義母の日記帳
父君は入れ替わってからというもの、ワラキア公の部屋で過ごしているらしい。
私室には戻ってきていないようだ。
『その辺も理解できないのだが』
「そう、ですわね」
何か理由があって、ワラキア公の部屋にいるのだろうが。
喋れるようになれば、事情について聞き出すこともできるだろう。
モフモフと父君の様子が気になるので、少し覗き見させてもらうよう、ブラッド様に頼み込んだ。
続き部屋となった寝室から、私室の様子を確認させていただく。
モフモフは人見知りをする子なのだが、いったいどのようにして会話しているのか。
『声が聞こえるな』
「モフモフの声ですね」
モフモフはどこから持ってきたのか単眼鏡をかけ、指示棒を握り、まるで先生のような姿で父君に言葉を教えていた。
『マズハ、発声カラ! 〝揚ゲタテノ、新鮮ナ、魚〟!!』
「はっ~~くっ~~~うう」
『惜シイ!!』
まったく惜しくなかったのだが、モフモフは褒めて伸ばすタイプらしく、優しく指導しているようだ。
『ここは意外と上手くやっているようだな』
「ええ、心配いらないようですね」
『モフモフが父上の気を引いている間に、調べよう』
「はい」
ブラッド様の私室から少し離れたところに、母君の部屋はあった。
扉を開くと、瀟洒な調度品が並べられた、品のよい空間が広がる。
『やはり、ここはそのままだったか』
ブラッド様はすぐに遺品整理をしたかったようだが、入れ替わりが発生してしまったため、手つかずのままだったようだ。
『母の日記帳は、これだな』
本棚にぎっしり並べられた本のすべてが、日記帳らしい。
『上から古い物のようだ』
「ブラッド様、本当にわたくしが目を通してもよろしいのですか?」
『ああ、問題ない。頼まれてくれるだろうか?』
「わかりました」
長椅子をお借りし、日記帳を拝見する。
もっとも古いものはブラッド様が読んでいた。
『くっ、これは母の結婚前の日記だ!』
「こちらもそのようです」
最初の十冊は十二歳から結婚する十八歳までの、少女時代に書かれたものだった。
その辺は飛ばして、結婚後からの日記を手に取る。
『父のプロポーズとかもどうでもいいな! なんだこの、父の求婚の言葉は〝ギャア!〟だったなんて。よくそれが結婚の申し込みだとわかったな!』
「なんだかとても気になる内容ですね」
『両親のロマンスなんて、死ぬほど興味ないのだが』
数冊飛ばすと、新婚旅行について書かれた日記帳を発見した。
ブラッド様と共に、文字を追う。
『――なるほど。牛はドナウ川の近くにある、通商の街〝プネ〟で購入したものだったのか』
「通商の街、ですか?」
『ああ。ワラキア公国はドナウ川の通行料と関税を払うことと引き換えに、異国の品を販売できる街があるのだ』
なんと、そこにはアトウマン帝国の商人も出入りしているという。
「大丈夫なのですか?」
『心配はいらない。外からきた商人は、街の外へ出ることはできないからな』
ブラッド様の父君と母君は通商の街〝プネ〟へ新婚旅行へ行き、そこでマジャロルサーグ王国産の乳牛を購入し、ポナエリ城へ持ち帰った、と。
そして乳牛が死してなお、牛の頭蓋骨は新婚旅行の思い出として残していたようだ。
『ふむ……。新婚旅行をこれでもか、と楽しんだ話しか書かれていないな』
「そうみたいですね」
父君は人間の姿に変化して旅していたようだが、途中で竜の姿に戻ってしまったようだ。旅の終盤は母君が父君の背中に乗って、各地を行き来していたらしい。
『念のため、すべて日記を読んでみるか』
「そう、ですね」
申し訳ない気持ちになったが、父君が頭蓋骨を被っている意味について、何か書かれてあるかもしれない。
日記は亡くなる前日まで続けていたようなので、すべて目を通させていただいた。
「……」
日記を読んでいると、母君がいかに父君に愛されていたか、そしてどれだけ家族を愛していたかが感じ取ってしまう。
そして、母君は病魔に襲われてしまったが、それでも幸せだったのだろう。
読んでいくうちに、涙が零れてしまう。
『エリザベル、どうかしたのか?』
「いえ、お義母様が愛情深いお方だとわかって……お会いしたかったです」
『その言葉を母が聞いたら、喜ぶだろう』
母君はずっと、ブラッド様が伴侶を迎え、幸せになることを望んでいたらしい。
『私はそうだと思えず、母の言うことをまともに聞いていなかった』
ワラキア公は世襲制ではないため、無理に跡取りを作る必要はない、と考えていたようだ。さらに、アトウマン帝国の侵攻もある中で、妻を迎えたらそれが弱みになると思っていたらしい。
『エリザベルがやってきた今は、そうだと思わない。これまで以上に強くなろうと、覚悟を決めている自分がいる。母はそれを伝えたかったのだろうな……』
日記帳も最後の一冊となっていた。
母君の闘病は三年間も続いていたらしい。苦しかっただろうに、日記にはそのようなことは欠片も書かれていなかった。
結局、牛の頭蓋骨についての記録は何もなかった――と思っていたのだが、最後となった日記帳に、記述を発見してしまった。
『な、なんだ、これは――!?』
日記帳には、母君の願いとして、新婚生活のさいに迎えた牛の骨と共に埋葬してほしい、とあった。
「ということは、お義父様は遺言を守らなかった、ということになるのですか?」
『守ったが、あとから掘り返した、という線も否めない』
「頭蓋骨が新婚旅行で迎えた牛のものではない、という可能性もあるかと」
『ありうるな』
それについて、確認する方法は一つしかなかった。




