後編
『…………………………?』
魔王の腕が振り下ろされ、来たる衝撃に備えるも、それが来ないことを不思議に思う。
思わず目を開ければ、飛び込んで来た光景に驚愕して目を見開いた。
瞳に映ったのは両手を広げて魔王に立ち塞がる、黒髪の少女の姿。
フォルティナがヴァレリアを庇うように魔王に立ち向っていた。
そして
何故か魔王の手はフォルティナを前にして、ピタリと止まっている。
フォルティナが誰かの為に強くなれる子なのは知っている。
たが、ヴァレリアでさえ恐怖し、畏怖するほど強大で恐ろしい相手だ。
そんな脅威に対してでさえも、どうして守るために腕を広げられるのか、
魔力もほとんどないフォルティナが何故こんなにも心を強く持てるのか、
分からず信じられなくて呆然とする。
そして、魔王が動きを止めている理由も理解出来ない。
魔王ならば、フォルティナ共々ヴァレリアを容易く葬れるはずだ。それなのに魔王の手はフォルティナの前でピタリと動きを止めたまま動こうとしない。
『……………なぜ?』
(どうしてフォルティナ様を殺さないでいるの?)
魔王が苛立ち気にフォルティナを見つめているのを見て逡巡した。
殺さない、または殺したくない何かがある?
フォルティナを殺さないんじゃなく、殺せない?
…………もしや
思考を巡らし、フォルティナを殺した場合の一つのリスクに思い当たった。
「………………神の怒りに触れる事?」
魔王の手がピクリと動いた。
ヴァレリアの予想は当たっていたようだ。
魔王が5日も何もせずに後をつけていた本当の理由、それはヴァレリアが "守護者" であるか確認する意味もあったのだろうが、一番の理由はフォルティナに手出しするのを躊躇っていたからなのだ。
たとえ守護者がいなく容易く殺せるのだとしても、神の愛する"神の愛し子"を殺したらどうなるのか誰にも分からない。
魔王は"神の愛し子"を殺すことで、神の逆鱗に触れる事を恐れていた。
「そう……お前は……神から天罰が下るのが怖いのね。」
「…………………小賢しい人間よ。」
魔王が忌々しげに顔を歪めたのを見て確信した。
それならば少なくとも、フォルティナが殺される事はないのか……。
ヴァレリアがほんの少し安堵しかけた時だった。
ずっと黙って魔王に立ち塞がっていたフォルティナが、魔王に向かい口を開いた。
「………私を手にかけて、殺すのが怖いのなら……私が…自ら命を絶ったら………どうなるのでしょうか……?」
「はっ?」
何を突然何を言い出したのか意味が分からず、驚きの声を上げ、弾けるようにフォルティナを見つめる。
フォルティナは、魔王を真っ直ぐに見つめたまま魔王に問いかけた。
考えるように、探るように、確かめるように、一言一言を絞り出す。
「あなたは………私を殺したいけど………天罰が怖くて……殺せない………ということ……なんですね?
だったら、もし……私が自ら命を断ったら、あなたは天罰を受けることなく………目的を達成出来るんじゃ……ないでしょうか?」
フォルティナがゴクリと緊張で喉を鳴らし、震える声で魔王に提案する。
「あなたの目的は………最終的には…私の命………なんですよね?でも……天罰があるから…殺せない……。
なら…………もし………もし私が自ら命を断つと約束したら………皆を見逃してもらえる…でしょうか?」
「フォルティナ様!!!???」
「…………………ほぅ。」
興味を得たように魔王の目が細められ、顔に愉悦の色が広がった。
「何を言っているのですか!!ご自分が何を言っているのか分かっているのですか!?何故そんな事を言うのです!!皆の事よりもご自分の事を考えて下さい!魔王は貴女を殺せないのです!!このままいけば貴女は助かります、!どうかご自分の命を大切にして下さい!!!」
「ごめんなさいヴァレリア。………だけど…私の命で皆を助けられるのなら……私は…助けたいの。」
「なっ……………!!!」
「クッ、グハハハハハハ!!!!!!!」
魔王の咆哮にも似た笑い声が響き、空気がビリビリと震えた。
「クククッ!誠そなたは "神の愛し子" よの!!!己の命よりも他人の命が大事だと申すか!!!良かろう!!お前らを皆殺しにしてから "神の愛し子" を連れ去り死ぬまでどこぞにでも閉じ込めておこうかとも思っておったが、それならば手間も省けるといもの!こちらとしては願ったり叶ったりよ!"神の愛し子" の自死を見るなど、これまた二度と見れない余興よのお!!面白い!
