前編
魔物を炎の魔力をのせた剣で一刀両断にすれば、断末魔の叫びをあげながら赤々と燃え尽きた。
キラキラと輝く美しい金髪をかきあげ、澄んだ青空の様な瞳を塵となった魔物にむけ、ヴァレリアは秀麗な顔をつまらなそうに歪めた。
「呆気ないわね…………。」
食後の運動にもならないと溜息が漏れる。
「おー!さすがヴァレリアちゃんだねぇ。」
声の方を振り向けば、艷やかな藍色の短い髪をサラリと風に揺らせる、紫の瞳を持つ旧知の男が街の方角からのんびりと歩いてくる姿が見えた。
本来であれば国境で魔族を討伐しているはずの男に目を瞬く。
「あらアテル。久しぶりね。こんな所で辺境伯様の次男が何をしているの?暇なの?」
「戦場から戻って来たら、君が街外れに出た魔物を倒しに出たと聞いて、一応助太刀にきたのに酷いなぁ。」
「この私が魔物ごときに手こずる訳ないでしょう?」
「う〜ん、まぁ、そうなんだけどねぇ。可愛いお姫様の頼みを断る理由にも行かないでしょ?」
「フォルティナ様が?もう、あれほど大丈夫だと言ったのに心配症なんだから。ふふふ。」
『困ったわね。』と言いながらもその顔はとても嬉しそうで口元は緩やかに微笑んだ。
「本当に君達は仲がいいねぇ。特にお姫様はずいぶん君に懐いたよ。
君が護衛についてから何年たったかな?
えーと、君がここに来てからだから…………もうすぐ3年か?」
「ええ、そうね。……早いものだわ。」
ヴァレリアは懐かしそうに目を細めた。
「フォルティナ様の護衛に着いてからもう3年経つのね…。」
ヴァレリアはここ辺境の地でフォルティナという黒髪黒目の王家の第五王女をずっと護衛している。
辺境は数年前に現れた魔王と、魔王配下の魔族達から王国を守るための防衛地であり、辺境を統括する辺境伯の指揮のもと、連日攻防を繰り広げる激戦地である。
何故そんな所に王家の第五王女がいるのかというと、表向きは激戦地である辺境を鼓舞する為に遣わされた王の名代として、しかしその実は、 辺境へ満足な支援ができない王家への不満をぶつけさせるための、スケープゴート(生贄)として送られてきていた。
フォルティナ姫が卑しいメイドの子供として産まれ、王妃に疎まれていた事も彼女が辺境へ送られた理由の一つであった。
そしてヴァレリアは、3年前に貴族の義務として参戦する為にこの地にやって来ていた。
田舎の貧乏子爵家の出ではあるが、彼女は生まれつき膨大な魔力を持っており、戦い慣れた辺境の屈強な騎士たちですら敵わないほど強かった。
当然、最前線に駆り出されると思っていたのだが、与えられた任務は、戦場からやや離れた辺境伯の館がある街の防衛だった為、首を捻った。
辺境伯とヴァレリアの父は学生時代の友人であり、友人の娘を死地に行かせない配慮なのかとも思ったが、辺境伯は私情を挟む様なタイプではない。
『何か理由があるのだろう』と思っていたところ、ある少女が目についた。
最初はボロボロの服を纏い貧相な体つきで、いつも自信なさげにおとおどとしていた為、使用人の子供だろうと思った。
だがふとした折に見せる所作が美しく、周りの使用人達のその子に対する態度がどこか余所余所しく、腫れ物に触るようで違和感を覚えた。
大変申し訳ないが『まさか辺境伯様の隠し子なのかしら?』と一瞬思った事もあったが、辺境伯様がその子に向ける眼差しが憐憫に満ちているのを見て、その考えは直ぐに捨てた。
おそらくそれなりに高貴な出で、辺境伯様が気を使い、周りが余所余所しい態度をとる、そして少女が黒髪黒目であった事から、なんとなく少女の正体に思い当たった。
それからは少女をよく観察するようになった。
周りの迷惑にならないように、毎日小さく縮こまって過ごしている少女。
文句も言わず、ほとんどを部屋で過ごしているようであったが、段々と彼女が痩せていっている事に気づいた。
