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管理者兼上司




「………………おい。まさか無垢か?」




目の前には、盛大に眉間に皺を寄せた男性が立っている。

何を隠そう、彼は私の管理者兼上司で、これからたくさんお世話になるであろう人だ。



(綺麗な………人だわ………)



その人の色彩は、心が震えるほどに雅やかであった。

青藍色の髪に、花田色の瞳。

胸下くらいまではあろうかという髪を乱雑に縛っているのに、それすらも上品に見えるのは、流れるような清廉な艶があるからだろう。


しっとりとした深さを感じる色合いは、とぷりと海底に沈んだような静かさと、そこはかとない美しさを感じる。


そんな彼が身につけていたのは、まさに魔術師という漆黒の嫋やかなもので、上から羽織った白いケープがはらりと揺れるのが、また壮麗だ。


まずはその洗練された色合いに目を奪われ、ただ沈黙する。

ダーダンからの視線を感じてハッとすれば、慌てて自己紹介に口を開く。




「初めまして。先程魔力量は一だと判明したばかりです。何も出来ないお粗末な人間ですが、どうぞよろしくお願い致します」




ぺこりと頭を下げてその雅やかな男性に挨拶をすれば、頭上からは呻き声が聞こえた。




「………………魔力量が、イチ?………………そんな事が、有り得るのか………?」

「こちらが計測証明です。驚くのも無理はありませんが、事実は事実と受け入れて、早々に対応してくださいね」




ダーダンが困ったように笑いながら、呆然とした管理者に紙ぺらを一枚渡した。

中々手厳しい事を言うのだなと思いつつ、二人のやりとりを見守る。



「さて。連絡した通り、彼女が惑い子で今代の守護者です。何かあれば貴方の首も吹き飛ぶでしょうが………くれぐれも、頼みましたよ」

「………おい、待て。無垢とは聞いていないぞ。しかも何だ?一だと?………風呂にも一人で入れないのか」




管理者兼上司は、困惑と絶望の眼差しを深めながら、ダーダンに苦情を申し立てている。

どうやら事前のやり取りに不備があったらしく、管理者である男性は不服そうだ。




(お風呂に………一人で入れない………?)



そして、その問題の当事者である乙女は、ただ純粋に驚愕していた。

握りしめていた紙に視線を落とし、そこに連ねてある文字を食い入るように見つめる。

この紙の表題には、無垢者にできること一覧と記載があった。



(確かに、書いてないわ………)



私の住む屋敷の準備が出来たと連絡が入ったのは、昼食を食べ終えてダーダンと少々の世間話をしていた時のことだった。


世間話と言っても、出来ること一覧表に書かれている内容があまりにも酷すぎやしないかと、ダーダンにその悲しみを嘆いていたくらいだ。


ダーダンは宰相という立場にあるらしく、やんごとなき立場の人とすべき話では無かったようにも思うが、彼はひたすら親身に話を聞いてくれた。




(ダーダンさん曰く、この男性は物凄い魔術を使う人だから、多少無理を言って構わないと言っていたけど………。お風呂にも、入れてもらう事になるのだろうか………)




惑い子保護センター改め、ヴィルセの屋敷に住む事が決まっていた私は、そちらの方が警備が手厚いからと、すぐさま移りの門の前に立たされた。


王宮の賓客室から繋がったのは、このヴィルセの屋敷にある応接室だ。

待ち構えていた管理者兼上司は、私を見るなりわなわなと震え始めたのだが、それがどのような感情に由来しているのかは全く分からない。


 


(そもそも、一覧表というよりも注意書きなのよ………幼児への声かけとしか思えないわ………)




魔力量がたったの一しかないと言うのは、それほど由々しき事態なのだろう。

その内容は殆どが注意事項で埋められていて、無垢者だと自ら申し出てはいけないだとか、見知らぬ人間にはついて行かないだとか、そんな事ばかりが記されていた。




(こんな私が一人でできることは、三つだけ。………敷かれた魔術に触れること、遮蔽されていない魔術を見ること、そして魔力の恩恵を受けること)



