ワイバーンについて
それはただのワイバーンではなく、馬車の車体のようなものを体からぶら下げ、飛行するものらしい。
緋色の制服に身を包んだ騎手はワイバーンに跨がっており、手綱を握っている。
ワイバーン達は次々と着地し、車体の上に留まって、優雅な様子で翼を休めていた。
騎手達はワイバーンから下り、ズラリと並んで敬礼する。
期待はしていなかったものの、ワラキア公の姿はどこにもなかった。
それよりも、ワイバーンである。
ワイバーンに乗ってやってくるなんて、聞いていなかった。
私や両親が驚く中、ゾフィアだけは平然としている。
「あの、ゾフィア、ああいうワイバーンを見るのは初めてではないのですか?」
「ええ。あれは竜車と呼ばれるもので、空を駆ける馬車のようなものです」
飛行系の幻獣の中で比較的扱いやすいワイバーンに車体をくくりつけ、空を行き来するという竜車は、貴人の乗り物だという。
神聖帝国からやってきたゾフィアにとって、竜車は珍しくもなんともないらしい。
「とは言っても、乗ったことはありませんが」
ワイバーン達は車体の上から私をちらちら見つめ、仲間同士で会話していた。
『あれがワラキア公の花嫁? なんか地味だな』
『へーー、でも、かわいいじゃん』
『そうかあ? 俺はもっと肉付きのいいほうが好みだな』
好き勝手に言ってくれる。思わず言い返してしまった。
「別に、あなた方と結婚するわけではありませんので!」
ぴしゃりと言うと、ワイバーン達は目を丸くし、驚いた表情を浮かべていた。
『やば! あのお嬢さん、俺達の言葉がわかるんじゃんか!』
『怖ええええ!』
『口は災いの元だな』
それ以降、ワイバーン達は私から顔を逸らし、大人しくなった。
騎手の一人が一歩前に出て、にっこりと微笑みかけてくる。
年齢は四十代半ばくらいだろうか。装備から見て、隊長格なのだろう。
「ワイバーン達を大人しくさせるなんて、さすがです」
なんでもワイバーンは単体だと大人しいようだが、群れになると途端に騒がしくなるらしい。
「さすが、ワラキア公の花嫁様です」
褒め言葉として受け取っていいものなのか。
迷っていたら、父が口を挟む。
「して、貴殿は?」
「ああ、申し遅れました。我々はワラキア公直属の騎士隊、竜騎士団です。私は隊長であるオーギュスト・ロランと申します」
父とロラン卿は握手を交わし、私には深々と頭を下げる。
「持参品などはすべて、ワイバーンで丁重に運びますので、どうかご心配なく」
「その、娘は馬車でワラキア公国まで行くのか?」
「いいえ、花嫁様も竜車で移動していただきます」
ワイバーンに乗っていけば、ワラキア公国まで三時間ほどで到着するという。
馬車で十日も移動しなくてもいいようだ。
なんて便利なのだろうか、と感動したのは私だけだったらしい。
両親とゾフィアは怪訝そうな表情を浮かべる。
「その竜車とやらは、本当に安全なのか?」
「落ちたり、事故を起こしたり、しないのですか?」
「エリザベル様の御身が心配です」
皆の言葉を聞いたロラン卿は、快活にははは! と笑い飛ばす。
「ご安心ください。ワイバーンはよく言うことを聞きますし、これまで何かトラブルがあったこともございません」
本当だろうか、と皆、疑いの眼差しをロラン卿に向けていた。
「あちらをご覧になってください。白く美しいワイバーンがいるでしょう?」
ワイバーン達の注目になっているのは、若き雌のワイバーンだという。
「あのワイバーンは飛行が丁寧で、振動もありません。花嫁様を安全に、ワラキア公国まで送り届けることでしょう」
それを聞いて、ようやく安心してくれたようだ。
外に並べてあった持参品は、あっという間にワラキアの騎手達が竜車に運んでくれた。
支度は整ったようで、すぐに発つことができるという。
「あの、休憩は必要ありませんの?」
それを聞いたロラン卿は、ポカンとしていた。
「花嫁様に休憩が必要、という意味――ではないですよね?」
「ええ。わたくしではなく、ここまでやってきた皆様のお話ですわ」
