30.悪女姉妹とおとうさま(第三者視点)
行方不明だった第二師団長も見つかり、王城ではドラゴン討伐の祝賀会が開かれた。
最も討伐に貢献したとして第三王子ラファエルとファビウス侯爵の両名が勲章を授与され、特級結界の魔法陣を書き上げた功績により、ヴァイオレット・バラデュールも表彰される。
式に本人が出る訳にはいかないため、出版社に最も出資している貴族が代理で受け取った。
ここから先は通常の夜会。
国王夫妻が見守る中、最初に三人の王子がそれぞれのパートナーと踊るのが通例だが、今回はファビウス侯爵夫妻も加えた四組だ。
楽器の音にかき消される程度の声で、噂好きなご婦人達が囁き合っている。
「王太子殿下と妃殿下、こうしているとまるで仲睦まじいように見えるわよね。」
「あれでお互い愛人がいますものね……それで何も問題が起きないのだから、まあ、政略結婚のお手本ではなくて?」
「第二王子殿下はいつにも増して仏頂面だわ。妃殿下がアレでは仕方ないけれど」
「フフッ…よく王家に嫁げたわよね。いつ見てもチベッティ・シュナギツーネそっくり。」
「ラファエル殿下の奥方は初めて見ますね。熱烈に口説かれたと聞くけれど……お顔は意外と普通?もっと美人かと思いましたわ」
「結婚して何年も経つのに仕事を辞めない堅物女よ。口うるさいから関わらない方が良いわ」
「そんな事より、見て…氷のようと言われた閣下にあんな甘い顔をさせるなんて!さすがは【悪女様】の姉君よね」
「シッ……殿方が聞いていたらどうするの。」
漏れ聞こえる会話を無視して歩き、辿り着いた会場の隅。
エーミル・クラーセン男爵――ラウレンスは、人目を避けるように柱へと寄りかかった。
長い銀髪を低い位置で結い、下手に目立たない程度の質の燕尾服姿だ。片手に持ったワイングラスを揺らし、一口分を含んで香りごと味わった。
人垣の向こうではエステルが幸せそうに微笑み、夫と仲睦まじく踊っている。
ジェラルドは侯爵でありながら騎士団で師団長の座に就く実力者で、エステルと語り合えるほど魔法陣の知識を持っている。そして彼女がずっと尊敬していたアレクサンドル・ラコストその人でもあり、何よりエステルを愛しているのだった。
任せて間違いはないだろう。
十年前の雨の日。
リーセ・オブランの墓前で、幼いアレットの手を引いていたエステルを思い出す。
傘も無しに現れたラウレンスを振り返った、緑色の瞳。
それが遠い昔に見た瞳と重なった。
地面に転がった赤いリンゴを見て瞬いた彼と、あからさまに不機嫌なラウレンスの目が合う。
『貴族の坊ちゃんってのは随分と頭がお花畑らしいな。得体の知れない平民相手に、施しのつもりか?馬鹿にしてんなよ。』
『…俺はフィクトル。お前は?』
『はあ?……ラウレンスだけど。』
『そんじゃ、得体の知れなくねぇラウレンス。』
少しばかり土のついたリンゴを拾い、貴族の少年は自分のシャツでそれを拭いた。白かった袖が汚れる。歯を見せて笑い、彼はもう一度ぴかぴかのリンゴを差し出してきた。
『俺のおやつ分けてやるから、大通りがどっちかだけ教えてくれるか?』
『…あんた迷子だったのかよ。なら最初からそう言え』
『ちなみにお前よくここ来るの?明日もこの時間にいる?いない?じゃあどこに行ったら会えるんだ?家はどこでいつが暇だ?俺と友達にならないか?』
『うるせぇし近ぇ!』
魔法陣の話をするエステルのように目を輝かせ、アレットさながらの押しの強さをもって、彼はラウレンスの友人になった。
貴族らしからぬ雑な口調で、歯を見せて豪快に笑い、いつまでも少年のような無邪気さがある、そんな男だった。
『ラウ』
いつからか思い出せなくなっていた声が、今ははっきりと頭の中に響く。
瞼を閉じれば、薄れていたはずの笑顔がよく見えた。
『俺に何かあったら、リーセとエステルを頼む。』
十六年だ。
フィクトル・オブランが殺されて、十六年が経った。
目を開き顔を上げれば、人々の間を縫ってこちらへ歩いてくる姿が目に入る。
