電子書籍 配信記念:本を買うなら三部ずつ
【祝】電子書籍『悪女日誌 ― 研究者な悪女(?)の新婚生活 ―』ピッコマにて先行配信開始!
いたるところで会話が増えたり心情が詳しく語られたり、仮面舞踏会の終わり方が違ったりします。
書き下ろし番外編「上機嫌な悪女様」「女神の微笑み」つき。
さらにピッコマ巻読み特典「アレットの祈り」「同じ舞台に立ってもない」つき。
ぜひ読んでみてくださいね!
というわけで記念SSです。
本館に部屋を移して数日のこと。
私はふと、この屋敷にはまだ見ぬ資料が存在するのではないか、という可能性に気付いてしまった。
図書室でもなく、屋敷に仕込まれた魔法陣の事でもなく。一度気になればどうしても確かめたい気持ちになって、夕食の終わり際、今日も今日とて美しい私の【良きパートナー】に声をかけてみる。
「あの、侯――…ジェラルド様。」
「何だろうか、エステル。」
「もし差し支えなければ、書斎を見せて頂く事はできますか?」
図書室にあれ程の資料を――ヴァイオレットの全著書が揃っていたのは、ひとまず見なかった事にするとして――持っていて、魔法陣について素晴らしい知識をお持ちのジェラルド様。
彼の書斎になら、すぐ読み返したいほど実用的で、かつ貴重な資料が置かれているのではないかと。そう考えたのだ。
意外な申し出だったのか、ジェラルド様は一度瞬いた。
けれどすぐに快く了承してくれて、夕食後さっそく案内してくれたのだけど――…。
「こ、これは……。」
まさかの光景に言葉が詰まる。
美しい彫刻が施された殊更高級そうな本棚は、前面がガラス戸になっていて本のタイトルが見える。
そこにびっしりと並んでいるのは、ヴァイオレット・バラデュールの著書だった。
複数名が執筆した研究誌などもあるが、いずれも私には見覚えがあるもの。ヴァイオレットが参加した物だけが集められている。
「あの、こ…ジェラルド様。」
「何だろうか?エステル。」
「えっと…記憶違いでなければ、図書室にもまるきり同じ本がありませんでしたか?」
「ある。それにコレクションルームにも、もう一部ずつあるぞ。」
「さ、三部ずつ持っていらっしゃると!?」
一体全体どうして何のために!?
唖然として聞き返せば、ジェラルド様は得意気に口角を上げて大きく頷いた。
「当然だ。ヴァイオレット女史の本だぞ」
「当然なのですか?」
「日が沈むと月が出る程に当然だ。」
世界の常識レベル、ですって……。
衝撃を受けた私は思わず一歩、二歩と後ずさった。
尊敬する研究者の著書はそうするものだと言うのなら、私はアレク様にとんだ無礼を働いている事になる。
私が何部所持しているかなんて本人が知るはずもないけれど、そうだとしても、ひっそりと礼を尽くしていたかった!
どうしよう、ぱっと思いつくだけでも今更の購入が難しい本が複数ある。
「なんてこと…アレク様の著書をあと二部ずつ買わなければ!」
「んっ!?それはしなくていいんじゃないか?」
ジェラルド様はどうしてか早口に私を止めた。そうするのは当然だと言ったのは貴方なのに?
私は少しむっとして眉根を寄せ、つかつかと歩み寄って彼を見上げる。
「なぜですか?尊敬する方の著書は三部持つのが当然なのでしょう。」
「その…あくまで俺個人はそうしたい、という話だ。」
「持っていないと失礼であったりは」
「しない。」
「…そうでしたか。」
アレク様に無礼をしていないならよかったと、安心してつい微笑んだ。
ほんの少し間を置いて、ジェラルド様がどこか気まずそうな咳払いをする。はっとして視線を上げたものの、明らかに目をそらされていた。一歩後ろへ退いて頭を下げる。
「私、早とちりしてしまって…すみませんでした。」
「いや、いいんだ……君はなんというか、本当にアレク…殿に関して、熱意があるな。」
「…はい、心から尊敬しています。」
ジェラルド様も大概ですが、という言葉を飲み込んだ。
なにせ私の著書がずらりと並んだ本棚の目の前である。今ここで彼のヴァイオレット語りが始まってしまうとよくない。大変に気まずい。
「アレク様ご本人が知らないところであっても、決して無礼な真似はしたくないのです。」
「……気持ちはわかる。俺もヴァイオレット女史に礼儀を尽くしていたいからな。たとえ、彼女が俺を知らなくても…」
知っているのだ、目の前にいるから。
「友人になるどころか、言葉を交わす事さえ無くともな。」
ろくに言葉も交わさず結婚したのだ、私達は。
もしいつかジェラルド様がヴァイオレットの正体を知るような事があったら、驚きのあまり卒倒してしまうだろうか。
