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死兎が呼ぶ禍福



朝陽が差し込むのは、とにかく広い部屋だった。

ほんの数日とはいえ、一度与えられた部屋で過ごした時間は、目の前にある景色に少しの寂しさと落ち着かないソワソワ感を催した。



身支度を終え、例の独房を気にしながら窓に近寄っていく。


パヤパヤと謎の生き物の鳴き声が聞こえる。

カーテンを開けてみると、眩しい朝日がきらきらと差し込んだ。

部屋の窓から見える広大な景色は、胸がすっとすくような清々しさがある。

少し窓を開けてみると、ふわりと肌寒い風が舞い込んだ。


先ほどの鳴き声の主は何処だろうかと、辺りを見渡す。

特段目立つ生き物は居なかったが、あとでカインに聞いてみようと、朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。





「お早う、ラナ」

「おはようございます………」



私がカーテンを開けた音を聞いたからなのか、デュカが独房から顔を覗かせた。

洗面も済んでいないはずなのに、あまりの美しさに思わず目を細めた。

こちらは早起きしてようやく身支度を終え、なんとか見られるようになったというのに。

寝起きでも変わらぬ美しさとは何事だろう。



「……もう着替えも済ませたのだね」

「はい。夜は仕方ないにしても、男性の前では流石に気が引けて」 



私の言葉に、デュカはふうんと頷いた。

乙女の心の機微にはあまり興味がないらしい。

変な生き物だとでも言いたげにぼんやりと見つめられて、彼はスタスタと洗面室に入っていった。



「……本でも読んでようかな」

「おや、朝食は食べないのかい?」

「ギャッ」



この化石と共に暮らし始めてーーーいや、出会ってからまだ五日目。

顔を合わせればその美貌に気後れするし、知り合ったばかりの人にはやはり緊張もする。


しかもその正体は古代からの生命体ときた。

そんなよく分からないモノが、入ったはずの洗面室ではなく、真後ろに居たとなれば、こちらは飛び退きするだろう。



「……私が怖いのかい?」

「さっきあっちに行ったじゃないですか!どうして後ろに立ってるんです?!」



私が悲鳴をあげたのがよほど気に障ったのか、彼は随分険しい顔をしていた。



「せめて身支度を済ませてから………え?終わってる?」

「全て魔術で整えてしまうからね。……後ろに立たれるのは嫌いかい?」



脱帽、というか、もうここまで来てしまうと訳がわからなくて呆然とする。

だって、ほんの一、二秒だったではないか。

それに、魔術で整うならばなぜ洗面室に入ったのか。


口早に問い正したいのをぐっと堪える。



(世界が違いすぎるわ……。やっぱり魔術ってすごい)



果たして自分が国一つ護る役割を果たせるかと心配だったが、目の前の美しい生命体ならば簡単に成し遂げてしまいそうだとも思えた。



「死角に立たれるのは少し怖いです。私は非力ですから、警戒してしまいます」

「そうだったね。今後気をつけよう」




この生命体と言葉が通じていて、どうやら味方になってくれそうだと言うことが奇跡のようにも思えた。

デュカはまだ眠いのか、少し気だるそうに目を伏せた。



「でも、君は私と契約で結ばれているから、身の危険は心配しなくとも良いよ。繋ぎの魔術も施しているし、何かあれば私の元に届くと思うからね」



何でもないような顔でこちらに歩み寄ってきた彼は、するりと私の髪を一筋持ち上げた。



「これはカインに染めてもらったのかい」

「……はい」

「……ふうん」



どうにも感情が読めないのは、妖異ならば皆そうなのだろうか。


こちらとしては魔術で彼と繋いだという言葉に様々な疑問を投げかけたいところだったが、雰囲気を読むにどこか言葉を発せない。



「まあ、そのくらいなら別にいいか」



少し考えたような間があって、デュカが諦めたような言い草で呟いた。



「……デュカさんと繋がれているというのは、何か私に制約がありますか?」

「特に無いよ。私の名を思ってくれさえすれば通じるから、何かあれば駆けつけよう」

「……名前を思うだけで良いのですか?」

「そうだね。まあ、呼ばれなくとも、君が何処にいるかくらいは分かるから、危険が迫っているようなら此方から出ていくけれどね」



カインも影繋ぎの魔術をかけてくれていたが、口に出して名を呼ぶ必要があった。あの魔術も中々に高度な魔術だと聞いていたが、まさかそれよりも利便性の高い魔術があるとは思わなかった。