そなたの望み、聞き届けてやろうではないか!!!」
「バカな事をおっしゃらないで下さい!ご自身を犠牲にするような事をおっしゃってはいけません!!絶対にやめて下さい!!!!」
フォルティナを止めようとヴァレリアはフォルティナの前に回り込み肩に手をかけ説得しようとした。
しかしフォルティナは緩く首を振り、魔王に確認の言葉をかける。
「………絶対に、皆に手を出さないと……約束してくれますか?」
魔王が顎を撫でさすりながら、ニヤニヤと禍々しい邪悪な笑みを浮かべながら鷹揚に頷く。
「無論よ。そなたが守ろうとしておる人間など、我にとっては生きようが死のうがどうでも良い存在、そなたが自ら己の命を差し出すと言うのならば、他の者に興味などない。」
魔王のその言葉を聞いた瞬間、
フォルティナは晴れやかに笑った。
恐怖など何処かに飛び去ってしまったかのように。
皆を助けることが出来ると知って、心底安心したほっとした笑顔。
ヴァレリアの目が再び驚愕で見開かれる。
美しい穏やかな微笑みが、ヴァレリアに向けられる。
「良かった………。ヴァレリアお願い。子供達を連れて一緒に逃げて。」
魔王が配下達魔族達に話しかける。
「守護者"を持たぬ 神の愛し子 とは憐れなものよのう?皆もそう思わぬか?
本来であれば、神の加護に護られて絶対的な安全を保証されている身であるというのに、己が命で他人を守ると申す。ククッ何と滑稽な事であろうか!」
居並ぶ魔族達も魔王の言葉を受け嘲笑をもらし始める。
「誠にこれは傑作ですな。守るべきはずの神の愛し子の命で生きながらえるとは。よかったな人間ども。」
「ほれ、早く逃げぬと魔王様の気が変わられるかも知れぬぞ!」
「自死の方法は如何なるものが宜しいでしょうかな。剣で己を突き刺させますか?それとも炎の中にでも飛び込ませますか?どちらにしても愉快な見世物と成りましょうな。」
邪悪な嗤いが場を満たす。
たがヴァレリアには、魔王や魔族達の侮蔑を含んだ視線も、嘲り囃し立てる声も一切届いてはいなかった。
出す言葉を失くし、ただ真っ直ぐにフォルティナの笑顔を見つめていた。
フォルティナの笑顔に魅了されていたからだ。
『なんて………美しい笑顔だろうか………。』
笑顔に映し出された、美しい魂に心を奪われていた。
『……こんなにも……この方の魂は美しいのか…。』
他人を助ける為に、一片の迷いもなく、躊躇もなく、自身の命をかけられる。
その笑顔にあるのは、純粋に助けられる事への安堵と喜びだけだった。
"神の愛し子" その言葉がストンと心の中に落ちてきた気がした。
我が姫こそ、正に神に愛された人間。
ある種の感動と共に湧き上がって来る熱い想い、
『フォルティナ様の魂と最後まで共にありたい。』
「さて、勇者になり損ねた人間よ、せっくの愛し子の情だ。我の気が変わらぬうちに、早くここから立ち去るが良い。
我等はこれから "神の愛し子" の死に様を、とくと見届けねばならぬ故な。」
早く余興を楽しみたいと、魔王が残忍さに満ちた嗤い声を上げるのが聞こえた。
「ヴァレリアお願い………。」
ずっと押し黙っているヴァレリアに、再度逃げるように懇願するフォルティナ。
ヴァレリアは一度目を閉じ、ゆっくりと瞼を開いた。
「フォルティナ様……。」
ヴァレリアの心は決まった。
もうその瞳には、一欠片の恐怖も迷いもなかった。
そこにあったのは最後の一瞬までフォルティナの側にいると決めた覚悟だけ。
「………申し訳ありませんが、
…………そのお願いを聞く事は出来ませんわ。」
「ヴァレリア!!……どうかお願い………あなたに死んで欲しくないの……。
あなたにこそ一番生きていてほしいの!!お願いだから子供達と一緒に逃げて!!!」
フォルティナの瞳に薄い涙の膜がはり、涙ながらに切実な声で懇願された。
それでも頷く事は出来ない。
フォルティナの死んだ世界で、自分はもう生きられない。