露出控えめのドレスを着こなし、大人びた美しい佇まいにどこか妖艶な微笑みを浮かべて。エステルより黄色みが強い緑の瞳を真っすぐラウレンスへと向け、養女アレットはにっこりと笑みを浮かべた。
「あらお養父様、こんな隅っこにいらしたの?」
「…ご友人達への挨拶は終わりかな?」
ラウレンスもまた、養父クラーセン男爵として微笑みを作ってみせる。
アレットの【お友達】は幅広い。
まだ一曲目も終わらない内に挨拶が済むはずはなかったが、アレットは「後にするわ」とラウレンスの腕にしがみついた。小声で囁くように言う。
「今回で私、王家全員と【お友達】よ。すごい?」
「すごいっつーか、やり過ぎだ。」
「そこは褒めてよ、ラウ。私がいるから、お姉様の晴れ姿も見れたでしょ?」
ただの下級貴族であるラウレンスがなぜこの夜会にいるかと言えば、養女アレットがエステルの妹だからだ。
周囲には聞こえないよう声を潜め、ラウレンスは「まぁそうだけどよ」とぼやく。
男漁りをする傍ら、アレットは望まない婚約や結婚を強いられた女達を助けてきた。浮気によって相手有責での婚約破棄や離婚に持ち込むのだ。
取引する相手は慎重に選び、女性達の間で【悪女様】の噂は広がり、やがて王妃の耳に入る。アレットの仕事の幾つかは彼女の依頼によって行われたものだ。
そして数多の貴族と親密になる事で、【稀代の悪女エステル・オブラン】には自然と情報が集まり、価値が生まれた。
王妃とは別で接触してきたのが王太子、宰相補佐、第二王子、そして王太子妃だ。この数年でそれぞれに思惑を持ち、異なるタイミングでアレットと知り合い【お友達】になっている。
さらに今回地下へ向かったエステル達を助けるため、王妃を通じて初めて国王と、そして第三王子とも顔を合わせた。
どんな関係かは相手によって違うが、国の頂点にいる一族と「家」ではなく「個人」で結びつきを得ている事は確かだ。
僅か、十五歳の少女が。
――そんだけの器量があれば、もっと良い【お義父様】が釣れただろうにな…。
心の中でため息を吐き、ラウレンスはワインを飲み干して近くのボーイにグラスを返した。
しがみつくアレットの手を宥めるように、軽く二度叩いてやる。アレットは嬉しそうに目を細め、紅を引いた唇が得意げに弧を描いた。褒められた時の喜び方が五歳からまったく変わっていない。
「ねぇ、ラウ?後でもいいから私と踊ってね。」
「ああ?」
「今日くらい良いでしょう、お養父様。養子になった事を周知するにも丁度いいし。」
もし誤解されたら何人かに刺されるわよとアレットが笑う。
誰か一人の女にならない事で取れているバランスというものがあり、万一にもラウレンスが唯一の男だと認識すると、襲ってくるタイプのお友達がいるらしい。
「……仕方ねぇ。」
「やった」
渋面で眉間を揉むラウレンスの横で、アレットはご機嫌だ。
拍手の音につられて視線をやると、ダンスを終えたらしい四組が他のペアと入れ替わっている。王太子夫妻はそれぞれ仕事で付き合いのある相手に変え、続けて踊るようだ。
第二王子夫妻は王家の席へ戻り、一気に囲まれた第三王子を置いてその妃は離れていく。エステルはジェラルドにぴったりと寄り添い、挨拶に来る貴族の相手をしていた。
「ふふ…お姉様、威嚇しているわね。」
アレットが微笑ましそうに呟く。
傍目からは背筋を伸ばし、夫と話す相手をじっと見つめているだけに見える。実際はジェラルドの美貌に見惚れる令嬢に、「私が妻なので」という無言の圧をかけているところだろう。
ラウレンスは軽く頷いて同意した。
すぐ横のアレットが真似してスンと背筋を伸ばし、「もしラウに近付く女がいたら、相応しいかどうかは私が見定めるわ。」などと心の中で言っている事はさすがに知らない。
「……でかくなったなぁ、お前ら。」
そこは「立派なレディになった」でしょうと言いたくて、アレットは薄く唇を開けながらラウレンスを見上げた。けれど優しく目を細めた彼を見ると茶化す気になれず、黙って同じように遠いエステルを見やる。
母が死んで十年。
エステルは研究ごと自分を愛してくれる夫に嫁ぎ、アレットは念願通りにラウレンスの娘となった。二人の娘がそれぞれに幸せを得た事を、両親はきっと喜んでくれるだろう。