(なんて便利な魔術なのだろう……。それとも、契約を結ぶからこそ出来る事なのだろうか)



感嘆すると同時に、ふと、彼が眠たげな理由がそこにあるのかと顔を見つめる。


相変わらず美しい白銀の艶やかな髪。肌は透き通るように白く、瞳の黄金には吸い込まれてしまいそうな深みがある。

どこか仄暗い妖しさの中にある淫靡な美しさは、やはり人間とは掛け離れた存在に感じる。



「その繋ぎによって、貴方は疲れてしまいませんか?」



無礼千万と機嫌を損ねるだろうか、と少し躊躇った。けれど、私と彼には天地よりも更に深く高い差がある。

まだ関係が浅く、無防備に質問出来るうちに聞けることは聞いておこうと思い切って切り出したのだ。



「……不思議なことを聞くね。……そうだね、この魔術はそんなには疲れないかな」

「……そうでしたか」



怒られなかったことと、返答の内容にホッとして思わず息を吐く。

ふ、と少し笑みを溢したのはデュカは、ここでようやく掬い上げていた私の髪を手放した。



「……何故そんな事が気になったんだい?」



そう聞き返したデュカの目には、どこかヒヤリとするような空気を孕んでいた。

やはり、私風情がそんな心配をするのは失礼だったかも知れないと反省する。



「繋ぎの魔術は、常にずっと動いているんですよね?