そう決めてしまったから。
もう一度剣の柄に手をかける。
「……3年前、お守りすると誓いましたのに……今のいままで中途半端な覚悟でしたことお詫びいたしますわ。」
そして、大輪の薔薇が咲き誇るかのような美しい笑顔を向ける。
「遅くなりましたが…………。やっと……………。
" 貴女の為の一振りの剣 " となる覚悟が出来ました。」
ヴァレリアはくるりとフォルティナに背を向けると、スラリと剣を抜き魔王に切っ先を向けた。
「さあ魔王!!かかってきなさい!!お前のような醜悪な魔族にフォルティナ様は渡さない!!決してお前の好きな様にはさせないわ!!!!」
「待って!ヴァレリア!止めて!」
フォルティナが悲鳴のような声で叫ぶ。
「グハハハハハハ!何という愚か者か!!己が命を自ら捨てに来るか!!!」
魔王の魔力が禍々しい瘴気のように広がり、暗く重くのしかかる。
発せられる魔力で足元の大地がビキビキとひび割れる。
魔王がヴァレリアに向かい、再びその強大な腕をのばした。
もう一切ヴァレリアが怯むことはなかった。
真っ直ぐに魔王に向かい合い、剣にありったけの魔力を込めた。
敵わないのは分かっている!
これが自殺行為だという事も!
今がどれほど絶望的な状況だと言う事も!
自分が神に" 守護者" として選ばれなかったという事も!
全て何もかも痛いほど理解している!
たけど
フォルティナの犠牲の上に生きて行くなんて、例え死んだとしても、それだけはあり得ない!!
何よりも!!!
「私は死の瞬間まで、フォルティナ様を守る剣でありたいのよ!!!!」
ヴァレリアが叫び、迫りくる魔王に向かい剣を振るった瞬間だった。
ヴァレリアの魔力が爆発的に跳ね上がり、剣に纏わせた魔力の炎が灼熱の業炎へと姿を変え、眼前に見渡す限りの轟轟と燃え盛る紅蓮の炎が産声をあげた。
驚愕に呑まれた魔王や魔族達の姿が見えたのは一瞬だった。
視界一面が紅蓮の業火により真っ赤に染まり、辺り一帯に凄まじい熱が立ち込め、次の瞬間には爆炎によってもたらされた爆風と粉塵が吹き荒れた。
ほんの数十秒の出来事。
紅蓮の炎が消え去れば、
フワッと風が舞った。
目を開けていられずに瞑っていた目を再び開けば、眼前にいた筈の魔王達は跡形もなく消え去り、どこまでも続く焦土と化した広大な荒野が広がっていた。
そして、気づく己の身の内に宿る、恐怖さえ感じる程の絶大な魔力の海。
「………………………………。」
目の前の光景を茫然自失で見つめ、驚きに声も出ず、心臓が痛いほどに早鐘を打ちつける中、理解した。
たった今、自分が "神の愛し子" の為の "守護者" に選ばれた事を。
その少し前
アテルはエイナー領へと続く道を急いでいた。
幾度か馬を乗り換えながら、寝ずに2日馬を飛ばし続ける。
来る途中、普段なら遭遇する筈の魔物や魔獣が一匹も出没しない事が、アテルの心を一層焦らせていた。
『幼い子供連れの旅だ。そう遠くまでは行っていないはずだ………。』
道には、まだついてそれ程経っていないと思われる荷馬車の轍の跡が幾筋も残っている。
『このまま行けば追いつける…。』
辺境伯領の領境に差し掛かる頃だった。
まだ見えぬ前方から途方もなく暗く淀んだ魔力が、ブワリと急速に立ち上がるのをアテルは感じ取った。
全身の毛穴がゾワリと総毛立つ。
少なくとも数体の魔族の気配。
それも有象無象のただの魔族ではない。
10年前に直で感じた禍々しい魔王の魔力だ。
最悪の予想が当たったことに、血の気が引いていく。
更に馬の速度をあげれば、疎開の列の後方につける子供達が乗った荷馬車が見えてきて、その横を先頭へと駆け抜けた。
荷馬車の列の先頭が目視出来る距離に近づけば、魔王の巨大な姿とその背後に魔王配下の魔族達が居並ぶ姿が見えて、冷や汗が吹き出た。
『頼む……生きていてくれ……。』
