表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/37

アポリアの彼方外伝【祈り通貨戦争】 ― 見えない目と、見えざる声の価値 ―

草原に吹く風が、遠い祈りを揺らしていた。少女リナは掌に握りしめた小さな石を見つめ、そっと囁いた。


「このコイン、昨日までは祈るだけで光ってたのに……今日は、なにも起きないの」


それは“祈り石”と呼ばれるもので、かつて祈ればMPが発行される、信仰の貨幣の原点だった。

しかし今、それは何の反応も示さない。


リナは戸惑いながら、村の片隅にひっそりと佇む石屋の店主ミリエルの元を訪ねた。


ミリエルは淡く金色の髪を風に遊ばせ、静かに微笑んだ。


「この国の祈りの価値は、もう人ではなく、“見えない目”が決めるの。あなたの祈りは、きっと誰かに“見えなかった”のね」


リナの瞳が揺れた。


「でも、私はちゃんと祈ったよ……。誰かの幸せを、願ったのに……」


ミリエルは、空を見上げる。


「本当の祈りは、数にならないからよ。見えない誰かの心にだけ、届いてるの」


――この国の祈りと貨幣の関係は、遥か以前に再構築された哲学から始まる。


かつて、哲学者ジェレミ・ベンサムはこう記した。

「快楽と苦痛は計測可能であり、正義とは最大多数の最大幸福に他ならない」と。


ザラム教国の経済神学者たちは、この思想を拡張し、こう唱えた。

「祈りもまた、快楽の一形態であり、神に届く“量”として測定可能ではないか?」と。


彼らは祈りの頻度・強度・共鳴度をスコア化し、**Prayer Index(祈りスコア)**と定義。これに基づいて、**GPC(祈り通貨)**が自動発行されるアルゴリズムを生んだ。


祈れば祈るほど貨幣が手に入るという、「信仰と通貨の融合社会」の幕開けだった。


祈りは市場に並べられ、最適化され、そして商品になった。


祈祷ループマシン、祈り工場、最適化された信仰テンプレート。


やがて人々は言った。「祈っても、もう価値がない」と。


パノプティコン型監視塔が祈りの純度を判別し、AIが瞳の揺れを解析し、アルゴリズムが信仰の本気度を数値化した。


そのとき、信仰は信仰でなくなった。パフォーマンスになった。


そして、ある種の人々――経済魔術士と呼ばれる者たちが現れた。


彼らは「偶然を支配できる」と信じていた。

数に魔法的秩序を見出し、神託のように市場を読み、AI祈祷モデルの癖を“攻略”しようとした。


ある男は、信仰のスコアを上げる数式を唱え、こう嘯いた。


「世界は運命ではない。数式だ。幸運さえ、コントロールできる」


しかしそれは、まさに魔術的思考であった。

偶然を自分の手元に置いておけるという妄信。

それはかつての賭博者たちが抱いた幻想と、まったく同じだった。


自分だけが「選ばれた賭け」をできると信じたギャンブラーと、

自分だけが「祈りの数理」を解いたと信じた経済魔術士。


彼らの終末は、共通していた。


信仰通貨《GPC》は、指数関数的に膨張し、崩壊した。

1GPCは、1食糧から0.00001紙片へと変わった。


市場に任せた信仰は、信仰を信じる力すら奪い取った。


その後、何が残ったのか?


答えはひとつ、祈っても光らない石を握る少女だけだった。


その手をとったのは、ミリエル。

数式を知らず、祈りの価値を証明できない者。

でも、祈ることをやめなかった者。


ミリエルは言う。


「信仰は、支配ではなく、奉仕の中に宿るの」


そして少女に、ただ一つの祈りを伝えた。

それは誰にも見られない、誰にも測れない、沈黙の祈りだった。


老賢者ガルフは、後にこう記した。


「我々は祈りを数えようとした。だが祈りとは数ではない。祈りとは沈黙と涙と、誰にも知られぬ魂の震えである」


ベンサムよ。快楽は測れても、痛みの深さは誰にも測れぬのだ。

それを知らぬまま、この通貨は“無限の価値”を背に、自らの価値をゼロに還した。


少女と石屋の物語は、草原の風と共に消えたが、

その“見えざる祈り”だけが、確かにこの世界の片隅で光り続けていた。


挿絵(By みてみん)





『祈り通貨戦争 ― 見えない目と、見えざる声の価値 ―』を最後まで読んでくださり、心より感謝いたします。


この物語は、現実にも似た“数で信仰を測ろうとする世界”への、小さな問いかけです。


現代の祈りは、「神」ではなく「市場」に捧げられているのかもしれません。


本作では、AIが信仰を査定し、貨幣が祈りの重さを決める世界において、

それでも“光らない石”を信じ続けた少女と石屋の物語を描きました。


祈りとは、ほんとうに数えられるものなのか?

魂とは、貨幣化できるものなのか?


その答えは、この物語の中にはありません。

あるのはただ一つ、「問い続けること」の美しさです。


どうか、また風の届く場所でお会いできますように。



※本作およびその世界観、登場用語(例:メモリウム™、魂経済、共感通貨など)は、シニフィアンアポリア委員会により創出・管理されたオリジナル作品です。無断転用や類似作品の公開はご遠慮ください。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