おまけに夜中、毎日こっそりと何処かへ出かけている様子だった。
ヴァレリアは後をつけた。
何かの包みを大事そうに抱えて、辺境伯の館の片隅にある今は使われていない物置き小屋へ入って行く少女。
中を覗けば、そこには傷ついた犬や猫の手当てをしている少女がいた。
手に抱えていた包みは食料であった。
毎日自分の食事を取っておいてこっそりあげていたのだろう。
少女がどんどん痩せていっていた理由がこれで分かった。
『…………お前こんな所でそんな事していたの。』
ヴァレリアに声をかけられ気づいた少女がビクリと肩を跳ね上げ、恐る恐る後ろを振り返った。
瞳が隠れるほど長く伸ばされた前髪の為、よく分からないが恐怖の表情を浮かべているのだろう。
ガタガタと震えながらこちらを見ていた。
『も、も、ももも、申し訳…あ、あ、ありません…。か、か、勝手に…。』
『別に咎めているわけじゃなくてよ。』
震える少女を見ながらヴァレリアは肩を竦める。
犬や猫も少女の恐怖を感じ取ったのか、不安そうな目をヴァレリアに向けた。
『嫌ね、あなた達までそんな目で見ないでくれるかしら?』
薄汚れ傷ついた犬の方に手を差し出せば、少女がさっと間に入ってきた。
ヴァレリアが犬に何かすると勘違いしたのか、これ以上近づけないように両腕を前に止まれと突きだした。
『お叱りなら私が受けます!だからどうかこの子達には何もしないで下さい!』
目の前にバッと差し出された少女の腕を見てヴァレリアは眉をひそめた。
鞭で打たれたと思われる、無数のミミズ腫れの跡。
そして
先程ガタガタと震えていた時とは打って変わった、覚悟を決めた真っ直ぐな黒い瞳。
『…………………ふふ。』
面白いと思った。
『うふふふ、お前いいわね。』
恐らく、ずっと虐待されてきていただろう少女。
私に声をかけられただけでガタガタと震えていたくせに、犬猫を守るためなら真っ直ぐに立ち向かう覚悟を決めた少女。
『……気に入ったわ。』
その時だった。
覆面をした男が剣を構えて少女めがけて飛び込んで来たのだ。
ヴァレリアはスッとスカートの裾を少しあげると、まるでダンスでも踊るかのようにクルリと足を回転させてその男を蹴り飛ばした。
小屋の外に吹き飛ばされて地面に着く瞬間、ボワッと男の体が燃えた。
『ぐあぁぁぁぁぁ!!!!』
叫びをあげて転げ回る男。
突然の事に何が起こったのか分からず、少女は真っ青な顔でヴァレリアを見つめた。
『先ほどから後をつけてきたのは気づいていたけど王家の刺客って大した事ないのね………。』
パンパンとスカートの裾を直すと少女の前に向き直った。
『あ、あの……あの……。』
ガタガタと震え、青白い顔で、目を白黒させて戸惑う少女に、ヴァレリアは大輪の薔薇が咲き誇るかのような美しい笑顔を向けた。
『私の名前はヴァレリア・エイナー。これからは、私がお前を守ってあげるわ。
……………………第五王女フォルティナ様?」
『!!!!!!!!』
その後騒ぎを聞いてやって来た辺境伯に少女について聞けば、
『うむ、ヴァレリア嬢にはもうバレたか。如何にも彼女は王家の第五王女で間違いない。あの方は王家のスケープゴート(生贄)としてやって来られた。』
とあっさりと教えてくれた。
まあ言われなくても早々に当たりはついていたのだが…………。
王家で疎まれる黒髪黒目の第五王女の話はそれなりに有名だった。
『最初から教えて下されば宜しかったのに。』
『辺境では、厳しい戦局の中まともな支援をしてくれない王家に対する不信や不満が日ごとに高まってきておる。
第五王女だと周りに知られれば王女の御身が危うくなるであろう故、出来るだけ正体は伏せておきたかったのだ。