逸る気持ちでようやく先方に立つヴァレリアを視界に収めれば、
今まさに、ヴァレリアが剣を抜き、魔王が強大な腕を彼女に伸ばしているところだった。
「ヴァレリアーーーーーー!!!」
それは、アテルが叫び声をあげるのとほぼ同時だった。
突然、轟々と爆炎を上げる紅蓮の炎が燃え上がった。
ヴァレリアの眼前の魔王と魔族達が、一瞬のうちに地獄の業火に呑まれる。
「!!!!!!!」
驚愕で固まるアテルの前で、
まるで世界が燃え爆ぜたかのように、赤く染まる空が遥か彼方まで瞬時に広がっていく。
灼熱の熱さが肌を刺した。
恐ろしいほどの轟音が唸り、炎を纏う吹き荒ぶ風が邪悪な物を全て無に帰すかのように目の前を席巻していく。
赤く染まる視界に魔王と配下達の姿がまるで残像のように揺らめき消えて行くのが見えた。
暴風と粉塵で目を開けて居られなくなり、腕で目元を覆い、かすめ見るように再び目を開けば、
ヴァレリアの眼前にいた筈の魔王達は跡形もなく消え、どこまでも広がる黒い荒野と一陣の風だけが残されていた。
「一体…………何が……………。」
何が起こったのかまったく理解が出来ず、放心状態で立ち尽くす。
静寂にアテルの呟く声が響いた。
アテルの声に気づいたヴァレリアが、ゆっくりと振り返った。
ここにいる筈のないアテルの姿を認識して、呆然としていた顔を驚きに変えた。
ほんの数秒、二人の視線が絡みあった。
ヴァレリアは戸惑ったような、そしてほんの少し困ったような顔になった。
それから
どこか吹っ切れたような表情になった後、
アテルに勝ち誇ったように笑いかけた。
「どうやら"次に会った時" に魔王を倒しているのは、お前じゃなくて私だったようよ。」
ちょっとからかうような、面白がるような声でそう告げられ、
アテルは状況を飲み込むことが出来ず、だた言葉もなくヴァレリアを見つめることしか出来なかった。
ヴァレリアが "勇者" となり魔王を打ち倒したという報は、直ちに辺境伯へ知らされた。
知らせを聞いた辺境伯は、長い魔王との戦いが終焉を迎えたことに、目頭を押さえ、涙を堪えた。
辺境の騎士達も、みな言葉にならない歓びに肩を打ち震えさせた。
辺境に住まう者達は、歓喜の涙を流し、その喜びを噛み締め分かち合った。
"勇者による魔王討伐" の 知らせは、直ちに王家にももたらされ、
王家から世界中へと広がった。
そして世界中が魔王を打ち倒した'"勇者" の出現に沸いたのだった。
アテルが先駆けで戻り、魔王討伐の報を知らせた為、
街に戻って来たヴァレリア達は熱狂的な歓迎で迎えられた。
その後"勇者" となったヴァレリアはあちらこちらと辺境中を引っ張りだことなり、落ち着くまで一ヶ月もかかった。
その間、王家から式典と褒章の授与式が決定した事が伝えられ、王都に赴くよう命令が下った。
それに伴いフォルティナも王家に帰る事となり、二人は3年住んだ辺境伯の館を出るための準備に追われた。
そして気がづけば、あっという間に、王都へ向かう日となっていた。
アテルとは、魔王を打ち倒した日以来、ほとんど顔を合わせずにいた。
ヴァレリアは騎士の訓練場へと足を向けていた。
アテルを探し、辿り着いたのが訓練場だったからだ。
訓練場ではアテルが剣を振るっていた。
まるで舞い踊るかの様な美しい演武。
揺るぎのない研ぎ澄まされた動きは、見惚れるほどに美しい。
ぶれることの無い太刀筋が、アテルがどれほどの時間と鍛錬を、剣にかけて来たのかを物語っていた。
辺境を守る騎士として全てをかけてきた事が伝わってくる。
騎士として尊敬するアテルの姿がそこにあった。
しばし声をかけることを忘れ、見入ってしまう。
アテルがヴァレリアに気づいて剣を振る動きを止めた。
ほんの少しだけ剣先が震えたが、すぐに剣を鞘に収めると、にこやかに片手を上げた。
「やあ、ヴァレリアちゃん、何だか久しぶりだね。何か僕に用事?
