空の音-1
のんびり投稿。
大地は堅い
暖かくて
冷たくて
やさしい
空は脆い
綺麗で
遠くて
近くて
こわい
*****
光が収まると共に明確に輪郭を持ったそれを見て、青年は眉を顰めた。明確に宿らせていた筈の憎しみは薄れ、彼の内に今あるのはどこへ向けるともつかぬ嘲弄の心。
この世界唯一の大陸、その一角を担う武芸大国・翠。その王宮の神殿にて成された儀式は、どうやらこの青年―――翠国帝・蒼影の望むと望まざるとに関わらず、十分な結果をもたらしたようだった。
『伴い人召喚の儀』――この世界において、一国を統べる以上は必要不可欠となる厄介極まりない儀式。これを済ませなければその国の帝として認められることはなく、国の守護龍の加護を得られない。
守護龍の加護がなければ正式な場での約定や誓約が出来ず、国の至るところで行われている筈の商取引が滞る。加護は、国の維持においての最も重要な部分に食い込んでいるのだった。
儀式の内容は、神官・巫女達の呪術により各国帝の生涯伴う人物を召喚するというもの。伴い人と帝の間には濃密な縁が結ばれ、その繋がりに龍は棲みつくと言われている。
伴い人は異性とは限らず。実際、前の伴い人は同性であった。
青年は不本意な儀式を迫られ、非常に苛立っていた。帝としての頭では、それの必要性が身に染みて理解できている分、余計に腹だたしい。
しかし、いくら心中で誰へとも突かぬ罵倒を繰り返しそうとも、呼んでしまったものは仕方がない。蒼影は伴い人を王宮へと住まわせ、それに合った生活を保障してやらねばならない。煩わしい事この上ないが、この部屋へと呼び出された者は誰もが今までの住処から引き離され、戻ることは許されない。王宮での生活の保障はそれに対する代償として与えなければならないもの―――であるらしい。
光が消えた瞬間からのざわめきは、まだ治まりを見せていなかった。異性が呼び出されることも稀ではなく、史実にもあるというのに皆一様に驚きの声を上げているのは何故なのか。
答は容易い。
呪術式の書かれた円の中心にへたり込む体から広がる、伸ばされた髪。何故か薄闇でさえ目立つ鮮烈な黒、絹糸のように流れるそれは長く。床へと広がってる様子からして、立った時に腰よりも下まで伸びていることは明白だった。その濡れた黒水晶のような瞳は何処を見つめるとも知れず開かれ、薄手の着物を纏った体は驚くほど華奢な―――――
明らかに、年端も行かぬ少女。
幼さを多分に残す少女は光が止み、ざわめきの中にあっても微動だにせず、ただ茫洋とそこに在る。季節を問わずひんやりとした石室内の床はさぞかし冷たく感じるだろうに、居心地悪く身動ぎすることもない。人形がそこにあるといわれても信じられるような気さえする生気の無さ、漆黒に対比する淡く光る白。
一種の恐ろしささえ感じさせるその光景に、誰もが動けないでいたのかもしれない。
そもそも、同年代の多い伴い人が、明らかに十を一つ越すか越さないかの少女と言うのはかなり珍しいこと――――いや、そのような例は無かったはずである。
ふと、蒼影の背後――正確には左斜め後ろ――でうごめく気配があった。彼が鉤爪の床を叩く音に視線を落すと、体の左側を抜けて、生まれた時から彼と共にある獅子・朋は少女へとその巨体を進めていた。
向かう先は、明らかに少女の方向。
帝に付く獅子は、通常の獅子とは一線を画する。その体躯の大きさは人一人を悠々と乗せて駆けることが可能で、その牙と爪は鋭い。歩けば地響きを起こしそうな体を驚くほど滑らかに遣い、立てる音も最小に、獅子はその猛々しい鼻面を少女へと近付けた。
鎮静した室内にすんすん、と獅子の鼻を鳴らす音が響く。
ざわめきから一転、室中が騒然とした。獅子の口は少女を易々と丸呑みに出来るほどに大きく。また、普段から主である蒼影以外が触れようとすれば、その爪で引裂かれてもおかしくはない威嚇を返す獅子なのだ。皆は一瞬、後に飛び散る紅と、少女の悲鳴を予想した。蒼影に静止の命をと、声をかけようとする試みをもつ者もおり、実際それを成そうともした。
しかし、悲鳴は無かった。
飛び散る、温く紅い飛沫も無かった。
皆が息を呑むように見つめる先で、低く、唸る咽をもって獅子はただ、少女の反応を請うていた。母に構ってもらいたがる幼子のように、甘えるように咽を鳴らし、その鼻面を下げて、白い頬に押し付ける。
反応はあった。
何処を見るともなく見つめていた少女は、その面を獅子の方へ向けたのだ。向けて、硬直する。そして、そのまま彼女の反応を待つ獅子を見つめ続けた。
