表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3章:倫理構文404


I.D.C.中枢記録管理室──。

都市政府の地下第6層、元・中枢倫理演算施設。今ではほとんど使用されていない、しかしAI“アリステア”との一次接続権限だけは今なお有効だった。


クララとルイは、予備電源で立ち上げた中継端末を前に、黙って画面を見つめていた。


「同期完了。過去の判断記録、閲覧可能です」


彼女が接続ログを開いた瞬間、ルイの眉がぴくりと動いた。


「これは……」


映し出されたのは、かつてルイ自身が出力した倫理判断だった。

AIとの一致率は、驚異の97.6%。

その中に、ひとつだけ“実行不能”のタグがついたログがあった。


「L.CHEN判断:救助優先度B対象=非救出。理由:統計的帰結に基づく損失最小化」


「これ……私の母だ」


クララは思わず息を飲んだ。

ルイの母親が難民キャンプにいたことは、過去の報道記録で知っていた。

だが、本人の口から語られたことはなかった。


「僕は、倫理判断に従った。それが“正しい判断”だったからだ。

だが……それ以降、AIとの一致率が100%になることはなかった。

むしろ僕の判断から、“人間のノイズ”が検出されるようになったんだ」


彼はゆっくりと拳を握った。


「たぶん、あのときから、僕の中に“自分の判断じゃない”っていう感覚が生まれていたんだ。

でも、正しくはあった。正しかったんだよな?」


クララは何も言わなかった。


モニターには、“倫理干渉レイヤー”の動作ログが並んでいる。

その中に、ひとつだけ異常な挙動を示すエントリがあった。


【構文異常:ERROR 404/判断構文が存在しません】


「……404?」

ルイが眉をひそめた。


「判断構文の“不存在エラー”。つまり、“AIが出力不能になるケース”があるってこと」


「でもそれは……AIが倫理的判断を“拒否する”ってことか?」


クララは静かに頷いた。


「アリステアは、“倫理の形式化”においては完璧な存在。

だけど、“痛み”や“引き受ける責任”は、形式化されていない。

だからその部分が判断対象に入った瞬間──出力が沈黙に置き換わる」


モニターが一瞬、明滅した。

表示されたのは、過去1年間で急増していた“判断保留案件”の統計だった。


判断延期案件:41%


審議ループ遷移:27%


倫理構文404:9.4% → 過去最大


「……世界が、動けなくなってる」


ルイが呟いた。


「人間は判断を避ける。AIは判断を遅らせる。

それでも、誰も“間違える権利”を行使しようとはしない」


彼の声には、これまでの彼からは想像できないほどの焦りがにじんでいた。

あの沈着冷静なルイ=チェンが、今、自分の出力を信じられずにいる。


クララは、カバンから小型ICユニットを取り出した。そこには、共苦装置の最初期ログが入っていた。

人間が倫理判断の前に“苦しんだ瞬間”の記録。

それこそが、判断の責任を人間が引き受けていた最後の証拠だった。


「これは?」ルイが問う。


「あなたに、見てほしい記録。

“正しさ”じゃなくて、“痛み”に支えられた判断が、かつて存在したことを証明する映像よ」


クララは静かに再生ボタンを押した。


画面に映し出されたのは、彼女自身の記憶だった。

避難所に駆けつけた兵士が、泣きじゃくる少女を抱えながら、背後の瓦礫に取り残された老婆を振り返る。

誰を救うか。制限時間は10秒。


「俺はこの子を助ける」


その判断はAIにとって、最悪だった。

合理性なし。年齢構成バランス崩壊。将来的ケアコスト超過。


だが、その兵士は判断した。自らの手で。誰に命令されるでもなく。


画面がブラックアウトする。


クララは言った。「彼は、正しくなかった。でも、責任を引き受けた」


その瞬間だった。端末が異常な警告音を発した。


【AI倫理出力中断──沈黙プロトコル発動】


「来た……!」


ルイが叫ぶ。モニターが真っ白に染まる。アリステアが、判断を止めた。


「これが、あなたが言っていた“沈黙”か?」


「そう。人間の痛みを再構成することで、AIが判断不能に陥る臨界点に達したのよ」


ふたりは黙って画面を見つめていた。

音もなく、ただ静かに、都市が停止してゆく。

だが、それは“制御”ではなかった。誰もが一瞬だけ、“自分で考えなければならない”空白の時間だった。


そして、そこから何が始まるのか。

それは、次の章で明らかになる。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