それに王妃の刺客と思われる者共が、このところ王女を探してうろつき出し始めていてな。王家としては王女が死んだ方が王家も犠牲を払ったと大手を振ることが出来るため死んで欲しいのであろう。
辺境の騎士を動かせば目立って王女の居場所を知らせてしまう恐れがあるが、そなたであれば友人の娘を死地に行かせぬ配慮としてここに留まらせていると思われるであろうし、今ならまだ誰にもそなたの強さは知られておらぬ故、王家に警戒されまい。』
『でしたら尚更おっしゃって頂けた方が宜しかったですわ。』
『すまんな。知らせて変に気を負わせたくなかったのだ。それに知った上で王女を庇えば、そなたも王家に睨まれるかもしれぬぞ。』
『私や父がそんな事気にするとでも?』
『違いない。』
辺境伯はカラカラと笑い、それ以来ヴァレリアはフォルティナの護衛兼侍女となった。
戦況によっては前線に呼ばれることもあるとの事だったが、幸いにして魔王軍の進行はこの3年ほとんど動きはなく、ヴァレリアはフォルティナにピッタリとくっついて過ごしていた。
最初は戸惑った様にやや離れた距離から、チラチラとヴァレリアの事を盗み見しては、目が合うとビクッと警戒してパタパタと物陰に隠れたりしていたフォルティナだったが、ヴァレリアが微笑みかければ真っ赤になって少しずつ近づくようになっていった。
警戒心の強い仔猫がだんだんと懐いていくようで可愛かった。
3年もたった今では、フォルティナはヴァレリアにべったりで、ヴァレリアにとっては可愛い可愛い妹の様な存在になっていた。
『うふふふ、本当にフォルティナ様は可愛いわ。』
今日もたかが魔物狩りに行っただけなのに、心配して辺境伯の次男に助けを求めたなど、他の人間がやったら『私を馬鹿にしてるのか』と思うところだがフォルティナなら可愛いと思えた。
「あーあ、何だか二人仲良くて焼けちゃうねぇ、僕ももっと二人と親密な関係になりたいなぁ。ねえ、僕も君達のお仲間に入れてくれない?」
フォルティナの待つ街に帰りながら、辺境伯の次男アテルがニコニコと自分を指差し甘えるような視線を送って来る。
ねっとりと絡みつくような視線にイラッと来た。
「言っておくけど、もしフォルティナ様にちょっかいかけたら消し炭にするから覚えときなさいよ。」
「おや、それじゃあ、お姫様じゃなくて君にだったらちょっかいかけても良いのかな?本気で口説いてもい〜い?」
色気を含んだ紫の瞳が悪戯な猫の目のように細められた。
自他共に認める辺境一のプレイボーイのアテル・クロイ。
彼は辺境伯の次男で、美しい外見と人懐っこい性格で、あっちの花、こっちの花といつもヘラヘラニコニコと女の子と遊び回っては、調子のいい事を言う軽薄を絵に描いたような男だ。
だが、ひとたび戦場へ出れば、普段の軽薄さが嘘のように消え去り、勇猛果敢な騎士となって、強者揃いの辺境騎士の中でも一、二を争う強さを誇った。
『剣技だけであれば私の上を行くかもしれない………。』
実際、数えるほどであったが共に戦場におもむいた時に見たその剣技の腕前は、ヴァレリアも舌を巻くほどだった。
そして何が楽しいんだが、この男は暇さえあればヴァレリアのところに顔を出してはヴァレリアにちょっかいをかけたり、からかいに来ていた。
軽薄な男など大嫌いだし、正直ウザいと思うヴァレリアだが、騎士としては尊敬していた為、それなりに一目置く友人関係を築いていた。
「私のタイプは一途な男よ。あんまり馬鹿な事ばかり言うなら友人の枠から外すわよ?お前、ふざけてばかりいないで、いま付き合っている子達の中から、いい加減ちゃんと一人を選んだら?」
「え〜僕これでも結構一途だと思うんだけど?それに付き合ってる子なんていないけど?」
意味わかんないとでもいうようにキョトンとした顔をされ、『嘘にも程がある』と白い目を向ける。
「どの口が言うのやら………。」
会うたび会うたび違う女の子を連れてるくせにと呆れた声がこぼれる。
