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【完結】悪女日誌 ※電子書籍1~2巻 配信中&コミカライズ企画中  作者: 鉤咲蓮
三章 侯爵夫人と地下迷宮

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29.俺の妻は今日も愛らしい(ジェラルド視点)

 



「みぃ、みぃ」

「う…」

 どこかで聞いた鳴き声に目を開ける。

 薄暗い中で影がもそもそと動き、俺の指を湿った舌で舐めた。

 なんだ、メナシウサギか……


 ……とうとう俺に接触してきただと?

 寝起きで切り捨てられたらどうするんだ。自分より巨大な生物の寝込みに不用意に近付くな。それでも野生か?そんな状態で生きていけるのか。どうしてそこまで無防備なんだメナシウサギ。


「っ、眩き…光の開放を。」


 身を起こしながら魔法陣に触れ、明かりをつける。

 明るさに慣れようと目を数度瞬いた。恐らくはあの時と同じ個体なのだろう、二匹のメナシウサギと一匹の小さなメナシウサギがいる。


「……お前達、俺といても餌などないぞ。」

「みっ」

 指の背をちろりと舐めて鳴く一匹の頭を少しだけ撫でた。

 昨日は偽エステルについていくと決めて以降ひたすら移動、移動だったので手持ちの食料が無い。

 まだ出られないようなら絶対にカミツキドリ…あるいは次点でネズミかスズナリヘビを見つけなければならない。

 最悪、俺は…俺は……いや、今は考えるのをよそう。


 背には扉の役割を果たす魔法陣、前方は螺旋を描く下り階段。

 消えてしまった偽エステルの姿は今も無かった。

 あれが俺をどこへ連れていきたかったのか…答えはこの先にあるだろう。何時間か眠れたようで、体力も魔力も少しは回復している。


 気つけのためにも顔を洗い、水を飲んで立ち上がった。

 メナシウサギの親子が駆けていく。

 一本道なので特段そのつもりはないのだろうが、まるで導かれるように俺は足を踏み出した。



 階段を降りた先は鍾乳洞が広がり、石造りの通路の両脇は底の見えない崖だ。

 通路には充分な幅があるものの、これは昨夜無理をせずに正解だったと考える。ふらついたら一気に真っ逆さまになりそうだ。


 端につくと、俺を待っていたかのようにメナシウサギが「みー」と鳴く。巣穴なのか彼らの通り道なのか、隅の穴に一匹ずつ入り込んでいった。もちろん人間が通れる大きさではない。

 俺は目の前の壁画を眺めた。


 扉として開きそうな切れ目があるな。

 左には魔物を倒す銀色狼、右には魔法を使っている金色狼…そして中央下部の黒色狼は…落書きをしているのか?全員二本足で立っている。

 三匹の狼の話は国で親しまれているが、それにしては黒色狼の描き方がおかしい。こいつは金色狼を攫って殺した敵であるはずだ。このように笑顔で小躍りする様を描かれるものではない。


 違和感ゆえに観察すると、腹に凹凸がある事に気付いた。

 これは【開錠】だな。

 念のため剣の柄に手を置きつつ、魔力を流した。音を立てて扉が開いていく。


 妙に明るいと思えば、光を蓄積する鉱石があるようだ。

 入って正面の壁には古い文字が綴られていた。調べるべく歩を進めると、横にある広い空間から水音がする。反射的にそちらを見た。


 輝く地底湖の水面を、冒険者のような格好をしたエステルが駆けてくる。


 また偽物か?

 なぜそんな服装なんだ?表情や動きは昨日より随分そっくりだが、水面を走ってる時点で――


「ジェラルド様!!」


 エステルの声だ。

 そう思った瞬間俺の口から「は?」と声が漏れた。

 頭が追い付くより先に、こちら側へ辿り着いた彼女が地面を蹴って飛び込んでくる。


「――なん、ぐはっ!?」

「ジェラルド様、ジェラルド様っ!」

 咄嗟に腕を広げたものの、半信半疑だったためによろけてしまった。

 痛めた肋骨に直撃したエステル(?)がぐりぐりと俺の胸に頬を擦り付け、本物そっくりに抱き着いてくる。腕を回す位置までぴったりだ。

 いやしかし、本物がこんな、俺が当初いた場所より奥深くにいる事などありえない。


 ………ありえないよな??