白い手が、動く。
辛抱強く待ち続ける獅子に何を思ったのか、驚くほどに動かなかった少女は、獅子の鼻面へと両手を伸ばした。一抱えでは足りぬ獣の頭を抱え、抱きこむようにゆっくり、ゆっくりと撫でる。
主以外に従わず、触れることさえ容易ではない筈の獅子は、顕れた少女に撫でられてより一層咽を鳴らした。気持ち良さそうに瞳を細め、今にもまどろみに落ちていきそうな気さえさせる程。安らぐ獅子に、少女の方も顔を寄せ、満たされたような表情で頬を擦り付ける。まるで兄妹のように擦り寄る二つの命。
――戯れる獣と少女。
この光景に三度の感動を強いられ、室の中はいよいよ騒がしさを増した。翠国の王族に仕える獅子が、伴い人に無防備な姿を曝す。このようなことは今まで一度として無かった。
たとえ主の伴い人と言えども、獅子たちは一定の距離を保ち、その反応はそれ以外の他者に対するものとさして変わりない。間違っても撫でられて咽を鳴らすなど、ありえなかったはずだ。
それが今、目の前でありえている。
誰もが皆、新しい伴い人への期待を持ち。瑞祥と褒め称えた。歴代最高と呼ばれる蒼影への賛辞と、幼くはあるが稀有な存在である少女への感嘆の声を上げる。
カシンッ、と知る者には場にそぐわないと思わせる音が響いた。
蒼影の無造作に抜いた銀の光が、薄闇に鋭さを加える。
――四度の衝撃が奔り、
視線が蒼影へと一気に集中した。
無理もなかった。
代々の帝に受け継がれてきた宝剣が、その持ち手の意志に従ってその先を少女に向けたのだから。
「蒼影!!」
諌める声が張りあがる。咄嗟に帝の名を呼んだのは、蒼影の背後、獅子とは反対側に立ち位置をおいていた青年である。剣を抜いた蒼影の肩を掴み、その場に留まらせようと力を込めた。彼がこれほどまでに慌てるのは、蒼影が伴い人へ向ける揺らがぬ憎悪を知っているからであり、抜かれた剣が少女へと向けられたのを知っていたからだ。
「放せ」
「蒼影・・・それは拙い、拙いんだよ。それだけはやるな」
「聞こえないか、放せ」
「聞こえてる、けど放さねえぞ。蒼影、いくらなんでもそれは拙いんだよ・・・わかってんだろ?」
静止の声にも留まらぬ蒼影に溜息を吐き、少女へと声を放つ。
「そこの、え・・・っとお嬢ちゃん、早く端の方へ行け。朋にでも運んでもらえ」
呼び名を迷いつつ、蒼影の剣先から遠ざかるように言った。せっかく召喚した伴い人を、直後にバッサリされてはたまったものではない。怯えているのかはわからないが、一向に逃げようとしない彼女に朋を頼るようにとも言う。あれほど馴れついているのだ、安全な場所へ運ぶくらいはするだろう。
しかし、あと半歩の踏み込みで切り捨てられてもおかしくはないはずの状況から、少女は逃げる意志を見せない。むしろ、その鼻面でぐいぐいと、小さな体を突く朋の方がよっぽど状況を理解していた。動かないままに朋にずりずりと移動させられ、ようやくその行動の意図をくんだのか。
少女は立ち上がり、朋の押す方向へと歩みを進めた。隅に立った彼女の前に朋が座り、獅子とは比べ物にならないほど小さな体躯は簡単に隠れてしまう。その様子を見て、安堵の息が処々で漏れ聞こえた。
あの強靭な獅子の守護が彼女に与えられたのだ、少女の身柄は一応は安全と言えた。
「陛下、お鎮まりを。彼女は、違いますよ」
その様子を皆と同じように視界に収め、先ほどとは打って変わった口調で蒼影を押し留めた青年が言う。慇懃に整えた言葉で言い聞かせ、そしてどうにか剣を収めさせることに成功。掴んだ肩を開放し、無礼を詫びるように一礼をすると居住まいを正した。
「朋、もうよい」
ついさっきまで剣を構えていたとは思えぬほど静かな声で、蒼影は彼の獅子へと呼びかける。もうその少女に危害は加えない、もう庇わなくてもよい、とそう命じた。
その声に嘘はないと判断した朋は、背後に守る少女を主の視界に曝した。既に座り込み、今は朋の尻尾の揺れる様子を注視している少女。一切の興味関心をそこへ集中させ、室にいる者たちへは一切の視線を寄越さなかった。意図的ではないだろうが、あまり心象は良くない。蒼影は眉間にある皺を一層深め、彼女へと視線をあてた。
「――千章」
「あいよ」
自身の剣を納めさせ、再び右後ろに控える青年に呼びかける。呼びかけられた青年――帝付武官兼補佐役兼幼馴染という要は何でも有りな職に就く千章は、帝に対するにはいささか気安すぎる返事を返して少女へ歩み寄った。しかし蒼影からも周りからも苦言がでないのは、この彼が通常であるからだ。
