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8.大人しい悪女

 



「図書室への出入りを禁じる」


 とっぷりと日の暮れた夜、月光を背負って()()()侵入した侯爵様が、ぽつり。

 騎士服でキメた凛々しいお顔でそんな事をおっしゃるので、腕を枕に転寝していたらしい私は一気に覚醒した。


「そんな殺生な!考え直して下さい!!」

 慌てて起き上がると広いテーブルにめいっぱい広げていた資料やメモやらがバサバサ落ちる。

 床へ降り立った侯爵様の元へ涙目で駆け寄り、なけなしの媚びを売るべく両手を胸の前で組んだ。


「私から研究室を奪うとおっしゃるのですか!」

「ここは君の研究室ではなく図書室だ!立ち入りは許可したが、施錠魔法で籠城して良いとは言ってないだろう!」

「うっ」

 私はチラリと入口の扉を見やった。

 先日暇潰しで作った時より余程がっつりと書き込んだ施錠の魔法陣が淡い光を放っている。


 あれを消したかったらこちら側から魔力を吸収する素材で擦り落とすか、解錠の魔法陣、それも同程度の出力の物を用意しなければならない。

 私の視線を追った侯爵様が呆れ果てた声で呟く。


「そんな強度にしていたか。道理で開かないわけだ」

「だ、だってリディ達がここに食事は持ち込めないから出ろと言うのです!別棟は遠いし時間は有限なのに、たかが一日食べていないから何だと言うのですか」

「勝手に野垂れ死にされては困るし、君の世話を焼くのが侍女達の仕事だ」

「死にはしません!もうじき侯爵様のおっしゃっていた重力抵抗の埋め込みに成功するという所まで来たのです、もちろんキリの良いところへきたら一度清書してご意見を伺うべく出るつもりで――へっくしゅ!!」

 転寝はよくなかった。

 ちょっと冷えてしまったようで二の腕を擦ると、侯爵様が私をひょいと抱えあげる。


「放してください、もうちょっと!あと三時間もあれば――」

「猛き風の助けを」

「侯爵様ーっ!!」

 問答無用で飛び立たれ、図書室の窓が遠ざかっていく。

 私の…私の研究室ーっ!




 こうなっては、人目を盗んで窓から入るか、あるいは時間をかけて解錠の魔法陣を書き込むかの二択だ。

 リディが目を吊り上げて私を見張っている。


「奥様!よろしいですか、きちんと反省なさってください!侯爵夫人である貴女様があのように食事もとらず、それも図書室に引きこもるなど!」

「えぇ、そうね。良くないわよね」

「魔法陣研究をしないようにとは申しませんが、物事には限度がございます。わざわざ旦那様のお手を煩わせてしまったのもいかがなものかと」

「本当にそうよね。わかっているわ」

「聞いていますか?」

「えぇ、そう思うわ。良くないのよね」

「奥様っ!!」


 リディにぷりぷりされながら食事と風呂を済ませ、こっそりデイドレスに着替えて自室の窓から飛び立つ。

 嬉々として本館へふわふわ近付いていったところで、ジットリした目つきの侯爵様に捕まった。くっ!


「こんなにあっさり捕まるなんて…」

「同じ飛行でも、君が使っただろう移動用と俺の使う空中戦用ではまったく違うからな。」

「空中戦!なるほど軍用魔法陣でしたか、侯爵様は騎士団の…えーと、高位の方なのですから、当然でしたね。」

「第二師団長だ。…君は、俺の地位など興味が無いかもしれないが。」

「地位より魔法陣のお話がしたいのは確かですが、そろそろ放して頂けませんか?ちゃんと歩けますから」

 逞しい胸板に圧迫されていない方の腕をぴこぴこ動かしてアピールしてみる。

 私を見下ろした侯爵様はなぜか眉間に深い皺を刻んだ。暴れるなということか。腕を大人しくさせた。


「…就寝前にわざわざこちらへ来たんだ、茶を淹れさせるから少し話さないか」

「是非!」

 ふいと視線を廊下の先へやった侯爵様に全力で頷く。

 なんなら夜通し致しましょう、魔法陣談義!