「ううう…ジェラルド様、ジェラルド様~…」

「ま、待て。幻覚がとうとう実体を持ち出したか。いっそ俺はあのまま死んでいてここは死後の…」

「落ち着けファビウス侯。現実だぞ」

 低い声にそちらを見やれば、短い銀髪の剣士が水を蹴散らして水上を歩いてくる。

 よく見ると、地底湖を縦断するようにまっすぐ浅瀬の道が一本あるようだ。エステル(?)は水面を走っていたわけではないらしい。

 それにしてもこの男、どこかで見た顔だな。


 エステル(たぶん)が俺にぴったりとくっついたまま、正面から横へと移動した。移動中も一ミリたりとも離れてなるものかという意思を感じる。

 有り得ない状況がだんだんと現実味を帯びてきて、俺はエステルの肩に手を添えた。


「お前は……クラーセン男爵か?」

「ああ。…何だ、エステル。お前まだ俺の話してなかったのか?」

「そういえばしてないかも」

「しとけ」

 エーミル・クラーセンが呆れたようにため息を吐く。以前会った時とはだいぶ態度が違うな。アレットは「保護者のようなもの」と言っていたし、それだけエステルとも親しいのだろうとは思うが…。

 説明を求めて、なぜかここにいる可愛い妻を見下ろした。エステルが任せてくださいとばかり一つ頷く。


「ジェラルド様。私の本当の父の親友で、母に託されて私とアレットの親代わりをしてくれた人で、この度アレットの養父になったクラーセン男爵こと、ラウレンスです。」

「詰め込むな詰め込むな。わけわかんねぇだろ」

「…とりあえず、エステルが信頼していた理由はわかった。そして君は本物で、俺を捜しに来てくれたんだな?」

「はい!」

 エステルが誇らしげに笑ってくれた。可愛い。

 撫でくり回したいが、数日水洗いしかできていない手で淑女の髪を触るのは憚られる。

 そしてこれが現実でエステルが俺を捜しに来たのであれば、まず聞かねばならない事があった。


「ドラゴンはどうなった?」

 俺の問いにハッとした様子で、エステルは真剣な顔で頷く。


「大丈夫です。ジェラルド様が消えた直後、ラファエル殿下が無事に討伐されました。騎士団の死傷者は多いですが…ドラゴンはベルガの森にて食い止められ、王都が襲われる事はありませんでした。」

「……そうか。」

 やってくれたんだな、ラファエル。

 俺が抜けた事であいつまで死ぬような事にならなくてよかった。


 目の前で殺されていった仲間を、唯一攻撃が通る俺とラファエルを生かすために死んだ者達を思って、つい重いため息が漏れた。

 だが、俺達は守りきった。

 お前達がいたからこそ、できた事だ。

 気が抜けたせいか深呼吸のせいか、骨が痛んで胸元を押さえる。


「お怪我を?」

「肋骨がどうにかなってるらしいが、まぁ大丈夫だ。ラウレンス、貴方がここまでエステルを守ってくれたようだな。恩に着る」

「一人で行かせるわけにはいかなかったからな。」

「しかし……こうなると昨日現れた幻覚は…エステル、君が作ったものだったのか?」

「リリアの事ですね。」

「リリア?」

 まったく知らない名が出てきた。

 俺はこれまでエステル達が辿った道を聞きながら、分けてもらった携帯食料をかじる。


 ラファエルがエステルにこの迷宮の入り口を教えたようだ。

 この後対岸へ行くからと、エステルが俺の靴に水をはじく魔法陣を書いてくれる。自分でやろうとしたが、「一番長く休んだのは私です」と譲らなかった。


 どうやらここは本当に王家の避難通路だったらしい。

 ザカライア王の真実を聞いて驚いたが……もっと衝撃を受けたのは、自我を持つ広域監視装置の存在だ。一体どれだけの記号や文字を綴ればそんな魔法が組める?意味がわからない。

