戦いのあとで
父君の背中に乗り、ブラッド様のもとまで向かう。
すでに皇帝とイェニチェリ達は撤退しており、戦場となった平原にはブラッド様しかいなかった。
「エリザベル!!」
「ブラッド様――」
父君の背中から下り立った途端、ブラッド様は駆け寄ってくる。
私を抱きしめ、「よかった……」と呟いた。
「エリザベルがいなくなったと聞いて、心臓が止まるかと思った」
「心配をおかけしました」
一応、連れ去られたわけでなく、叔母と共に転移魔法でやってきたと白状する。
「ああ、ああ、わかっている。ゾフィアがそうではないのか、と言っていたから」
何も言わずにゾフィアを置いていく形となり、怒っているのではないか、と思っていた。しかしながら、ゾフィアはすべてお見通しだったわけだ。
アトウマン帝国にやってきてから数時間しか経っていないはずなのに、ブラッド様は三日も経っていたと言う。
なんでもプネで使った転移の魔法巻物は、時空の歪みを生じさせていたようだ。
一名用の魔法を二人で使ったので、このような事故が起きてしまったのだろう。
「今回も、エリザベルの手書き刺繍に助けられた」
「そ、その点につきましては、謝罪しなければならないことがありまして」
「どうした?」
「いえ、その、呪い返しの刺繍があることを、すっかり失念しておりました」
「ああ、そのことか。謝罪は必要ない」
「どうしてですか?」
もっと早く気づいていたら、呪いを皇帝に返せたかもしれないのに。
「いや、あの呪い返しの魔法については、ただ血を垂らす程度では発動されなかったのだ」
最初に呪い返しの刺繍があると気づいたのは、父君だったらしい。
もちろん、私が不在なため、意思の疎通はできなかった。
けれども父君が身振り手振りで一生懸命に伝えた結果、呪い返しの刺繍だと気づいたらしい。
「ただ、いくら血を垂らしても、魔法は発動されなかった」
困り果てた挙げ句、ブラッド様は呪術師のキジに、ストイカを通じて魔法の仕組みについて何かわからないか尋ねたのだった。
「すると、この魔法に限り、血が大量に必要だということが明らかになったのだ」
ならば、とブラッド様は思いつく。
アトウマン帝国へと渡り、皇帝と戦えば、大量の血を流すことができるのではないか、と。
「目論み通り、呪い返しの手書き刺繍の魔法は発動された」
皇帝が呪いで攻撃してくるのは想定外だったようだが、おかげで交渉を有利に進めることができたという。
「それはそうと――」
「どうかなさったのですか?」
「私の顔は、小汚くないか?」
約一年もの間、牛の頭蓋骨を被ったままだったので、見るに堪えない顔をしているのではないか、と心配しているようだ。
「いいえ、おきれいな顔ですわ」
「そんなはずないのだが」
ブラッド様は自らの顔に触れたようだが、驚いた表情で「髭は生えてない!?」と叫んでいた。
「牛の頭蓋骨でお顔を封印されていたので、時間が止まっていたのかもしれないですね」
「だったらよかった」
別に、髭が生えていようが、頭髪がすべて抜け落ちようが、ブラッド様はブラッド様である。
「わたくしはブラッド様がどんなお姿でも、愛する自信がありますわ」
「うっ……妙に説得力がある言葉だ」
ブラッド様は再度私を抱きしめ、耳元で「ありがとう」と囁いてくれた。
心が幸せで満たされる。
「幼竜の姿をしたブラッド様に会えないのは、ちょっぴり残念ですが」
『嫁! ならば、我をかわいがれ!』
目の前に、小さな竜の姿をした父君が飛び込んできた。
ブラッド様との違いは、長い時間の飛行を可能とする翼だろうか?
「父上、何をしている!?」
『小さい、ほうが、小回りきく!』
「た、たしかにそうだが」
『それに、かわいい!!』
父君は腰に手を当て、胸を張って主張する。
たしかに、かわいい。
幼竜の姿となった父君を抱き上げようとしたら、先にブラッド様が首根っこを掴んでしまう。
「父上、私のエリザベルに触れないでいただきたい!」
『やだ! 嫁に抱っこ、してもらう!』
「ダメだ!!」
短い手足でジタバタと暴れる父君が愛らしくて、思わず笑ってしまう。
そんな私の肩にモフモフが飛び乗って、頬ずりしてくれた。
「父上とこんなことをしている場合ではない。早く帰ろう!」
『わかった』
父君は巨大な竜の姿に変化し、私に乗るように言う。
「あ、叔母様は――?」
塔のほうを見ると、叔母が手を振っていた。
『先に帰れ、言ってる』
竜である父君の耳には、叔母の声が届いたようだ。
叔母がトランシルヴァニア公国へ繋がる転移の魔法巻物を持っていると言っていたのを思い出す。
好きなときに戻れるので、置いて帰ってもいいと言っているのだろう。
私は叔母に手を振り返し、別れたのだった。
◇◇◇
ポナエリ城へ戻ってくると、ゾフィアが私の胸に飛び込んできた。
「エリザベル様~~~!!」
「ゾフィア、心配をかけて、ごめんなさい」
「いいんですよお、エリザベル様さえご無事であれば」
わんわん泣くゾフィアを前に、二度と彼女を心配させないようにせねば、と思ったのだった。
ブラッドは迎えにやってきたストイカとセラの肩を叩き、「二人とも、これまでよくやってくれた」と労いの言葉をかけていた。
「ワラキア公、よくお戻りで」
「お待ちしておりました」
「ああ、長らく待たせたな」
ストイカは涙ぐんでいるように見える。セラは無表情ながらも、どこか嬉しそうだ。ブラッド様が元に戻って感極まっているのだろう。
「それはそうと、お前達、よくも私を容赦なく蔓魔法でぐるぐる巻きにして、地下牢に閉じ込めてくれたな!!」
「これまで見たこともないくらい、興奮されていたので」
「放置していたら、城の者達が死ぬと思ったのです」
「そんなわけあるか!! 父の体に慣れていなかっただけだ!!」
竜の姿なんて二度とごめんだ! とブラッド様は憤った様子でいる。
ストイカ家の親子は申し訳なさそうにしながらも、彼らの日常が戻ってきたことに安堵しているように見えた。
それから私達は真なる夫婦となり、父君や竜騎士団、臣下達、領民らに見守られながら楽しく暮らす。
こんなに幸せなひとときを過ごせるなんて、私に想像できただろうか?
ブラッド様は年に一度、私をトランシルヴァニア公国へ連れていき、里帰りさせてくれた。
この地が今も平和なのは、ブラッド様のおかげだろう。
目の前に広がる美しくも豊かな森の彼方にある国を見ながら思う。
「ブラッド様」
「ん、なんだ?」
「わたくしは果報者です」
「それはこちらの台詞だ」
以前にも、ブラッド様とこんな会話を交わしたような気がする。
そのとき以上に、私は今、幸せなのだ。
「ブラッド様、帰りましょう。ワラキアの地へ」
「ああ、そうだな」
嫁ぎ先がいつの間にか、自分の家になっていた。そんな場所に、ブラッド様が心安らげるような、温かな家庭を作ろう。
そう、心の中で強く誓ったのだった。




