ポナエリ城にて
バートリ家の吸血姫だということを喜ばれる日が訪れるなんて、夢にも思っていなかった。
それだけ、ワラキア公が残虐で、どうしようもない男性なのかもしれない。
ただ、私はごくごく普通の人間で、吸血行為などしない。
夕食で敵の生き血なんぞ出されたらどうしよう――などと考えていたら、駕籠が用意され、乗るように言われた。
「お城の敷地内は広いので、どうぞお座りになってください」
駕籠に車輪はなく、足下に二本の棒が伸びるだけのそれは、人力で運ぶ乗り物だ。
申し訳ない、と思ったものの、慣れない場所なので足手まといになるかもしれない。ここはお言葉に甘えて、乗らせていただいた。
使用人の一人がよく通る声で、監視塔に向かって声をかける。すると跳ね橋が下りてきた。
私が乗った駕籠は男性二名の使用人が持ち上げ、野太いかけ声と共に運ばれていく。
もう一度合図を出すと、今度は鋼鉄の堅牢な扉がギギギ、と重たい音を鳴らしながら開いた。
私の隣を歩いている二十代後半くらいの侍女が、案内してくれた。
彼女はセラ・ストイカと名乗る。ブルネットの髪が美しい、クールな雰囲気の女性だ。
「もしかしてあなたは家令の――」
「娘です」
ストイカが何歳かわからなかったため、妻君かと思っていたが、違ったようだ。早まらなくてよかった、と心から思う。
セラは侍女頭で、私の身の回りの世話もしてくれるらしい。
ゾフィアにセラと仲良くするように、と言っておく。
扉の向こうには大きな建物に、ワラキア公国全土を見渡せそうな塔、巨大な炉がある広場など、さまざまな施設があるようだった。
「ここは外郭で、石工が作業したり、鍛冶職人が武器を作ったり……あちらの建物は領民が税を納めたり、罪人を突き出したりする場所なんです」
今日はワラキア公の花嫁がやってくるということで、休日にしているようだ。
そのため、見張りの兵士数名とすれ違う程度である。
ちなみにここは生活の拠点にもなっているようで、商店の他、職人達が暮らす部屋も用意されている。
要塞自体が街の機能を果たしているようだ。
二枚目の扉の向こうは中郭へ繋がる場所だが、ここにもさまざまな施設があるようだ。
「ここは職人が仕事をし、生活の拠点とする場所になります」
立派な尖塔のような建物が、いくつも並んでいた。
そこでは糸を紡いだり、酒を造ったり、服を仕立てたり、蝋燭を作ったり、粉を挽いたり、とさまざまな仕事が日夜行われているらしい。
ここも外郭同様に、今日は休日となっているようで、静まり返っている。
「普段は職人達の怒号が響き渡る、賑やかな場所です」
「そうなんですね」
それ以外に畑などもあり、季節ごとに野菜や小麦などを収穫しているようだ。
中郭の扉の向こうは、竜騎士団の本拠地だという。騎士達は日々鍛錬し、寝食を共にする場所だそうだ。神聖帝国から贈られたワイバーン達も、ここで世話をしているという。
立派な礼拝堂や、病院などもここにあるようだ。
騎士達も休んでいると思いきや、一列に整列し、私を歓迎してくれた。
「――ワラキア公の花嫁様に敬礼!!」
ロラン卿やスタン卿などの迎えに来てくれた人達も列に加わって、挨拶してくれる。
そして、その先はついにワラキア公の拠点となる天守閣に行き着く。
重厚な石造りの建物は、見上げるほどに大きい。
何世紀も昔からある物らしく、少し不気味な雰囲気も漂わせていた。
ドキン、ドキンと緊張で胸の鼓動が早くなる中、城の内部へと足を踏み入れた。
エントランスには、分厚い眼鏡をかけた、六十代くらいの白髪頭の男性が待ち構えていた。
「バートリ・エリザベル様、ようこそおいでくださいました。わたくしめは家令の、ギーケル・ストイカと申します」
ストイカは必要以上に深々と頭を下げていた。
まるで、これまでの対応を謝罪するかのような行為にも思える。
「ストイカ、お初にお目にかかります。これからどうぞよろしくお願いします」
丁重な挨拶を返してきたからか、ストイカは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた。
けれどもすぐに私情を隠したのか、「もったいないようなお言葉です」と返す。
「それで、ワラキア公とはすぐにお会いできるのでしょうか?」
これまで無表情でいたストイカだったが、眉が微かにピクッと動いた。
ほんの些細な反応だったが、彼の動揺だろう、とすぐに察する。
「大変申し訳ないのですが、現在、ワラキア公に会うことはできません」
「まあ!」
なんとなく、そうではないか、と心のどこかで想定していた。
けれども大げさに驚いてみせる。
「もしかして、体調を崩されていますの?」
「いえ、その――」
ストイカは眉間に皺を寄せ、苦しげな表情を浮かべる。
もう少し攻めたら、もっと情報を引き出せそうだ。
なんて思っていたら、背後にいたセラがストイカの代わりに質問に答えた。
「ワラキア公は十ヶ月ほど前に母君を亡くし、今も深い悲しみの中にいらっしゃるようで」
「喪中――でしたのね」
「はい」
そのような話は聞いていなかった。想定外の事態である。
喪中だと知っていたら、ドレスも黒を選んだのに。
「では、ワラキア公の父君である、竜公にお会いしたいのですが」
ストイカは言葉もなく、首を横に振った。
どうやら親子揃って、喪に服しているらしい。
ちなみにワラキア公は神聖帝国の教皇に指名されたものらしく、トランシルヴァニア公と同様に世襲で得られるものではない。そのため、父君が在命であるにも関わらず、ワラキア公の地位に就いているのだ。
それにしても竜公まで面会謝絶だったなんて。
「エリザベル様、本当に申し訳ありません」
「いいえ、どうかお気になさらず」
二ヶ月もの間、ここで過ごし、喪が明けてから面会、結婚となるのだろうか。
出鼻をくじかれるような事態だったが、喪中であれば仕方がない。
結婚話を断られなかっただけでもよしとしよう。
セラの導きで、私室まで案内してもらう。
実家の屋敷とは異なり、石造りの城内は酷く冷える上に暗い印象があった。
昼間でも、窓から差し込む明かりだけでは足りないからか、蝋燭が灯されていた。
先の長い廊下を歩いていると、前方からコツン、コツン、という足音が聞こえる。
「ま、まさか!!」
ストイカが叫ぶ。
セラが私の腕を引き、別の部屋へ連れ込もうとしたが、それに従わなかった。
これからやってくるのは、きっと私が会わなければならないお方だ、と心のどこかで確信していたのだろう。
廊下を歩いてきた人物は、緋色の外套に、二本の角が立派な牛の頭蓋骨を被った長身の男性。
目にした瞬間、ゾクッと全身に鳥肌が立つ。
「ご、ご主人様!!」
ストイカがご主人様と呼んだので間違いないだろう。
彼がワラキア公のようだ。