あっ、それとも、僕に会いたくて堪らなくなって来ちゃったのかなぁ♡」
先ほど真剣な眼差しで剣を振るっていた同一人物とは思えないほど、雰囲気をふわりと軽薄なものに変えて、へらへらと近づいて来た。
「…………お前は本当喋り出すと。
はあ、まあいいわ。……別れの挨拶に来たのよ。」
「ああ…………………聞いたよ。今日、王都に立つんだって?
勇者も楽じゃないねぇ。このひと月、毎日あちこちお呼ばれされて大変だったろう?
王都でもきっと凄いことになるだろうねぇ。」
「仕方ないわ。建国以来の"勇者"の再来ですもの。国としては最大限に利用したいところでしょう?」
「"神の愛し子" や "守護者" の話は、やっぱり隠し通す事にしたの?」
「そうね。フォルティナ様が "神の愛し子" だと知られたら、王家の食い物にされかねないもの。」
フォルティナを辺境へ"スケープゴート(生贄)"として送るような王家だ。
フォルティナが"神の愛し子" だと分かれば、どんな事に利用されるか分かったものじゃない。
特にフォルティナを疎む王妃が何をしてくるか分からない。
それ故、ヴァレリアは"神の愛し子" や "守護者" の話は公にせず、魔王を倒すために神から力を与えられた "勇者" となる事に決めたのだった。
「君は…………それでいいのかい?」
アテルは少し顔を曇らせた。
「そうね、本当なら直ぐに王家の奴等なんて焼き滅ぼしてしまいたい所だけど、フォルティナ様はまだ王家の人間をお見捨てになれないみたいなの。
残念だけど仕方ないわ。フォルティナ様のお気持ちが一番大切だもの。」
「まあ、フォルティナちゃんにしたらアレでも家族だもんねえ。希望を捨てきれない気持ちもわかるよ。」
普段と変わらぬ様子で、困ったように同意するアテルをヴァレリアはじっと見つめた。
いつぞやのアテルの恋人達( フリだった )の言葉がよぎる。
"『アテル様の本当の想い人は、貴女なんじゃないですか?』"
ずっとヴァレリアをモヤモヤとさせたあの言葉、
そして出征前のアテルのあの行動について
(しっかりと決着を付けなければいけない。)
ずっとそう考えていたのに、この一ヶ月というもの、アテルはヴァレリアの顔を見るとそそくさと逃げてしまい会話らしい会話が出来ていなかった。
「………お前、どうしてこの一ヶ月私を避けていたの?」
「う、うんっ?避けてなんかないよ。魔族の残党狩りとかで忙しかっただけでさ。」
「魔王が健在だった時でさえ、10日に1度は顔を見に来ていたくせに?」
「えっ、いや……これでもほらぁ、僕の事を待っていたお嬢様方が沢山いるんでね?デートにひっぱりダコでなかなか時間が取れなかったんだよ。モテる男の辛いところさ。」
紫の瞳に色気をのせて、髪をかきあげながら流し目を寄こすいつものポーズを決めるので、じとりと半眼で睨んだ。
「お前が恋人のフリをしていた事は彼女達から聞いてもう知っているのだけど?」
そう伝えてやれば、ビクリと肩が跳ね、澄ましていた顔が焦り顔に変わりツラツラと汗が浮かぶ。
「えっ!!………いや…知って……参ったな…………。」
" 自他共に認める辺境一のプレイボーイ アテル・クロイ" の名が聞いて呆れる。
コイツがこんな不器用でヘタレだったなんて、いままでヴァレリアもまったく気づかなかった。
いまさら誤魔化そうとしたって仕方ないだろうと溜息が漏れる。
はっきりと気持ちを伝えられた訳ではない。
それでも伝えなければとヴァレリアは思っていた。
「出征前の、お前の狼藉についてだけど…。」
見送りの場で頬にキスをしてきた事を持ち出せば、アテルの顔がますます焦りの色に染まっていく。
