雨と屋敷妖精とマリッジブルー
ワラキア公との婚約は、あっという間に正式なものとなった。
マジャロルサーグ王を通じてワラキア公にも伝えられたらしく、なんの抗議もなく受け入れられたらしい。
ただ、ワラキア公からの直接の接触はなかった。
私との結婚について、なんとも思っていないような無関心ぷりである。
一応、父が手紙を送り、そのあと私も贈り物を贈った。それに対しても、なんの反応もなかったのだ。
いったいどうして? と思いつつも、ふと、ワラキア公に対する噂話を思い出す。
ギゼラが以前、ワラキア公は竜と人間の間の子で、人語を喋ることができない、なんて言っていたのだ。
父の手紙も、私の贈り物の意図も、理解できなかった可能性がある。
私の祝福の能力で、言葉を交わし、意思の疎通を取ることは可能なのか。不安でしかない。
今日は雨が降っているので、こんなに憂鬱になってしまうのだろうか?
はあ、と本日何度目かもわからないため息を吐いてしまった。
そんな私の傍に、モフモフがやってくる。
『元気ナイ?』
私の肩に飛び乗り、心配するように頬ずりしてくれる。
「平気ですわ」
『ソウカナ?』
モフモフには感情を隠しても、ばれてしまうようだ。
今、この瞬間だけは、弱音を吐くことを許してほしい。
「わたくし、ワラキア公と上手くやっていけるでしょうか?」
『デキナクテモ、イイヨ。気ニシナイ!』
「モフモフ……ありがとうございます」
少しだけ、心が軽くなったような気がした。
幼少期から一番の友達だったモフモフとのお別れも迫っている。屋敷妖精は家と契約した存在なので、外に連れ出せないのだ。
「モフモフ、わたくし達、一生親友ですので」
『モチロン!』
モフモフと過ごす穏やかな時間を、これまで以上に大切にしようと思った。
◇◇◇
嫁入りの支度は着実に進められる。
結婚式についてはワラキア公国で行われる予定だが、バートリ家の者達の招待はできない、とワラキア公の代理人から手紙が届いた。
いったいなぜ? と思いつつも、ワラキア公が望むことは絶対なので、こちら側から抗議なんてできやしない。
結婚式に参列できないと知った両親は、悲しそうにしていた。
侍女のゾフィアなんか、朝からずっと怒っている。
「まったく! 花嫁のご家族が参加できない結婚式なんて、前代未聞ですよ!!」
「そうですわね」
「エリザベル様はどうして、そのように冷静なのですか!?」
「それは、お相手はワラキア公ですし……」
結婚が決まってから、私はギゼラを呼び出し、ワラキア公の噂話について聞き出した。
なんでも彼は見た目から、人外じみているらしい。
頭から二本の角を生やし、顔立ちは牛の骸骨に似ていて、見上げるほどに大柄で、いつも奇妙な声をあげている。
けれども戦場に出て騎槍を握れば、獅子奮迅の戦いを見せるという。
中でもアトウマン帝国の兵士が恐れるのは、竜に騎乗して戦う戦法らしい。
空の上から雨のように騎槍を振らせ、兵士達を一網打尽に串刺しとするようだ。
「ああ、許されるのであれば、このゾフィアもワラキア公国に同行し、これまで通りお側に侍らせていただきたいと思っているのですが!」
「ゾフィア、それは本当ですの?」
「え、ええ。エリザベル様のためであれば、ワラキア公国に亡命しても惜しくはありません」
ゾフィアは十年ほど前から私の侍女を務め、五年前に結婚し、一時期は引退していたものの、離婚後、私のもとに戻ってきてくれたのだ。
別れた夫との間に子どもはおらず、家族もそれぞれ幸せになっているので、なんら心残りはないと言い切る。
「実は、使用人を連れてきてもいい、とワラキア公の代理人から知らせがありまして……ゾフィアさえよければ、一緒にきてほしいのですが」
「私で、よろしいのですか!?」
「ええ。ゾフィアがいたら、とても心強いです」
「エリザベル様~~~~!!」
ゾフィアは私の手を握り、号泣していた。
まさかそこまで心配していたなんて。
「どうしてもっと早く、誘ってくださらなかったのですか?」
「わたくしが言ったら、あなたに拒否権はなくなってしまうでしょう?」
「そんなことありません! 私はエリザベル様を第一に生きておりますので、エリザベル様のおっしゃることは、絶対なのです!」
私とゾフィアの関係を知らない人が聞いたら、誤解されてしまいそうな訴えである。
ゾフィアは移民で、貴族ではない。
一家総出で行き倒れになっていたところを、私が保護したのだ。彼女はそれを恩義として、長年仕えてくれている。
父はゾフィアの結婚の面倒まで見たのだが、私を最優先にしたいという強い思いが離婚の原因となったらしい。
十分なほど恩を返してもらったので、幸せになってほしかったのだが。
なんて言うと、ゾフィアは決まって「私が幸せな瞬間は、エリザベル様にお仕えするときなのです」と答えてくれる。
結婚を機にゾフィアを解放してもいいのではないか、と思ったものの、どうやら私も彼女と離れたくなかったようだ。
「ゾフィア、ありがとうございます」
「それは私の台詞です!」
そんなわけで、嫁ぎ先にはゾフィアを同行させることに決めた。
父が気を利かせて、他に私と一緒に行きたい者はいないか、と使用人達に募ったものの、挙手した者はいなかった。
皆、私や父と視線が合わないよう、目を泳がせていたのだった。
こうなることはわかっていた。