到着、そして……
『給…………餌だと!?』
「はい」
セラは悪びれもない様子で、大きく頷いた。
こういうとき、女主人としてセラを窘めたほうがいいのだろうが、私も呆然とするばかりで、何も言葉が出てこなかった。
代わりに、ゾフィアが物申してくれた。
「セラさん、給餌というのは、ワラキア公に対してあんまりかと」
「そう、でしたね。教養と分別がそこまでないもので」
セラはブラッド様に対し深々と頭を下げ、「過ぎた言葉でした」と謝罪していた。
けれどもブラッド様は『給餌……給餌……!』とぶつぶつ呟くばかりで、聞く耳なんぞないように思える。
何を思ったのか、ブラッド様はティーカップを小さな手で引く寄せ、ごく、と飲んでいた。
『ま、まずい!!』
そんな感想を述べたあと、もう一度、私に飲ませてくれないかと頼んでくる。
言われた通りカモミールティーを飲ませてあげると、ブラッド様は叫んだ。
『お、おいしい!!』
そんな正反対の反応を見せたあと、ブラッド様は頭を抱える。
しばし思い悩むような様子だったが、何か気づいたのかハッとなった。
『そういえば、父も母から与えられた食べ物のみ、口にしていたような気がする』
似た者親子なのですね……という言葉は喉から出る寸前で飲み込んだ。
なんとなく、ブラッド様は指摘されるのを嫌がりそうな気がしたから。
セラも学習したようで、明後日の方向を向き、口元に手を当てていた。いらぬ発言をしないように努めているに違いない。
『まさか、この私が父と同じ道を歩むことになるとは……! いい年をして、母から〝あ~ん〟なんてしてもらっている父を見ては、恥ずかしいと思っていたのに!』
「ま、まあ、お義父様にとっては、大切な夫婦の時間だったのかもしれませんね」
『たしかに、父だけでなく、母も楽しそうだった』
息子であるブラッド様が成人し、二十歳を超えても夫婦関係は変わらず、仲睦まじい様子を見せていたようだ。
「わたくしも、先ほどのように、ブラッド様と同じ飲み物や食べ物を囲み、共に味わうというのは、とても楽しく思っておりました」
『そう、だな。私も楽しかった』
ならば、この先もそういった時間を大切にしよう。
そんなささいなことを、私達は誓い合ったのだった。
◇◇◇
それから強風の渓谷を抜け、霧の平原を進み、雨が降る丘を飛んでいく。
途中、休憩を入れつつ、目的地である通商の街プネに到着した。
街の近くにはワイバーンが翼を休める施設があり、そこに竜車も置けるようになっているらしい。
窓の外を覗き込むと、天幕がたくさん張られた街の様子が確認できた。
遠目だが、人で賑わっているのがわかる。
街中だとブラッド様は目立ちそうなので、かごを用意していたのだ。
底にはやわらかな布を広げているので、居心地もいいだろう。
「ブラッド様、こちらにお入りください」
『ああ、街中で人目を集めないように、かごを準備したと話していたな』
「はい。こちらがその品です」
ブラッド様はかごの中を興味津々とばかりに覗き込む。
『思っていたよりも深いな』
「ええ。上から布を被せますので、閉塞感がないように、大きめのかごを選びました」
『そうか。感謝する』
ブラッド様はさっそく中に入ろうと、飛び上がってかごの縁を握った。
そのまま体を翻して入ろうとするも、まるまるとした体がそれを許さない。
翼をパタパタ動かして飛行しようとするも、残念ながら体は浮かばず……。
見かねた私が、ブラッド様の体を抱き上げ、かごの中へと入れてあげた。
「ブラッド様、かごの中はいかがですか?」
『まるで〝ゆりかご〟のようだな』
その言葉を聞いたゾフィアが、吹き出し笑いをしそうになる。けれども口を押さえ、なんとか我慢したようだ。
セラは一見して無表情のように思えたが、口元が僅かに弧を描いているように見えた。
内心、面白いと思っているのかもしれない。
もう少し長く過ごしたら、セラの感情も読み取れるようになりそうだ。
ブラッド様のかごを片手に、馬車から降りる。
外にはスタン卿とコーマン卿が待ち構えていた。
「お二人とも、ご苦労様でした」
労いの言葉をかけると、スタン卿とコーマン卿は胸に手を当てて会釈を返してくれた。
そこにいたのは彼らだけでなく、黒髪に琥珀色の瞳を持つ、二十歳前後の青年の姿もあった。
仕立てのよいジャケットにズボンを合わせた姿を見るからに、良家の子息だろう、というのは一目でわかる。
「どうもはじめまして。私はカンタクジノ家のイアンと申します。ワラキア公夫人がいらっしゃると聞いて、駆けつけてまいりました」
「はじめまして、わたくしはワラキア公の妻、エリザベル・ドラクレシュティと申します」
「お目にかかれて光栄です」
カンタクジノ家のイアンというと、当主の長男だ。愛想がいいようで、笑顔を振りまいていた。
「ワラキア公夫人、どうぞ我が家へ。案内いたします」
二台の馬車が用意されていたようで、ゾフィアとセラが後続車に乗るようにイアンは勧める。スタン卿とコーマン卿には、馬を用意してくれたようだ。
「ワラキア公夫人はこちらへどうぞ。街をご案内しますので」
嫌な予感がしていたが、どうやらイアンと二人きりでの乗車となるらしい。
さすがにこれはよくない、と判断し、お断りさせていただく。
「わたくしは侍女達と乗りますわ」
「遠慮せずに、どうぞ」
「いえ……」
ここで強く拒絶したら、イアン個人だけでなく、カンタクジノ家の不興を買いそうだ。
ゾフィアが物申そうと一歩前に出てきたものの、首を横に振って彼女を制した。
さすがに、貴族の子息相手に侍女が意見することを許してはいけない。
どうしたものか、と考えていたら、イアンが想定外の行動に出る。
なんと、かごを持つ私の腕を掴んで、ぐいぐい引き始めたのだ。
「ささ、足下に気をつけながら乗ってくださいね」
このままだと馬車の中で、イアンと二人っきりになってしまう。
頬を叩くしか制止させる方法はないと思っていたのに、想定外の展開となった。
バチン! と叩く音が響き渡る。
なんと、驚いたことに、ブラッド様がかごから顔を出し、私の腕を掴んでいたイアンの手を叩き落としたようだ。
「なっ、竜!?」
この竜はなんだ!? という視線がこれでもかと突き刺さる。
ブラッド様ご本人だと言うわけにもいかないので、とっさの設定を口にした。
「こ、この子は、わたくしとブラッド様の、愛の結晶ですわ!」




