電子書籍2巻 配信記念:見据える未来
電子書籍 第2巻「悪女日誌―研究者な悪女(?)の新婚生活―2」
ピッコマ様にて先行配信が開始です!
新章が加わる本編の他に「資料:登場人物」(加筆あり)、
番外編「思い出は絵の中に」「侯爵夫人の悩み事」を収録。
ピッコマ巻読み特典は「稀代の悪女が欲しいもの」「弔いの魔法」、
「資料:魔物その他」(加筆あり)です。
時計の針が進む。
数少ない使用人も帰った屋敷の食堂で一人、エーミル・クラーセン男爵――ラウレンスは、ちびちびとグラスを傾けていた。
ウィッグを外した今、彼の銀髪は短くツンツンと跳ねている。
目つきは昼間の数倍悪く、眉間に深い皺が刻まれていた。上位貴族に会うための一張羅もとうに脱ぎ、シャツのボタンを二つ外したラフな格好だ。到底品の良い男には見えない雑な座り方をして、同じ書類を何度も読み返している。
テーブルには一つ、質の良い黒塗りの文箱が置かれていた。
僅かな傷もなく新品同然のそれは、蓋に美しく繊細な《施錠》の魔法陣が書かれている。これは《守護》も兼ねており、対となる《開錠》がなければ開ける事も破壊する事もできない。
研究者ヴァイオレット・バラデュールの作だ、ラウレンスは絶対の信頼を置いていた。
銀色の瞳がようやっと文字を追う事をやめ、グラスに残った酒を見る。
唇をつけて一気に流し込み、喉を焼く熱さを飲み下した。じりっとした痛みがはしる。グラスを置く音が響く。
「……情けねぇ。」
掠れた声はほんの僅か震えていたが、それを聞いた者はいなかった。
苦々しく眉を顰めたまま書類の端を揃え、折れる事のないよう丁寧に文箱へ納める。緩慢な動きで蓋を閉め、ラウレンスには書けない高度な魔法陣に指先で触れた。
自然と思い出されるのは赤子のエステルであり、共にあった笑顔だ。
確かにあったとラウレンスは覚えている。覚えているのに――…全ては時に流され、今ではもう、目を閉じてもよく見えない。
忘れたくなどないのに、忘れたくはなかったのに。
――あの日のお前は、どんな顔で笑ってたんだったか。
薄れた記憶が戻る事はない。
思い出したくとも、肖像画の一つすら残っていないのだから。
「…暗き闇の支配を。」
エステルの魔法陣が淡い輝きを帯び、文箱には封がなされた。
親友の頼みも叶えてやれなかったラウレンスは、平民から男爵に成り上がった今でも無力で、足りない事だらけで。
遺された親友の子にすら頼って、これだけの時間がかかってやっと決着が見えてきた。
遅過ぎると、そう思う。
それでもある程度まで辿り着く事はできたのだ。
全て終わればやっと、両親と妹の墓にも行けるだろう。人伝に管理は頼んでいたが、直接行くのは十数年ぶりになる。
時計の針は進む。
日付が変わった事に気付き、ラウレンス・ルナールは立ち上がった。
◇
昼下がりの柔らかな陽光が、ガラス張りの天井から差し込んでいる。
美しい屋内庭園の中央にはティーテーブルが置かれ、用意された席は二人分。
片方は既に埋まっており、宝石を散らしたドレスに身を包んだ美しい貴婦人が、至極機嫌良さそうに紅茶を楽しんでいた。
歳はまだ二十代半ば程だろうか、艶めく唇は完璧な微笑みの形をしている。
「オブラン子爵令嬢が到着されました。」
使用人の一言で彼女は笑みを消し、視線一つで入室許可を出した。
廊下へ続く扉を守っていた騎士達が一礼し、息の合った動きで扉を開く。
自分の前を通ったのは悪女だと知りながら、それでもふわりと漂った清廉な甘い香りについ、視線は華奢な背中を追いかける。振り返って微笑みはしないかと。
流行のドレスを身に纏い、宝飾品は数より質を重視して。
肌の露出をレースで隠し、貞淑そのもののように大人しく着飾ったアレット・オブランがやって来た。
まだ十五歳の若さながら、あらゆる男の心を奪ってきた稀代の悪女。
貴い身である貴婦人の夫とて例外ではないと、ごく一部の者は知っている。アレットが庭園の中央へ歩いていく間、使用人も騎士達もただ沈黙を守っていた。
正妻と愛人のご対面だ。
数歩離れた位置で立ち止まったアレットは、殆ど完璧な淑女の礼をした。ただの高位貴族相手なら充分なレベルであり、目の前の貴婦人が「仰々しい」と機嫌を損ねない、ギリギリのラインだ。
「…顔を上げなさい。」
彼女は長い睫毛を重ね合わせ、柔らかくも感情のない声で命じた。
アレットが姿勢を正す。
「王太子妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。」
「えぇ、機嫌が良かったのです。貴女が来るまではね――…貴方がた、下がってくださるかしら。」
侍女は既にアレットの分の紅茶を準備し終えていた。
王太子妃の命令を受け、使用人も騎士も殆どが庭園から出ていく。残ったのは五十代の老騎士一人だけだ。
アレットに手振りで着席を勧め、王太子妃はくすりと笑った。
「珍しいこと。依頼中でもないのに、貴女からわたくしに誘いをかけるなんて。ねぇ?」
「ふふっ……この度は、お時間を頂きありがとうございます。リアーヌ様」
「大事なお友達ですもの。…それで?自慢したくなる程の良い男でも見つかったのかしら。まさか、姉に続いて自分も結婚したいとは言わないでしょう?」
答えのわかりきった問いが可笑しくて、目で微笑んだアレットは「さすがに」と頷いた。
気を良くしたリアーヌは頬を緩め、お気に入りの紅茶を喉へと流す。微かな音も立てずにソーサーへ戻すと、瞳に真剣な光を宿したアレットが口を開いた。
「――お願いがございます。」
「それは貴女からのお願い?それとも、ファビウス侯爵のお願いかしら。」
「どちらも。閣下の目的は、私の目的と一致しておりますので。」
「まぁ…そうだったの。」
ほんの僅か瞳を丸くし、リアーヌはゆっくりと頷く。
果たして「義兄だから」という理由だけでアレットが協力するかどうか、少々懐疑的だったのだ。自分の為でもあるなら納得できた。
アレット・オブランは常に、自分が好きなように生きるために行動している。
それこそがリアーヌがこれまで接してきた中で捉えた、彼女の人物像であったから。
「調べたい相手が、ご実家の領地に逃げ込んでいるようでして…」
「お兄様の許可が欲しいと。…そうね、確かにわたくしの口添えが必要でしょう。」
力を貸すと言質を貰い、感謝の言葉を述べるアレットは心からの笑みを浮かべた。
全ては、【どうしても手に入れたいもの】のために。
物語は進んでいる。
それぞれが見据える未来へ。
「悪女日誌―研究者な悪女(?)の新婚生活―2」
(メイプルノベルズ/マイクロマガジン社)
ピッコマ様にて先行配信中!
番外編:
「資料:登場人物」約7,400字 加筆版
「思い出は絵の中に」約4,800字 書き下ろし
「侯爵夫人の悩み事」約10,000字 書き下ろし
ピッコマ巻読み特典:
「稀代の悪女が欲しいもの」約9,000字 書き下ろし
「弔いの魔法」約8,300字 書き下ろし
「資料:魔物その他」約6,300字 加筆版