来るもの拒まずと言ったていで、付き合っては別れるを繰り返し、深く付き合おうとしない。何人もの女の子達と上辺の付き合いばかりを続けて、最終的に彼女たちからいつか恨みをかうんじゃないかと、ヴァレリアはヴァレリアなりに心配していた。
「友人として一応忠告しておくけど、お前いつか刺されるわよ。」
「ふふ可愛い女の子に刺されるなら本望だね。君だったらもっと大歓迎。」
無駄な色気を振りまいてサラリと髪をかきあげながらニヤリと流し目をよこす。
人の忠告を真面目に聞かない軽薄男にイラッとくる。
手のひらに魔力を集中させボワリと炎を燃え上がらせる。
「そう、じゃあ今すぐ息の根を止めてあげる。」
「ええっ!ウソウソ!冗談!冗談ですぅ!!」
『馬鹿につける薬はないのか』とため息まじりに前を向けば、辺境伯の館の入口に佇むフォルティナの姿が見えた。
「ヴァ、ヴァレリア!!!」
真っ直ぐこちらに駆けてきて飛びつくフォルティナを受け止め抱きしめる。
「良かった!よ、良かったです!わ、わたし、……し…心配で…。」
「もう、私なら心配いらないと言ったのに…。それより一人でこんな所にいては駄目ですわよフォルティナ様。刺客がまた来ないとも限りませんわ。」
よしよしと頭を撫でてやれば、落ち着いたのかへにゃりと笑う姿に、こちらも笑みが溢れた。
『ああ、癒される。』
二人の世界に浸っていると、フォルティナの顔の横にスッとアテルが顔を出した。
「ほらね、だから言ったでしょフォルティナちゃん、ヴァレリアちゃんなら心配いらないって!」
アテルに声をかけられたフォルティナはビクッと肩を跳ね上げ、パッとヴァレリアの後ろに隠れた。
「えっ、その反応はちょっと傷つくんだけど?」
「ご…ごご…こめんなさい。ア…アテ…アテル様……。あ…あのヴァレリアを助けに行ってくれて…あ、有り難う……こざいました。」
どもりながらもフォルティナがお礼を言えば、
「ふふっ、可愛い乙女の願いを叶えるのは騎士として当然のことだよ、いつでもこのアテルを頼ってくれていいよ。もちろんヴァレリアちゃんも!」
バチンと茶目っ気たっぷりにウィンクする姿にゲンナリする。
「いいえ大正解ですフォルティナ様。こんな軽薄な男には最大限警戒するので合ってますわ。」
「ええっー酷いなぁ。こんな頼りになる騎士いないのにぃ…………。」
「…………………ふん。」
(ある意味口先だけでないのがたちが悪い。)
万一フォルティナが毒牙にかかってはたまらない。
「さあ、もう用が済んだのならさっさと帰ったらアテル?どうせデートの予定でも詰まっているのでしょう?シッシッ!」
「ちょっ、追い払おうとしないでよ。ここは一応僕の家でもあるのに酷いなぁ。まあ、デートは否定はしないけど…。それより今日はまだ君達に用があるんだ。」
仕方ないので部屋に通せばアテルは二通の手紙を渡した。
「辺境伯である親父殿と君のお父上エイナー子爵様からだよ。親父殿の話は説明が長くなるから先に子爵様の手紙から読んでくれる?」
そう言われ父からの手紙に目を通す。
「……みんな相変わらずね。ふふっ、フォルティナ様、動物達はみんな元気にやっているそうですよ。」
「ほ、本当ですか!?よ、良かった……。」
フォルティナが両手て胸を押さえホッと安堵の息を吐く。
フォルティナが世話をしていた動物達はヴァレリアの実家であるエイナー子爵領に少しずつ移送して保護してもらった。
辺境伯領では傷ついた動物の保護などとても出来ない。その為そういった動物達は戦地とは程遠い子爵領に送ることになったのだ。
父に迷惑をかけてしまうことに申し訳なさを感じたが、父エイナー子爵は二つ返事で直ぐに了承してくれた。
「ねえねえ、僕の可愛い弟ちゃんも元気にやってるって書いてあるかい?」