……もし、貴方の負荷が大きいなら申し訳ないと思ったので確認したかったんです」

「申し訳ない?それは私に対してかい?」

「ええ。私は契約を盾に、貴方を酷使するつもりは全く無いので。例えば、私の行動制限で負荷が軽くなったりするならば、そういった事を提案できないかと考えました」

「……ふうん」



どこか見定めるような視線だった。

例え嫌われても、契約があるからには捨てられると言うことはないのだろうが、動悸と冷や汗で体が強張った。



「貴方のような尊い方には、私の心配は無用の長物かとは思ったのですが……。でも、今私は貴方を勉強している最中なので」



あまりにも真っ直ぐな言葉を選びすぎたと、我ながら恥ずかしくなった。

これでは告白しているみたいだと、また違った意味で動悸がした。



「……君は本をよく読みたがるし、勉強熱心らしい」



彼の返事に、変な意味に取られずによかったと安堵する。

感心したように、ふ、と笑う顔は先ほどよりも柔らかく見えた。



「……熱心かどうかは分かりませんが、無知で居続けるのは怖くて」

「……賢明な判断だね」

「少しでも早く、一人でこの世界に立てるように努力します」



デュカはやはり、感情の読めない表情だった。

ただ頷いて、扉に体を向けた。



「さて。朝食の時間だろう?人間はきちんと食べないとすぐに死んでしまうからね」



どうやらデュカがエスコートしてくれるようだ。

腕を取るように促され、頷いてからそっとそこに触れた。



「……水と塩があれば、三日くらいは生きられますよ」

「たったの三日かい?」



歩きながら、たわいもない会話が続く。

この際、人間についての知識もつけてもらおうと思って言い返したが、デュカが眉間に皺を寄せたのを見てぐっと言葉が詰まる。

そうだった。この生命体は化石なのだったと思い出す。



「……妖異さんたちはどのくらい生きられるのですか?」

「我々は食べなくても数百年くらいは生きるんじゃないかな。試したことはないけれど」



その返答に次はこちらが眉間に皺を寄せた。

ほとんど化け物ではないかとヒキ気味にデュカを見る。



「そんな顔で見られたのは初めてだな」

「……すみません。あの、食事そのものが嫌いという訳ではないんですよね?」

「そうだね。味覚はあるし、空腹の感覚も持ち合わせているからね。私は食事の時間も嫌いではないかな」

「あくまで食事が生命維持に直結しないと言うことですね」



見たところ呼吸はしているし、血液も通っているように見える。人間と同じような構造の体に見えるのに、こうも違うとなると不思議いっぱいだ。



「我々は司るものがあるから、それが存在する限りここに在り続けるんだよ」



ふと、デュカが私の心中を察したように呟いた。



「……本で読んだ事があります。司るものが消失すれば、同じように儚くなってしまうと」

「うん。……そうだね。」



妖異や鬼は形なきものを司るのだと以前シェラが話していた。

デュカは妖異の王として君臨しているようだが、何を司るのだろうか。



「デュカさんは、何を司る方なのですか」

「この世界そのものだよ」 



彼の紡ぐ言葉や見せる表情にも、何かの恩恵があるのだろうか。

そう思わせられるほど、あまりにも強く輝いて見えて、思わず目を細めた。


青々とどこまでも広がる草原。

色鮮やかに咲き乱れる花々と、そこに舞う蝶。

高く広い空に広がる真っ白な雲は風に靡いて形を変え。


私が生まれた世界よりも、何もかもが煌めいているように見えた理由。

この人がこんなにも美しいのは、この世界が美しいことと同義なのだと腑に落ちる。




「だからこんなにも美しい世界なのですね」




思ったままの言葉を放つ。深い意味はなかった。

会食堂の扉が見えて、今日はシェラやシルヴァの迎えがなかったなと疑問を増やす。

私が独りごちたように呟いたからか、デュカは特に返事はしなかった。



「おはようございます。ラナ様、デュカ様」



此方の気配を感じたのか、部屋の少し手前で扉が開いた。

シルヴァが礼をして部屋に迎え入れてくれる。



「おはようございます。遅くなって申し訳ありません」



部屋にはすでにカインがいて、シェラとなにやら話しこんでいた。



「おはよう」

「おはようございます」



こちらに気がついて挨拶を交わすと、彼等の会話はそのまま流れたようで、静かに朝食が始まった。

春の爽やかな朝だった。ひんやりとした空気は感じるのに、不思議と屋敷の中はどこも暖かで。




「そういえば今朝、パヤパヤと鳴き声のような物が聞こえました。ニワトリか何かの生き物でしょうか」




朝食の和やかな話題のひとつになればと、疑問を放り投げる。

食事に取り掛かった二人のどちらかから返答を貰えるかと、デュカとカインを交互に見つめる。



「……パヤパヤ……だと?」

「はい。でも、特に生き物は見当たらなくて。一体何が居たのでしょう?」



私の言葉にカインは明らかに顔色を変えた。シェラとシルヴァが目配せをして何処かに連絡を入れるのが見える。



「ラナ。そう言う時に私を呼ぶべきなのでは無いかな」

「……何か危険だったのでしょうか?」

「それは恐らく死兎の鳴き声だろうね」

「しと……?」

「孤独死した兎の死霊だよ。深い悲しみを撒き散らして同じ場所に引き摺り込もうとする兎だから、人間にとっては危険だろうね」



デュカが紅茶を飲みながら、優雅に説明してくれる。

死兎はこれと決めたターゲットに自身の鳴き声を聞かせて、おびき寄せるのだと言う。不思議とターゲット以外の者には鳴き声が聞こえないので、無知な人間や子どもがよく餌食にされてしまうのだとか。



「……確かに私は無知で、無垢者だから子どもだと思われているかもしれませんね…」

「秋の国では暫く見かけなかったと思うのだけどね。それに、この屋敷で過ごしていて死兎に見つかる謂れもないだろうに」

「どうしてお前は毎朝こんなにも騒動を持ってくるんだ……」



カインがげっそりと項垂れるのを見ながら、ふと鳴き声を思い出してみる。

どこか不思議で放って置けないような印象で、妙に好奇心をくすぐる鳴き声だった。普段は軽率に窓は開けないようにしていたが、何の躊躇もなく窓を開けたことを、今となっては疑問だった。



