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7.妻にした女が悪女を自称してくる(ジェラルド視点)



 騎士団の任務を終えた帰り。

 これから打ち合わせ予定の部下に応接室へ行くよう指示を飛ばして、俺は別棟へ足を向けた。庭の手入れすらまだ行われていなかったので、今日からやるよう言いつけたのだ。

 皆も反省していた様子で問題ないだろうとは思ったが、一応様子を見るだけ見てすぐ本館へ行くつもりだったのだが。


「何をしているんだ、お前達は。」


 土属性の魔法で作ったのだろうネコを見て、侍女のリディと庭師のジャンが困惑の表情で立っている。おまけになぜか枝を手にした【稀代の悪女】エステルは、どこか不貞腐れた顔でネコに目を書き込んでいた。

 声をかけざるを得ない状況だったと言える。リディ達は俺を見てほっとしたようだった。


「…もしや君が作ったのか?」

「はい。どう思われますか」

 エステルは眉間に皺を寄せ、僅かに唇を尖らせている。何か不服なのは間違いないようだが……これを彼女が作ったのか。意外だな。


「ふむ…枝で描いたにしては見事な成型だ。魔法陣を内側に隠して整えるあたり、予想以上に君はよく学んでいる人なのだと思った。」

「わかって頂けますか!」

 光が差すようにぱっと顔を明るくし、エステルはあどけない少女のように微笑んだ。それもまた少し意外に思いながら頷く。


「ああ、正直言って見直した。壊して内部の魔法陣を見てみたいくらいだ」

「どうぞどうぞ!」

「いいのか。」

「はい!私、この中では侯爵様が一番好きですっ!」


 ……は?


 一瞬動きを止めてしまったが、すぐ何事もなかったようにネコを切り捨てた。

 その辺の令嬢がするように勝手に纏わりつき、期待を込めて粘ついた視線で俺を見て言われるあの言葉とは違っていたからだ。

 俺を見もせずにはしゃぐエステルは、魔法陣に乗った土くれをせっせと素手でどかしている。リディとジャンが何とも言えない目で俺を見た。やめろ。


「……よく整理されているな。強度はないが手遊びにはちょうどいい」

「ええ、ええ。本来は成型部分に関してもっと長い記述が必要になると思うのですが、侯爵様はアレク様をご存知ですか?あの方の検証論文を参考にしまして、ここをググッと縮めているのですよ。」

「…アレクサンドル・ラコストの事か?」

 いや、まさか愛称で呼ぶはずはないか。ないよな?

 偶然の一致だろうと思いたいが、他に似た内容で似た名前の奴がいただろうか。半信半疑で呟いたのだが、エステルは緑色の瞳を嬉しそうに輝かせる。


「やはりご存知でしたか!実は…」

 合っていた事にだいぶ衝撃を受けた。それは研究者としての俺のペンネームだ。何で愛称で呼んでいる?

 実は、の後が何なのかかなり気になったが、リディがきっぱりと遮った。


「奥様、旦那様。仲がよろしいのは大変結構ですが、後になさいませ。部下の方が困っておられます」


 応接室で待っていろと言ったのにわざわざこちらへ来たらしい。

 俺がエステルを娶った事はかなり噂になっており、一目見て冷やかしたいという所だろう。俺は眉間に深く皺を刻んで部下達を睨みつけた。




 仕事がありすぐにとはいかなかったが、エステルを夕食へ招待する。

 屋敷の主人としてリディ達のやらかしを正式に謝罪する必要があったからだ。とはいえエステル自身はあっけらかんとしていたので、もし謝罪の後で落ち着いて話せるようなら、少し魔法陣の話もしてみたかった。


 彼女は当然承諾するだろうと思っていたが、「非常に険しいお顔で、()()()させて頂きたい事があると仰られました。」などとクレマンに言われ、反省した。俺の前で不満を見せなかっただけで、心の内には溜めていたのだろう。

