして時折現れる魔獣。だがカーラの剣技と判断力のおかげで、三人は無事に難所を乗り越えていった。


 ある夜、峠の小屋で休んでいた時、アルディンは不思議な夢を見た。


 夢の中で、彼は星々が輝く空の下に立っていた。だが星は一つずつ消えていき、やがて闇だけが残った。その時、誰かの声が聞こえた。


 「光を継ぐ者よ」


 それは女性の声だった。優しく、懐かしい声。


 「あなたは選ばれた。世界の最後の希望として。北の果て、忘れられた神殿に向かいなさい。そこに、すべての答えがある」


 「誰だ?」


 アルディンが尋ねると、声は答えた。


 「あなたを愛した者。そして、あなたに未来を託した者」


 目が覚めると、夜明け前だった。アルディンは汗をかいていた。


 「どうした?」


 隣で寝ていたカーラが目を覚ました。


 「……夢を見た。北に行けと」


 「北?」


 「ああ。忘れられた神殿がある、と」


 カーラは眉をひそめた。


 「北の果てといえば……『氷結の神殿』か。伝説では、かつて星の女神を祀った場所だと言われている。だが、もう何百年も前に封印されたはずだ」


 「それでも、行かなければならない気がする」


 アルディンは青い石のペンダントを取り出した。石は微かに光っていた。


 「この石が、導いている」


 セレナが起き上がり、二人を見た。


 「なら行きましょう。私たちも一緒に」


 「危険だぞ」


 「危険なら、なおさら一人にはできないわ」


 カーラも頷いた。


 「私も行く。守るべきものを、まだ見つけていないからな」


 三人は山脈を越え、北への道を進むことを決めた。


## 第五章 ― 知を求める者


 山脈を越えた先には、広大な平原が広がっていた。


 かつては緑豊かな大地だったというが、今では枯れ草が風に揺れるだけの荒涼とした景色だった。平原を三日歩いた先に、古い都市の遺跡が見えてきた。


 「アークライト」


 カーラが呟いた。


 「かつての学術都市だ。大陸中から学者や魔術師が集まり、知識を追求した場所。だが二十年前、謎の災害で崩壊した」


 遺跡に近づくと、確かに崩れた塔や壊れた建物が見えた。だが完全な廃墟ではなかった。いくつかの建物には明かりが灯り、人の気配があった。


 「まだ人が住んでいるのか」


 三人が遺跡の中心部に入ると、一人の老人が現れた。白い長い髭、深い皺の刻まれた顔、だが目は鋭く輝いていた。


 「ほう、訪問者とは珍しい」


 老人は杖をついて近づいてきた。


 「私はレオナルド。この遺跡の管理人、いや、最後の住人と言うべきか」


 「ここで何を?」


 セレナが尋ねた。


 「知識の保存さ」


 レオナルドは誇らしげに言った。


 「この都市には、何千年もの知識が蓄えられている。歴史、魔術、科学、芸術。世界が滅びようとも、知識だけは残さねばならん」


 老人は三人を、まだ崩れていない大図書館へと案内した。中には無数の本が並び、巻物が積まれていた。天井までそびえる書架の間を、レオナルドは慣れた足取りで歩いた。


 「さて、お前たちは何を求めてここに来た?」


 「北の果て、氷結の神殿について知りたい」


 アルディンが答えると、レオナルドは驚いたように目を見開いた。


 「氷結の神殿……それは禁断の場所だ。なぜそこへ?」


 「導かれた。この石に」


 アルディンがペンダントを見せると、レオナルドは息を呑んだ。


 「セレスティアルストーン! しかもこれほど純度の高いものは……」


 老人は震える手で石を見つめた。


 「お前は何者だ?」


 「ただの旅人だ」


 「嘘をつくな」


 レオナルドは鋭い目でアルディンを見た。


 「その石を持つ者は、星の血を引く者だけだ。お前の母は……もしや」