「うっ、急にその話!?いや、まって!!ちょっと心の準備が………。」
いつもの軽薄な雰囲気をかなぐり捨てて、
アワアワと慌てるアテルに構わず、ヴァレリアは気持ちを告げた。
「……私達を助ける為に、2日も寝ずに馬で駆けてくれてありがとう。
だからそれに免じて、あの狼藉は……
…………………無かった事にしてあげるわ。」
アテルの動きがピタリと止まった
ヴァレリアはアテルの顔をじっと見つめた。
二人の間にしばし静寂が訪れる。
「……………………そっか………。」
紫の瞳が悲しげに揺れた。
ヴァレリアの心は鈍い痛みに疼いたが、表情には出さなかった。
アテルは感情を抑えるように下を向いたあと、顔を上げて穏やかに微笑んだ。
「うん………………ありがとう。」
「それじゃあ、これでお前ともお別れね。」
「…君がいなくなると寂しくなるよ……。
…………もう辺境へは戻ってこないのかな?」
「そうね。それはフォルティナ様次第かしら……。
フォルティナ様の行かれる道が私の行く道。フォルティナ様がいたい場所が私がいる場所。
フォルティナ様が王都にいたいとおっしゃれば、私も王都で暮らすでしょうし、辺境に戻りたいと言えば戻って来るでしょう。」
「君は、本当にフォルティナちゃんが好きなんだね…………。」
「もちろんよ。フォルティナ様こそ我が女神ですもの!!」
満面の笑顔で答えれば、アテルは肩を竦めた。
「ははっ、フォルティナちゃんラブにますます拍車がかかったね……。」(フォルティナちゃんも大変だ。)
ボソリと呟かれた言葉は聞かなかった事にする。
「……………さて、それではそろそろ本当に行くわね。
フォルティナ様をこれ以上一人にしておくわけにはいかないから。
お前は、………まだここで鍛錬をするつもりなの?」
「…………そうだね。僕はもう少し続けるかな。」
「じゃあ、またね。」
ヴァレリアが軽く手を振り、去る為の歩を踏み出す。
「ああ…。」
アテルは自分の横を通り過ぎるすヴァレリアを目で追った。
ヴァレリアの美しい金色の髪がキラキラと輝き風になびき、
青空を模した様な瞳がアテルから離れた。
「ヴァレリア!!!!」
アテルが去ろうとするヴァレリアの腕を掴んで止めた。
振り返れば、ヴァレリアがこれまで一度も見たことが無いくらい真剣な眼差しのアテルがいた。
「………………………本当に行くのか。」
俺を置いて とアテルの瞳が訴えた。
「……………………じゃあ、お前は?」
だから、ヴァレリアも目で答えた。 ついて来る気はないのでしょう と
二人の視線が交差して、お互いをじっと見つめ合った。
数分
見つめ合った視線を先に外したのはアテルだった。
掴んでいた腕がするりと外された。
「………………お互い、譲り合えないらしい。」
下を向いて、長い長い息を吐き出す。
「すまない。往生際が悪かった。……やはり止められそうにないな。」
「分かっていたことでしょう?」
苦笑したヴァレリアは今度こそアテルの横を通り過ぎた。
「私はいついかなる時もフォルティナ様と共にあるの。」
通り過ぎざまに言葉を残して。
一人残されたアテルは訓練場で静かに佇んでいた。
ヴァレリアが勇者の道を選んだ時点で、こうなる事は分かっていたのだ。
やがてポツリと呟き、天を仰いだ。
「………そして僕は、一生辺境の騎士である事をやめられない。」
二人とも進む道が違うのだ。
共に闘い先に逝った同胞達にこの地をたくされた。
魔王が死んでも魔族共との闘いはこれからも続くのだ。
そして何より、辺境を守るのは誰よりも自分でありたかった。
結局、愛よりも騎士であることを選ぶのが自分だ。
「僕は死ぬまでこの地を去れないだろう。」
苦笑にも似た溜息が、訓練場に落ちた。