 こちらが謝罪する立場であるくせに、魔法陣の話がしたいなど。相手が悪女とはいえ………悪女、とはいえ……よくなかったな。


 嬉しそうな顔で、せっせと土くれをどかしていたエステルの姿を思い出す。

 ……【稀代の悪女】か。オブラン家の調査は依頼したばかりだが、早く白黒つけてほしいものだ。



「こんばんは、侯爵様。」

「ああ」

 本当に、あの厚化粧は何だったのか。

 エステルは今日も茶髪をハーフアップにまとめ、元の顔立ちの良さが引き立つ薄化粧に清楚なワンピース姿で降りてきた。似合ってはいるが何年前に買った物なのだろう。

 ドレスを買い与えた方がいいかもしれない。

 ……これは悪女に篭絡されて貢ぐのではなく、仮にも侯爵夫人が着古した服で歩かれては困るからだ。


「まずは座るといい。君の不満は食事しながら聞こう」

 ぱっと見、エステルの表情に怒りは見えない。

 俺が促すと素直に着席し、食事を始めた。


 悪女にテーブルマナーは期待していなかったが、食べ汚いというより…雑だな。カトラリーが常に鳴っている。しかし苛立って鳴らしているわけではないし、クロスに食べかすを落とすわけでも、食い終わった皿が見苦しいわけでもない。

 オブラン子爵もあまり仕草の整った人ではなかったので、彼に育てられたと考えればまぁ、こうなるか。

 小動物のようにはぐはぐ食べ進める彼女を眺めていると、不意に目が合った。


「………、なんれすか?」


 なんれすか??

 ……なん、…危うく「飲み込んでから喋りなさい」などと、父兄のような事を言いそうになった。いや、言った方が良かったのかもしれないが、俺の口は反射的に本題を切り出していた。


「いや…話があると聞いたので、いつ、話すのかと。」

「!それなのですが、侯爵様は魔法陣作成に興味はおありですか?ご自身で作られた事は。」

「………、なんだって?」

 リディ達の所業についての話ではない?

 魔法陣の話は俺もしたかった所ではあるが、何だ?クレマンは彼女がだいぶ険しい顔をしていたと言ったが。

 彼女は果実水をぐいと飲んでから口を開いた。


「ですから、魔法陣作成です。ヴァイオレットやアレク様の事をご存知なのですよね?」

「知っているし、確かに俺は魔法陣作成を嗜むが――」

「やはりそうなのですね!?いや助かりました、実は今飛行魔法陣で階段を使わずに人を二階へ上げる事はできるのか?という検証をしていたのですが、階下の段階で遅効を使い初速を低減しておいた方が良いのか、初速からは一定でやはり着地時に緩衝もしくは下降遅延にすべきなのか、あるいはいっそ着地ではなく平行移動による到達を目的とすべきかで悩んでおりまして、階段前への設置を目的とした場合大きさも制限がございますから、どのようにまとめ上げるべきかどなたかのご意見を伺いたいと思っていたのです。本来なら作成途中の図案パターンをご覧頂いた上で訂正、改正案など頂ければ良かったのですが、ここに持ち込むわけにもいかず…もしよろしければ食事の後に私の部屋までお越し頂くか、あるいは応接室にノートを持っていきますのでそちらで見て頂く事などはできますでしょうか。風属性魔法陣の中でも飛行はやや難解な位置ではございますが、ヴァイオレットもアレク様もほぼ全ての属性を網羅しておりますもの。二人の研究をご存知の侯爵様であればきっと見ればご理解頂けると思うのです。是非とも忌憚なき意見を頂きたいのですが、いかがでしょうか。やはりお忙しいですか……?」


 大筋、理解した。

 それは確かに悩むところではあるだろう。納得して息を吐き、エステルを見やって口を開く。


「俺としては、人体への反動を考えて初速低減で始めた方が良いと思う。」

「やはりそうですか!」

「旦那様」

 クレマンに注意された。

 俺は咳払いしていつの間にか手放していたカトラリーを握り、エステルにも食事を再開するよう手振りで示す。彼女は「そうだった」とばかり瞬いて従ったが、期待に満ちた目で俺を見ていた。

