リンゴについて
リンゴについて触れられ、胸がどくん、と嫌な感じに脈打つ。
動揺を押し隠しつつ、青年に言葉を返す。
「リンゴは買ったばかりですのに、どういう意味ですか?」
「呪われている」
「え?」
我が耳を疑うような言葉だが、彼はたしかに〝呪い〟と口にした。
かごの中からリンゴを取り出そうとしたら、青年が私の腕を掴む。
「呪いの影響があるかもしれないから、触らないほうがいい」
青年は頭から被っていた布を取り去る。すると、獅子のような美しく長い金髪が風になびいた。
「そのかご、貸して」
「え、あの!?」
青年は私の返答を聞かずにかごを取ったが、すぐさまブラッド様がリンゴを持って飛びだしてくる。
「うわっ、なんだこれ!!」
『お前、何者だ! エリザベルから勝手に奪い取るなど、狼藉にもほどがあるぞ!』
ブラッド様は小さな翼を羽ばたかせていたものの、どんどん高度が落ちていく。
ガクン! と落下しそうになったため、私はブラッド様の体を受け止め、胸に抱いた。
「喋る竜がこの世に存在するなんて、驚いた」
青年が腕を伸ばしてきたが、ブラッド様はリンゴを投げる。
まっすぐ飛んでいったリンゴは、青年が布で包むように受け止めていた。
「呪いのリンゴを投げてくるなんて、酷いな」
『断りもなしに触れようとしたそっちが悪いだろうが!』
バチバチと険悪な雰囲気となったが、人々の視線も集まってきたので、別の場所に移動するよう促す。
「人の往来も多くなってまいりましたので、少し、別の場所でお茶でもしませんこと?」
「いいね。実は喉がカラカラだったんだ」
名前だけでも聞いておきたかったが、どこで誰が話を聞いているかもわからない場所である。自己紹介は静かなところでしたほうがいいだろう。
第二区画まで移動し、青年が選んだ店へ案内される。
「ここのお店、値段は張るけれど、いい雰囲気なんだ」
異国情緒溢れる佇まいのお店だと思っていたら、アトウマン帝国の料理を出すお店だった。店内は少し薄暗く、天井から虹色灯がぶら下がっていて、幻想的な空間となっている。
個室だったので、秘密の話をするにはうってつけだった。
誰か一緒に席についてほしかったのだが、皆、壁側に寄って使用人らしくしていた。
仕方がないので、青年の向かい側の席に腰を下ろす。ブラッド様は私の膝の上に座らせてあげた。
店員が持ってきたメニューはアトウマン帝国の言葉で書かれているが、この程度であれば読むことができる。けれども青年の前で読めないと言ってしまった以上、メニューを読み上げるわけにはいかない。
「申し訳ないのですが、文字が読めませんので、何か注文していただけますか?」
「ああ、そうだったね。いいよ、いいよ」
そんなわけで、青年が注文してくれた。
軽くお茶でも、と思っていたのに、運ばれてきた料理を前に驚く。
鉄串にささった羊肉に、肉団子、ムール貝の酒蒸しに、ブドウの葉のピラフ包み――お皿に大盛りになった料理が次々とテーブルに並べられた。
「さあ、食べよう。と、その前にお嬢さんの名前を聞いてもいい?」
「わたくしは――」
ブラッド様のほうを見ると、こくりと頷く。
相手の素性については今現在は謎だが、私達が欲している情報を握っているように思えてならなかった。
良好な関係を築くためには、私達が誰か、というのを明かしたほうがいいだろう。
そう判断し、私は先に名乗った。
「わたくしはエリザベル・バートリ・ドラクレシュティ、と申します」
「バートリって、あのバートリ?」
「どのバートリかは存じませんが、トランシルヴァニア公国出身の貴族でございます」
「トランシルヴァニアってことは、やっぱり吸血鬼のバートリ家なんだ!」
なぜか、青年はキラキラした瞳で私を見つめる。
「あ、もしかして、お嬢さんはあの、吸血姫!?」
「ええ、まあ、そう、呼ばれていた気がします」
「うわあ、まさか、バートリ家の吸血姫に出会えるなんて!」
バートリ家と聞いて、ここまで嬉々とした態度に出る人物は初めてである。
何がそんなに嬉しいのか、謎でしかないのだが……。
「アトウマン帝国では、吸血鬼伝説が大人気でね! 詩から劇やら本やら、どれも吸血鬼が題材にされているんだ」
バートリ家の噂は、国を超えた先でも広がっているようだ。
父や母が聞いたら卒倒してしまいそうな話である。
これ以上、吸血鬼について話すつもりはない。そう思って、彼の名前を聞き出す。
「今度は、あなたのお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだったね。俺はルスラン。ルスラン・イスハーク」
握手を求めて腕を伸ばしてきたものの、その手をブラッド様がたたき落とす。
「うわあ、この竜、凶暴だな」
「息子が申し訳ありません」
「む、息子!?」
ルスランは私とブラッド様を交互に見て、目を丸くする。
「そういえばドラクレシュティ、って名乗っていたけれど、君はもしや、あの竜公の後妻なの!?」
『違う!!』
店内に響き渡りそうなくらいの大きな声で、ブラッド様が否定した。
「わたくしは竜公ではなく、小竜公――現ワラキア公である、ブラッド様の妻ですわ」
「ああ、そっちか。いや、驚いた。契約している使い魔か何かだと思っていたのに、自分の息子だって言うものだから」
ブラッド様はいろいろ物申したいようだが、口を閉ざし、何も言わないよう努めているように見えた。
「もしかして、ワラキア公もここに来ているの?」
「いいえ、夫は要塞におります。わたくしは視察を任された身なのです」
「そうだったんだ。だったら、リンゴについては詳しく調査したほうがいいかもね」
「ええ……。その、詳しく教えていただけますか?」
「もちろん。あれはね、初歩的な呪いだよ」
それは、一度食べたらまた食べたくなる、中毒症状を誘発させる呪いだと言う。
「魔法に耐性のない人だと、触れただけで術にかかってしまうんだ」
「だから、捨てたほうがいい、触れるな、とおっしゃっていたのですね」
「そうそう」
リンゴはカンタクジノ家の領地で育てられた物だと聞いていた。
皆、争うように野菜や果物などを買っていたのだが、その理由が呪われている状態だとしたら――?
ゾッとするような話である。
『お前、呪いを見ただけで気づくなんて、呪術師か何かなのか?』
ブラッド様の核心を突くような質問に、ルスランは笑顔で答えた。
「そうだよ!」
国中をいくら探しても見つからないだろう、と言われていた呪術師が今、目の前に座っているというわけだ。