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ヴィルセの屋敷とタタリクジ



こちらの世界に来て、今日で早くも一週間が経とうとしていた。

そして、まもなく街も動き出すかという朝の時間に、ヴィルセでは大事件が起きていた。








(まさかあのアールデコの箱に、触っちゃダメなものがあるなんて………)



私はただ呆然として、ぷすぷすと音を立てている煤けた更地に立ち尽くしていた。


こうなったのには、もちろん理由がある。

それは遡ること、二十分ほど前のことだった。






朝食中だった私たちは、会食堂の窓に突然ナメクジのような物体が大量に張り付いてきた音で、窓の方を一斉に振り返った。


べちゃどろぐちゅんと、非常にヌメヌメしていそうな音を立てたのである。


まさに、戦慄である。

タタリクジかと、おそらくその生物の名前をカインが嫌そうに呟いた。


そしてそのタタリクジとやらの撃退に向けての判断は、非常に早かった。

追い払いに行ってくると、すぐさまカインとシルヴァが部屋を駆け足で出ていく。


そんな背中を見送って、会食堂に残された私はタタリクジを観察しに窓辺へと歩み寄った。



(後学のためにと………思ったのよね…)



窓さえ開けなければ大丈夫だというシェラの言葉を信じて、ぬちぬちと動いているタタリクジを、鳥肌を立てながらも必死に観察した。


カインの様子を見ていれば、気持ち悪いだけの生物ではなさそうだと思ったからだ。




「この生き物は、タタリクジというのですが………」




そして、不幸な事件が起きたのは、その謎生物の説明のためにシェラが口を開いた時のことだった。



ふと視界の端にアールデコの模様が目に入った私は、特に深く考えずに、こちらの通信機にはどんな鉱石が埋め込まれているのかなと気になって、触れてしまったのだ。


気持ち悪いナメクジを見ているよりも、美しい鉱石が見たいと、何故かそんな気持ちになったのだ。

今にして思えば、何故シェラの説明の途中でよそ見を

してしまったのかと不思議でならない。


けれどもその時は、どうしてかその気持ちを止められなかったのだ。



そして、そんな中で触れたアールデコの箱は、ばちんと静電気が走った。

同時に、シェラには体を抱きしめられた。

その後はよく覚えていないのだが、目の前が真っ白になって、勢いよく吹き飛ばされたのだと思う。


どかんと、凄まじい音が耳に叩きつけた。


会食堂が大爆発を引き起こしたと理解したのは、もくもくと上がっていた煙が晴れ、天井が丸々吹き飛んだのを見た時だった。


壁はもちろん、テーブルや椅子は煤けてしまい、爆発の衝撃でひしゃげている。


上等な絨毯が敷かれていたはずの床も、黒く焼けこげてしまい、辺りには火薬のような香りが立ち込めている。


私とシェラは壁際に打ち付けられたようだった。

咄嗟にシェラが防御魔術を展開してくれたらしく、怪我もなければ痛みも感じなかったが、もし彼がいなかったなら、私は死んでいただろう。



かくして、冒頭に戻る。

ぷすぷすと煙を立てている会食堂は、もはや更地と化していた。

慌てた様子のカインとシルヴァが戻って来たが、屋根が吹き飛んだ会食堂を見て、もはや言葉を失っている。




「………………何があった?」




この時の引き攣ったカインの顔を、私は生涯忘れる事はないだろう。




「タタリクジの二択を………キイロ様が誤ってしまい………」



目の前で大爆発が起きたことに、私はただ呆然としているばかりだった。………シェラの言うタタリクジの二択とは、一体何だろう。

そう頭の片隅で考えながら、ゼロ距離で起きた爆発により未だどくどくと激しく動く心臓に手を当てる。