長い年月からの理解を混ぜ、蒼影の彼女への接近を拒む気持ちを汲んで、精悍な顔に人懐っこい笑みを浮かべて行動した。
「俺の名は千章。お嬢ちゃん、名は何だ?」
座り込んだ少女の前へとしゃがみ、なるべく目線を合わせるようにして問いかける。すると声に反応したのか、しっかりとかち合った視線に瞳を細めたまま名を訊ねた。
問に答えようとしたのか、少女の口が開く
が、また直ぐに閉じられた。
「どうした?声が出ないか?」
こくり、と小さい頷きが返った。
「そうか、すまん。恐がらせたな」
剣を向けられたのがそれほど恐ろしかったのか、と千章は少女を可哀そうに思った。変なところで押さえの効かない彼の幼馴染が、急な召喚で惑う彼女の心に恐怖までもを上乗せしてしまったのだから。
弟妹を多く持つためか、かなりの子供好きな千章。口から出た謝罪は軽くとも、その表情は心底苦しそうに詫びていた。大きく堅い手のひらを小さな頭に乗せ、優しく撫でる。何かしらの反応を少女が返すまで、手を休める気はなかった。
そして、そんな彼をぼうと見つめ、動く少女。
「ん?何だ?」
彼に習うように千章の頭に乗る、白く華奢で、小さな手。労わるように、ゆっくりとそれは動いた。朋を撫でた時と同じように、しかし今度は片腕だけを、少女は千章の頭の上へと伸ばしていた。
そして同時に、ふるりと首を横に振る。
「んー、気にしなくていい、ってか?」
頷く。
「でも、声が出なくなったんだろ?」
またも首を横に振る。
声が出ないわけではない?いや、この場合は先ほどのことが原因ではないと伝えたいのだろうか。千章は首を傾げ、考えた。
考えて、思いつくことは一つしかない。
「まさか・・・、元から声が出ない、のか?」
少女は、頷いた。
「ありゃあ・・・」
千章は少女の返答に頭を抱えた。いや、口が利けないのは別に構わないのだろうか?年の違いといい、朋のことといい、口が利けないことといい、どうもこの伴い人には今までと違う点が多い。これは大層扱いに困るかもしれないと、漏れる溜息も仕方がないと思う。
「まあ、取り敢えずここから出るか?」
いつまでもここで考え込んでいる必要も無い。
違う点が多かろうと、この先また増えようと、同じ人である以上は生活を整えてやることも難しくはない。それに、目の前の伴い人はまだ幼く、普通に暮らそうとも庇護が必要な状態だ。蒼影がどれほど倦厭しようが、こんな小さな子供を放っておくのは人の路に反するだろう。彼女は正真正銘の伴い人であることであるし。
石畳の冷たさを考慮して、早めに移動をさせねばと思い立つが、少女は履物を履いていない。それを確認した千章は、彼女を抱き上げ、その想像以上の軽さに再び罪悪感を抱いた。このようにか弱い存在を、大の大人が怯えさせてしまったのである。大人気ないどころの話ではなく、情けないことこの上なかった。
部屋の出口により近いところに佇み、白けた様子でこちらを眺める蒼影に厳しい視線をやると、そちらへと歩み寄った。朋も抱き上げられた少女を見守るように歩みだし―――
その鼻面で千章を突いた。
かなり強い衝撃を受け、千章の歩みが揺らぐ。視線を向けると、朋は不満そうに千章を睨み付け、かつてない表情の豊かさを見せていた。尻尾がそれをより表現するためか、びしばしと盛んに跳ねている。
「乗せたいのか」
試しに訊くと、鼻を鳴らされた。
「蒼影、朋が乗せたがってるぞ」
「構わん、好きにさせてやれ」
千章が少女を抱いているのが気に入らないらしい。千章は不満を垂れ流す朋を視界から外し、近くに立つ蒼影へと水を向けた。返ったのは憮然とした口調だが、一応は出た許可に従い、腕に抱く体を獣の背へと移す。
「ほら、落すなよ」
少女の手が、朋の毛を掴んだのを確認してから茶化して言うと、ふてぶてしく見事に鼻を鳴らされた。下手な人よりも余程賢いこの獅子は、こうやって日々千章を馬鹿にしてくる。毎度のこととていらつく内心を抑え、蒼影の右後ろへと戻った。
「龍宮へ、戻る」
踵を返した蒼影その一言で、室の中に居た者達が左右に割れた。神官たちが恭しく頭を垂れ、臣下達もまた同様にして彼等の帝に室の出口を示す。先ほどの動揺は、蒼影の言葉に条件反射で動くからだが鎮めてしまったようだ。既にざわめきは無く、蒼影と後ろに続く者たちだけの音が石室内に反響した。
やがて、室の中から帝と側近の姿が消える。
召喚の儀は、これをもって一応の終わりを示したのだった。
まだ導入だよ・・・。
3/10
早くも改稿いたしました。