 老人は図書館の奥へと歩き始めた。


 「ついて来い。見せたいものがある」


 レオナルドが案内したのは、特別な部屋だった。壁一面に古い絵画や地図が飾られている。その中の一枚、大きな肖像画の前で老人は立ち止まった。


 「これを見ろ」


 それは一人の女性の肖像画だった。長い黒髪、優しい目、そして首には青い石のペンダント。


 「セレスティア・エルナ。最後の星の巫女だ」


 レオナルドは静かに語り始めた。


 「二十五年前、彼女はこの都市で学んでいた。星の魔術の最後の継承者として。だが星が消え始めた時、彼女は姿を消した。どこへ行ったのか、誰も知らない」


 アルディンは肖像画を見つめた。その顔は……父が持っていた、母の小さな肖像と似ていた。


 「これが……母なのか?」


 「もしお前が彼女の息子なら、お前には使命がある」


 レオナルドは深刻な表情で続けた。


 「星の巫女の一族は、代々世界の均衡を保つ役割を担ってきた。だが星が消え、その力も失われた。彼女はおそらく、最後の希望をお前に託したのだ」


 「何の希望を?」


 「星を取り戻す希望だ」


 老人は古い書物を取り出した。


 「伝説によれば、氷結の神殿には『星の器』が眠っている。それは世界中の星の光を集め、再び空に放つことができる装置だという。だが、それを起動できるのは星の血を引く者だけだ」


 カーラが口を開いた。


 「つまり、アルディンが星を取り戻せる、と?」


 「可能性はある。だが……」


 レオナルドは厳しい顔をした。


 「神殿に至る道は危険だ。そして、星の器を起動するには大きな犠牲が必要かもしれない。過去の記録では……」


 老人は言葉を濁した。


 「命と引き換えになると書かれている」


 沈黙が部屋を支配した。


 やがてアルディンが口を開いた。


 「それでも行く」


 「アルディン……」


 セレナが心配そうに見る。


 「母が俺に託したものがあるなら、それを果たさなければ。それに……」


 彼は二人の仲間を見た。


 「この旅で出会った人たち、リィナも、ヴェインも、そしてお前たちも。みんな、終わりゆく世界で必死に生きている。その人たちのために、何かできるなら、やりたい」


 カーラは剣の柄に手を置いた。


 「なら、私はお前を守る。それが私の新しい誓いだ」


 「私は歌う」


 セレナも言った。


 「あなたの物語を。そして、もし星が戻るなら、その奇跡を」


 レオナルドは深く頷いた。


 「わかった。ならば、できる限りの支援をしよう」


 老人はその夜、三人に様々な知識を授けた。氷結の神殿への道、そこに潜む危険、そして星の器について知られていること。また、魔除けの護符や、寒さに耐えるための魔法の外套も用意してくれた。


 翌朝、出発の時、レオナルドは言った。


 「もし成功したら、また来い。その時は、新しい知識でこの図書館を満たそう。希望の知識でな」


 「必ず」


 三人は遺跡を後にした。背負うものは重くなったが、同時に目的も明確になった。


## 第六章 ― 氷の試練


 アークライトから北へ向かう道は、日を追うごとに寒さを増していった。


 一週間後、三人は雪に覆われた土地に入った。空は常に灰色で、冷たい風が吹き荒れていた。レオナルドから受け取った魔法の外套がなければ、凍死していたかもしれない。


 「もうすぐ氷結の森だ」


 カーラが地図を確認しながら言った。


 「そこを抜ければ、神殿がある」


 氷結の森は、その名の通り全てが凍りついた森だった。木々は氷の柱となり、地面は鏡のように滑らかな氷で覆われていた。足を踏み入れた瞬間、空気が違うことがわかった。息をするたびに肺が痛む。


