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9.悪女研究の果てに

 



「俺はそもそも、妻はいらないという考えの男だ。」


 侯爵様のお話は、そんな一言から始まった。

 えっ、じゃあ離縁される?と考えかけて、それはしないと断言してもらったのだったと考え直す。


「屋敷の事はクレマンと侍女頭のイレーヌに任せている。夜会には基本出席しないし、女性貴族の繋がりで必要な情報など、あったとしても部下が取って来る。」

「なるほど、【侯爵夫人】がいなくても回るのですね。」

「跡継ぎはいずれ親戚筋から養子を取れば良いし、人の言うような…家に帰れば妻がいる、という状況に対して、今のところ「面倒そうだ」という印象しかない。」

「ふむ、【妻】の役目も無くて良いと。」

 口を出さないようにと言い含められたクレマンとリディが部屋の隅で顔を歪めている。

 使用人達は「相応しい奥様」を求めているみたいだけど、侯爵様はそうではないのね。


「妻になりたいと寄って来る女性は正直、苦手なタイプが多かった。」

「あら、侯爵様にも苦手なものがあるのですね。」

「少し思い返しても嫌になる。キツい香水に厚化粧、露出の多い服ですり寄ってくるおぞましさ、男と見れば色目を使い、高価な装飾品をねだり、話す内容はくだらない事ばかりだ。」

「…若干思い当たるフシがあったのですが。」

「そう、初めて会った貴女はまさに俺の嫌いな女の姿だった。」

 んん!?

 お父様はあれが侯爵様の趣味だと言っていなかったかしら…って、考えてみれば、あのお父様が言う他人の心証などアテにならないわね。


「親戚も仕事仲間も結婚しろとうるさい。かつては婚約者候補と会ってみた事もあるが、俺に怯えながらくだらない話をつらつら語り、果ては泣き出し、喚き…」

「あぁ…侯爵様、お顔立ちが凛々しくていらっしゃいますからね。」

 ものすごい美形だけど、眉間に皺を刻んでいる事が多い。それでなお美しいわけだが、怖がって萎縮する子も多いのだろう。


「おまけに、抱きしめてくれたら許すなどとわけのわからない事を言い出す始末。婚約者じゃない、【候補】の女がそれを言うんだ。我慢したとて、婚約期間には何かとプレゼントを贈り、何か書いたカードを添えねばならず、頻繁に茶会なり外出なりしなければならないというではないか。」

「わかります、時間が勿体ないですよね。」

「そう!その通りだ。」

 目をカッと見開いて言う侯爵様にはものすご~く共感できる。私達はうんうんと頷き合った。侯爵様と私、良きお友達になれるのかも。


 リディが愛玩動物のチベッティ・シュナギツーネみたいに目を細めてるけど、デートにプレゼントにお手紙にと過ごすくらいなら、魔法陣研究に捧げた方が有用だと思わない?


「苦行を越えたとして、結婚式も準備がかなり大変だと聞く。まぁこれは妻の方に一任すれば良いという意見もあったが…一番の問題はその後だ。結婚したらそれなりには妻を大事にせねば世間体が悪い。」

「大事に、ですか。」

「つまり夫婦揃って夜会に出席し、仲の良い姿を見せる事が時として必要だ。しかし夜会の時だけそのフリをしろと言って頷く令嬢は少ないと俺でもわかる。」

「婚約者候補の方々と接した結果、日頃から仲良くできる気がしなかったわけですね。」

「一切しない。長期任務で放置しただけでも文句を言われそうで、そんな存在が家にいては却って迷惑だ」

「妻がいらないというお言葉、だいぶ納得致しました。」

 侯爵様も大変だったのだなぁと思いながら、音を立てずに紅茶を啜る。

 私もその婚約期間→結婚式→結婚生活の「面倒そう」っぷりが嫌で、縁談を見つけて来ないお父様をありがたく思っていたクチだ。侯爵様の件は問答無用で持ってこられたけど。


「周囲は相変わらず結婚しろとうるさい。だが俺は妻に時間をかけようと思えない……そこで考えた。冷遇しても世間からとやかく言われない相手なら、良いのではないかと。」

「思いきりましたね。」

「今考えると少々ヤケだったのは否めないが、俺が【稀代の悪女】に求婚したのはそういう理由だ。」

 そこまで言って、侯爵様もカップに指をかけた。

 ずっと喋って疲れましたよね。喉仏がごくりと動くのをなんとなく見る。


「結果として、やってきたのは【大人しい悪女】たる私だったわけですね。」

「貴女が果たして悪女かは置いておいて、そうだ。」

 置いておかれた。

 私を大人しい悪女と評したのは侯爵様なのに。解せない。


「俺はつまるところ【悪女】に居てほしいわけではない。侯爵家の資産を非常識に浪費したり、俺の寵愛を受けたいと強引に迫ったり、夜会に連れていけと騒いだり、我が物顔で勝手に茶会を開いたり、つまらない話をだらだらと続ける女でさえなければいい。」