 そんな事ができるのは確かに、かつての天才魔術師ロードリックだけだろう。

 リリアという名のその装置は固有の姿を持たず、見る者によって違う姿で認識されるらしい。


「私の姿に見えたのに、最初無視をなさったのですか。」

 エステルが少々唇を尖らせて聞いてきたが、あの状況でノコノコついていったら考え無しが過ぎるだろう。正直に「自分の頭がとうとうおかしくなったと思った」と話した。

 自分の妻が半透明で光って、しかも地下にいるんだぞ?ありえない。

 …まあ、結局エステルは本当にいたわけだが。


 俺達が地底湖を渡り始めると、後ろからメナシウサギの親子がついてきた。先程のは巣穴ではなく、この空間のどこぞへ通じる穴だったらしいな。

 親が子を背中に乗せてやっている。

 ……お前達に手を出す事にならなくて、本当によかった……。


 対岸に着くと、エステルは狼の石像が鎮座する三本の柱の中央、台座に固定された水晶へ迷いなく触れた。数秒で水晶の中に光が灯り、輝きを増して唐突に散る。

 すると、エステルの向こうに淡い光を放つ…


「ラファエル」

「アレット?」

 俺とエステルが同時に声を上げ、互いに顔を見合わせた。

 これが昨日の偽エステルなら今日もエステルではないのか?俺には騎士団の制服を着たラファエルの姿に見える。


『やぁ。エステル、ラウレンス…そして、ジェラルド?ようやく話ができるね。』

「………、本当に…すごい魔法だな。完全にラファエルの声だ」

 あいつが俺を相手に、こうも落ち着いた様子で喋る事は滅多にないがな…。

 エステルが大きく頷いて広域監視装置――リリアを示す。


「昨日は私かラウが水晶にずっと魔力を流して、リリアに頑張ってアピールしてもらってたんです。」

「苦労をかけたな。あれを案内無しで出るのは無理があった」

 果たしてあと何日あれば脱出できたのだか、まるで見当がつかない。

 あの偽エステル。エステル(本物)達の魔力を消費しているとわかっていれば、すぐ動いたしもっと急いだんだが…。

 リリアが自分を知らない者を案内するのは初だったと笑う。

 監視装置としてはまだ未完成らしい。


 これほどの装置を作り上げる魔法陣にはかなり興味があるが、仮に分解して拝見したとして、下手をすると二度と起動できまい。

 エステルもそれがわかっているのだろう、リリアを構成する魔法陣が知りたいと言い出す事はなかった。


「後はどう脱出するかだが……エステル達は《石の町》から来たんだったな。」

「えぇ。リリアにも外観を確認したから間違いないと思います」

「貯水装置んとこに各町へ続く魔法陣がある。そこから《石の町》に行けば、俺達がつけた目印を頼りに外に出れるはずだ」

 リリアに確認したが、ここは元々地上から逃れるための楽園であるがゆえに、地上と楽園深部を一気に繋ぐような魔法陣は無いそうだ。

 脱出までの道順を軽く聞き取り、エステル達が《石の町》につけたという目印の話も聞いて、俺達は地底湖を発つ事にした。


 いつの間に入っていたのか、三匹のメナシウサギが地底湖から岸に上がってきた。

 土汚れが落ちて本来の毛色が見えている。なるほど、黒と白の子供が灰色か。わかりやすいものだな。

 なぜか俺の方に寄ってくるので、つい笑みが漏れた。


「何だ、お前達泳げたのか」

「みー」

 鳴き声を上げた黒いのを指の背でぐしぐし撫でると、ふと視線を感じる。

 エステルが冷ややかな目で俺を見ていた。


 ぐッと苦悶の声を出しそうになったが耐える。

 何だ?そうか、仮にも魔物に話しかけたせいか?しかしこいつらは安全で…き、君が可愛がっているエスティーの仲間なんだが……。

 心の中でだけ言葉が溢れ、声にならない。背中を冷や汗が伝うのを感じながら、なんとか口を開く。