「通信機に擬態することで、二択を提示したようです。………申し訳ありません、お止めすることができませんでした」

「あ、あれは通信機ではなかったのですか………?」

「先に説明すべきだったか………くそ………」




その日のヴィルセの大爆発事件は、言うまでもなく、巷でも大騒ぎとなった。

一部とはいえ、惑い子の屋敷が爆発したのだ。

辺り一体には轟音が轟き、ぼわんと上がった黒灰色の煙は、街の外れの方までその異常事態を伝えたらしい。


カインが頭を抱えて、けれども怪我はなかったかと尋ねたその時には、屋敷の前に治安当局の騎士たちが駆けつけていたのだ。




「………くそ………。シルヴァ、シェラ。お前たちはキイロから目を離すなよ。………俺はあいつらの対応に行ってくる」




そう言い残したカインはその日、私の前に姿を現すことはなかった。

カトルニオへの報告や始末書の作成ばかりか、テロリズムを警戒した治安当局への説明と現場検証を、全て一人で担ったのだ。

その上、午後には王宮から調査団が派遣されて来て、万が一がないようにと、タタリクジの魔術残渣の調査までもが行われたのだ。


ちなみにそれが全て終了した後には、焼け野原の会食堂の復興作業が待っていた。

彼が夜を徹したことは、翌朝の死んだ表情を見れば明らかで、私はただ平伏するしかなかった。





「タタリクジは………危ない生き物なのですね?」

「ええ。出会えば必ず二つの選択を迫られることから、その名前がついています。今回の例で言えば、会食堂に設置されていた通信機の正しい方を選んでいれば、あのような爆発は起きず、祝福が授けられたはずです」

「………完全に私のせいでした。あの中身にどんな石が嵌めてあるのか、どうしても気になってしまったのです」



私の懺悔に、シェラはせめて防御魔術が間に合って良かったと呑気に笑った。




「笑い事ではないのでは………」

「タタリクジは、そんなふうに興味をそそるもので二択を迫るのですよ。今回はやはり、キイロ様が狙われていたようですね」

「あんなナメクジに負けてしまったなんて………」




タタリクジの二択で、正しいものを選択できなかった場合は、祟りにも等しい災厄が降りかかると言われている。


あの生物は、脅かした人間たちの驚きや苦悩の感情を餌にして生きているらしく、多くは感情豊かな子どもが狙われるのだと言う。




「………屋敷の中にいたのに、どうして狙われたのでしょうか?………もはや子ども扱いされたことには触れません」

「あれは祝福をもたらす生き物でもありますし、ヴィルセの魔術では弾けなかったのだと思います」

「恐らく狙われるのはキイロ様だと判断した上で、駆除に向かいましたが………窓に張り付いた時点で、既に手遅れだったようですね」




シルヴァとシェラは、眉を下げた。

私を狙ったタタリクジはかなり長寿の個体だったらしく、その祟りの威力を見ても、随分と力を蓄えている事が判明していた。


すぐに討伐隊が組まれた後らしく、私が爆発の余韻でぼんやりしていた間にも、憎きタタリクジは死滅したとシェラが教えてくれた。




「………もう死んでしまったのですね」

「もしもキイロ様でなく、街の子どもたちが標的だったなら、大惨事も避けられなかったというくらいです。このヴィルセで出会っていたと言う事が、不幸中の幸いというところでしょう」

「確かにヴィルセは、厳重に守られていますものね………。会食堂以外に、被害は無いようですし………」



そうなのだ。驚くべきは、カインが夜なべして張り巡らせたと言う、この防衛魔術である。

あの大爆発は、屋敷全体を爆散させてもおかしく無いような勢いだった。

一室を灰にする程度の被害で済んだのは、彼の魔術の叡智のおかげとも言うべきであろう。




(………とはいえ、私のせいでこんなことに)