 森の中を進むこと数時間、彼らは異変に気づいた。


 「誰かいる」


 カーラが剣に手をかけた。


 氷の木々の間から、人影が現れた。いや、人ではなかった。それは氷でできた人型の存在だった。透明な体、青白く光る目。


 「氷の守護者……」


 セレナが囁いた。


 「神殿を守る番人よ」


 守護者は無言で近づいてきた。そして、アルディンを指差した。


 「星の血を持つ者」


 声は氷が砕けるような音だった。


 「証明せよ。汝が真に選ばれし者であることを」


 「どうやって?」


 アルディンが尋ねると、守護者は森の奥を指した。


 「三つの試練を乗り越えよ。力の試練、心の試練、そして魂の試練を」


 守護者は氷の中に溶けるように消えた。


 「試練か……」


 カーラが呟いた。


 「行くしかないな」


 森を奥へ進むと、最初の試練の場所に辿り着いた。


 それは広い氷の広場だった。中央には巨大な氷の像が立っていた。戦士の姿をしたその像が、突然動き出した。


 「力の試練だ!」


 カーラが叫び、剣を抜いた。


 「私が相手をする!」


 氷の戦士とカーラの戦いが始まった。カーラの剣技は見事だったが、氷の戦士は強大だった。剣を振るうたびに、氷の破片が飛び散る。だが戦士は何度斬られても再生する。


 「くそ……きりがない」


 カーラが息を荒げる。


 「待て」


 アルディンが前に出た。


 「これは力だけの試練じゃない」


 彼はペンダントを握りしめた。石が光り始める。アルディンは氷の戦士に向かって歩いた。


 「俺は戦いに来たんじゃない。守るために来た」


 戦士の剣がアルディンに振り下ろされる。だが、ペンダントの光が盾となり、剣を止めた。光が広がり、氷の戦士を包み込む。


 戦士は動きを止め、やがて光に溶けていった。


 「力とは、破壊するためではなく、守るためのもの……」


 どこからか声が響いた。


 「汝、一つ目の試練を越えた」


 二つ目の試練は、迷宮だった。


 氷の壁で作られた複雑な迷路。入口に立つと、守護者の声が聞こえた。


 「心の試練。汝の心の迷いが、道を阻む」


 三人は迷宮に入った。だがすぐに、奇妙なことが起こり始めた。壁に映る影が、形を変えていく。そして、それぞれに幻が見え始めた。


 カーラには、死んだ仲間たちが見えた。かつての騎士団の仲間たちが、彼女を責める。


 「お前は我々を見捨てた」


 「お前のせいで、王国は滅んだ」


 カーラは剣を握りしめ、歯を食いしばった。だが、彼女は幻に向かって言った。


 「違う。私は全力で戦った。だが、運命には抗えなかった。でも……今、私は新しい戦いをしている。過去を背負いながら、未来のために」


 幻は消えた。


 セレナには、歌を奪われる幻が見えた。リュートが壊れ、声が出なくなる。


 「お前の歌に意味はない」


 「誰も覚えていない」


 だがセレナは微笑んだ。


 「たとえ一人しか聞いていなくても、私は歌う。歌は、歌う者がいる限り存在する」


 彼女は声を上げて歌い始めた。幻は歌声に押し流され、消えていった。


 アルディンには、母の幻が見えた。


 「なぜ来た?」


 母の姿をした幻が問う。


 「お前は、ただ生きればよかった。この重荷を背負う必要はなかった」


 「でも……」


 アルディンは震える声で答えた。


 「母さんが託したものがあるなら、それを果たしたい。そして、母さんが愛したこの世界を、守りたい」


 幻は優しく微笑んだ。


 「ならば行きなさい。私の息子」


 迷宮が崩れ、出口が現れた。


 「心の迷いを越えた者よ。進め」


 三つ目の試練は、最も静かなものだった。


 それは小さな氷の部屋だった。中央には鏡があり、その前に立つよう促された。


 「魂の試練。汝の真実を見よ」


 アルディンが鏡を見ると、そこには自分の姿が映っていた。だが、背景が違った。鏡の中の世界には、星が輝いていた。無数の星が夜空を彩り、その下で多くの人々が笑顔で暮らしていた。


 リィナが宿で客を迎えている。ヴェインが森で、今度は光の中を歩いている。カーラとセレナが、子供たちに剣と歌を教えている。


 「これが……俺が取り戻すべき未来?」


 「汝が選ぶ未来だ」


 守護者の声。


 「だが知れ。この未来には代償がある。星を取り戻すには、星の血を持つ者の命が必要だ」


 アルディンは静かに頷いた。


 「わかっている」


 「それでも進むか?」


 「ああ」


 鏡が光に包まれ、砕け散った。その破片が舞い上がり、道を示す。


 「汝、全ての試練を越えた。氷結の神殿へ進むがよい」


 三人は最後の道を歩き始めた。


## 第七章 ― 星の器


 氷結の神殿は、山の頂に建っていた。


 白い石で作られた荘厳な建築物。時が止まったように、完璧な姿で存在していた。大きな扉には、星の紋章が刻まれている。


 アルディンがペンダントを扉にかざすと、扉はゆっくりと開いた。


 内部は広大だった。高い天井、並ぶ柱、そして最も奥に、祭壇があった。祭壇の上には、球体の装置が置かれていた。それは透明で、中に無数の光の粒が閉じ込められているように見えた。