 魔法陣の話を求められている気はするが、一旦確認せねばならない。


「君は、随分険しい顔で俺に話があるのだと言っていたそうだが……リディ達の対応についてではないのか?」

 リディが顔色を変えて息を呑んだが、エステルはきょとんと首を傾げる。やはり気にしていないのか。先日の態度は嫌味ではなく本心だったらしい。


「俺はこの席で君にそれを謝るつもりだったんだが。」

「謝罪などいりませんよ。リディ達から既に謝られていますし、第一私はまったく困っていませんでしたから。()()()()より!魔法陣の話についてはもう終わりですか?気になる事などは。」

「いや、まだあるが…」

「でしたらそちらを是非!私、侯爵様のご意見を聞くために降りてきたのですから。」

 エステルはキッと真剣な目をして俺を見つめている。

 意見を聞くため……本当に、それだけなのだろう。俺の顔が見たいとか、寵愛を受けたいとか、そんな考えはまるで無いように見えた。つい笑いが漏れる。


「ふっ……そうか。わかった」


 使用人がざわめいたが、放っておく。

 姿勢を正しつつもじゃがいもを頬張ったエステルに、探求心に満ちた緑色の瞳に、応えねばならない。


「並行移動による到達というのも良い発想だと思うが、そもそもが重力抵抗を組めないか?こればかりは君が現段階で想定している場所の構造や魔法陣の構成にもよるのだが…」

「ひとまずは別棟玄関ホールの階段で作っています。重力抵抗とは正直考えが及んでいませんでした。お恥ずかしながら私は魔法陣の構成簡略が苦手でして、重力抵抗ほどの高度なものをどう組み込めば良いのかすぐには浮かびません。」

「あの階段だと少々幅が心許ないな。上手くやらねば浮遊が階段の手すりを越え、範囲外として効果切れでの落下事故に繋がるか……重力抵抗については少し経験がある。魔法陣の下方に詰めがちだが、実際には」

「<左右あるいは上下対称に組むべきであり、その角度は他の構成要素との繋がりによって決する>――ですね!?思い出しました、アレク様の『施錠理論』!迂闊でした、属性が違うのですっかり抜けていました。」

 俺が本に書いたままの文章をすらすらと言われ、驚いた。

 文の前半を言ったのは俺だが、それで後半がスッと浮かぶほど真面目に読んでいたのか。


「あれを読んだのか?中身が地味な上にそれなりの厚さだったはずだが。」

「地味?地味ですって、とんでもない!闇属性の施錠と言えば結界の下位互換でただの戸締りだなどという人もいますが、あの一冊を読めばどれほど夢のある魔法かが――……という事は、侯爵様もお読みに?」

「読んだ…まぁ、読んだな。」

 正確に言うと俺が書いたのだが。

 可能性を模索する一冊だったという自覚はあるものの、夢がある…か。君は俺の本を、そんな風に読んでくれたのか。


「夢があると言うなら、俺はヴァイオレット女史の『守護の譜面』の方が好きだが」

「ぐッ!」

 何か喉に詰まらせたのか、エステルが呻いた。

 光属性魔法陣の一種である「守護」に関する著書で、見るだけで温かな曲が心に流れ込んでくるような美しい魔法陣の数々はまさに譜面。元から彼女の技術の高さには舌を巻いていたが、あの一冊で決定的に尊敬の念を強めた。


 地方で発生した魔物の大量発生と、それに伴う数多の死傷者。

 それを知って守護の研究に取りかかったのだと後書きには記されている。ヴァイオレット女史の魔法陣は美しく繊細で緻密、再現する者にもかなりの技術と魔力を求められるものが多い。

 だが『守護の譜面』は設置場所の大きさ、書き手の魔力、精度によってどれほどの効果差が生まれるかの想定まで書かれていて、できる人はできる範囲で使ってほしい、その切々とした気持ちが読み取れた。