灰になった会食堂を思えば、ただただ悲しいばかりであった。

椅子もテーブルも、絨毯だって、美しいものばかりだったのだ。

食器なんて、跡形もなく割れてしまっていた。


しょんぼりと落ち込む私に、シルヴァが屋敷の散策にでも行きましょうかと声をかけてくれる。




「………ですが、今は王宮の魔術調査の方が来ているのでは」

「会食堂と玄関を結ぶ動線にさえ近寄らなければ、問題ないでしょう。………午前中は部屋から出られませんでしたし、気が滅入らないように、少し歩きましょうか」



しばらくはタダ働きも辞さない考えの私は、シルヴァの心遣いに感謝しつつも、そろそろと部屋を出る。


この屋敷の中は、まだろくに散策もできていないのだ。

緊急時に備えてと、屋敷の概要や間取り図のようなものは見せてもらったが、現物までは見ていない。




まさに洋館というような内装のヴィルセは、三階建てのオペラケーキのような見た目の屋敷だった。


長方形の構造で、その中央には玄関と各階に繋がる大階段が鎮座している。

大階段を挟んで左側と右側は、それぞれ左翼、右翼と呼んでいた。



(大階段は、歩くだけで見惚れてしまうわ………)



手すりから柱、天井や壁に至るまで、とにかく繊細な装飾が施してあるのだ。


決してオペラ座のように豪華絢爛な訳ではないのだが、けれどもそれによく似た、繊細で華やかな美しさを感じる階段である。


そんな階段を挟んだ左翼と右翼では、壁紙や調度品の雰囲気がガラッと変わるのがこのヴィルセの大きな特徴とも言えよう。

左翼側は女性的で、右翼側は男性的な装いであるのだ。



(………不思議なお屋敷だわ。まさに魔法の家という感じで)




そんな魔術仕掛けのヴィルセの構造は、至ってシンプルである。


一階の左翼には外客室が三つと談話室、大広間があり、右翼には使用人の控室や厨房、洗濯室と言ったお部屋がある。


二階は左翼も右翼も私室だけだが、左側には私とカインのお部屋、右翼にはシルヴァとシェラのお部屋があり、いわゆる居住区となっている。


三階には左翼に食堂と大広間、右翼に書庫や倉庫、会議室のようなお部屋が四つあり、カインの執務室も右翼の一室にあった。



普段は、屋敷を出歩いていても誰かに出くわすことはない。

大階段に近づけば、一階右翼側から忙しく動く人の気配を感じたりはしたが、せいぜいがそのくらいである。


なぜなら、使用人は私に出会わないようにと厳命されている為である。

私の気配を感じると、隠れてしまうのだ。




(………そんな運用であっても業務に差し支えないというのが、魔術のすごいところよね)




