戦いのあとで
モフモフは戦闘が恐ろしかったからか、私の胸の中でガタガタと震えていた。
かわいそうに。
屋敷を飛び出し、私に付いてきてしまったばかりに、怖い思いをさせてしまった。
鞄の中に入れてあげると、少し落ち着いたようだ。
ゾフィアは心配いらないだろう。幼少時からさまざまな戦場を駆け抜け、トランシルヴァニア公国までやってきたのだ。
今も、私の隣に腰掛け、警戒する様子を見せていた。
カルパチア山脈を抜けたあと、麓にある村に下り立つ。
そこは雪深い農村、といった感じだった。
着陸後、駆けつけてきたのはロラン卿だった。
「花嫁様、ご無事ですか!?」
「ええ、この通り、みなさまのおかげでケガなどなく、元気いっぱいです」
ロラン卿は顔面蒼白となっていたようだが、私やゾフィアが取り立てて心配するような状態でないことを確認すると、安堵したように息を吐いていた。
「それにしても、災難でしたわね。まさか、ワイバーン兵の襲撃を受けてしまうなんて」
「はい。我々の不徳の致すところでございます」
「悪いのは襲撃してきたワイバーン兵ですわ。どうか、お気になさらず」
ロラン卿は深々と頭を下げながら、何度も謝罪を繰り返していた。
スタン卿も下りてきて、私達に謝ってくる。
「戦闘に参加していなかった私が、もっと早く気づけたらよかったのですが」
「あの吹雪でしたもの。気づかないのは無理もありません」
ここで、ロラン卿から質問を受ける。
「その、花嫁様はどうして後方からの襲撃に、お気づきになったのでしょうか?」
「ただの勘ですわ」
「か、勘、ですか?」
「ええ」
幼少時から根拠がないのに悪いことが起きるという勘が、不思議と働くことがあるのだ。
「本当ですよお。私が実家へ行こうとした日、エリザベル様に強く止められたんです。それで日程をずらしたあと、私が乗るはずだった馬車が事故に遭ったことがありまして」
そうなのだ。だから、窓を開いたとき、ゾフィアは強く止めなかったのだろう。
「未来視、でしょうか?」
「どうでしょう。わたくしはずっと、虫の知らせと思っていたのですが」
今回も私の勘が働き、後方からの敵襲に気づくことができたわけだ。
「何はともあれ、今回、私共を救った英雄は花嫁様です。心から感謝します」
いつの間にか竜騎士団がずらりと並んでいて、私に敬礼していた。
私も慣れない敬礼を返す。その瞬間、なんだか彼らとわかち合えたように感じて、とても嬉しかった。
「花嫁様、しばし休憩をなさいますか?」
村長に話をつけ、必要であれば休む場所を提供してもらえると言う。
「皆様は? お疲れではありませんの?」
「いえ、私共はなんともありません」
「でしたら、一刻も早くワラキア公のもとへ向かいましょう」
「承知しました」
ここから先は、ロラン卿が私達が乗る竜車を操縦してくれるらしい。
すぐに出発し、ワイバーン達は再び大空を舞う。
飛行が安定してくると、ロラン卿が伝声管を通じて話しかけてきた。
「花嫁様、少しよろしいでしょうか?」
「はい、なんですの?」
「先ほど襲撃してきたワイバーン兵ですが――おそらく、アトウマン帝国の者達かと」
ワイバーンで有名なのは神聖帝国である。そのため、もしかしたら神聖帝国の兵士だろうか、と考えていたが、予想が外れた。
「そう、でしたのね」
「もしかして、わかっておられたのですか?」
「いいえ、わたくしは神聖帝国の兵士かと思っておりましたので、想像と違ったな、と考えておりました」
「そう、でしたか」
しばし沈黙をしたのちに、再度ロラン卿が話しかけてくる。
「花嫁様のような度胸のあるお方が嫁いできてくださって、心から嬉しく思います」
「あら、そのようなお言葉をかけていただけるなんて、光栄ですわ」
「謙虚なんですね」
「いえいえ。ロラン卿はわたくしが吸血姫と囁かれているのを、ご存じなかったのですか?」
「それは、把握しておりました。けれども花嫁様と会った瞬間に、噂はデタラメだと気づきましたので」