「ああ、私達の休憩ですか? 必要ありませんよ」
「長時間飛行して、お疲れなのでは?」
ワイバーン達も、トランシルヴァニア公国まで飛んできたので、休憩が必要なのではないか。そう問いかけたものの、ロラン卿は首を横に振った。
「たった三時間の飛行など、ワイバーン達の散歩にもなりません。我々竜騎士団は、一晩中続けて飛んでいても、疲れを知りませんので」
ロラン卿は「気遣いに感謝します」、と深々と頭を下げたのだった。
「そんなわけですので、行きましょうか!」
「待ってください。その前にこちらを――」
ゾフィアに預けていた木箱を、ロラン卿へと差し出す。
「こちらは?」
「刺繍入りのハンカチです。その、十日間の旅になるものだと思っていたので、皆様の安全を願って、刺繍を刺したんです」
「おお、これは素晴らしい品だ!」
そう言って、ロラン卿はハンカチを腕に結び、満足そうに頷く。
「ありがとうございます。皆に配ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
ロラン卿は傍で待機していた三十代前後の騎手に一枚のハンカチを手渡し、私を竜車に案内するよう命じる。
「この者はドレル・スタン、竜騎士団に所属する、私の副官です」
スタン卿はぺこりと会釈し、ワイバーンのもとへ案内してくれる。
「花嫁様、こちらです」
「はい。あ――少しだけ待っていただけますか? 両親に最後の挨拶をしたいのです」
「承知しました。どうぞ」
もう一度、両親と抱擁を交わし、安心させるように背中をぽんぽんと叩く。
いまだ、両親は私と離れがたいような表情でいたが、これ以上、副官を待たせるわけにはいかない。
後ろ髪を引かれるような思いで、私は白いワイバーンのもとへと歩いて行く。
近くで見たワイバーンは大きく、圧倒される。
そして、白いワイバーンはとてつもなく美しかった。
見とれていたら、白いワイバーンが話しかけてくれた。
『よろしくね、花嫁様』
「ええ、よろしくお願いいたします」
ゾフィア専用の竜車も用意されていたようだが、一緒に乗ってほしいとお願いした。
初めての竜車なので、一人では心配なのだ。
モフモフと作ったクッションを二つ抱えたゾフィアが乗り込んできた。
両方差し出してきたので、片方はゾフィアの物だと言っておく。
「私の分も作ってくださったのですか?」
「ええ、当然ですわ」
「エリザベル様、ありがとうございます!」
竜車の車内は馬車とほぼ同じで、向かい合わせの座席に窓があるという構造である。
ベルベット張りの椅子は上品で、長時間の飛行でも疲れないよう、座席はふかふかだった。
白いワイバーンに騎乗するのは、先ほど案内してくれた副官だという。
「何かありましたら、車内にあります伝声管をご利用ください」
「わかりました」
窓側に金属の管にトランペットの口のようなものがついた物がある。あれが伝声管なのだろう。
飛行の準備が整ったようで、空に空砲が撃たれる。
ワイバーンは音もなく、飛び立っていた。
地上がどんどん遠くなっていく。
私は窓を広げ、両親に手を振った。
「お父様、お母様、行ってまいります!!」
「エ、エリザベル様、危ないですよお」
両親の姿が見えなくなるまで手を振っていたかったのに、窓は早々に閉められてしまった。
ワイバーンは大空を舞い、トランシルヴァニア公国の上空を飛んでいく。
豊かな自然に囲まれた、美しき森の彼方にある国――。
この地を離れることを思うと、涙がじんわり浮かんでくる。
「エリザベル様……」
「ご、ごめんなさい。少しだけ、見ない振りをしていてください」
カルパチア山脈を抜けたら、もう私はワラキア公国の人間になる。
故郷を旅立ち、ワラキア公の花嫁となるのだ。
ハンカチで涙を拭おうと鞄を開くと、何かが飛び出してきた。
「きゃあ!」
「な、何事です!」
『エリザベル、付イテ、キタヨ!』
「モ、モフモフ!?」
驚いたことに、モフモフは私の鞄の中に入っていたらしい。
まったく気づいていなかった。
驚き過ぎて、涙も引っ込んでしまう。