エリザベルの手仕事
嫁入り道具の中でもっとも重要な物は、幼少期からコツコツ作っていた手書き刺繍である。それをゾフィアと一緒に鞄に詰め込む。
「ゾフィア、ご覧になって。これはわたくしが初めて刺した、手書き刺繍ですの」
「まあ、かわいらしい!」
母が毎日していた刺繍をしてみたくて、頼み込んでさせてもらったものである。
記念すべき一作目は、シルクの端切れに施したチューリップに似た何かだ。
「ふふ、こんな刺繍でも、何か魔法が発動するのでしょうか?」
「使ってからのお楽しみですね」
手書き刺繍は決まった魔法陣のパターンがあり、それを写すように刺繍する。
それ以外の刺繍は、どんな魔法が出るのかわからない状態なのである。
「エリザベル様の刺繍は本当にお美しいですね」
「ありがとうございます」
これまで頑張った甲斐があるものだ。
結婚が遅れたので、他のご令嬢よりも、手書き刺繍の数は多い。
それくらいしか、私を娶る益なんてないだろうが……。
「エリザベル様、これらの魔法は、いったいどういう効果があるのですか?」
移民だったゾフィアには、手書き刺繍が不思議でたまらないらしい。
「このケシの花と十字模様の刺繍は、相手を強制入眠させることができます。こちらのヒクイドリの刺繍は、火魔法。薔薇が回転するような模様は、鋭い蔓で拘束するもので、黒ユリの刺繍は呪い返しです」
「な、なんだか攻撃的な魔法ばかりですね」
その言葉はゾフィアだけでなく、母からも言われたことがある。
もっと祝福や回復魔法など、平和的な魔法にしたらどうかとも言われたが、私の方向性が揺らぐことはなかった。
「わたくしの夫となる者は、多くの民を守るような存在だろうと想定し、役立つ魔法を選んで刺繍しておりました」
「その、なんと言えばよいのかわかりませんが、ワラキア公ならば、有効活用してくれそうですね」
「たしかに、そうですわね」
奇しくも、この刺繍を役立ててくれそうなお方に嫁ぐこととなったらしい。
「結婚した夫しか使えない魔法、というのも面白いですね」
「ええ」
「どうやって使うのですか?」
「血を一滴落とすだけで、魔法が発動されます」
「そんな簡単なんですね」
ゾフィアの言うとおり、魔法の発動方法はごくごくシンプルである。しかしながら、いくら夫婦であっても、必ずしも魔法が展開されるとは限らない。
「どういうことですか?」
「秘密は夫婦の関係にありますの」
たとえば名前だけの契約夫婦であれば、魔法は発動されない。
「もっとも重要なのは、夫婦の間にある絆なんです」
「つまり、〝愛〟ということなのですか?」
「え、ええ、まあ」
面と言われると、途端に恥ずかしくなる。
ただ、ゾフィアの言うとおり、夫婦の間に愛があればあるほど、魔法の威力は増していく。
それが、バートリ家に伝わる手書き刺繍なのだ。
「はあ、ロマンチックで素敵な魔法ですねえ」
「使える機会はないかもしれませんが」
そう言いつつ最後の刺繍を鞄に詰め、蓋を閉じる。
入れすぎて鍵が閉められなかったのだが、ゾフィアが鞄の上に乗って圧縮してくれた。
鍵をガチャン、と閉めると、はーーーとため息が零れる。
「エリザベル様、持参品の準備はこれで終わりでしょうか?」
「ええ、そうですわね」
十六歳の誕生日に仕立てた婚礼衣装は、寸法が合わずに着られなくなってしまった。
急に決まった結婚だったので、既製品を持っていくしかなかった。
母は婚礼衣装ですらオーダーメイドで仕立てられないなんて、と嘆いていたが、冬の寒いうちに婚姻を交わさないといけないので、仕方がない話である。
持参品が納められた部屋は、家具や木箱でいっぱいになっていた。
これらはワラキア公国側が用意した運搬方法で運ぶようで、どのような品があるかという一覧表はすでに届けられているらしい。
トランシルヴァニア公国からワラキア公国まで、カルパチア山脈を越えていけば三日ほどで到着するが、馬車の通行は不可能である。
カルパチア山脈を迂回するようなルートでは、ワラキア公国まで十日ほどかかるようだ。
十日も馬車に乗っていたらお尻がすり減ってしまうかもしれない。ゾフィアがそんなことを言うので、ふかふかのクッションをモフモフと一緒に仕立てたのだった。
ついに、嫁入りの当日を迎えた。
両親は瞼が腫れ、目は真っ赤になっている。
二人して、一晩中涙していたのだろう。
結婚が決まってから、両親を泣かせてばかりいた。
今後は嫁ぎ先で、幸せに暮らしていると知らせて安心させたい。
「お父様、お母様、これまで大変お世話になりました」
「ああ。エリザベル、気をつけて。嫁ぎ先で何か困ったことがあれば、なんでも相談してくれ」
「いつでも帰ってきてもいいですからね」
父と母、順番に抱擁する。
他の使用人達も、涙を浮かべ、見送ってくれた。
モフモフの姿はない。寂しいが、彼女は屋敷妖精である。外に出ることはできないのだろう。お別れは昨晩のうちにしておいたので、お見送りを期待するのはワガママなのだろう。
ワラキア公国の者達がそろそろ到着すると聞いていたが、そろそろだろうか。なんて思いつつ空を眺めていたら、上空に鳥の群れのようなものを発見する。
その群れはどんどんこちらへ近づき、ついにはその姿を間近で捉えることとなった。
「あ、あれは――!?」
トカゲに翼を生やしたようなその姿は、見間違えようもない。
ワイバーンであった。