ヴァレリアが魔王を打ち倒してから8年後
とある王国の執務室にヴァレリアの姿はあった。
話が長くなってしまう為、詳細は省くが、この国はヴァレリアの弟が国王をしており、そしてフォルティナはその弟と婚姻して王妃となっていた。
フォルティナが王妃となった事に伴い、ヴァレリアは女官長として彼女に仕えていた。
コンコンとノックの音が響き、入室の許可を与えれば、銀の盆に手紙を載せた眼鏡をかけた藍色の髪の執事が静かに入室して来る。全く表情筋を動かす事のない彼は、ヴァレリアの執務室の机に手紙をのせた。
「ヴァレリア様、お手紙が届いております。」
そして執事然とした態度で脇に控えた。そんな執事の姿に苦笑する。
「お前は本当に何時まで執事でいるつもりなのかしらね。もうこの国の宰相という地位にあるのだから、いい加減執事など辞めたらどうなの?」
「お言葉ですが、私は宰相である前にエイナー家の執事でございます。宰相の座など他に優秀な方がいればいつでも譲りますが、執事を辞めることだけは絶対にございません。」
この変わり者の執事の名前はノアール・クロイ。辺境伯の3男で幼い頃ヴァレリアの実家であるエイナー家に預けられ、大人になってからは何故か執事としてずっと仕えていて、頑なに執事を辞めようとはしなかった。その為今も彼は宰相という地位にありながら執事をしている。
顔立ちは紺色の髪に紫の瞳、整った顔立ちで、ピクリとも表情を動かさず無表情でいる事が多いため、アテルと顔の作りは似ているのに、まったく似ているようには見えない。
「普通は執事より宰相の地位を選ぶと思うのだけど……。まあ、それで問題なく業務が回っているのだから別に良いけれども。」
ヴァレリアはノアールが持ってきた手紙に目を通し、青空のような瞳を瞬かせた。
「ちょっとノアール!お前の兄がとうとう年貢の納め時を迎えるそうよ。知っていて?」
ねえねえと手を振るヴァレリアにノアールは顔だけを向け無表情に答える。
「もちろん存じております。私にも同じ手紙が届きましたから。」
「相手は……………へぇ、平民の花屋の娘さんなのね!ふふ、うふふ。やだ!会うのが楽しみだわ!」
ニンマリと楽しい玩具を見つけた猫のように瞳を細め笑うヴァレリアに、ノアールがほんの少し表情をしかめて言う。
「ヴァレリア様。どうか兄で遊ぼうと考えるのはおやめ下さいませ。」
「あら、ふふ、お前随分と兄想いになったじゃないの。遊んだりしないわよ、ちょ〜っとからかうだけよ。これでも心の底から喜んでいてよ。あの隠れヘタレ、なんて言ってプロポーズしたのかしらね。絶対聞き出さなきゃ。」
ウキウキと上機嫌なヴァレリアを見ながら、ノアールは遠い目で辺境にいる兄にほんの少し同情した。
ふいにツンとヴァレリアがノアールの頬をつついた。
「…………何でございましょうか。」
「お前の兄が昔、弟のほっぺたをつつくのが楽しかったって言っていたのを思い出したのよ。
ふふ、でも硬くてぷにぷにじゃないから大して楽しくないわ。」
ノアールの眉間に皺が寄る。
「…………………いい歳の男の頬などつついても楽しくないに決まっていますでしょう。」
ヴァレリアは笑うと今度は眉間の皺を人差し指でツンと押す。
「私は、お前の眉間の皺をつつく方が面白いわ。」
ノアールがスッと後に下がり指を避けて溜息を吐く。
「お戯れはそろそろおやめ下さいませ。…………それよりも宜しいのですか?」
「何が?」
「……………兄が結婚しても………。」
無表情ながら、目の前の執事が本気で心配しているのが伝わってきて、ヴァレリアは顔を綻ばせた。
「当たり前でしょう。むしろやっと結婚する気になったのかと肩の荷が下りたような気分よ。友としてアテルには幸せになって貰いたいわ。」