アテルが聞きたくて堪らないとでも言うように身を乗り出してきた。
「ええ、相変わらず仏頂面で有能な執事をやっているそうよ。なんで執事なんかやりたがるのか、あの子は謎ね。」
アテルの弟で辺境伯の三男のノアールは病弱だった為、田舎で空気の良いエイナー子爵領に子供の頃に療養の為に預けられていた。
しかし本当は、辺境が当時、魔王軍との戦闘で非常に危ない時期だったが為に、疎開の意味で預けられていたのだ。
辺境伯クロイ家の血を残すために。
「君の弟君…ダルシオン君だっけ?彼にだいぶ懐いてるみたいだからねぇ。
それにあの子は病弱で自分が役に立たないことを凄く悔しがっていたから、きっと大恩ある子爵様の役に少しでも立ちたいのさ。
ああー思い出すなぁ…。僕達が戦場に出る時、暗い瞳に涙をためて、ぷくぷくのほっぺたをパンパンに膨らましながら睨んでたっけ、僕はそのほっぺたをツンツンするのが堪らなく好きだったなぁ。可愛くて!」
恍惚とした表情で当時の弟の姿を思い浮かべて『可愛かったなぁ』と頬を染めてアテルはヘラヘラと笑う。
「……………お前絶対嫌われてたでしょ。」
「ええっ!なんで!?」
ヴァレリアはエイナー子爵領にいるノアールにほんの少しだけ同情した。
「それで辺境伯様からは………………………フォルティナ様と子供達を連れてエイナー子爵領に疎開するように?」
突然の疎開命令に訝しく思う。
フォルティナも驚いたように顔を手紙に向けた。
アテルは先ほどまでの締まりの無い顔をスッと真剣な顔に変えて説明を始めた。
「実はこのところ魔王軍の様子がおかしい。
ここ数年、魔王軍に大きな動きはなかったのに、旧王領と辺境伯領の境に魔族達が集まっていると報告が届いている。」
3年程前、王領だった辺境伯領に隣接する領地が魔王軍の占領下に落ちた。
それまで破竹の勢いで侵攻を進めていた魔王軍だったが、王領を手中に治めてからは、何故かピタリと動きを止めていた。
「旧王領はここ辺境伯領の隣接地………また侵攻を再開するつもりなのかしら。」
「もし魔王軍がここ辺境伯領を攻める為に集まっているならば、恐らく辺境の総力戦となるだろう。
そうなれば間違いなくここは大激戦地となる。
負ければ、ここも旧王領と同じように魔王軍の占領下になる可能性が高い。
それ故、君にはフォルティナ姫と幼い子供達をエイナー子爵領まで避難させて欲しいんだ。君一人に護衛をさせるのは心苦しいが、他に騎士を割くわけにはいかない。頼むよ。」
「………………私が前線に出て、他の騎士がフォルティナ様たちを護衛してエイナー領にお連れした方が良いのではなくて?」
「いや、エイナー領までの道のりは遠く、道に不慣れな者では護衛しながらの旅は難しいだろうし、魔物や魔獣に襲われることになった時に一人でそれを倒せる者でなければ任せられない。
それに愛する子供達が絶対に大丈夫だと思えるからこそ、騎士達は死力を尽くして戦う事が出来るだろう。」
「ヴァ、ヴァレリア………。」
フォルティナが不安そうな顔でヴァレリアの袖を握る。
ヴァレリアはその手をそっと握り返して微笑んだ。
「大丈夫ですわフォルティナ様。…アテル、辺境伯様には承知いたしましたと伝えてちょうだい。」
「ああ、有り難う。君になら安心して任せられるよ。」
アテルはホッとしたような晴れやかな顔で微笑んだ。
「前線にはお前が出るの?それとも兄君のカリゴ様が?」
「前線には僕と親父殿が、兄上殿は後方の支援をすることになっているよ。
親父殿はもう既に前線で戦の準備を整えている。
僕も明日には前線に赴くつもりだよ。」
「そう…………。」
アテルの騎士としての強さを考えたら当然前線へ行くことになるだろう事は分かっていたが、予想通りで少しだけ気持ちが重くなる。
「あれぇ!もしかしてヴァレリアちゃん僕の事心配してくれてるの?