 応接室の前でやっと下ろされ、ローテーブルを挟んで向かい合わせのソファに腰掛ける。あの夜会の日のように。

 クレマンが侯爵様にはコーヒーを、私にはぬるめのミルクティーを用意して退室した。


「服はそれで問題なかったか?ひとまず既製品の用意になってしまったが」

「ふく?」

 何の話だろうと思ったけれど、蜂蜜色の瞳は私の目ではなく衣服へ移っている。

 流れるように下を見てみれば真新しいデイドレス。


「……あ、そういえば新しいですね。色が違う気がするとは思っていました。侯爵様が買ってくださったのですか?」

「俺でなければ誰の金なんだ」

 確かに。

 私は財布や銀行のお金をリディやクレマンに渡した覚えはないし、彼女達がポケットマネーで買うわけもない。着慣れたワンピースでも別に不自由は無かったけれど、「ありがとうございます」と頭を下げておいた。侯爵様が鷹揚に頷く。


「それではお話の時間――」

「期待しているところ悪いが、魔法陣の話では無い。」

 うきうきと座り直した私の言葉は遮られ、予想外にばっさり切られ、「えっ」と声が漏れた。

 魔法陣の話では、ない?

 侯爵様は見定めるように私を睨みつけている。


「君がなぜ悪女と呼ばれるに至ったかを聞いておきたい。」

「………。」

 冷や汗が出てきた。

 あら?これ…私、とってもまずいのでは。頑張って微笑んだけど、少しひきつってしまう。


「…私も、詳しくは存じないのですよ。好きに生きていたら、いつの間にか呼ばれていたといいますか。」

「思い当たる節は無いと?」

「そう、ですね…まぁダンショーとのお付き合いですとか、宝石を買っ」

「君はここへ来てから一度も宝石を身につけていないが。」

「……気分ではなかったので。」

 しまった。

 悪女は宝石をちゃらちゃらするものだとわかっていたのに。買うだけでなく日頃から身につけなければならなかったのね。

 確かにアレットは屋敷内であってもアクセサリーをしていた気がする。あの髪型やお化粧をしなくて良いと言われて浮かれていたけれど、宝石はつけるべきだったのだ。しくじった。


「そういえば別棟の応接室に呼び出した時、君はクレマンに辞書を求めたそうだな。図書室で読んでみたか?」

「あっ」

 魔法陣に夢中ですっかり忘れていた。

 私の行動を見透かしていたかのように、侯爵様がスッと辞書を差し出してくる。


「調べたい言葉があれば、今見るといい。」

「………ありがとうございます。」

 何か罠にかけられている気がしてならない。

 ごくりと唾を飲み込んで受け取り、侯爵様から見えないように開く。冷静を装って辞書をめくった。

 ダンショー、ダンショー……談笑ではなく、えーと


「………っ!??」

 辞書を持つ手に力が入る。

 いくら瞬きを繰り返しても目をこすっても文字列が変わらない。背中を汗が伝う。


「どうした、顔色が悪いな。」

「いいいえ?っあの、辞書、ありがとうございました。」

「ああ。それで、君はかつてどこの男娼を買ったのだろうか?」

 侯爵様は私を見つめ、こちらが何も言えずにいると悪そうに笑った。

 これは確実にバレている。買った事があるなどと考え無しに言うのではなかった。悪い笑みを引っ込め、侯爵様が「さて」と膝の上で手を組む。


「君には妹がいるな。アレット・オブラン、歳は十五歳」

「…はい。」

「社交界にまったく姿を見せない幽霊のような娘と聞いたが、本当は君達は逆なんじゃないか?」

「……。」


「妹が君の名を騙って遊び歩き【悪女】と呼ばれ、先程のように閉じこもって研究し通しの君は、それを知らなかった。あの夜会で俺が君を悪女と呼んだ時、呆けた顔をしていたのもわかるというものだ。」


 完膚なきまでにバレた。

 私が侯爵様の求める悪女ではない事が。つい視線が泳いでしまう。


「こ、侯爵様…その、私、【悪女】じゃありませんか?」


 膝の上に置いた手をぎゅっと握り、あの蜂蜜色の瞳を見る事もできずに呟いた。

 頭から血の気が引いていく。私は希望を見出そうと必死だった。

 侯爵様は【稀代の悪女】をお求め。及ばないでしょうけど、稀代までいかずとも【悪女】であれば…


「ダンショーの事はその、嘘をつきましたが…悪女として宝石を買って身につける事はできますし、使用人…リディにひどい事を言ったり、仕事を増やしたり、痛めつけるのだって計画はあったのです。」