ダーダンの解説によると、私は自ら発信して何かを為すことは出来ないが、誰かが発した物ならば触れたり見たりすることが出来るらしい。


とは言えそれも、隠されていないことが大前提にあり、この世界の多くの魔術は、防衛上の理由や悪用防止のためにある程度が隠されているというので、私に魔術が感じ取れることはほとんど無い。




(………扉も開けられないと言っていたくらいだし)



果たして、私は何のためにここにいるのかと疑問を抱かざるを得ない。

目の前では管理者の男性とダーダンが、あれやこれやと問答を繰り広げている。




「そもそも、この屋敷を整えるのにどれほど苦労したと………」

「仕事ですからね。割り切ってください」

「いや、お前はもっと早く連絡を寄越せ。無垢者なら、屋敷の防衛魔術が使えないだろうが」

「おや。惑い子が守護者であるという時点で、国家最重要機密なのですよ?覗き聞かれるリスクを負ってまで、追加すべき情報ではないでしょう」

「通信が無理なら、お前が直接言いに来いよ………………」

「私は彼女の嘆きを聞き届ける担当でしたから………」

「何だよそりゃ………………」



ダーダンとは旧知の仲なのか、管理者兼上司はげっそりしつつも親しげな雰囲気で会話している。



(防御魔術………となれば、やはりこの部屋のドアにも鍵が掛かっているのだろうか。何も見えないけど………)



そんな彼らを横目に、私は応接室だという部屋をくるりと見渡す。


私に見えた魔術と言えば、守護者契約の魔術陣や、移りの門の魔術陣程度で、部屋の中にそれらしき物は見えなかった。


このヴィルセの屋敷にどれほどの魔術が敷かれているのかは皆目検討も付かないが、少なくとも一人では生きていけないくらいには魔術が満ちているのだろう。




(………お風呂のドアの開け閉めだとか、お湯を出すだとか、そういうことも出来ないレベルなのだろうか)



私は、魔術の恩恵を受けることは出来るので、例えば体を温めて貰ったりだとか、お化粧して貰ったりだとかは可能なのだと聞いた。


その他にも、空を飛ぶことは出来なくても、誰かに浮かせて貰えば空は飛べるし、守護や防御の魔術を敷いて貰えば守ってもらうこともできる。




(もし魔力がゼロだったら、本当に何も出来なかったのだわ………)



だが、ゼロだった場合は魔力の恩恵にあやかれない代わりに、魔力による攻撃や障りの類は受けないのだという。

私は一とはいえ魔力を有しているので、攻撃も受けたい放題なのだ。




「………いや、俺が蛇口を捻りさえすればあとは使えるのか………。待てよ、と言うことは身支度するにも全て俺の介入が必要だと言うことか………?!」




管理者兼上司は、いまだ苦悶の最中にいた。

青藍色の髪をぐしゃっと乱して頭を抱えているのを見ると、まるで私が問題児であるかのような絶望ぶりである。

どうやら彼は、守護者の上司であり惑い子の管理者である上に、無垢者の世話係まで担うことになるようだ。




「この屋敷には家事全般を担う者がいるでしょう。貴方はこの方の、身の回りのお世話さえすれば良いはずですよ」

「それが聞いていない話だと主張している。……そもそも、年頃の娘の身の回りの世話を、俺がやること自体おかしいだろ………!」

「とは言え、この方の肩書きを思えば、任せられる者も限られてくるでしょう」

「……くっ!……いいか、娘。早く契約する人外者を捕まえてくるんだ……!」




管理者兼上司兼お世話係となった青藍色の男性は、苦しげな表情で私にそう告げた。

これから同じ屋敷で暮らすことになるらしいので、顔合わせと思えば緊張していたが、表情がくるくると変わるので、なんだか親しみやすそうな雰囲気を感じる。



(……苦手なタイプではなくてよかった)