「エステル。これは違うんだ」

 この数日で俺の方も色々あり、その中でこいつらとは何というか――…俺が説明を始めるより早く、エステルは視線を切ってリリアに向き直った。後にしろという事か。



 監視装置に別れを告げ、俺達は上階を目指した。


 道中、エステルが地下探索中に見た魔法陣などについてメモしたノートを見せてくれる。

 走り書きながらも解読した旧字、写し取った構成など興味深い内容が並んでいた。しかし途中、ページを押さえる指が外れてうっかりだいぶ前の方のページをちらっと見てしまった。

 やたら悪女がどうのと書かれていたが……見なかった事にしよう。

 まだ資料部分を読み途中だったが俺はノートを閉じ、エステルに返却した。


 メナシウサギの親子は相変わらずついてくる。最後まで見送るつもりだろうか。

 休憩を取りながら半日以上かけて歩き、《石の町》最上階から外へ出た。


 途端、野営している男達が目に入って一瞬警戒したが、俺の部下や知り合いばかりだった。どうもアレットに頼まれて、俺達が脱出したらすぐサポートできるよう待機していたらしい。

 彼女とも繋がっているという事は、つまり「冷遇予定なら悪女でも嫁にしてしまえ」と言ってきた連中である。


 無事でよかったと泣かれつつ魔法陣を振り返ると、閉じた入口の上でメナシウサギの親子がこちらを向いていた。

 完全に楽園から出てきてしまったらしい。


「お前達……」

「みぃ、みぃ」

 屈んで手を伸ばすと、親子そろって俺の手に顔を擦りつけてくる。

 ぐっ……これはもう俺の負けを認めるべきか…。

 屋敷のどこで飼おうかと考えていると、後ろから抱き着いたエステルが俺の背中に頭をぐりぐりし始めた。今すぐ振り向いて抱きしめ返しキスしたいが部下の手前そんな事はできない。なんだ?苦行か?


 タイミングよく部下を引き連れたラファエルが現れた。

 俺達はメナシウサギごと回収され、王都へ帰る道すがら、事後処理がどうなっているか詳しく聞き取り、打ち合わせる。

 侯爵邸にアレットが我が物顔で待ち構えていたのは驚いたな…。



 久し振りに屋敷の風呂で汗を流した。

 これでようやっと、思う存分エステルを愛でる事ができる。ただやはり疲労は蓄積されていて、今すぐベッドに倒れこみたいのも本心だった。

 ひとまず愛する妻をこの腕におさめて眠れれば、それでいい。


 そう考えながら寝室に入ると、ベッドに対して垂直に寝そべったエステルが両脇にエスティーとジェリーを構え、離れた床でタオルの上に寝ているメナシウサギ三匹を妙に真剣な目で見据えていた。

 何をしているんだ。いや何だったとしても可愛いから全て許すが。

 メナシウサギ達はふんふんと空中の匂いを嗅ぎ、タオルに顔をうずめて静かになる。


「……何をしてるんだ」

「ジェラルド様!いえその、こちらは私のテリトリーですと示していたと言いますか…」

「…?そうか。」

 よくわからないが、俺が入ってきた事すら気付かず集中していたのか。

 エステルは身を起こし、ぬいぐるみどもを端に並べた。俺がベッドに上がると、いそいそと擦り寄ってぴたりと抱きつき、緑の瞳でじっと俺を見上げてくる。


「あの、すぐこちらへ来てくださったという事は……今日は、私がジェラルド様を独り占めして良いんですよね?」


 良いに決まっている。

 そう答えたつもりだったが、声になったかどうか。

 気付けば俺はエステルの唇を奪い、柔らかな感触と甘い香りに酔いしれていた。舌を絡めて奥まで味わい、わざと音を立てて唇を離す。

 潤んだ瞳が俺を見つめていた。


「永遠に君のものだ。エステル」




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