「……通りで、魅力的な声に聞こえた訳ですね」

「お前……引っ張られるなよ。死兎は現れれば討伐隊を組んで対応するほどの脅威だ。万一連れていかれでもしたら、とんでもないことになるぞ」

「……討伐隊…。可愛らしい生き物ではないのですね」

「話を聞いていてどこに可愛らしい要素があったんだ?」



野うさぎなんかは山で見かけることがあったが、猪や熊とは違って草食でずいぶんおとなしい。

だが、この世界ではきっとそうではないのだろう。


「カイン様。カトルニオ様よりご返答です」

「チッ。何故こんな時にお前が狙われているんだ……いいか?お前は今日も部屋で大人しくしていろよ」

「勿論です」



パヤパヤ。パヤパヤ。


ふわんと漂う金木犀の香りのように。何処か自然と入り込んでくるのは、死兎という生物が死霊だからなのか。

まるで知り合いに呼びかけられるような、心地よい温かさ。



「このパンはバターの香りが濃厚ですね」



私の言葉には、パヤパヤと返答が返って来た。

カインはこれから忙しくなるぞとうんざりした顔で朝食を食べていて、デュカは特に気にもしない様子だ。



「貴方もバターは好きなのですね?」



私の言葉に、デュカが射抜くような目で私を見る。

テーブルを囲んでいたカインもすぐさま立ち上がって、何事かと背筋が伸びる。



「お前、誰と話していた?」



この世で一番怖い言葉かもしれない。

特に意識していなかったが、私は今誰かと話していたのだろうか。



「まずいぞ。……もう半分くらいは引き摺りこまれているんじゃないか」

「契約の結びと魔術の繋ぎがあるから、持ち帰ることは出来ないと思うけれど。……私の契約主に手を出すなんて、愚かな死兎だね」



ふう、とため息をついたデュカと目が合う。

彼は私を、というよりは、何か違う者を見ているようだった。



「ふうん。確かに死兎の繋ぎが出来てしまっているね」

「……どうやってこの警備を掻い潜れたんだ……」

「気に食わないな。私が退治しておこう」

「おいおい。いいのかよ」

「構わないよ。ラナの守護は契約の主文だからね」



昨日よりも少し打ち解けたような様子が見られて、どこかホッとする。

もしも私がデュカと上手く話せなくても、カインがいればなんとかなりそうだ。そんな人任せな思考も頭をよぎる。



(……死兎の矢所にされてしまうなんて。一体何処で見つかったのだろうか)



デュカの時もそうだったが、やはり私は目立つ人間らしい。思わぬところで舌舐めずりした怖い生物がいると思うと背筋が寒いが、幸いにも隣にはデュカがいる。



(カインさんもいるし……本当に一人でなくてよかった…)



食いっぱぐれないようにと、少し急ぎ目に食事を頬張る。

シェラとシルヴァは、窓やドアの付近を念入りに確認していた。



「でも、ひとりぼっちには違いないだろう?」

「……確かにそうかもしれませんね」



とんとんと肩を叩かれて、どこか慰めるような声に居た堪れなくなって自嘲気味に返事をした。ハッと我に返る。



「ラナ。返事をしてしまったのかい?」

「……の、デュカさん……すみません」

「契約を結んでいても、私には鳴き声は聞こえないようだね」

「……鳴き声、というよりはもう言葉を話しているんですが…」

「おや。随分と近くまで来てしまったようだね」



ぴりりと凍りつく部屋の雰囲気に、さすがに胸が詰まる。落ち着くために紅茶を一口流し込み、深く息を吸う。



「肩も叩かれました。もう私は終わりですか」

「それは困ったね。さて、どうしようか」



流石に怖くなってデュカに椅子を寄せると、彼は意外そうな顔をした。



「今日はそばに居るから、引き摺り込まれることはないとは思うけれど」

「お手数をおかけしますが、ぜひお願いします」

「いいのかい。慣れるまでは共寝はしないのだろう?」

「…………背に腹は変えられません」



椅子を寄せると、デュカにすぐ手が届く位置となった。

朝食はさっさと食べ切ってしまったので、残っていた紅茶のティーカップをそろりと近くに寄せる。



(デュカさんはまだ少しかかりそう。紅茶はゆっくり飲めそうだ)



広いテーブルに椅子をみちみちと並べると、ふと家族の団欒を思い出した。



(……もう、随分と前の話なのに。まだ少し寂しい気がする)



これも死兎とやらの影響だろうか。

デュカが何か気が付いたのか、私の手に視線を落とす。



「私に触れていると良い。侵食を多少防げるだろうからね」



こくりと頷く。さて、何処に触れているべきかと悩み、食事の邪魔にならない様にと脚の上にそっと手を置いた。

何だか安心してしまうのは、契約を結んで居るからだろうか。



「お前が妖異の王と契約していて良かった」

「はい、私も今ひしひしと感じています……」



カインと頷き合う様子を見ていたデュカは意外そうな顔をしたが、何も言わずに朝食のスープを飲んだ。



「カインは惑い子の管理者になったのだね。前職は後任を選んだのかい」

「ああ。勅命だと拒否権のひとつも許されなかったな。何故俺がとは思ったが、蓋を開けてみれば無垢者、惑い子、守護者ときて納得したがな……」



遠い目をするカインに申し訳ない気持ちが芽生えるが、この屋敷では好き放題出来るから良いんだとも彼は続けた。



「確かに、ここまで希少条件が揃っているのは私も見た事がないね」

「妖異王様が仰るっていうならもう間違いなくそうなんだろうよ……」

「私は気まぐれのつもりだったけれど、思っていたより面白くなりそうだよ」



どこか場慣れしているカインは、妖異王とも対等に話している様に見えた。

妖しく笑うデュカに妖異の独特な雰囲気を感じ取りながら、膝の上に置いた手にじんわりと汗をかく。



(気まぐれだと言っていたけど、本当にそうなのだろうか)