一点の曇りもない心で晴れやかに告げれば、ノアールの目がわずかに緩められ安堵の色が浮かぶ。
「……………さようでございますか。」
「…………お前は結婚する気はないのノアール。お前だってそろそろいい歳でしょうに。」
「私はこの身が朽ちるまであなた方姉弟のお側にいると誓っております故。」
胸に手を当てて、臣下の礼をとるノアールにヴァレリアは悪戯な目を向ける。
「前々から思っていたのだけど、もしフォルティナ様と愚弟が別れるような事になったらお前どうするつもりなの?私と愚弟どちらについて来るつもりなのかしら?」
問われたノアールは無表情のままサラリと答えた。
「この私がそのような愚行をダルシオンに許すとでも?考えるだけ無駄な事です。」
事も無げに答えられヴァレリアは噴き出した。
「あはは、なんて執事かしらね。そうねお前はそういう男ね。覚悟を決めた事は決して曲げない。」
真顔のノアールに、ヴァレリアがほんの少し真剣な目を向け笑いかける。
「私はこれからもフォルティナ様のお側を離れることは絶対にないわよ。分かっているわね?」
「もちろん承知しております。そして私の覚悟も変わる事はございません。」
しばし見つめ合いヴァレリアが苦笑を漏らす。
「………………本当に……兄弟揃って趣味が悪い……。」
困り顔で笑うヴァレリアをノアールは黙って見つめた。
フォルティナにアテルが結婚する事を伝えるため、ウキウキと執務室を出ていくヴァレリアの後ろ姿をノアールは見つめていた。
お仕着せの黒いテールコートの内ポケットから、自分宛てに届いたアテルからの手紙を取り出して眺める。
『8年…………兄も随分とかかったものだ……………。』
封筒の中には結婚式への招待状の他に、小さなメッセージカードが同封されている。
『可愛い義理姉を紹介してやるから必ず出席しろよ。』と書かれている。
くるりと裏を返せば小さな文字で
『邪魔者は消えてやるから頑張れよ。』と書かれていてノアールは片眉をピクリと上げた。
「…………言われなくとも。」
自分は疾うに覚悟を決めている。
一生かけて共にある覚悟。
眼鏡の奥の瞳が優しく細められ、口元が緩く弧を描いた。
手紙を胸ポケットにしまうと、主人であり友でもある国王の元へ報告する為に、ノアールもまた執務室を後にした。
終わり
最後までお読み頂き有り難うございました。
『勇者な姉と姫様に振り回されています。』からご覧になって頂けた方には、急に出てきたなと思われるアテルですが、当初から考えていた登場人物で、最初は辺境でヴァレリアと一緒にフォルティナを護衛しており、ヴァレリアを守るために亡くなっていたという設定のキャラでした。
ただし、性格は辺境伯そっくりだったので今のアテルとは似ても似つかない人物だったのですが。
結局、勇者な姉に陰をもたせるのは雰囲気に合わないとボツにしましたが、せっかく考えた人物だったので、今回お話にかけて良かったです。
ちなみに名前しか出て来ていませんでしたが、アテルとノアールの長兄であるカリゴは辺境伯にそっくりという設定でした。
ヴァレリアにちょっかいをかけるアテルを止めに入ったり、気苦労の多いお兄ちゃんのくだりもあったのですが、話が長くなってしまうので、ごっそりと削りました。
この話の結末については賛否両論あるかと思いますが、ヴァレリアが勇者になっている時点で、悲恋にする事は決まってました。
イケメン眼鏡とくっつくのかについては、彼が一生側を離れない覚悟を持っていますので、どんな形にせよ生涯共にいることにはなるのだと思います。
※アテルの気持ちが分かりづらかったかと思い、少し加筆しました。