結婚式の前に
執務に取りかかるというブラッド様と入れ替わるように、セラがやってくる。
「朝食をお持ちしました」
今日はこの国の伝統的な料理を用意してくれたらしい。
昨日の晩、何かご用命があるかと聞かれたときに、ワラキア公国の料理を食べたい、と言っていたのだ。まさか、朝から用意してもらえるなんて。
温野菜のサラダにソーセージ、豆のトマト煮込みに、黄色いペースト状の付け合わせがワンプレートに盛り付けられていた。
「セラ、この黄色いものはなんですの?」
「そちらは〝ママリガ〟といいまして、トウモロコシ粉にバターと湯、塩を入れて、鍋で煮込んだものです。この辺りの伝わる主食のようなものなんです」
「ママリガ、という料理ですのね。初めて拝見します」
「お口に合えばよいのですが」
セラにお礼を言ってからいただく。
ソーセージをナイフで切り分け、ママリガをソースのように乗せて食べてみた。ソーセージは保存性を高めるためか味が濃い目なのだが、ママリガと一緒に食べることによって味わいが滑らかになる。
ママリガのみで食べてもおいしい。
トウモロコシはワラキア公国で生産が盛んらしく、さまざまな料理に使われているらしい。
どれもおいしくって、ペロリと完食してしまった。
そんな私の食べっぷりを見ていたゾフィアが驚く。
「まあ、お嬢様! すべて召し上がったのですか?」
「ええ、どれもおいしくって」
実家の朝食は厚切りのパンとチーズ、ハムにゆで卵が定番だった。
どうしても朝からパンが喉を通らず、食も細かったのだ。
けれどもママリガならば、朝からでも食べることができる。
新しい発見だった。
「ママリガですか。使用人用の食堂にあったのですが、初めて目にする料理でしたので、手を出すことができなかったんです」
「とってもおいしいので、ゾフィアも召し上がってみてください」
「エリザベル様がそこまでおっしゃるのならば、挑戦してみます」
朝食後はセラが一日の予定を教えてくれた。
結婚式は深夜、皆が寝静まるような時間帯に執り行うという。
夜、眠くならないよう、お昼寝をたっぷり取っておかなければならないようだ。
「なぜ、夜なのですか?」
「竜の姿であるワラキア公が目立たないための対策だそうで」
「ああ、そうでしたね」
ブラッド様の体が父君と入れ替わっている、という話を知っているのは、ごくごく一部の人達だ。
その情報が外部に露見すれば弱点となる。そのため、なるべく他の者達に知られないよう、深夜に結婚式を行うようブラッド様と側近の方々、ロラン卿が話し合って決めたようだ。
「夕方まではゆっくりお過ごしください。それ以降は、結婚式の支度を行いますので」
「わかりました。どうぞよろしくお願いいたします」
セラは深々と頭を下げ、下がっていった。
その後、私はワラキア公国の歴史について書かれた本を一冊読み、少し眠るかと横になるも、睡魔が都合よく襲ってくるわけもなく……。どうしたものか、と心の中で頭を抱える。
寝室でゴロゴロしていたら、父君と一緒に過ごしていたモフモフが戻ってきた。
『タダイマ!』
「モフモフ、お帰りなさい。お義父様と仲良くされていたの?」
『ウン!』
なんでも一緒に遊び、寝て、また遊ぶという楽しい時間を過ごしたらしい。
「お義父様はお喋りできるようになりましたか?」
『マダ! 人間ノ喉、発音、難シイミタイ』
「そうですのね」
父君が喋れるようになるまで、道のりは長いようだ。
「今、お義父様は何をされているの?」
『眠ッテル!』
なんでも昨晩の夜から、ずっと目覚めていないらしい。
ストイカ曰く、一日中目覚めない日もたまにあるようなので、放っておいても問題ないという。