ダーダンは、無事に私を引き渡したのでと王宮に戻っていく。

残された青藍色の人は、少し間を置いてからカインだと名乗った。



「……お前は名乗らない方がいいな。とはいえそれも不便だな……仮の名をつけるか………」

「あの、カインさん。私はまさかお手洗いも一人で行けないのでしょうか………」

「??!」



目を見張って驚愕の表情を見せ、カインはしばらく沈黙した。

互いに見つめ合う謎の時間ではあったが、彼はきっと様々な葛藤を繰り広げたに違いない。


その後、ハッとしたように私の手を取り、階上のとある部屋へと案内してくれる。




「ここがお前の部屋だ。寝室と、浴室と洗面室、それから不浄場はこちらだ。………さすがの俺も不浄場まで立ち入るのは気が引ける。今から持てる全ての叡智を使って、無垢者が使える不浄場をつくりあげる。………まだ少し………我慢できるか?」



カインがどこか切羽詰まった表情のまま、そう尋ねた。

どうやら、私がすぐにでも排泄したいと主張したように思っていたらしい。

初対面でとんでも無い勘違いをさせてしまったと、大赤面しながら平謝りすれば、彼はホッとしたように不浄場に消えて行った。



(………綺麗な部屋)



一人取り残された私は、自室だという美しい部屋をぐるりと見渡した。


案内された部屋はシェルピンクの壁紙に、落ち着いたチョコレート色の床と家具で統一された、女性らしい部屋だった。

数千年使われていない屋敷だと言っていたので、ある程度の古さは覚悟していたが、内装は比較的新しいように見える。



(壁紙も………張りたてなのだろうか。多少の埃っぽさは覚悟していたけど、むしろ清廉な森の中にいるかのような息のしやすさだわ………)



室内には小さなストーブがあり、火は入っていないが、こじんまりとした佇まいが可愛らしく部屋を彩っている。



(………繊細な意匠だけど、溶けてしまわないのかしら)



ストーブに近づいてみると、飴細工のような繊細な装飾が取り巻くように施してあった。

ちらりと薪の投入口を覗けば、中には蜜柑色の鮮やかな鉱石がごろごろと入っている。



(この綺麗な石を燃やすのだろうか………勿体無い気もするけど………)



暫くストーブの意匠をうろうろと観察してから、次は部屋全体をざっと見渡す。

一人暮らしには大きすぎるほどの広さで、三人がけのソファが二台、ローテーブルを挟むようにして設置されている。


テーブルの一角には、小さな白い鉱石の花が咲いている。

花は、星を纏ったようにきらきらと輝いていた。

その煌めきにほうとため息をついていると、ふと視界の端に、緑色の物がよぎっていく。



(………あれは、なんだろう)



ベッドのそばにある大きな窓の向こうで、フヨフヨと何かが浮遊していたのだ。


林檎大のマリモのような、緑色の物体である。

浮かんでは沈んで、ほよんほよんと音が聞こえてきそうな、どこか腑抜けた生き物だ。


これがいわゆる妖精なのか、それともカトルニオが拾っていたような大栗的な不思議生物なのだろうか。



(見なかったことにしよう………………)



じっと見ていると不安になってくる生き物だったので、すぐに目を逸らすことを決意する。

そして、謎生物の奥に見える、壮大な景色に焦点を絞った。



(………………奥は………随分と広いお庭………いや、草原なのかしら)



そこには、亜熱帯の大草原のような果てしない緑が広がっていた。

この屋敷の立地条件が気になるところではあるが、季節を司る世界なのだから、もしかするも国土全体が自然に満ち溢れているのかもしれない。




(国土そのものが広いという可能性もあるわ………。このヴィルセのお屋敷も、随分と広そうだし………)



これに関しては少しホッとした部分があったのだが、ヴィルセは想像以上に大きな屋敷だった。


応接室も随分と立派だったし、自室まで歩くまでに見た廊下の長さや部屋の数、階段の大きさから考えれば、おそらく小規模の学舎と同等レベルの大きさなのではないかと思われる。


初めは男性との共同生活に不安を抱きもしたが、正直、この広さなら全く気にならない。



(………それに、さっきダーダンさんが、ここには家事を担う人がいると言っていたし………)



カインにその事を聞いてみようかとも思ったが、不浄場からは彼の呻くような苦しげな声が聞こえてきて、質問を投げかけるのは気が引けた。



(………これから、ここで生活するのか)