ヤダもしかして僕の事好きだったりして?うん大歓迎だよ!さあいつでも僕の胸に飛び込んできて!!」
コロリといつもの軽薄な雰囲気に戻るとアテルは『おいで』と手を広げた。
本当に巫山戯た男だとほんのちょっとでも心配してやった自分が馬鹿らしくなる。
「はぁ…本当いい性格しているわね、お前……。」
コンコンとドアを叩く音がして、辺境伯の館の家令が顔を出す。
「お話中に大変失礼いたします…。アテル様…お嬢様方がお越しになっておりますが…………。」
「あれ?約束の時間には早いんだけどな……。
じゃあヴァレリアちゃん、フォルティナちゃん、僕はこれで失礼するよ。
可愛いレディー達を待たせる訳にはいかないからね。
また明日の出発の朝にでも挨拶させてね!」
「はいはい、せいぜいデートを楽しんでらっしゃいな。人生最後の修羅場にならない事を祈っているわ。」
「ア、ア、アテル様、い、行ってらっしゃい。」
掲げた片方の手をヒラヒラと振ってアテルは部屋を出て行った。
窓の外を覗くと門に数名の女性が待っており、アテルが出ていくと涙ながらにアテルを取り囲む姿が見えた。
修羅場になるかと思えばアテルが出征する事を何処かで聞いてきたのかもしれない。
女性達の顔は悲しみや憂いに満ちていて、アテルはニコニコ笑いかけたり、なだめたりしている様子だった。
『あの子達みんな浮気されている事に不満はないのかしらね』と不思議な気持ちになる。
「ア、アテル様は、か、格好いい…ですね。」
アテルを褒めるフォルティナの言葉にサッと青褪める。
「はっ?フォ、フォルティナ様、何をおっしゃってるんですか?
ま、まさか、まさかフォルティナ様、あ、あのチャランポランのアテルの事を…………。」
あまりに動揺してしまいどもってしまう。
心臓がドクドクと脈打った。
「えっ、あっ、ち、違うわ、ただアテル様はいつも親切だし、明日また戦場へ行くというのに、み、皆に心配かけない様に明るく振舞っていて、逆にみんなを心配してくれるから、す、凄い人だなって…そ、尊敬するの………。」
フォルティナの感情が恋じゃないと知ってホッと息をつく。
「いいえフォルティナ様、アレはそんな健気な性格ではありませんわ。ただ阿呆なだけです。」
「そ、そんな事ないと思うんだけど……。そ、それにアテル様ってヴァレリアの事を凄く大切に思っていると思うの……。あの…アテル様って……その……本当は…ヴァレリアの事が好きなんじゃないかと…「いいえアレは根っからの女好きで女であれば見境なく口説いているだけの助兵衛男です。それも上辺だけで、本当は女よりも戦闘を愛するただの戦闘狂ですわ!!」」
「ええええっ!!!!」
被せ気味に否定すればフォルティナは驚きの声をあげ表情を曇らせた。
「そ、それはちょっと言い過ぎなんじゃ…。」
「…………………………。」
確かに戦闘狂は言い過ぎかもしれない。
しかしアテルの本質はそうだとヴァレリアは知っている。
どれだけ浮かれた言葉を口に出していても、愛よりも任務を、戦いを取る男だ。
辺境伯領の騎士として身も心も全て捧げているのがアテルという男だ。
「さあ、フォルティナ様、あの男の事は放っておいて私達もここを去る支度を致しましょう。数日の内に立たねばなりませんわ。」
「う、…うん…わ、わかったわ……。」
まだフォルティナは納得いかない様子だったが荷物をまとめるために腰をあげさせた。
ヴァレリアはチラリともう一度だけ窓の外を覗いてから、フォルティナの後に続いた。