第十一話
神也は目の前の光景に絶句していた。
天魔神教本部の建物。その敷地にあり、敷地への出入りの際に必ず目に入る広場。そこに巨大な銅像がある。
その銅像はまさに神也であり、銅像は十メートル程はあるだろうか、その足元では幾多の信者が拝礼を行っている。
時は少し遡り、神也がまだ教主として居た頃の番外席次や長老たちはどうなったかを宝生に尋ねた。
宝生の表情は晴れやかにも見え、同時に哀愁も感じ取れる。
「ほとんどの長老方は既に亡くなられております。一部ご存命の方も居られますが、床に伏せており、長老職は家内の別の者が担っております。そして番外席次は先も申し上げた通り、天魔王様がいらっしゃった頃の席次は誰もおりません。番外席次六名のうち五名が蛮族との戦争により殉教され、一名は反逆及び背教、そして――冒涜の咎により、武功を封印された状態で投獄されております」
殉教というのは教徒にとっては栄誉ある事であり、それを報告する宝生も仲間が教の為にそして民の為に散ったという事は一人の天魔神教信者として誇らしいのだろう。
しかし、一人の番外席次の反逆や冒涜を報告した際には哀愁すら消え、怒りが表情に滲み出ている。
「何があった」
神也は信者一人一人を大事に考えている。
かつての天魔神教は教主が絶対的な存在であり、現在もそれは変わっていないが、神也が教主になるまでは信者とはただの教主にとっての駒であった。
それを神也が変えた。
だからこそ神也にとって反逆、背教、冒涜を侵した者が居るというのは聞き捨てならなかった。
しかもそれが教主の次に教にとっての重要人物たちである番外席次なのだから、放っておけるはずがない。
しかし、宝生は話を逸らした。
「し、主君、あちらをご覧ください!」
そして宝生が指し示す方向に銅像が立っていたのだ。
「何があったんだ……」
銅像の足元で拝礼をする数々の信者たち。
そして巨大な自分の銅像に先ほどまでの話が完全に頭から抜けてしまっていた神也。
「こちらの主君の銅像は信者や民からの寄付により作成されました。皇城と中央広場にもございます」
宝生は笑顔で言うが、神也は顔が引き攣っていた。
それからも宝生は銅像が設立された経緯や現在の教などを嬉々として話す。
どうやら神也が心配するような国の役人や教の重鎮による汚職や民への侵害などは発生していないようだった。
しかし、現在の皇帝は独りよがりで自分さえよければ他はどうでも良く、自分のプライド、利権を守る為なら何でもするらしい。
幸いというべきかは微妙だが、天魔神教と皇城の信者がブレーキ役となっている。
だが、それも限界に近いようだ。
それはともかく、銅像に関しては神也にとっては民からの信望、信者からの信望に嬉しく思いつつも、やはり赤面物で、すぐにでも広場を離れたく、宝生に言う。
「中に入っても良いか?」
神也のその言葉に宝生は酷く狼狽する。
「何を仰っているのですか! ここは天魔神教です! 主君の所有物であり、天魔王様が許可を求める事などありません!」
宝生の狼狽ぶりは神也に容易く伝わってくる。
神也の弟子である宝生は普段二人きりであったり他の弟子以外の者がいないときは神也を『師匠』と呼び、一般人の信者がいる前では『天魔王様』や『教主様』。そして信者ではあるものの、天魔神教で務める教徒の前では『主君』と呼ぶ。
つまり、神也の許可を求めるような物言いに信者として、弟子として、教徒として慌て、混乱してしまったのだ。
「悪いな」
神也は苦笑しつつ宝生の方を軽く叩く。
しかし、神也は思っていた。
今更羽化登仙し、教を去った自分が教主面をして戻る訳にはいかない。
更に教主というのは時代ごとに変わる。つまりは今の教主が居るという事。
宝生はまだ神也に忠誠を誓っているようではあるが、他の信者や教徒、そして現在の教主は良い顔をしないはず。