モフモフは眠る父君を見守っていたようだが、飽きたので戻ってきたようだ。
「実はわたくしも、眠らなければならないようで」
深夜の結婚式についてモフモフに話すと、思いがけない提案を受ける。
『ジャア、モフモフガ、寝カセテ、アゲヨウカ?』
「モフモフ、あなた、寝かしつけができるのですか?」
『デキルヨ!』
なんでも父君も、昨晩、寝かしつけてあげたという。
その実績を聞いてしまったら、頼むしかないだろう。
「でしたら、お願いします」
『任セテ!』
モフモフは寝転がる私のお腹の上に乗り、ぽんぽんと跳ね始めた。
それはまるで、幼少時に乳母がお腹を叩いて寝かしつけてくれるような、心地よいリズムだった。
瞼を閉じると、だんだん意識が遠のいていく。
そして――。
「エリザベル様、もう夕方ですよ!!」
ゾフィアに大きな声で起こされ、ハッとなる。
「あ、あの、わたくし――?」
「やっと起きられましたか。お昼のときにも起こしにきたのですが、まったく目覚めなくって。よほど、お疲れだったのですね」
モフモフの寝かしつけで、八時間も眠っていたらしい。
「まあ、それだけ眠ったら、結婚式のときも眠くならないでしょう」
「そ、そうですわね」
どうやらモフモフは、とてつもない寝かしつけの才能を持っているようだ。
今度から、眠れないときは彼女に相談しよう、と心に誓った。
◇◇◇
結婚式の準備が始まる。
お風呂でじっくり湯に浸かり、全身くまなく磨かれたあと、髪や爪の手入れを行う。
婚礼衣装に袖を通し、化粧と髪結いは二時間かけたのちに完成する。
緊張していたからか、夕食は喉に通らなかった。
結婚式が終わったら食べられるよう、セラがお弁当箱に取り分けてくれたらしい。
心から感謝したのだった。
ゾフィアが最終確認で、ドレスを整えてくれる。
「この晴れ姿を、トランシルヴァニア公国のご家族にもお見せしたかったです」
「ええ……。ですが今は各国が緊張の中にあるので、難しいお話かもしれないですね」
結婚式ができるだけでも、私は果報者なのだ。
「皆の代わりに、ゾフィアがしっかり見守っていてくださいね」
「もちろんですとも! このゾフィア、瞳にエリザベル様の婚礼衣装姿を、焼き付けておきますので!」
モフモフも傍にいる、と主張しながら飛び跳ねる。
「ふふ、ありがとう」
家族と会えなくて寂しい気持ちはあるものの、私にはゾフィアやモフモフがいる。彼女達だけでも傍にいてくれてよかった、としみじみ思ってしまった。
「それにしても、新郎が幼竜の姿だなんて、切ないですね」
たしかに、幼竜の姿となった者と結婚式を挙げるのは、私が世界で初めてかもしれない。
「ただ、どんな姿でも、ブラッド様に代わりはありませんわ」
「そうかもしれませんが……はあ」
そんな会話をしていると、柱時計がボーン、ボーンと鳴る音が聞こえてきた。
鳴り終えたのと同時に、セラがやってくる。
「ワラキア公はすでに、礼拝堂でお待ちです」
「では、参りましょう」
城内には秘密の地下通路があるようで、外に出ずとも中郭にある礼拝堂へ行くことができるらしい。
「竜公は眠っていらっしゃるようで、結婚式には不参加となります」
参列者はストイカ家の親子に、騎士隊のロラン卿、スタン卿の二名が代表し、他、ブラッド様の側近、使用人が数名参列してくれるようだ。
私はゾフィアとモフモフを引き連れ、礼拝堂へと向かう。
地下通路が繋がる先は、祭壇の前となっていたようだ。
階段を上って、礼拝堂へ出ようとした瞬間、目の前に手が差しだされる。
黒髪に赤い瞳を持つ見目麗しい青年が、私をじっと見つめていた。




