カンタクジノ家のお屋敷へ
「へ、こ、子ども?」
イアンは二、三歩と後退し、信じがたいという表情を向ける。
ブラッド様は何か発言する様子もないので、この作戦に乗ってくれるのだろう。
すぐにセラが動いてくれた。
「カンタクジノ様、おケガはありませんか?」
「いや、その……はあ」
「お気を付けください。竜のご子息様はとてつもなく凶暴で、母君であるエリザベル様に近づこうものならば、凶暴に噛みつきますので」
イアンの顔色がだんだんと青白く染まっていく。
この機会を逃すまい、と言わんばかりの表情で、ゾフィアも話に加わる。
「ある愚かな男が、エリザベル様に言い寄っていたのですが、お坊ちゃまはその男の指を食いちぎってしまったという出来事もございました」
ゾフィアの過激な作り話を聞いたイアンは、「ヒイ!」と悲鳴を上げていた。
「申し訳ありません。この子が甘えん坊で、わたくしと夫以外に心を開かない、というお話をするつもりだったのですが……」
「そ、そういうのは、もっと、早く言ってほしかったです! そもそも、ワラキア公とは昨日結婚したと聞いていたのですが、いつ、子どもをこさえたのですか?」
「話せばとても長くなるのですが……」
セラがなれそめをすべて聞くには、三日三晩かかります、と付け加えてくれた。
すると、イアンは「やっぱりいいです」と諦める。
「その、馬車は侍女達と一緒にどうぞ」
「まあ! ありがとうございます」
ブラッド様のおかげで、彼と二人っきりにならずに済んだのだった。
馬車が走り始めると、かごの中に入っていたブラッド様が飛びだしてくる。
『なんなのだ、あの不埒な男は!! エリザベルをいやらしい目で見つめるだけでなく、二人っきりで馬車に乗ろうとするなんて!!』
既婚、未婚にかかわらず、婚約者や夫婦以外の男女が二人っきりになることはよくないこととされている。ただ二人でいただけで、不貞扱いされても文句は言えないのだ。
それなのに、彼は私と二人で馬車に乗るように勧めてきた。いったいどういうつもりなのか、と考えただけで頭が痛くなる。
『どうせ、ワラキア公である私への腹いせに、妻に手を出そうと思ったのだろう!』
「腹いせ、というのは、何かご事情があるのですか?」
『カンタクジノ家の当主は、ワラキア公の候補の一人だったらしい』
ブラッド様とカンタクジノ家の当主と、どちらに指名するかと検討した結果、次代のワラキア公はブラッド様に決まった。
その決定に対して、カンタクジノ家はよく思っていないようだ。
『カンタクジノ家の当主は、ワラキア公になれると自信があったのだろう。今も従う振りをしているものの、私を見る目は野心でギラついている』
ブラッド様の妻である私が単独で来ると聞いて、つけいる隙になるのではないか、と思ったのだろう。
『おそらくだが、息子にエリザベルを誘惑してこいとか、しようもないことを命令したに違いない』
カンタクジノ家に行くのが、なんだか恐ろしくなってしまう。
「それはそうと、とっさにブラッド様のことを息子だと言ってしまったのですが、その、申し訳ありません」
『気にするな。むしろ、よくやったと言いたい。私という凶暴な幼竜がいるとアピールしておけば、相手もエリザベルに手を出してこないだろう。このような姿ゆえ、夫として堂々と守れないことは、歯がゆく思うのだが』
「仕方がありませんわ」
『他にも何かできたらいいのだが……。ああ、そうだ!』
もう一つ、作戦がある、とブラッド様が耳打ちする。
それは私を守る術の一つとなりそうだった。
『どうだろうか?』
「いいと思います」
そんな会話を交わしているうちに、カンタクジノ家の屋敷へ到着した。
石造りの豪壮とした屋敷は、比較的新しく見える。
なんでもカンタクジノ家がここにやってきたときに、建てられた物らしい。
神聖帝国の教皇から贈られたものらしく、もしかしたら私の実家よりも豪華な造りかもしれない。
イアンは私達に声をかけずに、屋敷の中へと消えていったようだ。
代わりに、執事が迎えてくれる。
「ようこそおいでくださいました。どうぞこちらへ」
エントランスには魔宝石のシャンデリアが輝き、大理石の廊下がどこまでも続いている。調度品も名の知れた芸術家の作品ばかりで、カンタクジノ家がいかに裕福なのかわかる造りだった。
案内された客間には何も用意されておらず、歓迎されていないのは一目瞭然であった。
それはカンタクジノ家の当主の命令だったのか。執事は気まずそうな表情を浮かべつつ、客間から下がっていった。
しばらく待っていると、カンタクジノ家の当主が登場する。
黒髪に白髪交じりの、眼鏡をかけた初老の紳士である。
にっこりと微笑んでいたものの、眼鏡の向こうにある瞳は笑っているようには見えない。
「いやはや、我が家にようこそ、ワラキア公夫人」
「初めまして、わたくしはエリザベル・バートリ・ドラクレシュティと申します」
「バートリ家のお方だったか」
「はい」
先ほどブラッド様がバートリを家名に挟むように、と助言してくれたのだ。
吸血鬼の一族と悪名高いバートリ家の家名が、私自身を守ってくれるだろうから、と。
カンタクジノ家の当主の表情が途端に引きつる。
どうやらバートリの家名は、思っていた以上に相手へのけん制になりそうだ。