と思っていたが、銅像の前で拝礼している信者を見るとそれは考え過ぎなのかなとも思う神也はとりあえず信者たちの邪魔をしないよう、静かに建物に入るのだった。
フードを目深に被り、宝生に『友人』と口裏を合わせ、騒がれないようにしながら宝生と共に教主執務室に向かう。
現在の教主の事を聞いても宝生はにっこりと嬉しそうな笑みを浮かべるだけで何も答えない。
意図が不明な神也は促されるまま最上階にある【教主執務室】に入る。
しかし、祭事や特別な事がない限り通常は執務室に誰かはいる。
教主は忙しい為、執務室に居ないことも多いが、それでも誰かはいる。
しかし執務室はガランとしていて、誰もいない。
それでも清掃はされているようで、埃ひとつない。
観葉植物などもしっかり管理されている。
だが、誰も執務室に居ないのはおかしい。
その疑問を口にする神也だったが、即座に宝生が答える。
「教主様はただおひとりだけです。そしてそのお方はたった今教主執務室に戻られました」
宝生は堂々と清々しい表情の後に稽首する。
「何を言っている? 俺は既に……」
『既に羽化登仙し、教を離れた身』そう言おうとしたのだが、神也は言葉を出すことが出来なかった。
神也がこの武林世界に起こしてきた様々な出来事は神也自身がそうしたいと思い、実行したことで、誰かに認められたいなどと思って行動したことは一度もない。
しかし、そうした神也の様々な行動が天魔神教を、国を、民を変えた。
そして羽化登仙し、武林世界を離れた神也は『俺はもう関係ない』と言ってしまったら今まで信者が、信徒が、民が、国が信じていたものすべてが崩れ去る。
神也の羽化登仙は決して身勝手ではない。
武人ならば誰しもが憧れる物であり、神也にとっての羽化登仙は地球への帰還だったが、武林世界の者達はそれを知らない。
羽化登仙をしてまでも戻ってきてくれた。
信者たちはそう思っている。
ここでようやく神也が軽々しく姿を現してしまったことを後悔するのであった。
あまりにも軽く考えていた。
神也はこの世界にとって【神】そのものであり、同時に【英雄】である。
例え神也が姿を現さず居たとしても、この世界の者達はいつまでも神也を崇める。
それに気づいた神也は言葉を失ったのだ。
しかし、それでも神也には地球での生活があり、愛娘もいる。
どうあってもこの武林世界で生活する訳にはいかないのだ。
「宝生、本当に俺に仕えたままで良いのか?」
神也は宝生に覚悟を問う。
しかし、神也の問いは愚問だった。
「当然でございます。我らの主君、教主様はただおひとりであり、我らがお仕えするのはあなた様だけです」
あまりにも清々しい表情で言う。
「分かった。だが、俺には羽化登仙後の世界での生活もある。頻繁にはここに来れんぞ?」
神也の言葉に宝生はにっこりと笑う。
「たまにでもいらっしゃっていただけるのであればそれは我ら神教にとってこの上ない幸せでございます」
番外席次第一席である宝生は教主不在時の教内最高指揮権を持つ。
そんな宝生の言葉に――
「鼻たれ小僧が言うようになったな」
神也は満面の笑みで宝生に言う。
そんな神也の言葉に宝生も笑みを浮かべて「我が師匠の教えの賜物です」と返す。
「取り敢えず俺の帰還は俺とお前、そして先の審査官たちだけの間に留めておけ。例の皇帝の件も気になるし、教内も騒ぎになるだろう。だから今は内密にしておくんだ。時が来れば自ら出る」
真顔に戻った神也が告げると、宝生は「忠!」と一言示した。
そして神也は執務室内でゲートを開く。
「ではまた来る」
ゲートに消えた神也を見送る宝生はゲートが消えるまで稽首の姿勢を続ける。
そしてゲートが消えたことを確認し、立ち上がった宝生の顔は涙で溢れていた。
「本当に帰ってきてくださった……」
その一言には言葉に言い表せない重い感情も籠っていた。