改めて部屋を見渡してみる。

壁際にはキャビネットが並び、小物入れのような籠や、飲み物が入っているであろうポットが置いてある。

その並びに、コロンとした丸い花瓶に花が生けられているのが目に入る。


秋桜だろうか。

アプリコットカラーの優しげな花が控えめに佇んでいて、部屋を一層柔らかな雰囲気に押し上げている。

突然異世界に飛ばされてきた不遇を慰めるかのような温かさに、胸がほんの少しほころぶ。



(………部屋を彩るのに、生花を飾るなんて………いつ以来だろう)



このような心遣いに触れるのは、随分と久しぶりだった。

母はとても丁寧な人だったので、きっと彼女が生きていたならば、ふとした日の晩餐のテーブルの上に、このような生花が飾られる事もあっただろう。


もう何年も触れていなかった小さな優しさは、そんな記憶を呼び起こして、心に大きな波を立てた。





「ふう。俺としたことが、すっかり動転していた。………ん?何だ、ずっと立っていたのか」





感傷に浸っていると、カインが誇らしげな顔で不浄場から戻ってきた。

私が立ち尽くしている姿を見て、驚いたように目を瞬く。



「カインさんが働いているなのに、私だけ座っているのは気が引けまして………」

「はは。変なことを気にする娘だな」




どこか晴れやかな様子のカインは、先ほどの絶望した眼差しはどこへやら、精神的に余裕が出来たような話ぶりに変わっている。

その手には、何やら腕輪のようなものが握られていた。




「不浄場を改造するよりも、これを渡した方が早いのだと気がついた。……どちらの手でもいいから、これを肌身離さず付けていてくれ」

「………はい」



腕輪と言っても、それは決しておしゃれなものではなく、針金をくるりと一周させたような無機質なものだった。

翡翠のような小さな石が付いていて、かろうじて腕輪だろうと認識出来るようなものだ。

カインから差し出されたその腕輪を嵌めてみると、彼はうんと大きく頷いた。



「この部屋の不浄場を改造できても、他の場所の物が使えないからな。これは俺の魔力の欠片を封じてある石で、特別な陣を使って切り分けられるようにしてある。………これを身につけてさえいれば、蛇口を捻ったり、通信機を取ったりすることも出来るだろう」



すっかりこの存在を忘れていたと、お世話係を解放されたらしいカインは機嫌良くソファに座る。


この魔術の腕輪は彼が考案した物らしく、精度は高いものの切り出せる魔力が二十程度しかなく、役立たずだと長い間放棄されていたらしい。


とはいえ二十も魔力が使用できれば、水を出したり電気を点けたりは出来るようになるという、私にとっては画期的な発明品であった。



「俺は色んな人間に出会って来た自負はあったが、無垢者は初めて出会った。……惑い子にも出会ったことはなかったが……。まあ、このゴミ同然のガラクタが日の目を見て良かったと、過去の自分を褒め称えているところだ」

「……ゴミ同然のガラクタ」



つまり、私はそれ以下だと遠回しに言われたようなものであるが、それについては反論のしようも無いのでごくりと飲み込んでおく。


そして、ガラクタだと高らかに明言された腕輪は、乙女の人権を守る最終兵器でもあるので、さすさすと大切に撫でておいた。


道端にでも落ちていれば、子どもが作ったおもちゃか何かと思ってしまうようなシンプルな造形だったが、まじまじと観察してみると、中々に趣が深く愛着が湧いてくる。



「蛇口や鍵もそうだが、何か道具を使う時には必ず魔力が必要になる。予め敷かれた魔術陣に魔力を注ぐことで、その道具を扱うことが出来るようになるが、二十も使えるなら十分だろう」