考えても分からないので仕方ないと思っているのに、どうしてもぐるぐると思考が巡る。

デュカとは、出来るだけ仲良くしたいと思っているのだ。まだ関係は浅いけれど、どうしても悪い人には思えなかった。




「デュカさん、カインさん。私は皆さんのお荷物ですが、じゃじゃ馬にはならないように心がけますね」

「頼むぞ」


カインの目は切羽詰まったような必死さを感じた。

やはり調子に乗って問題を引き起こす様なことはしないよう、引きこもりを心がけようと誓う。


朝食を終えてからは、私はデュカにピッタリとくっついて離れないように過ごした。

お昼前になって、国軍から引き抜いた少数精鋭の騎士隊が到着して屋敷はお祭り騒ぎになった。

私がデュカと一体化しているお陰か、朝食の後からは死兎の気配は無く、少し賑やかな平和が屋敷に訪れていた。


部屋で本を読む私と、ポツポツ雑談をしてくれるデュカ。

静かな部屋にノックの音が響けば、定期的に様子を見に来てくれるシェラが入って来た。



「シェラさん。少し落ち着いたようですが、騎士隊の皆さんのお部屋は整ったんですか?」

「ええ、何とか。今から探索魔術で索敵を行いますので、また少し騒がしくなるかと思いますが」



有難いことに、カトルニオが手配したらしい騎士隊は五十人で構成されていた。国軍が動いたといっても過言ではないとシルヴァが驚いていたが、構成員は全員が突出した才を持っているようだ。



「私が始末しても良かったのだけどね」

「せっかく手配して頂いたので、今回はお言葉に甘えましょう。デュカさんが外に行ってしまうと、何だか心許ないので……」

「……私は良いけれど」

「御二方がこちらに居て頂けるので、我々も安心して死兎探しに専念できます。何かあれば通信機でお呼びください」

「はい。ありがとうございます」



シェラが部屋を出ていくと、掴んだデュカの腕をさらに強く握る。

あれから詳しく話を聞けば、死兎は対象を骨まで残さず食べてしまうのだという。

人喰い兎だなんて怖すぎてお会いしたくもないと、デュカには遠慮せずに守って貰っている次第だ。



「ラナ。死兎が見つからなければ、今夜は魔術で洗浄をするかい?」

「洗浄?」

「おや。私と入浴するつもりかい?」



そう問われて、ハッとする。

もちろん魔術での洗浄とやらを所望するが、討伐隊の方達が死兎を見つけるまではデュカとの密着生活が続くのだ。



「……恐れ入ります。魔術をお願い致します……」

「構わないよ」



早く見つけて退治して欲しいと心から願いながら、デュカをちらりと見上げる。

ソファに深く腰掛けて足を組む姿は悠々と華やかで、私の読む本をパラパラと捲って時折息を吐く。



(……綺麗だなあ)



それは、憧れや恋慕とはかけ離れた感情だった。

虹のかかる空を見上げたような、煌めく星月を見上げたような。恍惚とした感想である。

手の届かない美しさを前にすると、自分の立場がどこか他人事のように思えた。



「君は元いた場所に帰りたいとは思わないのかい」



不意にデュカがこちらを見た。突然の質問に驚いたが、その内容に何度か瞬く。



「……今は、思いません。帰っても誰もいませんから」

「……そう」



静かで、とても居心地の良い空間だった。

暗い言葉を放った自覚があったが、デュカは否定も肯定もしなかった。どうしてか説明は出来ないが、たったそれだけで、心がほぐれたような気持ちになった。


窓の外から声が聞こえる。おそらく索敵が始まったのだろう。窓に視線を送ると、手のひら大の葉っぱがぺたりと張り付いている。



(風で飛んできたのかな。そういえば、今朝は風が吹いていた)



ここ秋の国では、紅葉が楽しめる季節となっていた。赤々とした葉が森を彩る中でも珍しく、窓に張り付いていたのは青色の美しい葉である。



(せっかくだから採取してみよう。外には討伐隊の実力者が揃うというし)