「そう、でしたか。ありがとうございます」
ロラン卿は「到着までごゆっくりお過ごしください」と言ってくれた。
ワイバーンはだんだんと高度を低くする。
馬車みたいに地上すれすれを飛んでいたので、驚いてしまった。
外は一面深い雪で、ぽつぽつと石造りの家が並んでいる光景を目にする。
トランシルヴァニア地方でよく見られる木造の家というのは見かけなかった。
教会ですら、頑丈な石造りである。
戦果に呑まれた人々の避難場所として想定しているので、簡単に壊れないよう、敢えて材質を石にしているのだろう。
ワラキア公国がアトウマン帝国の猛攻を防いだのは、環境の違いにあるのだ、と気づいてしまった。
窓の外を覗いていたゾフィアが、引きつった表情で私のほうを見つめる。
「ゾフィア、どうかなさいましたの?」
「ま、窓の外に、血まみれの森が!」
「あら、本当ですわね」
木の幹から血が滴っている。まるで鮮血のように真っ赤で、ゾフィアが怖がるのも無理はない。
「ワ、ワラ、ワラキア公が、串刺しにした者の生き血を幹に塗りたくっているのでしょうか!?」
「まさか。あれは〝竜血樹〟と呼ばれる、赤い樹液を流す木ですわ」
「そ、そんなおどろおどろしい木があるのですか?」
「ええ」
貴重な木なのだが、こんなにたくさんあるなんて驚きである。
「な、なんて恐ろしい森なのでしょうか!!」
「恐ろしい森ならば、トランシルヴァニア公国にもありますでしょう」
常に霧がかかっていて、慣れた地元民でも迷子になってしまうような不気味な森である。
そんな森の奥地に、残忍なバートリ家の吸血鬼が住んでいるという噂が流れているようだ。もちろん、根拠のない嘘で、実際にあるのは何代か前のトランシルヴァニア公が建てた愛人のための屋敷があるばかりである。現在は誰も使っていない空き家で、手入れしていなかったため、吸血鬼が住んでいると思われているという。
「ここの森はトランシルヴァニア公国の森といい勝負ですね」
そんな話をしているうちに、ワイバーンはどんどん山のほうへと登っていく。
「エ、エリザベル様、どうしましょう。街のほうではなく、山に向かっております! 私達、山に捨てられるのでは!?」
「ゾフィア、大丈夫ですわ」
たぶん、という言葉は呑み込んでおいた。
あまりにも怖がるので、ロラン卿に聞いてみた。
「あの、ロラン卿、山のほうに向かっているようですが、拠点はもしや高い場所にあるのでしょうか?」
「ええ、そうなんです」
ワラキア公国のみ、アトウマン帝国の侵攻を防ぎ、守っているのは拠点がある地形に関係がありそうだ。
直接ここへ飛んでこなかったのは、私にワラキア公国を見せよう、という心配りだったようだ。
「ロラン卿、お心遣いに感謝いたします」
「いえいえ。お気に召していただけたら、幸いです」
ゾフィアは首を横にぶんぶん振っていた。どうやらワラキア公国観光はお気に召さなかったようだ。
私は興味深いな、と思っていたのだが……。
ワイバーンが行き着いた先は、山脈の間にある谷。そこにワラキア公が拠点とするポエナリ城があった。
城といっても、ロマンチックなものではない。
高くそびえる石造りの、要塞を兼ねた居城だという。
他国の侵攻など許さない、強固な造りをしているのだろう。
要塞をくるりと囲むように、深い水路が掘られていた。湧き出ているのは、山水なのだろうか。
「ヒッ!!」
ゾフィアが悲鳴をあげる。何事かと聞いたら、窓の外を指差す。
そこには杭に打たれた数名の人の姿があった――と思いきや、それは人型の藁に服を着せた人形だった。
「ゾフィア、大丈夫ですわ。あれは作り物です」
「だとしても、趣味が悪すぎます!!」
「それはそうかもしれませんが」
きっとアトウマン帝国に対するけん制的な意味があるのだろう。
窓の外を覗き込むと、藁人形以外に人がいることに気づいた。
跳ね橋の前にずらりと並んでいるのは、仕着せをまとう人達。
どうやら使用人の方々が私達を出迎えてくれていたようだ。