「………これのおかげで、入浴も賄えるのですね」

「ああ。日用品は、魔力の消費を最小に抑える様にと研究されているから、二十あれば大抵の物は使えるだろう」

「ありがとうございます………」

「高度な道具は使えないだろうが、そういった類の家事や雑務は使用人がすべて請け負ってくれるし、ひとまずこの件は良いだろう」




ソファに寛いだ様子のカインに目線で促され、その向かい側に腰掛けると、彼はどこからか一冊の本を取り出した。




「この本には、世界の理や一般的な知識が書かれている。まずはこれを読んで、この世界の基本を知るといい」

「はい。ありがとうございます」

「それから、お前は無垢者だから、このヴィルセの外には行かない方がいい。屋敷の中を歩くにも、必ず俺を伴ってくれ」

「分かりました。………あの、守護者としての務めは、どの様にこなせば良いのでしょうか」

「………お前に出来ることと言えば……そうだな……。全く思いつかない……が、王宮からの依頼が来るまでは特にやる事はない。まずは知識をつけて、身の振り方を学ぶ方がいいだろう」




カインは更に、何冊かの本を取り出した。

ただし、魔術のやさしい基本と書かれていた本は私には無用の長物だと判断されたらしく、スッと取り下げられてしまう。



「夕食の時間までは、この本を読んでいてくれ。俺は使用人を含めて少し調整を行ってくる。………無垢者で惑い子の守護者か………。参ったな………どうすっかな………」



困っている本音がダダ漏れの中、ガシガシと頭を掻いて、カインがソファから立ち上がる。

海に揺蕩う花田色の瞳は、途方に暮れたように遠くを見ていた。


三十代くらいには見えるが、カトルニオやダーダンが彼の腕は随一だと太鼓判を押していたし、腕輪の件も然り、中々の凄い人である事は間違い無いだろう。



「おっと。そういえば、そこの棚の上に焼き菓子があったはずだ。紅茶はこの保温ポットに入っている。カップもお前のものだから、その辺りは好きに使って飲食してくれ」

「棚の上………」



カインに示されたキャビネットに視線を送る。

確かにそこには、先ほども見ていた小物入れのような籠がある。

隣にはころんとした丸いポットが三つあり、お水と紅茶が二種類あるのだとカインが説明する。



「このポットは、牡丹雪を集めた雪どけ水だな。こちらは春イチゴと雪雫の紅茶で………これは白葡萄と檸檬の果実水だ」



ごくりと、説明を聞くだけで喉が渇くラインナップだ。

あまりにも美味しそうな上に、とても魅力的な響きに胸が躍る。




「それから、この通信機は、ボタンを押せば誰かに繋がる。俺に繋ぐのはこの藍色の物だ。何かあれば、これで俺を呼んでくれ」

「はい。分かりました。ありがとうございます」



扉の横には、アールデコの不思議な四角い箱が設置されていて、ぱかりと開くと綺麗な石ころが埋め付けられていた。

通信機と言うが、どこに向かって話すのかはよく分からない。

そちらに歩み寄ってまじまじと観察していると、くすっと笑ったカインが、ではなと告げて颯爽と部屋を出て行く。




(石ころを押せば、あちら側で呼び出し音が爆音で鳴るだとかそういう仕組みなのかも………)



何だか急いでいるような様子だったので、落ち着いてからゆっくり聞こうと自身を納得させ、ポットの紅茶をカップに注ぐ。


小物入れだと思っていた籠を見てみれば、確かにクッキーやフィナンシェがこんもりと入っていた。

一枚の大きめのサブレを摘んで、いそいそとソファに着席すれば、体の力がどっと抜けるような感覚に襲われる。





「………ふう」




思わずため息が漏れる。

この世界に落とされて、ようやく一人の時間になったのだ。

目まぐるしく状況が変わって、ただ着いていくのに一生懸命だったが、どうやらその疲れが押し寄せたらしい。


だがそれでも、まだ落ち着けるほどに自分の立場を理解したわけではない。

先ほど借りた本をせめて一冊でも読み終えて、ある程度の事は把握しようと気合を入れ直す。



(……よく分からない所に来てしまったけど、悪い様にはされていないし、案外こちらの世界の方が住みやすいのかも知れない)




それは、出会った人間が良かったのか、それとも部屋に生けられた秋桜のおかげなのかは分からない。


だがこの時私は、これが壮絶な道を歩む序章に過ぎなかったのだと、まったく想像もしていなかったのだ。



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