4.3 報告
ユウゴとハタケヤマ係長、そしてミズシマ課長が日本橋の顧客オフィスのエントランスで待っていると、クリハシ、ミヤモト、オカダ課長、オオシタ部長が到着する。受付を済ませて入館カードを受け取り、ゲートの先にあるエレベータで12階の来客用の打合せフロアに上がる。
金融機関の一支店に当たるそのビルの打合せフロアは分厚い絨毯が敷かれ、重厚感のある扉で各部屋が仕切られている。テーブルや椅子など全ての調度品が重厚で高価であることが分かると同時に古くて、かび臭い。
20人は優に座れる楕円のテーブルの中央に取締役兼執行役員だという皴一つないスーツを着込んだ痩せて神経質そうな60代の男性が座る。テーブルに座ることが出来ないメンバーは壁際に並べられた椅子に座っている。顧客側とその対面にそれぞれ10人ほどが座った。ユウゴは壁際の一番端の席に座り膝の上にノートを広げ打合せに臨む準備をした。打合せ議事録作成はクリハシの役割になり、気が楽だった。
執行役員の正面にオオシタ部長が座り挨拶を行い報告会が始まる。本編70ページの報告書はオオシタ部長が濃淡をつけて説明すると、執行役員は気になる部分についてその都度オオシタ部長に質問をした。遠回しではあるが、指摘に近い質問だった。例えば従業員側の利便性を向上させることでシステム対応と過渡期用の手動の対応が残り続けることになるが、その場合、2パターンの業務を行うことになるがそれはどう考えるのかなというものだ。それはオオシタ部長がミヤモトに指摘したことそのものであるし、親会社はそこに答えを用意しなかった。
オオシタ部長は次の実行フェーズで具体的な打ち手を検討しましょうと言うばかりだ。執行役員は頷いてはいたが、別の個所でも同じニュアンスのことを何度も質問する。結局、打合せは予定通り、2時間丁度で終わった。ゆとりを持たせたはずの時間を全て使い切って報告会を終えた。
オオシタ部長は非常に暗い、沈んだ顔をしている。ユウゴから見てもこの報告会は失敗だった。やはり顧客は提言とその効果を含んだ報告を期待している。次のフェーズがあるのであれば、それはその提言の実行方法の検討と確立のための検討だ。そうだとすればこの報告会の内容ではワンテンポ遅い。
そもそもコンサルティング会社が作った資料は、顧客側がコンサルティング会社に作らせた資料だ。内容も当然知っている。この会社にその先を任せたのは業務内容を知っているからだ。それなのに業務内容を知らないコンサルティング会社が作った資料をなぞった資料を提出しても顧客には価値がない。ミヤモトとオカダ課長はやっと終わった、というような安堵の表情を浮かべて肩の荷が下りたように晴れやかな顔をして談笑している。オオシタ部長の表情に気が付いていないのだろうか。
その夜、親会社の営業担当が顧客の執行役員に呼び出された。怒鳴り散らかされた挙句、やり直しを命じられたのだ。
翌日、顧客向け報告会のフィードバックを受けるという名目で虎ノ門のオフィスにユウゴたちは出向いた。普段は別のオフィスにいる数名の営業担当が虎ノ門オフィスのオカダ課長とオオシタ部長がいる部屋に出入りしているのが見えた。あわただしくどこかへ電話をする営業担当が、何かトラブルがあったのだということを物語っている。
オオシタ部長との打ち合わせが始まり、昨日の報告会のフィードバックを営業担当から受ける。結局、中途半端な報告内容に顧客は怒っており、やり直しを要求されているとのことだった。ハタケヤマ係長、ミズシマ課長が天を仰いだ。
それから3日間、ミヤモトとオカダ課長とオオシタ部長が、子会社のミズシマ課長、アカバネ部長と議論を重ねて出した方針を顧客に説明に向う。そして、2か月間の追加報告の資料作成を行うことで顧客と合意した。もちろんその費用は親会社の持ち出しと言うことになる。実作業を行うのはミヤモトたち親会社の社員とハタケヤマ係長だけとなり、ユウゴは当初の予定通り、今月で契約期間が終了となることに変わりはなかった。
そうなるのは目に見えていた。現状の事実に対して、実際何をどうすればいいのかが全くなかったからだ。オオシタ部長が気にした通りで、ヤマグチの仕事の成果がこれだ。ハタケヤマ係長も上から降ってきた仕事をいなすだけの人だ。自分から意思を持って仕事に臨むなどないだろう。ミヤモトは勤勉だが明らかに勘が悪い。オカダ課長は体裁とどう見えるかだけしか気にしていないので内容など見てもいない。そうなると、やはりオオシタ部長が指揮をとるしかないのだろうというのが目に見えるようだった。
ユウゴは物事を客観的に見ることが出来ているのではないと自覚している。最初から俺には何も関係がなかったのだ。仲間に入れられていないからだ。結局、ピアニカを持って来てもらえなかった、あの日で止まったままだ。存在を無視され続けている。そして、俺はそれが事実であることを確認するためにわざわざ派遣社員になって苦しい思いをしながら生きているのだと思うと、やはり酒でも飲まなければやっていられなかった。