洗濯物の回収や清掃などは、その素晴らしい叡智により、ほぼ自動的に行ってしまえるのだ。

そのおかげで、使用人たちは部屋から一歩も出ずに、ある程度の作業を完結させてしまえるのだという。


そのため、彼らはそもそも廊下を出歩かないし、私はどんな人が働いてくれているのかも知らない。


それでいいのかと思わずにはいられないが、それほどまでに私の持つ要素が危ういという事である。





「どうかなさいましたか?」

「……ここに飾ってある絵は、今朝は真っ赤なお花が描いてあったと思うのですが」



二階の居住区を歩きながら、ふと足を止める。

壁にかかっていた大きな絵に、違和感を感じたのである。




「ああ、今日は曇り空ですからね。日が当たらないので、散歩にでも行ったのでしょう」



今朝、会食堂に向かう時にはあった筈だと絵を見ていると、シルヴァが当たり前のように答えを教えてくれる。


花壇の土だけがもの寂しく描かれているばかりで、誰かが踏み荒らしたようなその絵は、どこか物悲しさを覚えるようなものに変わっていた。




「……散歩、ですか」

「この絵画は日光浴を好むようですからね。本来はこの時間であれば、あちらの窓から差す陽を浴びて踊っているのですが」

「……踊る…」

「見た事はありませんでしたか」



私が目を丸くしていると、シルヴァもまた目を丸くした。


これは、命を宿すという芽吹きの絵の具を使って描かれた絵画らしく、その結果このような事が起こってしまうらしい。


あくまで推測にしか過ぎないが、絵に描かれていない部分にこの花の好む花壇があるので、今はそこに移動したのでは無いかということだ。



「………この花壇は、実在する場所を描いたものなのですね」

「ええ。丁度、隣に白い百合の花が咲いていたのだとか。そこの日当たりがとても良かったようで、気に入っているのではないかと言われているようですよ」




四千八百年ぶりに開いたこのヴィルセを整えたのは、他でもないカインだった。


そんな彼曰く、数千年使われていなかったにも関わらず、内装には傷んだ箇所は殆どなく、絵画を含む調度品も、自浄魔術が働いていて綺麗に保たれていたという。


花が陽光に当たりたいと動くのも自浄魔術の一つのようで、陽光に当たる事で、絵そのものの変色や風化を防いでいるというのが、シルヴァの見立てだった。




「……日に当たれば焼けてしまいそうなものですが、この絵画はそうではないのですね」

「はい。陽光よりも月光を好む者もおりますし、一概に全てそうだとは言い切れませんが、嗜好の多くは自浄の為に自然と体が求めるものなのだとか」

「……なるほど。それは人間の嗜好にも当てはまるのですか?」

「人間よりは妖異や鬼、妖精の方がその傾向が強いですね」



人外者たちは、人間とは体の作りや生まれ方も大きく異なる。


妖精は自然物から突然派生する事もあり、その形も人型では無い事が多いし、その生態は司る物によって様々だ。


妖異や鬼は、形無きものを司って生まれる。

生まれた時から成体で、子を成して増えると言うことは無く、司るものが消失すれば同じように消失するのだとか。




「……形無きものとは、例えばどういったものがあるのでしょうか」

「そうですね……。身近なもので言えば時間でしょうか」

「時間……。それはとても……重要ですね」

「ええ。時間を司る妖異や鬼は、大きな力を持つと言われています。とはいえ、妖異や鬼は滅多に姿を現しませんし、その種類の全貌は明らかになっていないのです」

「………そのような方々の力を…私がお借りできるのでしょうか……」

「無垢者は貴重ですからね。何かしらの興味を持たれれば難しくはないでしょう。……ただし、対価を提示する必要はあるかと思いますが」



例えば、新しい魔術の素材に良さそうだと言った方向の興味を持たれた場合、契約の交換条件として体の一部の提供を求められる可能性があるのだ。


そうなれば契約は破綻するので、妖異や鬼に無垢者の存在を知らしめるだけに終わってしまう。


彼等がどのようなネットワークを築いているか分からないが、そのような点から情報が漏れ出して狙われる事は避けたい。



「対価………。すぐには思いつかないので、じっくり考えていくつか用意してみます」

「そうですね。……ちなみに記録に残っている方の一人には、対価として花を毎日一輪捧げたようですよ」

「……花を毎日一輪……。お花が好きな方と契約されたのですか?」

「無垢者の方は花屋になりたかったのだそうですが、契約者は嵐を司る妖異だったかと」

「……嵐。……それはとても……意外な組み合わせですね」

「想像にはなりますが、司る物ゆえに花を愛でる機会も殆ど無かったのでしょう」



そう聞けば、人外な生き物たちもまた不自由であるのかもしれない。


そんな不自由な生き物たちは、時に人間の生活を脅かすようなこともする。

彼等は生み、壊すことが本質なのだ。

時には諍いを生み、争い起こすこともあれば、死を生む者もまた居るのだろう。

平定された日常を壊して、幸せを踏み躙る者だって。




(……確かに妖異や鬼は、人間よりもずっと高位な気がする)




時に神が理不尽に力を振るうのも、高次の者ゆえの采配なのだろう。

人間のような感情や思考は持ち合わせてはおらず、それはただ自身の本質と気まぐれなのだ。

やはり、相手の資質に合わせて、こちらも切り出す対価を考えねばなるまい。




(……上手く交渉出来るだろうか)




