アポリアの彼方外伝【祈り通貨戦争II】――名もなき願いの値段
ep.1 祈りの果てに落ちる場所
「クロウ、まだ祈り石は光らないの……」
薄暗い礼拝堂の片隅で、少女リナは胸元の小さな石を握りしめていた。
淡く光を帯びていたはずのその祈り石は、今や完全に沈黙し、まるで彼女の祈りなど存在しないかのように冷たかった。
クロウは静かに横たわる大聖堂の崩れた柱に腰を掛けた。
彼の目は老賢者のように優しく、けれど深く世界の仕組みに絶望していた。
「……祈りとは、評価されるためのものではなかったはずだ。だがこの世界では、祈りもまた市場で取引される」
MPステーブルコイン『GPC』――Global Prayer Credit。
それは信仰と祈りを通貨に変換する革命的技術だった。
だが今やそれは、魂を数値に変換し、AIによって格付けされる信仰監視装置となっていた。
「リナ。君の祈りは、決して“価値がない”わけじゃない。ただ……この世界が、それを受け取る用意をしていないだけだ」
リナは答えなかった。
石を見つめながら、そっと目を閉じた。
彼女がその祈りを始めたのは、母が倒れた夜だった。
記憶を引き換えに捧げた祈りは、何ももたらさなかった。
ただひとつ――“光らぬ石”だけが、手元に残った。
ep.2 審問と格付け
翌朝、〈黒鎧部隊〉――祈り通貨庁公安が、礼拝堂へ突入した。
「クロウ=アルヴァ、祈り通貨制度に対する反逆、および少女リナを煽動し、祈り詐欺を扇動した容疑で拘束する」
かつて祈りを統べていた審問官たちは、いまやAIと接続された聖式判定機構をもって、祈りの真贋を“自動認定”していた。
「祈りには数値化された真実しか存在しない。無価値な祈りを広めることは、経済の根幹を揺るがす」
リナの目の前で、クロウは拘束され、連れ去られた。
「あなたの祈り石、記録と一致しません」
冷たい女性型AIが、そう言った。
「祈ったはずです。お母さんを……助けたくて」
「祈りログは検出されました。しかし、信仰スコアは閾値以下。無効です」
リナの世界は、再び沈黙に閉ざされた。
ep.3 名もなき祈りに価値はあるか
審問の場。
クロウはボロボロの姿でリナの前に立っていた。
「彼女は祈った。それだけで充分ではないか?」
AI審問官は応えた。
「この世界は、価値ある祈りだけを通貨に変換します。評価されない祈りは“存在しない”のです」
その言葉に、リナの祈り石がふるりと震えた。
微かに、ほんの微かに、灯った光――
「お願い、光って……」
誰に届くでもないその声が、封印されていた何かを解いた。
「やめろ! 死ぬなリナ!!」
クロウは叫んだ。
その声には、誰にも届かない祈りと、どうしようもない怒りと、そして…静かな絶望が滲んでいた。
彼は知っていた。リナが今まさに、自分の命そのものを祈りとして捧げようとしていることを。
「行くなっ!!帰ってきてくれ……頼む……お願いだから……っ!!」
その瞬間、祈り石が砕け、無数の光の粒子があふれ出した。
微かな光の糸が、どこか遠くへ届く。
――母の元へ。
そして、リナの魂は、還ってきた。
審問機構が、一瞬にして機能を停止した。
「祈りは、誰かに見られるためにあるんじゃない……ただ、誰かを想って、名もなく、祈るだけで……いい」
この瞬間、祈り通貨制度は終焉を迎えた。
祈りとは、価値ではなく――願い。
そしてその日、リナとクロウは、静かに“次の祈り”を探す旅に出た。
この物語は、経済の名を借りて信仰を管理しようとする世界に、一人の少女と一人の男が投じた祈りの物語です。
祈りに「スコア」がつき、通貨が発行される時代。
信仰すら“評価”に回収される世界で、あなたは何を信じられるのか?
――それがこの短編の出発点でした。
クロウの叫びも、リナの祈りも、誰かに見せるためではなく、誰かを本気で想ったときに生まれるものです。
その“名もなき祈り”が、誰にも評価されなくても、世界を変える力を持っているとしたら。
私たちの心の片隅にある、誰にも気づかれない願いが、静かに世界を照らすのだとしたら。
それはきっと、数字よりも確かな「価値」なのかもしれません。
読んでくださって、本当にありがとうございました。
※本作およびその世界観、登場用語(例:メモリウム™、魂経済、共感通貨など)は、シニフィアンアポリア委員会により創出・管理されたオリジナル作品です。無断転用や類似作品の公開はご遠慮ください。




