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西陽  作者: Co.2gbiyek
5. 派遣を辞めた日
13/15

5.1 業務終了日

 ユウゴの最後の2週間は、九段下のオフィスでこれまでに作成した資料を整理して過ごした。資料リストの更新と、細かな文言修正やフォントの統一、印刷範囲などの見直しをゆっくりと時間をかけて行った。


 ヤマグチがいた頃、ユウゴは派遣終了の日まであと何日かを数えていた。あれほど地獄のようだった仕事がこんなにも穏やかに過ごせるようになるとは思ってもみなかった。ハタケヤマ係長からは特に難しいことも要求されなかったし、そもそもハタケヤマ係長にそういう何をしたらいいのか分からないような仕事は依頼されたことがなかった。だが、ハタケヤマ係長はユウゴに気を使っているわけでも優しいわけでもなかった。ユウゴに仕事を振っても時間がかかるだけなので、自分でやることに決めていたのだ。ユウゴを見切ったということだ。


 細かな文言修正をしている時に、ユウゴが作成した資料に大幅な修正が入っていることを見つけた。他にも修正予定のページには『意味が分からないので最初から作成し直し』などと吹き出しが入れられているところがあった。今さらどうこう言うこともないのでユウゴは何も触れずにいた。その方がお互いのためだ。毎日少しずつ自尊心を削り取られ、それを知りながらも気付かないふりをしている。


 九段下オフィスでの仕事が終わってから、次の仕事の話をするため、新宿にあるユウゴの派遣元の会社に向った。派遣会社の担当営業のスギタはユウゴよりも一回り年下の32歳の男だ。あご髭を生やしていて、ユウゴからみれば生意気な男に見えた。


 小さな会議室に通される。薄っぺらなパーテーションで区切られただけの安っぽい会議室だ。その小さな会議室は派遣社員との面談用にいくつも作られていた。顧客への報告で訪れた日本橋のビルの重厚な調度品と比較するとまるで学園祭の出し物のようだ。クリーム色の樹脂と赤い座面の安っぽい椅子に座る。


「次の仕事どうしましょう? 」


 そう言うスギタは高圧的だ。候補を出してもらい、その中から選ぶように言われる。しばらく悩んでいるとスギタが腕時計を見る。


「マエザワさん、もう、あんまり選んでらんないよ。」


「いや、ちょっと苦手な部分を期待されているようでそこが気になってまして。」


「あのさ、もうちょっと真剣に考えないと。45過ぎたら厳しいですよ。ただ自分だけの事だけ考えて働くんじゃなくて、いい歳なんだから、マネジメントできるようにならないと。使えないよ。若い人の方だって使いづらいんですよ。」


「すみません、もう一日だけ考えさせてもらってもいいですか?」


「もう、いい加減にしてくださいよ。時間かかってしょうがないよ。次の面談で最後にして下さいよ。」


 ユウゴは3つの候補が印刷された紙をもらって、バッグに入れた。もう10年近く使っているビジネスバッグの持ち手がすり切れて手垢で変色しているのに気が付いた。よく見るとビジネスバッグの四つ角全てがほつれていた。ユウゴは依れてポケットの部分が変色しているグレーのスラックスとアイロンをかけていない、胸元のポケットの隅が黒ずんだワイシャツを着ていた。それとは対照的にスギタの光沢のあるスーツには皴がなかった。


 派遣会社のオフィスが入るビルの一階のコンビニでプライベートブランドの酒を買い、ハンカチで缶を隠して飲んだ。スギタからもらった派遣先の情報を小さく丸めて眺めながら駅に向かった。人員管理という文字が気になっていた。他のモノには資料の報告、顧客との調整などという言葉がある。誰も俺の話など聞かない。俺が発した言葉に誰一人答えずに会議室やオフィスに無言の時間が流れるのが目に見えるようだった。


 いつもの通り、九段下のオフィスに出社すると、ハタケヤマ係長がユウゴに声をかけてきた。ハタケヤマ係長が明日から顧客先で打合せになるので、ユウゴは今日で業務を終了として良いということになった。あと3日残っていたので、驚いたが実際には何も困ることはなかった。すぐにPCからデータを消去して、IT窓口にPCを返却する。ハタケヤマ係長に入館カードを返して、お昼には九段下のオフィスを出た。


 8か月続けた派遣の最後の日は本当にあっけなく終わった。ハタケヤマ係長に入館カードを返した時に、ユウゴは『お願いします』といい、ハタケヤマ係長は『はい』と受け取っただけだ。エントランスのゲートで入館証を返却したことを伝えると警備員が『お疲れさまでした』と声をかけてくれた。


 こんなものなのかと、ふつふつと湧き上がる思いを、そういえば、いつもこうだったのかもしれない、という思いで押しのけようとした。今さらどうしていちいち、そんなことを考えてしまうのか。事実いつもとそう変わらない終わりだった。


 だが俺の扱いは年々悪くなっている。あるいは自分が年齢とともに傲慢になって多くを求めているのかもしれない。ぞっとするような想像だった。とっくに下り坂にいたのだと改めて気が付かされてしまった。


 ヤマグチよりも年下であればどうか。自分が20代であればどうだったのだろうか。厳しいがスキルが高く、チャンスがあれば自分を優先することが出来る、憧れの先輩だったのではないか。だが45歳の俺にはヤマグチはそう映っていない。駅前のコンビニに急いで駆け込み、プライベートブランドの酒を買ってイートインスペースで飲んだ。外国人の店員に、店内での飲酒はご遠慮くださいと丁寧に言われて黙ってうなずくしかなかった。ユウゴは店を出て、酒の缶をハンカチで隠し、とにかく歩いた。


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