 後にヴァイオレット女史はチャリティーオークションで懐中時計を出したのだが、特注でしかも守護の魔法陣を魔力筆で書き込んだ一点物。

 魔力筆による魔法陣は基本、製作者のサインが入っている。

 もちろん全力で競り落とした。


「わ…私としてはやはり、アレク様が素晴らしいですね。ヴァイオレットの本も…その、全て目を通していますが。」

「全て?ほう…」

「旦那様。張り合わないでください」

 本当に全てか試してみようじゃないか、と言いたかったがクレマンに釘を刺された。

 俺は絶対に全部読んでいる。俺はな。

 だが、それよりも。


「先程から気になっていたんだが、君はなぜヴァイオレット女史を呼び捨ててアレクサンドルに様を付けているんだ。」

「はい?」

「逆じゃないのか?」

「何ですって?」

 エステルの声に怒気が混じった。

 彼女は細い眉を顰めてナプキンで唇を拭い、俺を見やって目を細める。


「…侯爵様こそ、アレク様をなぜ呼び捨てなさるのです?不敬ですよ」

「不敬?はっ、ヴァイオレット女史のような気高い淑女を呼び捨てる君こそ不敬だろう。」

「気高い淑女?会った事もないのになぜわかるのですか。後書きから読み取れるアレク様の聡明さならわかりますでしょう、彼は間違いなく心優しい紳士ですよ。」

「心優しい紳士?君こそ幻想を抱くのは止めるんだな。アレクサンドルなど頭でっかちで融通の利かない冷血漢だとよく書かれているではないか。それに比べてヴァイオレット女史の描く魔法陣の美しさはどうだ。彼女の清純な心根が現れている」

「夢を見るのも大概になさいませ!ヴァイオレットの魔法陣などごっちゃりと細かいばかりで万人向けでなく、調子に乗った高慢な女だとよく書かれているでしょうに!アレク様の整然とした魔法陣こそが美しく――」

「聞き捨てならないな!高慢な女だと!?彼女はそんな人ではない!」

「こちらだって聞き捨てなりませんよ!アレク様が冷血漢などとよくも!」


 荒々しくテーブルを叩いて立ち上がり、肩で息をして互いを睨みつける。

 アレクサンドル(俺)が聡明で心優しい紳士だと?一体どこをどう読んでそんな印象になったんだ。ヴァイオレット女史を悪く言うのも到底許せない。

 彼女の素晴らしさがわからないなど、いっその事――


「不憫だ」

「不憫ね」


 ………。


「「失礼な!!」」

「旦那様!」

「エステル様!」

 詰め寄らんばかりの勢いで憤慨した俺達だが、クレマンとリディに宥められて椅子に座り直した。


 それから黙々と食事を進め、俺がデザートを食い終わる頃にエステルが口を開く。おい、唇が少し尖っているぞ。まだ不機嫌なんだろうが。


「……侯爵様。」

「何だ、不憫な悪女」

「く!」

「旦那様」

 クレマンの声が飛んできたが、ふんと顔を背けた。魔法陣に携わっておきながらヴァイオレット女史の良さがわからないなど、不憫以外のなんだと言うのか。

 エステルが咳払いをする。


「…もし、図書室にアレク様の著書がおありならば。立ち入り許可を頂きたいのです。私のコレクショ…購入した分は、実家に置いておりますので。参考資料が充実しておらず…」

「貴女は本当に悪女らしくないな。」

 つい吐き捨てるように言うと、エステルが愕然として俺を見た。

 ……「悪女」は悪口の類だと思っているが、認識は合っているよな?なぜ青ざめているんだ。よくわからない女だと、ため息を吐いた。


「いいだろう、本館図書室への立ち入りを許可する。」

「あ、ありがとうございます。ただ私、悪女ですから。それはお忘れなく」

 だからなぜそこで念押しするんだ。

 俺は、本当に貴女が【稀代の悪女】なのかを調べさせて……いや、言う必要はない。調査報告が届くのを待てばいいだけだ。

 もう一度深々とため息をつきたい気持ちを抑えて立ち上がる。


「言っておくが」

「はい?」

「使用人に敬語を使う時点で、君は悪女っぽくはないぞ。」

「………。」


 エステルは目を見開いてぽかんとしていた。

 ……何なんだ、君は。




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