 「星の器……」


 アルディンが近づくと、装置が反応した。光の粒が活発に動き始める。


 その時、背後で声がした。


 「よく来たな、我が息子よ」


 振り向くと、女性の姿があった。半透明で、実体はない。だがその顔は、肖像画で見た母、セレスティアの顔だった。


 「母さん……?」


 「私の残留思念だ。お前が来るのを、ずっと待っていた」


 セレスティアの幻影は、優しく微笑んだ。


 「お前に全てを説明する時間はない。だが、知っておいてほしい。私は、お前を愛していた。そして、お前に未来を託した」


 「なぜ俺に? なぜこんな重荷を?」


 アルディンの声は震えていた。


 「重荷ではない。希望だ」


 セレスティアは言った。


 「世界は終わろうとしている。だが、完全には終わらせたくなかった。だから、最後の可能性として、お前を産んだ。星の血を継ぐ者として」


 彼女は星の器を指した。


 「この器を起動すれば、失われた星々が戻る。世界は再び光を取り戻す。だが……」


 「命と引き換えなんだろう?」


 「そうだ。星の血を持つ者が、自らの命を器に捧げることで、星は蘇る」


 セレスティアの目に涙が浮かぶ。


 「だが、お前に強制はしない。これはお前の選択だ。生きて、平凡な人生を送ってもいい。誰も、お前を責めない」


 アルディンは長い間、黙っていた。


 やがて彼は、後ろに立つ二人の仲間を見た。カーラとセレナは、何も言わず、ただ見つめていた。


 「お前たちは……どう思う?」


 カーラが一歩前に出た。


 「私は、お前の選択を尊重する。だが……もし星が戻らなくても、世界が終わっても、お前が生きる道を選んだことを、私は責めない」


 セレナも頷いた。


 「あなたはもう、十分に多くを背負った。もう休んでもいい」


 アルディンは二人に微笑んだ。


 「ありがとう。でも……俺は決めている」


 彼は星の器に近づいた。


 「この旅で、俺は多くの人に出会った。リィナは、誰も来なくても火を灯し続けると言った。ヴェインは、影の中でも誰かを守ると決めた。村長は、伝説を信じ続けた。レオナルドは、知識を守り続けた。みんな、終わりゆく世界で、それでも何かを守ろうとしている」


