アポリアの彼方外伝【ザラム神学序論】――MPの起源と言語の神学的考察
第一節:MPとは何か? ― 神の力か、それとも毒か
魔力(MP)──それはこの世界で最も流動的かつ万能な通貨にして、呪われた力である。
神聖ザラム教国では、MPをこう定義する。
「MPとは、神のロゴス(言葉)の断片が、世界に落ちて変質したもの」
「本来、神の意志を映すために存在した“言葉”が、人間に触れ、毒となった」
これは、火を盗んだプロメテウスにも似た構造である。
神の持つロゴス=秩序ある言葉を、人間が「魔術」という形式で模倣し始めたとき、MPは単なる力ではなく、「神に対する冒涜」となった。
第二節:ロゴスとシニフィアン ― 増殖の罪とは
神の言葉は、ひとつでなければならない。
なぜなら**神とは“分割不可能なるもの”**であり、ひとつのロゴスが全体を示すからだ。
しかし、人間はその言葉を切り取り、名付け、分類し、そして流通させてしまった。
この流通とは、つまりMPによる取引、契約、経済のことである。
ここに神学上の大きな問題がある。
ザラム教国ではこう教える。
「MPが増殖するとき、神の言葉は浮遊する。」
「浮遊した言葉は、もはや神のもとに還らず、世界に偽の意味をばらまく。」
これが「浮遊シニフィアン現象」であり、アポリア2における共感都市エンパシアの崩壊は、その典型例である。
第三節:MPと魔術の罪 ― 魔法はなぜ禁忌か
魔法とは、神のロゴスを模倣し、言葉に力を宿す術である。
しかし、それは同時に「人間が神の座に近づこうとする」背徳でもある。
ザラムの教義では、魔法とはこう位置付けられる。
「魔法とは、神のロゴスに毒を盛る技法である。」
「MPを使う者は、無自覚に神の言葉を腐食させている。」
そのため、ザラム教国では**魔術師は“神殺しの苗床”**として、厳重に監視されている。
アポリア3では、MPが暴走し、都市ごと崩壊する“ミネラリウムの悲劇”が描かれているが、それは神の言葉から逸脱したMPの象徴である。
第四節:ロゴスとしての通貨 ― 赦されたMPとは
ザラム教義はすべてのMPを否定するわけではない。
神の名において「正しく名付けられ、秩序のもとで用いられるMP」──これだけは、**“神のロゴスとしての通貨”**として認められている。
この通貨は、
流動性を持たず(利子が付かない)
増殖せず(投機を許さず)
神の祝詞(律法)に基づく交換のみで使用可能
という厳格な制限を持つ。
つまり、MPそのものではなく、「神の名のもとでのみ許可された契約の形」がザラムにおける通貨である。
第五節:ユウトという異端 ― “毒を喰らう者”
アポリアの書を持つ少年、秋月ユウト。
彼はMPを操り、なおかつザラムの祝詞を無視する“異端の存在”である。
しかし、彼の魔法は普通の魔術と異なり、「詠唱なし」で神の言葉を発動させる。
これはザラムの律法術士たちにも理解できない。
「彼は毒を喰らってなお、神の言葉を話す。」
この構造がアポリア3の最大の神学的パラドックスを生む。
第六節:まとめと読者への問い
MPとは何か?
それは世界の力であると同時に、神を蝕む毒である。
魔術は人を豊かにするが、同時に神のロゴスを崩壊させる危険を孕む。
あなたがもし、アポリアの世界に生まれたならば、
この問いにどう答えるだろうか。
「あなたはMPを使いますか?」
「それは神を愛することになりますか?」
それとも──
※本作およびその世界観、登場用語(例:メモリウム™、魂経済、共感通貨など)は、シニフィアンアポリア委員会により創出・管理されたオリジナル作品です。無断転用や類似作品の公開はご遠慮ください。