「俺が初めてヴァイオレット女史の論文を読んだのは、そう――」
「ジェラルド様」
「何だろうか。」
とても長い話が始まった気がして、私はちょっと強引に割り込んだ。
それでも怒ったり気分を害した様子もなく聞く姿勢になるあたり、この方はやはり優しい。
「ちなみに、どうして三部ずつなのかお聞きしても良いでしょうか。」
「ああ…使い分けの為だ。普段自分が読む用と、人に貸す用と」
「貸すのですか?」
意外な使い方だ。つい少し目を見開いて聞き返す私に、ジェラルド様は一つ頷いて教えてくれる。
自力で魔法陣を書ける騎士の割合は少ないけれど、いるにはいる。それに騎士団が扱う魔法陣を管理する文官もいるそうで、学ぶ事に意欲的な人や見込みのある人には積極的に貸し出すらしい。
「ヴァイオレット女史の素晴らしさは多くの人間が知るべきだからな。『布教か』と揶揄された事もあるが、あながち間違いではないだろう。」
「布教」
「彼女は魔法陣界の女神だからな…。」
しみじみされているところ悪いけれど、ヴァイオレットは目の前の【良きパートナー】であり、女神ではない。
できれば信仰の域には至らないで頂きたかったけれど、その気持ちはわからなくもない。
「確かに…私も、仮にアレク様の本を幾らでも買えて、人々に広める事ができたなら……それを布教と呼ばれても気にしないかもしれません。彼は魔法陣界の神様ですから…。」
もっとも、私には広める相手がいないのだが。
社交界には出ないし、身近な魔法陣研究に意欲のある人――ジェラルド様は、既にアレク様を知っている。
接する回数が特に多いリディの顔を思い浮かべてみたけれど、チベッティ・シュナギツーネそっくりの顔をされた。おかしい。想像の中でくらい「魔法陣研究こそは至高ですよね!」と言ってほしかった。
イレーヌも「本日のティータイムはアレクサンドル様の新刊について語る会です」とか言ってほしいのに、唇をぴったりと閉じている。おかしい。想像力の限界を感じる。
「……話を戻すが、残りの一部は保存用だな。」
「普段読む用の物とは違うのですか?」
「扱いに気を付けていても、万一の事故がないとは限らない。長年読み返していれば、本そのものが劣化してしまう事も避けられないだろう。いつか読めなくなってはいけないと…」
「やはり保存用だけでも買わねば!ジェラルド様、本屋に行くので失礼しま――」
「しなくていい!」
走り出そうとした私の腕をジェラルド様が掴む。なんという早業。
身体強化の魔法陣を先に使っていれば逃れたかもしれないけど、それでも軍用の魔法陣を持つ彼が本気になれば私などすぐ連れ戻されてしまう。説得が先だわ。
「どうしてですか、まだ新品が売っているうちに集めねば保存状態が!」
「それはそのっ……と、図書室には、アレクサンドル・ラコストの著書も揃っている。君がこの屋敷を出ていかない限り、問題ないだろう。」
「言われてみればそうですね…助かりました、私の力では入手するのが困難な物もありますから。」
「ああ、君が駆け回る必要はない。」
何年も前に一度発行されただけの会誌なんて、特に見つける自信がなかった。
ヴァイオレットのそれまで集めているジェラルド様なら、「全著書」がそこまでを言う事も理解しているだろう。
「駄目だった時の事を考えると……私、結婚した相手がジェラルド様で本当に良かったです!」
笑顔で感謝を伝えると、彼は眉間に皺を寄せて苦しげに胸を押さえた。
欲しい論文が手からすり抜けた時の絶望は人類共通のものだ。やはりジェラルド様はよくわかってくださっている。
「…エステル。俺と君の関係についてだが」
「はい、これからも魔法陣を語り合う【良きパートナー】でいましょう!」
「そこの解釈について少し――」
「少々燃えてきましたので私っ!就寝時間までペンを走らせてきますね!」
これほど素晴らしい【良きパートナー】がいて、資料も豊富にある完璧な環境で研究をしない人などいるだろうか――いや、いない。
私は可及的速やかに一礼し、目を輝かせて書斎を飛び出したのだった。
【電子書籍】『悪女日誌 ― 研究者な悪女(?)の新婚生活 ―』
(メイプルノベルズ/マイクロマガジン社)
番外編:
「上機嫌な悪女様」約2,600字 書き下ろし
「女神の微笑み」 約3,000字 書き下ろし
ピッコマ巻読み特典:
「アレットの祈り」 約6,400字 書き下ろし
「同じ舞台に立ってもない」約4,400字 書き下ろし
よろしくお願い致します!