 彼はペンダントを外した。


 「なら、俺は星を守る。いや、取り戻す。それが俺の役目なら、喜んで果たす」


 「アルディン……!」


 セレナが叫んだ。


 「まだ他の方法が!」


 「ない」


 アルディンは穏やかに首を振った。


 「レオナルドの本にも書いてあった。これしか方法はない。でも……」


 彼は二人を見た。


 「お前たちに頼みたいことがある」


 カーラが剣を抜いた。


 「何でも言え」


 「星が戻った後の世界を、見届けてほしい。そして、生きてほしい。俺の分まで」


 「……約束する」


 カーラの目から、涙が流れた。


 セレナはリュートを抱きしめた。


 「あなたの物語を、必ず歌にする。千年後まで、語り継がれる歌にする」


 「頼む」


 アルディンは星の器に手を置いた。


 「母さん、見ていて。俺は、母さんの息子として、誇りを持ってこれをやる」


 セレスティアの幻影が微笑む。


 「私の誇りだ、アルディン」


 アルディンはペンダントを器に押し当てた。


 瞬間、眩い光が神殿を満たした。


 器の中の光の粒が激しく回転し始める。そして、器からアルディンの体へ、光が流れ込んでいく。いや、逆だった。アルディンの生命力が、器へと吸い込まれていく。


 痛みはなかった。ただ、体が軽くなっていくのを感じた。まるで、重荷を下ろしていくように。


 アルディンの体が光に変わり始める。


 「カーラ、セレナ」


 彼の声が響く。


 「みんなによろしく。リィナには、美しいものを見つけたと伝えて。ヴェインには、光の中を歩けるようになると教えて。レオナルドには、新しい知識が生まれると約束して」


 「アルディン……!」


 二人の叫びが交錯する。


 「そして……」


 アルディンの姿が完全に光になる直前、彼は微笑んだ。


 「この旅は、最高だった。お前たちに出会えて、本当に良かった」


 光が爆発的に広がった。


 神殿全体が震え、器から無数の光の筋が天へ向かって放たれた。それは空を突き抜け、雲を裂き、遥か宇宙へと届いた。


 やがて、世界中で奇跡が起こり始めた。


 フロストヘルムでは、人々が空を見上げて驚いた。夜空に、一つの星が現れたのだ。


 エルドラでは、リィナが宿の窓から空を見て、涙を流した。星が輝いている。まるで、誰かが約束を果たしたように。


 嘆きの森では、ヴェインが空を見上げた。星明かりが森に差し込み、彼の体は痛まなかった。影の呪いが、薄れていく。


 スターフォールの村では、子供たちが歓声を上げた。何十年ぶりかの、星空だった。


 アークライトでは、レオナルドが図書館の窓から空を見て、笑みを浮かべた。そして、新しい本に書き始めた。『星を取り戻した勇者の記録』と。


 世界中で、星が一つ、また一つと現れていった。


 氷結の神殿で、カーラとセレナは呆然と空を見上げていた。


 星々が輝く夜空。何百年ぶりの、完全な星空。それは息を呑むほど美しかった。


 だが、アルディンの姿はどこにもなかった。


 祭壇の上には、青い石のペンダントだけが残されていた。それは今も、淡く光を放っている。


 セレナがペンダントを拾い上げ、胸に抱いた。涙が止まらなかった。


 「馬鹿……馬鹿よ……」


 カーラも膝をついた。


 「守ると誓ったのに……守れなかった……」


 二人は長い間、そこで泣き続けた。


 やがて夜が明けた。


 星が消え、朝日が昇る。だが、それは以前とは違う朝日だった。世界が、色を取り戻し始めていた。空は青く、雲は白く、雪は輝いている。


 「行こう」


 カーラが立ち上がった。


 「アルディンとの約束を果たすために。星が戻った世界を、見届けるために」


 セレナも頷いた。


 「そして、彼の物語を、世界中に伝えるために」


 二人は神殿を後にした。手には、アルディンの形見のペンダント。


## 第八章 ― その後の世界


 星が戻ってから、世界は急速に変化していった。


 まず、植物が蘇り始めた。枯れていた森に緑が戻り、畑は実りを取り戻した。動物たちも活気を取り戻し、川には魚が泳ぐようになった。


 人々の心にも、希望が戻った。


 カーラとセレナは、約束通り、世界を巡った。


 最初に訪れたのは、エルドラの街だった。


 「銀の鈴亭」の扉を開けると、リィナが驚いて迎えた。


 「お二人とも! アルディンは?」


 セレナが静かに首を振ると、リィナは全てを理解した。


 その夜、三人は暖炉の前で、アルディンの物語を語り合った。リィナは涙を流しながら聞いた。


 「彼は……約束を守ってくれたのね。美しいものを見つけたと」


 「ええ。最も美しいもの。星空を」