ラウレンスは知らないが、アレットとの養子縁組は王妃と王太子直筆の推薦状付きだ。もし誰かが二人を裂こうと手を回そうとしたところで、容易く破られる事などありえない。
大好きな父の腕にぴったりとしがみつき、アレットは満足げに微笑んだ。甘えられている事を察したラウレンスがふっと笑う。
「エステルの事は、無茶しないようにファビウス侯も見張るだろ。後はお前が大人しくしてくれると、俺の心労も減るんだが。」
「【悪女】は続けるわ。だって、宝物は手に入れて終わりじゃないでしょう?守らなくちゃ。そのためには力が必要だもの。」
「宝ね…どの【お友達】の事だ?」
「お養父様は私の家族愛を侮ってるわ。」
「俺かよ」
小声ながらも呆れ果てた声だ。
親友夫妻の忘れ形見を守ってきた彼は、自分が二人から大事に思われているという自覚が足りない。
遠くで会場を見回していたエステルがこちらに目を留め、ジェラルドに何か囁いた。
また新たに話しかけに来ていた相手に断り、ファビウス侯爵夫妻が歩いてくる。ラウレンスが貴族らしい微笑みを浮かべて礼の姿勢を取り、アレットもにこやかにカーテシーをした。
周囲の視線が刺さる中、ジェラルドの誘いで他に人のいないバルコニーへと移動する。
「ラウレンス。貴方がエステルを守ってくれたお陰で、あの地下で無事に会う事ができた。改めて感謝申し上げる」
「こちらこそだ、閣下。生きててくれて本当によかった。…また迷惑をかける事もあるかもしれないが、エステルをよろしく頼む。大事にしてやってほしい」
「ああ。必ず」
ジェラルドとラウレンスが握手を交わす傍らで、アレットはエステルにぎゅっとハグをした。背中を優しく撫でてもらって身体を離す。笑顔の妹にエステルも柔らかく微笑んだ。
「ご機嫌ね、アレット。二人で何の話をしていたの?」
「私がラウを守らないとって話よ。」
「はあ…」
アレットは胸を張り、ため息をついたラウレンスの腕に素早く絡みつく。
「娘の立場を手に入れるのに十年かかったんだもの。誰が手放すものですか!」
「…十年じゃ殆ど初対面だろ。本当ならお前だいぶチョロいぞ。【悪女様】の名が泣くわな」
「だって、ねぇ?お姉様。」
「えぇ。ラウが一番私達を真剣に見てくれたもの。本気で向き合って本気で心配してくれる……私達にとって大事な家族で、宝物よ。」
「言い過ぎだろ…」
「お姉様の言う通りだわ。ね、大好きよ、ラウ。私達のおとうさま」
幸せそうなアレットの姿に、エステルは自然とジェラルドに寄り添って彼を見上げた。愛する夫はすぐにこちらを見てくれて、二人で微笑み合う。
照れ隠しなのか、やや困り顔で頭を掻いていたラウレンスが「わかった、わかった」と声を上げた。
「おとうさまでいいから、先に逝くような親不孝はしてくれるなよ。」
「はぁい。夜道で刺されないように気を付けるわ」
「それは本当にな。……エステル」
「なに?」
「もう閣下を変なとこに飛ばすなよ。そんで…」
「大丈夫!任せて、ラウ。それはジェラルド様と話し合った上で改良済みなの。まず【転移】の条件むぐっ」
好きに語らせてやりたいところではあったが、ジェラルドはそっと妻の口に手を添える。
ラウレンスは小さく苦笑し、幼い少女を見守るように目を細めた。
「そんで――…幸せにな。」
エステルは瞳を丸くし、口元にかざされたジェラルドの手をきゅっと握る。顔をほころばせて頷いた彼女の手には、夫と揃いの結婚指輪が光っていた。
エステルとジェラルド、アレット、ラウレンスそれぞれの物語でした。
これにて本編は完結です。
明日、番外として「魔物その他」「主な登場人物」の資料を追加します。
全員ではありませんが、お楽しみ頂ければ幸いです。
一ヶ月お付き合い頂きありがとうございました。
---
★電子書籍:
悪女日誌―研究者な悪女(?)の新婚生活―― 各電子書店様にて配信中!
2巻も制作中です。(レーベル:メイプルノベルズ)
★コミカライズ企画進行中です。お楽しみに!




