疑惑
この部屋はブラッド様と使うことになるらしい。
ブラッド様は持参していたトランクを開く。
いったい何を持ってきたのか。覗き見したら、意外な品に驚くこととなった。
「こ、これは――」
『エリザベルが作った、手書き刺繍だ』
ブラッド様は小さな体で、絨毯を広げたり、テーブルクロスをかけたり、と部屋を手書き刺繍で飾っていく。
『ふむ、華やかでいいな!』
「お気に召していただけて、何よりですわ」
ブラッド様は嬉しそうに、刺繍を眺めていた。そんな後ろ姿が愛らしくて堪らなかった。
◇◇◇
プネに到着してから三時間後――ゾフィアとセラ、スタン卿やコーマン卿を引き連れ、私達はお忍びの格好で視察を開始することとなった。
まず、向かったのは天幕市場。
そこには異国の地から集められた珍しい品々がたくさん並んでいた。
もっとも目立っているのは、お店の軒先に吊り下げられた、小さなステンドグラスのような、手持ち型の魔石灯だろう。
形は長方形の物から雫型、筒状とさまざまだ。
『あれはアトウマン帝国の名産品である、〝虹色灯〟という品らしい』
かごから顔を少しだけ覗かせたブラッド様が、商品について説明してくれる。
色とりどりの虹色灯の中で、赤一色の丸い形をした虹色灯を発見した。ブラッド様の瞳みたいで美しい、としばし眺めていたら、褐色の肌をした商店のおかみさんがやってきて、にこやかに話しかけてきた。
「お嬢さん、お目が高い。その商品は今朝入荷したばかりなんだよ」
「そうだったのですね。このお品だけ赤一色なのは、何か意味があるのですか?」
「一色だけの虹色灯は職人のこだわりで、派手な色合いにしなくても売れるだろう、という自信の表れなんだよ」
それだけではなく、魔法の仕掛けもあるらしい。
ガラス部分を外すと、底に魔法陣が描かれていた。
「これは魔除けの魔法が刻まれているようだ。虹色灯を灯している間は、傍にいる人達を守ってくれるんだろうね」
「まあ、すてきですわね」
うっとり見とれていたら、ブラッド様が『では、それをいただこう!』と言った。
おかみさんはどこから声が聞こえたのか辺りをキョロキョロ見回していたが、スタン卿がやってきて、ブラッド様から銀貨を受け取ると、それをそのまま差しだす。
「ああ、騎士様の声でしたか。まいど!」
虹色灯は分厚い布に包まれ、紐で縛られた状態で渡された。
商店から少し離れた場所で、ブラッド様にお礼を言う。
「ブラッド様、すてきなお品をありがとうございました」
『エリザベルが気に入るような品があって、よかった』
その後、ブラッド様はスタン卿から一言物申される。
「閣下、何か所望する場合は、先に私共にお声かけください。先ほどのように、店主を驚かせてしまいますので」
『そうだったな。次からはそうしよう』
その後も、珍しい香辛料や絨毯、精緻な刺繍が入った服に、お菓子など、さまざまな品を見て回る。
どれも初めて目にする品ばかりで、うっとり見入ってしまった。
続いては、カンタクジノ家が商売をしているという第四区画へ向かった。
そこにはワラキア公国で収穫している野菜や果物、穀物などが売られていた。
私は品物を眺める振りをし、他の者達は用心深く辺りを観察する。人通りは街の中心となっている天幕市場よりも多い。
大売り出しをしているのか、人々は競うように商品を確保していた。
なぜ、このように熱狂的とも言えるほど人気なのか。
会話を盗み聞きしたところ、ワラキア公国の市場と比較すると、ずいぶん安く売られているようで、買い付けの商人などが大勢押しかけているようだった。
私は観光客の振りをしながら、果物を売る店主に話しかけてみた。
「このリンゴはとっても安いのですが、どこから仕入れたのですか?」
「これはこの市場を取り仕切るカンタクジノ家の領地で採れたリンゴだから、こんなにも安いんだよ」
「そういうわけだったのですね!」
自らの領地で納められた野菜や果物ならば、安く売られていても何もおかしなことではない。
話を聞くだけでは怪しまれるかもしれないと思い、リンゴを一つ購入し、ブラッド様が腕を伸ばしてきたので、そのまま手渡す。
人の往来が多いので、開けた場所まで歩いていく。
その間、ブラッド様は何を思ったのか、リンゴをくんくんと嗅いでいた。
『ウッ!』
「ブラッド様、どうかなさいました?」
『このリンゴ……変な臭いがする!』
「変な臭い、ですか?」
『ああ。何かはわからないが』
人間に害のある物かもしれない。そう、ブラッド様は唸るように言った。
手に持った感じは腐っているようには思えず、皮には艶があり、ブラッド様が言うような変な臭いは感じなかった。
それ以外の理由を思いつくとしたら――。
「もしや、虫除けの薬ですか?」
ここ最近、農作物に薬を撒いて、虫害を予防する農業方法が広まってきている、という話を小耳に挟んでいたのだ。
薬を撒くと虫食いなどなく、よく育つようだが、薬品の臭いがきつい、なんて言う人もいたのだ。
『いや、この感じは薬とかそういうものではなく――』
ブラッド様はリンゴを凝視し、言葉を選んでいるように思えた。
私から見たらごくごく普通のリンゴにしか見えない。
先ほどのブラッド様の反応を見るに、食べてはいけない物なのは確実だろう。
「そこのお嬢さん!」
大きな布を頭から被った露天の店主に呼び止められ、思わず歩みを止めてしまった。
適当にあしらって、通り過ぎたらよかったのに、素直に止まってしまうなんて。
そのまま無視するわけにもいかないので、にっこり微笑みながら「何か?」と言葉を返す。
「詩集を買わない? 詩人〝恋する人〟の新作が大好評発売中なんだけれど」
「初めて耳にするようなお方ですわね」
「うん、そう! 作者は俺だから!」
露天に並んであるのは、自作の詩集だという。
青年は布を被っているので顔は見えないが、声は若く聞こえる。二十代前半から半ばくらいだろう。
露出した腕は褐色で、金や銀のブレスレットをたくさん装着している。
袖のない上着に、だぼだぼとしたズボンを穿いており、腰には花模様の美しい帯を巻いていた。
格好を見ただけでわかる。彼はアトウマン帝国からやってきた商人なのだろう。
「詩集を売るために、こちらへやってきたのですか?」
「いや、主な目的は友達の商売の手伝いで、これは趣味!」
詩はアトウマン帝国の言葉で、ほんの少しならば読めるが、文章に込められた言葉の意味やささいな感情の起伏などは読み取れないだろう。
「ごめんなさい。わたくし、アトウマン帝国の言葉は読めませんの」
「教えてあげようか? お嬢さん、美人だから特別だよ」
「いえ、結構ですわ。夫が待っておりますので」
「あー、既婚者かー。残念」
お喋りはこれくらいにして、先を進まなければ。
ごきげんよう、と言って去ろうとした私に、青年が声をかけてくる。
「お嬢さん、さっきのリンゴ、あれはどこかに捨てたほうがいい」