 翌朝、リィナは宿の看板を新しくした。「星の鈴亭」と。


 「これから、この宿は星を見上げる人々の場所にするわ。彼が取り戻してくれた星を、みんなで見る場所に」


 次に訪れたのは、嘆きの森だった。


 森はもう「嘆き」の森ではなくなっていた。木々に緑が戻り、精霊の灯火も強く輝いていた。


 ヴェインは、森の入口で待っていた。彼の肌は以前ほど白くなく、目には生気があった。


 「……聞いた。アルディンのことを」


 ヴェインは空を見上げた。


 「あいつのおかげで、俺は光の下を歩けるようになった。もう影に隠れる必要はない」


 「これからどうするの?」


 セレナが尋ねると、ヴェインは微笑んだ。


 「森を守る。だが、今度は影の守護者としてじゃなく、光の守護者として。精霊たちと共に」


 彼は二人に小さな木の実を渡した。


 「これを植えてくれ。旅の先々で。そうすれば、アルディンの思いが広がっていく」


 スターフォールの村では、盛大な星祭りが開かれていた。


 何十年ぶりかの祭りに、村中が沸き立っていた。子供たちが笑い、大人たちが踊り、老人たちが涙を流した。


 村長は二人を見つけ、広場の中央に連れて行った。


 「皆! この方々の話を聞いてくれ!」


 セレナはリュートを取り、語り始めた。星を取り戻した勇者の物語を。彼の旅を、出会いを、別れを、そして最後の選択を。


 村人たちは静かに聞き入り、やがて涙を流した。物語が終わった時、村長が言った。


 「我々は忘れない。星を継いだ勇者を。そして、この星空を」


 村人たちは空を見上げ、一斉に歌い始めた。星への感謝の歌を。


 アークライトでは、レオナルドが二人を歓迎した。


 図書館には新しい書架が増えていた。そこには『星の勇者の記録』という本が何冊も並んでいた。


 「書き終えたよ」


 老人は誇らしげに言った。


 「アルディンの物語を。これで、何千年後の人々も、彼のことを知ることができる」


 「ありがとう」


 セレナが言った。


 「でも、私たちも歌で伝え続ける。生きている言葉で」


 「それがいい」


 レオナルドは頷いた。


 「知識は、書物と歌と、人々の記憶の中で生き続けるものだ」


 一年後、カーラとセレナは新しい王国の建設を手伝っていた。


 星が戻ったことで、人々は希望を取り戻し、新しい国を作ろうという動きが起こっていた。カーラはその護衛隊長として、セレナは宮廷詩人として招かれた。


 だが二人は、定住することを選ばなかった。


 「私たちは旅を続ける」


 カーラが王に告げた。


 「アルディンの物語を、まだ知らない人々に伝えるために」


 王は理解を示し、二人を送り出した。


 こうして、二人の新しい旅が始まった。


 彼女たちは大陸中を巡り、アルディンの物語を語り続けた。街で、村で、荒野で。人々は彼女たちの歌を聞き、涙を流し、そして星を見上げた。


 五年後、二人は再び北へ向かった。


 氷結の神殿を訪れるために。


 神殿は変わらず、そこにあった。祭壇の上では、星の器が静かに光を放っていた。もう稼働はしていないが、その輝きは消えていなかった。


 「アルディン」


 セレナが祭壇の前で語りかけた。


 「あなたの物語は、今も世界中で歌われているわ。子供たちは、あなたの名を聞いて育っている。老人たちは、あなたに感謝している」


 カーラが剣を祭壇の前に置いた。


 「お前は、守るべきものを教えてくれた。だから今、私は多くのものを守れている」


 二人は長い時間、そこに佇んでいた。


 やがて、不思議なことが起こった。


 祭壇の上、器の隣に、淡い光が現れた。それは人の形を取り、アルディンの姿になった。ただし、実体はない。幻のような、優しい光。


 「カーラ、セレナ」


 アルディンの声が聞こえた。


 「ありがとう。お前たちは約束を守ってくれた」


 「アルディン……!」


 二人は涙を流した。


 「俺は、ここにいる。星の一部として。世界を見守っている」


 アルディンの幻影は微笑んだ。


 「お前たちの旅も、俺は全部見ていた。誇りに思う。そして……」


 彼は夜空を見上げた。


 「みんなに伝えてほしい。出会いは、決して無駄にはならない。そして別れは、終わりじゃない。俺たちは、いつも星の下で繋がっている」


 光が薄れていく。


 「またいつか。星の下で」


 アルディンの姿が消えた。


 だが二人は、もう悲しくはなかった。彼は確かに、そこにいる。星となって、永遠に。


## 終章 ― 星の下で


 それから二十年が経った。


