飛んで火に入るなんとやら
「俺が皇帝だって知って、びっくりしたでしょう? 黙っていて、ごめんね」
アトウマン帝国の皇帝が身分や名前を偽り、プネに侵入していた事実だけでもゾッとする。
どうして悪びれもない様子で笑っていられるのか。理解できないでいた。
「いやはや、まさか〝血塗れた吸血夫人〟だけでなく、〝吸血姫〟まで来てくれるなんて嬉しいな。もはや、ワラキア公国を侵攻する意味はなくなったかも」
「それは……どういう、意味ですの?」
頭の中が真っ白になって、彼の言葉が何一つ理解できないでいた。
しっかりしなければ、と自らを奮い立たせ、冷静を装って質問を投げかける。
「俺には欲しいものがあったんだ。それは――大陸を恐怖に陥れる串刺し公が領する〝ワラキア公国〟と、トランシルヴァニア公国の〝吸血姫〟」
「わ、わたくし?」
大陸を侵攻し続けるアトウマン帝国の皇帝が、なぜ私を欲しているというのか。
「まずはワラキア公国が欲しい理由から説明しようかな。これは想像つくだろうけれど――」
皇帝は一度、十万の軍勢を率いてワラキア侵攻に乗り出した。
しかしながら、ブラッド様はたった三万の兵力で撃退したのだ。
そのさい、アトウマン帝国の兵士達を串刺しにしたという噂が広まり、恐れられるようになったという。
「串刺し公の噂のせいで兵士達の士気ががた落ちでさ。いつでも侵攻できる状況だというのに、皆、ワラキア公国とは二度と戦いたくないって言い出す始末でね」
手に入りにくいとわかれば、余計に欲しくなる。
皇帝はいつしか、絶対に手に入れてみせよう、と心に誓ったようだ。
「そんな状況の中で、もう一つ、手にしたい存在が現れた。ワラキア公夫人、君だよ」
「なぜ、わたくしを? トランシルヴァニア公国を欲しているならば、まだ理解できるのですが」
「君は自分の本当の力をわかっていない」
「本当の力? なんのことだか……」
皇帝は満面の笑みを浮かべ、その理由について口にした。
「ワラキア公夫人は、〝聖女〟なんだ。自覚がなかったなんて、もったいない」
「聖女ですって? 何か勘違いされているのでは?」
「勘違いなんかじゃない。君の〝手書き刺繍〟から、特別な力を感じたんだ」
聖女というのは、聖人の呼び名である。
死者を蘇生させたり、予言をしたり、神の声を聞いたり、と魔法では叶わない奇跡を起こす者だ。
私の手書き刺繍がそのような奇跡をなし得たことなど、一度もなかった。
「本当に、心辺りはないの?」
「ええ、一度も――」
「あるはずだ。よーく思い出してみて。君の刺繍は、ワイバーンのブレスを弾き返したはず」
「!?」
トランシルヴァニア公国からワラキア公国まで竜車で移動している途中、カルパチア山脈の上空でワイバーンの襲撃を受けた。
そのさい、コーマン卿が私の刺繍のおかげでワイバーンのブレスを弾き返すことができた、などと言っていたのを思い出す。
彼らにあげた刺繍は魔力を込めた手書き刺繍ではなく、ただの刺繍だった。
それなのに、ブレス攻撃を弾く奇跡が起こったと言っていたのだ。
「刺繍したものに奇跡の力を与える能力――。これが君の真なる祝福、聖女たる力なんだ!」
突然そのような話を聞かされても、信じることはできない。
祝福だって、妖精や精霊、幻獣の声を理解できるものだとしか把握していなかったのだ。
それよりも、カルパチア山脈でのワイバーンの襲撃がアトウマン帝国の仕業だったとは。
それとなく察していたものの、いざ、それが真実だと聞かされると、腹立たしくなる。
「そもそも、なぜ、竜車の襲撃をしたのですか?」
「いろいろ気に食わなかったから。まあ、君達の結婚を決めたのは俺なんだけれど、いざ、嫁入りする日を迎えたら、なんだかムカムカしてしまって」
「あ、あの、お待ちください。わたくしとブラッド様の結婚を決めたというのは――」
「俺だよ。あ、そっか。それも言っていなかったか」
理解しがたい情報の連続に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「ワラキア公国と、トランシルヴァニア公国の吸血姫、どちらも欲しいってわかった瞬間に、どちらも一度に手に入れるようにすればいいんだ、って思いついてさ。ワラキア公国を侵攻し、勝利を収めたら、ワラキア公の妻である君も手に入る! 天才的な発想でしょう? マジャローグ王に言うこと聞かないと侵攻するぞって脅したら、ワラキア公と吸血姫の仲人をしてくれるって言ってくれてさ」
話を聞いているうちに、目眩でくらくらしてきた。
つまり、私達の結婚は、皇帝の画策の結果、実現したものだったらしい。
「マジャローグ王から届いた手紙も、俺が書いたんだよ」
「あ――!」
そういえば、なんだかマジャローグ王らしからぬ筆致だったような気がする。
――バートリ家の吸血姫と、ワラキア公国の串刺し公って、なんだかお似合いだよね!
あれはマジャローグ王が絶対に書かないような言葉だろう。
今、あの手紙を読んだら、違和感に気づけたのに。悔しい気持ちがこみ上げてきた。