「そのあたり、ちょっと自信があるかもしれません。」

「だろうな。まだほんの一週間程度だが、貴女がだいぶ………研究者気質なのはわかった。」

 言い淀まなかった?今。

 つまり離縁の必要がないのだと言う侯爵様に、私はよく理解できましたと頷く。


「それにしても……貴女があれほど離縁を嫌がるのは、少し意外だった。」

「そうでしょうか?ここでは良くして頂いてます」

「ほら…先日は、口論めいた事になってしまっただろう。熱くなって悪かった」

「私もつい言葉が止まらず…失礼致しました。私、どうしても侯爵様と離れたくないのです」

 真剣な顔で見つめて言うと、侯爵様は目をそらして小さな声で「そうか」と言った。

 本当に離縁は困るのだ。


「でないと、お父様に資料を燃やされてしまうので。」

「ああ、なるほ………、なんだと?」

「こちらへ発つ時に言われたのです。離縁されるような事があれば、実家に置いてきた私の研究資料を燃やすと!」

 想像するだけでも恐ろしい。

 身震いして腕を擦る私を侯爵様が呆然と見ている。きっとこの恐ろしさを理解してくださったのだろう。


「えぇ、信じられない所業ですよね?あのスピード婚では到底全て持ち出せませんし、こちらに私の資料を置かせて頂けるか、私物の安全が確保できるかもわかりませんでしたから、残してくる他なく…」

「……つまり貴女が離縁したくないのは、資料可愛さというわけか。」

「はい。」

 侯爵様の目が冷ややかなものになった。

 お父様へ怒りを感じてくださっているらしい。さすが魔法陣作成の同志。


「…なるほどな。」

「それに侯爵様は素晴らしい知識をお持ちです!私これまで対面で魔法陣について話せる方、それも意見交換のレベルで相談できる方など全くいなかったものですから……ネコを見て頂いた時も、重力抵抗の意見をくださった時も…本当に嬉しかったんです。」

「エステル…」

 私を呼ぶ声がやや同情めいている気がする。

 尊敬する相手が違うという事はあれど、魔法陣作成を手掛ける者として、探究する者として、侯爵様が素晴らしい方である事は間違いない。


「ヴァイオレット…様の事は、私どうしてもアレク様をもっとも敬愛しているので、同じ熱量でとはいかないのですが。」

「そ、そうか。……俺も、アレク…殿については、似たようなものだ。著書は全て知っているが、どうしても俺にとって、ヴァイオレット女史こそが尊崇に値する人だから…。」

 すみません、それは私です……。

 なんてとてもじゃないけど言えない。侯爵様の夢を壊さないようにしなければ。

 蜂蜜色の瞳をまっすぐに見つめ、微笑んで手を差し出した。


「私はもっと侯爵様と魔法陣について話したいです。これは、つまらない話に入りますか?」

「君ほどの知識量ならこちらこそ是非と頼みたいくらいだ。これまで本当に、無礼な態度ばかりですまなかった。」

 侯爵様はほんの少しだけ口角を上げて握手してくれ、私は晴れやかな気持ちで頷く。

 これで私達、


「晴れて【お友達】ですね!」


 ぴしっ。

 何か氷にヒビが入るような音が聞こえた気がして、はて、と瞬いた。

 誰も微動だにしていないし、部屋の中に氷など見当たらない。きっと気のせいだろう。握手していた手にもう片方も添えて軽く上下させる。


「お仕事の邪魔はしませんから、もしお時間のある時は忌憚なきご意見を…」

「エステル」

「はい。」

「…書類上とはいえ俺達は結婚している。つまり…友達というより、」

 というより?