 世界は完全に蘇っていた。森は深い緑に覆われ、街は活気に満ち、人々は笑顔で暮らしていた。新しい王国が建ち、新しい技術が生まれ、新しい芸術が花開いた。


 だが、人々は決して忘れなかった。この世界を取り戻してくれた勇者のことを。


 毎年、星が最も美しく輝く夜、大陸中で「星の祭り」が開かれる。人々は星を見上げ、アルディンの物語を語り合い、歌を歌う。


 エルドラでは、リィナの娘が「星の鈴亭」を継いでいた。宿は繁盛し、世界中から旅人が訪れる。リィナ自身は年を取ったが、今も毎晩、暖炉に火を灯している。


 嘆きの森は「希望の森」と呼ばれるようになった。ヴェインは森の長老となり、若い者たちに森の守り方を教えている。彼の肌は健康的な色を取り戻し、笑顔が絶えない。


 スターフォールの村は、星の聖地として知られるようになった。村の中心には、アルディンの像が立っている。若者の姿で、空を見上げ、微笑んでいる。


 アークライトは学術都市として再建された。レオナルドはすでに亡くなったが、彼の図書館は今も残り、『星の勇者の記録』は最も読まれる本の一つとなっている。


 カーラは騎士学校を設立した。そこでは、剣術だけでなく、「何のために戦うか」を教えている。彼女の生徒たちは、アルディンの物語を聞いて育ち、皆が正義の騎士となっている。


 セレナは老いた。もう若くはないが、歌声は今も透明だ。彼女は各地を巡り、子供たちに歌を教えている。彼女の歌う「星の勇者の歌」は、大陸中で愛される名曲となった。


 ある秋の夜、セレナはエルドラの「星の鈴亭」を訪れた。


 リィナは今や老婆だったが、二人は旧友のように抱き合った。


 「久しぶりね」


 「本当に」


 二人は暖炉の前に座った。外では星が輝いている。


 「ねえ、セレナ。あの子は……アルディンは、幸せだったと思う?」


 リィナが尋ねた。


 「ええ」


 セレナは確信を持って答えた。


 「彼は、自分の人生を選んだ。そして、多くの人を幸せにした。それが、彼の幸せだったと思う」


 「そうね」


 リィナは微笑んだ。


 「私たちは、彼から多くをもらった。だから、私たちも次の世代に渡していかなきゃ」


 その夜、宿には多くの旅人が集まった。そして皆で、星を見上げた。


 空には無数の星が輝いていた。その中の一つが、特に明るく輝いているように見えた。


 「アルディンね」


 誰かが囁いた。


 「ええ、きっと」


 セレナがリュートを爪弾き、歌い始めた。


 「遠い昔、一人の勇者がいた。彼は星を探し、世界を巡り、そして星となった……」


 人々は静かに聴き入り、やがて一緒に歌い始めた。


 歌声が夜空に響き、星々に届く。


 そして、星の一つが、答えるように瞬いた。


---


 物語は終わらない。


 アルディンの旅は終わったが、彼が残したものは続いている。出会いの記憶、別れの痛み、そして希望。


 人々は今日も、星の下で生きている。笑い、泣き、愛し、別れ、そしてまた出会う。


 それが人生だ。


 そして星は、いつもそれを見守っている。


 かつて一人の若者が、命と引き換えに取り戻した星々が。


 空を見上げよ。


 そこに、彼がいる。


 私たちの勇者が。


 星を継いだ者が。


 永遠に。


---


# エピローグ ― 百年後


 百年の時が流れた。


 アルディンを直接知る者は、もう誰もいない。だが彼の物語は、今も語り継がれている。


 ある少年が、祖母に尋ねた。


 「ねえ、おばあちゃん。星の勇者って、本当にいたの?」


 老婆は微笑んだ。


 「ええ、いたわ。私のおばあちゃんのおばあちゃんが、直接会ったって言っていた」


 「どんな人だった?」


 「優しくて、強くて、そして……寂しがりやだったって。だからこそ、出会いを大切にしたの。そして、別れることを恐れなかった」


 少年は空を見上げた。星が輝いている。


 「僕も、あの人みたいになりたいな」


 「なれるわ」


 老婆は少年の頭を撫でた。


 「あの人も、最初はただの少年だった。でも、旅をして、人と出会って、成長した。あなたも、そうなれる」


 「本当?」


 「ええ。だって……」


 老婆は星を指差した。


 「あの星が、いつも見守ってくれているから」


 少年は決意した。いつか、自分も旅に出よう。人と出会い、世界を見て、何かを成し遂げよう。


 星の勇者のように。


 その夜、星は特別明るく輝いた。


 まるで、新しい旅立ちを祝福するように。


 そして物語は、また新しく始まる。


 出会いと、別れと、希望の物語が。


 星の下で、永遠に。




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