するりとデュカの腕から手を離すと、彼は穏やかに微笑んで口を開いた。



「いけない子だね。あれが死兎だよ」



外した手を再びするりと絡め取られ、デュカの体に引き寄せられた。

ハッとしてデュカを見上げると、視線は同じ方を向いていた。



「あれは葉っぱでは無いのですか」

「うん。君を迎えにきたようだけど、もう私が壊してしまおう」

「あんなに綺麗な色なのに……」

「おや。心惹かれてはいけないよ。見目で惑わすのは常套手段だからね」



その言葉を最後に、デュカは指先でくるんと中に円を描いた。

同時に青色の葉がくしゃりと折れ曲がって窓の桟に引っかかり、風に吹かれてパタパタと靡いている。



「……もう死んでしまったのですか?」

「うん。……どうするつもりだい?」

「この死骸は回収したら、何か害が出ますか?」

「死んでいるから大丈夫だよ。……保管するつもりかい?」

「……カインさんに渡してこようと思います。たとえ死骸であっても、今後何かの役に立つ事もあるかもしれません」

「ふうん。……確かに高くは売れるかもしれないね。滅多に見ない生き物だから」



高値での取引とまでは考えていなかったので、思わず目が丸くなる。

魔術の材料にでもなるかな、という程度だったので、それならばと窓をそっと開ける。




「……キノコに触れているような、肉厚な葉っぱですね」



人差し指と親指でつまんで持ち上げてみたが、ウサギの顔や手足は見当たらなかった。

少しほっとして、そのままデュカに見せる。



「カインさんは外に居るみたいですね」



窓から見えた青藍色の髪を見つけて呼び止めようかと思ったが、二階から大声を出すのは気が引けたし、周りには討伐隊の騎士と思われる人がいる。



「こっそり届けて来ます。私が外に出るのは危ないですか?」

「屋敷の敷地内なら問題ないだろうね。私も行こう」

「ありがとうございます」



部屋を出れば、しんと静かな屋敷の中に、微かな生活音が響いている。

洗濯する水音だろうか。姿は見えないが、使用人の方達はいつも通りの業務に励んでいるようだ。





「おい。何故出てきた」



庭に出ると、私の姿を見た討伐隊の方と思しき方々がざざざっと後ずさって最敬礼をした。

カインが怪訝にこちらを睨むので、駆け足で歩み寄る。



「部屋に出てきてしまったのでデュカさんに退治してもらったのです。これは死骸で、もう何も悪さはしないという事だったので報告も兼ねて討伐隊の方にもお礼をしたかったのですが」



そう言って死兎の死骸を摘んだ手を持ち上げると、ぎょっとした顔でカインが私を見る。



「お前……よく触れるな」

「キノコのような感触で肉厚ではありますが、ほとんど葉っぱのようなものです」

「………」



カインは黙り込んだまま、胸元から取り出した手袋を嵌めて死兎を受け取った。



「……随分と綺麗に処理したものだ。これほど綺麗な死兎は初めて見た」

「デュカさんが指先でくるんとしてくださったのです。何か魔術の役に立つならと思ったのですが、活用法はあったりするのですか?」

「ああ。勿論」



シェラたちが討伐隊の撤退を呼びかけ始めるのを横目で見る。

カインが心なしか嬉しそうな表情をしているので、とても良い素材だったらしい。



「俺は報告とこいつの処理に王宮へ行く。シルヴァを置いていくから、大人しくしていてくれ」

「……庭の散策は許されますか?」

「それくらいなら構わん」



それからはあれよあれよという間に討伐隊が帰還し、カインも早々に移りの魔術で出かけてしまった。

珍しく賑やかだった屋敷には再び静謐が訪れ、ざあざあと風にゆらめく草木の影の移ろいが際立った。




「デュカさん。今日はありがとうございました。もし何かご用事があれば、そちらに向かって頂いて構いませんよ」

「今日はもうここに居ることにしたよ」



庭に通り過ぎる風が心地よくて、木漏れ日の差す庭の景色は初めてデュカと出会ったときを思い起こさせる。



「君は私を勉強しているのだろう?少し手伝ってあげても良いよ」



くす、と吐息の漏れる静かな微笑み。初めて会った時にも感じたどこか安心感を孕む、私の好きな笑い方。



「では、お願いしても?」



危機が去った安堵もあり、心が綻んで笑みが漏れる。

心地よい風が吹き抜けた二人の隙間は、少しだけ狭まったような気がした。


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