「ほう?ひどい事というのは。」

「ダンショーの事ぐらいで騒ぐなと言いました。」

 くっ、と息が詰まったような音が聞こえて顔を上げると、侯爵様が咳払いした。

 手振りで「続けろ」と示される。


「本館の地図を持ってくるようにと、仕事を増やしましたし」

「ククッ…こほん、痛めつけようとしたのか?」

「リディは冬場に手が荒れる事があるそうなのですが、私、よく効くけどよく染みる軟膏を知っていて」

「ふっ、ふふ…」

「笑っていますか?」

「そんなわけがないだろう。」

 不安になってもう一度視線を上げたけど、侯爵様は真顔だった。

 ですよね、と膝の上に目を落とす。


「まぁ、貴女が随分と可愛ら…大人しい【悪女】であった事は認める。」

「本当ですか!?私は悪女ですか」

 つい急いで顔を上げて前のめりになる。

 侯爵様は私の勢いに少し驚いたようだけど、小さく頷いてくださった。よ、よかった!まだ希望はあるわ!


「私、悪女を頑張っていたつもりなのです。ギリギリの合格ラインだったのかもしれませんが、知られてしまった以上は開き直り、改善点を伺ってより努力したいと思います。」

「…うん?」

「魔法陣ほどとはいきませんが私、悪女研究を進めて、近々きっと!侯爵様がお求めの悪女になります!ですから離縁は!離縁だけはどうか!!」

「ちょ、ちょっと待て。なぜ離縁になる」

 テーブルに危うく頭をぶつけそうなほど頭を下げた私の耳に、明らかに動揺している声が聞こえた。

 もしや悪女研究が上手くいかなくても離縁は免れるのだろうか?それはとても助かる。

 そうっと窺うように身を起こすと、侯爵様の両手は「どうどう」のポーズをとっていた。私は暴れ回る小動物ではない。


「俺が求める悪女とは何の話だ?」

「何と申されましても、私は【稀代の悪女】として嫁いだ身ですから。侯爵様は、妻の位置には悪女と呼ばれるような女性がいてほしいとお思いなのですよね?」

「………、クレマ…」

 クレマンは退室したのでいない。

 侯爵様はきょろりと室内を見回し、苦虫を嚙み潰したような顔で私を見た。そんな表情をしていても美しいのだから、もはや呆れてしまいそうである。騙していた事がバレた瞬間でなければため息をついていたかもしれない。


 そう、騙していた。

 発端はアレットとお父様だとしても、私だって悪女の皮をかぶろうとしたのだ。もう一度しっかり頭を下げた。


「悪女をお求めになられたのに…騙してしまい、申し訳ありませんでした。」

「……いや…貴女が謝る事では……」

「図々しい事とお思いでしょうが、もし、もしできるならば離縁は」

「だから待て、離縁はしない。」

 断言して頂けた!

 胸の内はほっとするけれど、でも、本当に?という気持ちは残る。自然と眉が下がった事を自覚しながら、険しい表情の侯爵様を窺い見た。


「本当、ですか?【大人しい悪女】でも許され――」

「いったん悪女から離れてくれ。」

「婚姻における前提条件でしたので、それは難しいです。」

「くっ…自業自得だが、今思えば俺はなんてバカな求婚を…」

 艶々と輝かしい金髪をぐしゃりと掻き上げ、侯爵様は何やらぶつぶつ言う。ぱん、と自分の膝に手を置いた彼は、仕切り直すようにまっすぐ私を見た。


「改めて言うが、君と離縁はしない。」

「あ…ありがとうございます!よかった…」

 やっと心から安堵して胸を撫でおろし、笑顔で感謝を告げる。私の悪女研究もやっと【大人しい悪女】の称号という結果を得たわけだ。

 侯爵様は少しだけ目を細めて私を見つめると、肩の力を抜いて少しだけ口角を上げた。


「明日、もう一度時間をもらえないか?貴女に俺の事情を話そうと思う。」




 ― ― ― ― ― ―




 本館の図書室にて、魔法陣研究に関する主な資料が揃っている事を確認。

 研究室にしようと思ったが即出禁になってしまった。

 集中するために施錠の魔法陣を置いたのがまずかったようだ。

 あとは夜…侯爵様と話をした最中に辞書を見せてもらった。


 ・男娼:そちらの方面で身体を売る男性。

 ※客は女である事も、男である事もあるらしい。


 つまり私はあの日、仮にも夫である侯爵様に向けて

 そういった人を買って連れ込みましたと、

 堂々言~~~(書きなぐったような読めない文字)


 噂になっていた【稀代の悪女】が私ではないとバレた。

 しかし【大人しい悪女】だと認めて頂け、離縁を免れる。

 研究の甲斐があったというものだ。


 明日、侯爵様の事情を話してくださるそうだが…

 今度こそ魔法陣談義もできるだろうか?





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