差し迫った問題というわけでも無いが、近いうちに直面する問題だ。

出来るなら幸運の妖異だとかそういう類いの、穏やかな方がいいなとぼんやり考える。




「キイロ様。何か気になることでも?」

「あ……いえ。対価をどうしようかなと」

「ああ、なるほど」




この屋敷は、惑い子独特のいびつな魔力の訪れを感じると自然に開く仕組みになっていて、私がこの世界に振り落とされた日のあの朝には、すでに玄関の扉が開いていたという。


そんなヴィルセのように、惑い子の来訪を待ち望む存在は必ず居る。

そして、それは決して少なくは無いだろうとシェラが微笑む。




「ですから、万が一失敗したとしても、それで全てが終わると言うわけでは無いのです。気負わずに、けれども慎重に参りましょう」

「………はい。そうですね」

「さて。まだ部屋を出たばかりですが、一階の応接室に、出来立ての揚げ菓子を用意したと厨房から連絡が入りましたよ」




しょんぼりと返事をすると、シルヴァがそんな事を囁いた。



「………私は今日会食堂を破壊したというのに、そんな贅沢を許されて良いのでしょうか………」

「最悪の事態は免れたのですから、済んだことだと忘れてしまいましょう」

「では、私は先に行って珈琲をご用意しておきますから、ゆっくり散策なさってからいらして下さいね」

「……珈琲まで………」

「キイロ様は、ミルクだけでお砂糖は不要でしたね?」

「は、はい。………何から何まで、すみません」

「護衛兼給仕係ですから」




騎士服を着てしゃんとお辞儀をしたシェラを見て、やはり彼等にはこのお役目は役不足な気がするぞと白目を向く。





(私に払える対価、か………)




応接室を訪れると、すぐにミルクたっぷりの珈琲が出てきた。

揚げ菓子の正体は、一口サイズの揚げドーナツで、カリカリとしたお砂糖がまぶしてある。

部屋に広がる甘く香ばしい香りに頬が緩んでしまい、慌てて表情を引き締める。



この歴史あるヴィルセの会食堂を爆散させ、挙句カインを馬車馬のように働かせてしまっているのだ。


今日ばかりは、私は喪に服さねばならない。

そう思うのに、シルヴァとシェラはそれを許そうとしなかった。




(………守護契約があれば、あんな被害は出さずに済んだかもしれないというし………。今の私にできる事は、落ち込むことではなく、早く対価を考え出す事だわ………)




きっとこの二人も、そんな風に考えたに違いない。

湯気の立ったミルクたっぷりの珈琲をこくんと飲む。


シルヴァとシェラが何やら話しているが、私の茶菓子タイムを邪魔しないようにという心遣いなのか、声のトーンは低く、囁くようなボリュームだった。




「では、術陣の侵食があったということか」

「ええ。カイン様が随分と渋い顔をされていた。……おそらくは妖異の侵食だろうと」

「妖異か……。厄介だな。何を司る者かは?」

「まだはっきりとは分からないと」




初日に、無言のダーダンに見守られながら食事を摂った気まずさを思い出せば、二人が会話を持ってくれてありがたい限りだ。


会話の内容の詳細までは理解できないが、良い話ではないことは分かる。

自分が狙われているのだろうかと不安にも感じるが、しばらくはこの屋敷を出ないつもりだから大丈夫だと信じて待とう。




(対価を考えるのが先だ……。花のように、私が何か価値あるものを提供出来ると言えば……)




手元のドーナツを見る。

見た目はシンプルだったが、外はカリカリとして、ふんわりとバターの香りがした。


まぶしてある砂糖がしゃりしゃりと口で解けると、口いっぱいにハチミツのような滑らかな味わいが広がった。




(家庭料理くらいであれば……。いや、そもそも調理器具が使えないのだわ。お料理屋を営むならまだしも、ただの手料理に需要もないだろう。………編み物、刺繍、陶芸……。駄目だわ。全く思いつかない)




これと言って秀でた何かを持つわけでは無い、元引きこもりの女に用意できる対価なぞ高が知れている。

やはりここは口を達者にして、契約の際に相手を言い負かすような技術を身につけるべきだろうか。





「あの、珈琲をご馳走様でした。……私は部屋に戻って読書をしようと思うのですが」

「でしたら、我々も共に」




先日カインに借りた動物図鑑は、貰ってすぐにパラパラと流し見たが、中々に過激であったのでまだじっくりと眺めてもいない。



今日は懺悔としてそれをしっかり読み込もうと決意し、部屋に戻る道を急いだのであった。




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