 首を傾げて侯爵様の言葉を待つ。彼は眉間に皺を寄せてから再度口を開いた。


「…良きパートナー…だろう。」

「その通りですね!」

 ぐっと握り締められる手を私も握り返す。

 ペンネームは明かせないから、共同研究者とまではいかないでしょうけれど。お互いに利があるから一緒にいるんだもの。良きパートナーで間違いない。


 元は渋々嫁いだはずが、ここは魔法陣について語っても研究しても許される場所。

 素晴らしい事だ。ゆくゆくは実家にある資料を移させて頂けないだろうか。侯爵様のこの感じなら許して頂ける気がしている。

 私はそっと手の力を抜いたが、大きな手が放してくれない。はて。


「侯爵様?」

「……冷遇する前提が消え、貴女は俺の良きパートナーとなったのだから、部屋を本館に移そう。図書室に近い方がいいだろう」

「よろしいのですか!?私は図書室禁止だと…」

「節度を保ち、リディ達の言う事を聞くなら許可する。」

「……善処致します。」

 そっと目をそらしてしまったのは許してほしい。

 研究に熱が入るとどうしても…ままならない時があるのだ。


「それなりに広い部屋を用意するから、実家から大事な物を運んでおけ。もし入りきらなければ、空き部屋を君の資料庫にしてもいい。」

「神様ですか…?」

「人間だ。資料が無事なら離縁するなどと言わないよな?」

「言いません、これほどの厚遇を放り出してどこへ行くというのでしょう!」

 自慢ではないが私に一人暮らしは無理だ。

 貴族令嬢だから…という事ではなく。傍仕えがいなくたって身の回りの事は大体魔法陣で済ませる私なのだが、食事ばかりは。

 食事ばかりは「用意する時間がもったいない」という思考になるため、餓死あるいは栄養失調で倒れる事請け合いである。


 手が離れると、興奮冷めやらぬ私は落ち着くためにカップへ唇をつけた。

 侯爵様も同じだったようで、私達はほとんど同時に小さく息を吐く。


「…さて、互いの事情はおおよそ共有できた所で、だ。」

「はい。さっそく魔法陣の話に…」

「その前に。君は妹に対して思うところはないのか?」

「……アレットに対して、ですか?」

 ついきょとんとして聞き返すと、侯爵様は「普通は怒っていい」と言った。

 私は明るく元気な妹の姿を思い浮かべる。


 アレットは家にいない事も多いらしいし、私は引きこもっているしで、決して毎日顔を合わせていたわけではない。

 あの夜会の日も翌日侯爵家へ発った時も、アレットには会わなかった。そもそも私が結婚した事は知っているのかしら?

 う~ん、思うところと言われても。


「…特には……?」

「何年も名を騙られ、醜聞を広められていたんだぞ。」

 私の目を真っすぐに見つめて、侯爵様は確かめるように言う。

 【稀代の悪女エステル・オブラン】…なぜそうなったかは、もちろん不思議だけど。


「あの子にも何か考えがあったのでしょう。アレットのする事を予想できたことはありませんが…まぁ、これでも姉妹仲はそう悪くないのですよ。」

「到底信じられないんだが。」

「侯爵様が気になるのであれば、今度手紙でも書いて理由を聞いておきますね。」

「……はぁ。軽いな、君は。」

 ちょっと呆れた様子で、侯爵様はこきりと首をひねった。

 訴えて勝てるレベルだと仰るけれど、どうせ訴えるなら資料を人質にとったお父様の方がよほど鬼畜だ。そちらも侯爵様のお陰で保護できそうなので、まぁ、もういいわ。


「ではそろそろ魔法陣の――」

「エステル」

「はい。」

 先程もこの流れじゃなかったろうか。

 いつまでお預けを食らうのかと少ししょげて侯爵様を見ると、彼はものすごく眉間に皺を寄せて言った。


「良きパートナーである君は、俺の事を名前で呼ぶべきだと思わないか?」




 ― ― ― ― ― ―




 事情をお聞きした。

 なんと、彼は別に「悪女好き」でもなんでもなかったらしい!

 私の悪女研究の意義はどこへ?

 結果的には全て丸く収まったのだけど、

 でも、なんだか行き場の見当たらない気持ちがある。

 せっかく得た【大人しい悪女】の称号は…


 いえ、それが私の悪女研究の果てだったと、そう思おう。

 丸く収まったのは、私が悪女ぶりを発揮した成果とも言える。

 私は資料をお父様の魔の手から救い出せる事になり、

 (侯爵様という文字に訂正線が引かれている)


 ジェラルド様の良きパートナーになった。



 ※アレットに、私の名を使ったのはなぜか聞いておくこと。




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