28.さようなら、またいつか
荷物を枕にして、どれくらい経っただろうか。
私が目を覚ました時、水晶のある台座を挟んだ向かいに座るラウも眠っていた。
明かりのために近くへ持ってきた光る鉱石のお陰で、カンテラの明かりがなくても周りが見える。そうだわ、これ以上魔力を使うなと止められて――……
「リリア?」
小声で呼んでみたけど、ジェラルド様の姿をした彼は見当たらない。
地底湖の傍にいたメナシウサギの親子が、ぱたりと耳を動かした。私が身を起こすと、彼らはぱしゃぱしゃと水を跳ねて対岸への一本道を駆けていく。
「…起きたか。エステル」
「えぇ」
石柱にもたれていたラウが目を開けた。
顔を顰めて身じろぎし、ぱきぱきと骨を鳴らしている。私はすぐ横に置いていた【探知】の魔法陣を起動した。光の波だったものが今は線と呼べるくらいまで絞られている。
「「近くまでは来てる」」
ラウと私の声がぴったり重なった。
ほっとして肩の力を抜いた。リリアは魔力がなくて作動停止しただけのようだ。
「俺の魔力も限界で、ファビウス侯もだいぶ走らせたしな。キリの良いとこで中断したんだ。」
「当然だと思う。…無理をさせてしまった?呑気に寝ててごめんなさい」
「馬鹿、そういう謝罪はいらねぇ。俺が寝ろって言ったんだろ」
「そうね……ありがとう。キリの良い所というと…」
「あの高い台座があった貯水装置んとこだ。ここに続く魔法陣は示したが、ファビウス侯が入るとこまでは確認できてねぇ。」
本当に近い。
魔法陣を開けて中に来てくれていれば、後は螺旋階段と、両脇が崖の鍾乳洞を越えればこの地底湖だ。………お疲れのところを無理して、崖から落ちたりしていないわよね。
リリアは遠隔で出した分身――という表現が正しいかわからないけど――と、音の共有はできない。なのでジェラルド様に私達が来てる事を伝えたり、ジェラルド様に怪我がないか聞き取る事はできなかった。
ただ分身の視界はリリアに見えるようで、私はジェラルド様がカミツキドリを捌いてちゃんと食事をとっている事や、ぱっと見では外傷なく元気に歩いていると聞いてだいぶ安心した。
ちなみにラウは「どうせ食うならメナシウサギじゃねぇか?」と首を傾げていた。カミツキドリは羽を毟る手間がかかるし、美味しくないらしい。
「魔力の戻りはどうだ?」
「…だいぶ回復したわ。ラウが代わってくれたお陰」
「よし。支度してひとまず見に行くぞ」
「えぇ!」
急く気持ちを落ち着けながら顔を洗い、携帯食料を水で流し込んだ。
ラウも私と同じように朝食を詰め込みながら、風よけのないカンテラに火を灯す。軽い準備運動としてちょっとだけ肩を動かしたり腿を上げたりして、私はまた身体強化の魔法陣に魔力を流した。
あの貯水装置からここまでは一本道。
私は【探知】の魔法陣を手に、地底湖を渡る浅瀬を歩き出した。光の線は木札の端まで真っ直ぐ伸びている。
気持ち少し早足に、地底湖中心の祭壇までたどり着いた時だった。
ごごご、と扉が動く音がする。
ハッとして目を見開き、後ろにいるラウではなく、前から――対岸から聞こえた足音に、息を呑んだ。
光る苔や鉱石に照らされた対岸に、ジェラルド様が歩み出る。
壁の文字が目に入ったのだろう、眉を顰めてそちらへ近付こうとした彼は、私達の視線か、思わず駆け出した私の足元で跳ねる水の音かに反応してこっちを見る。
驚いた顔をした彼のもとへ、私は地面を蹴って全力で飛び込んだ。
「ジェラルド様!!」
「は?――なん、ぐはっ!?」
やはりお疲れなのだろう、いつもなら難なく受け止めてくれるジェラルド様がよろめいた。
そういえば身体強化を使った後だったとか、お怪我はないのかまず確認しなければとか、驚かせてすみませんとか、色々考えは巡ったけれど。
結局私の口から出るのはジェラルド様のお名前ばかりで、騎士服の胸元にぐりぐりと頬を擦りつけて、数日ぶりの抱きつき心地をしっかりと確認した。
ジェラルド様が一歩、後ずさりながら遠慮がちに背中へ手を添えてくれる。遠慮しないでほしい。
「ううう…ジェラルド様、ジェラルド様~…」
「ま、待て。幻覚がとうとう実体を持ち出したか。いっそ俺はあのまま死んでいてここは死後の…」
「落ち着けファビウス侯。現実だぞ」
わざとなのか、ばっしゃばっしゃと水を蹴り散らかしてラウが歩いてくる、音がする。
私はジェラルド様にぴっとり抱きついたまま、正面から横へとすりすり移動してラウの方を見た。ジェラルド様の手がようやくしっかりと私の肩を支えてくれる。
「お前は……クラーセン男爵か?」
「ああ。…何だ、エステル。お前まだ俺の話してなかったのか?」
「そういえばしてないかも」
「しとけ」
ラウが呆れ顔でため息をついた。
ジェラルド様は毎晩のように私と話す時間を作ってくれたけど、私、基本的に魔法陣の話をしていたから…。
長髪のウィッグに猫かぶりの笑顔をした男爵姿しか見た事のないジェラルド様は、短髪でちょっと荒っぽくて旅人姿のラウを見て、訝しげな顔をしている。
蜂蜜色の瞳が説明してほしそうに私を見るので、一つ頷いてラウの方を手で示した。
「ジェラルド様。私の本当の父の親友で、母に託されて私とアレットの親代わりをしてくれた人で、この度アレットの養父になったクラーセン男爵こと、ラウレンスです。」
「詰め込むな詰め込むな。わけわかんねぇだろ」
「…とりあえず、エステルが信頼していた理由はわかった。そして君は本物で、俺を捜しに来てくれたんだな?」
「はい!」
「ドラゴンはどうなった?」
ついはしゃいで返事した私に、ジェラルド様は険しい表情で聞く。
そうだ、戦いの途中で転移したから彼は結末を知らないのだ。私も表情を引き締めて答えた。
「大丈夫です。ジェラルド様が消えた直後、ラファエル殿下が無事に討伐されました。騎士団の死傷者は多いですが…ドラゴンはベルガの森にて食い止められ、王都が襲われる事はありませんでした。」
「……そうか。」
ジェラルド様が大きく息を吐いて脱力した。
小さく呻いて胸元を押さえるので、はっとする。
「お怪我を?」
「肋骨がどうにかなってるらしいが、まぁ大丈夫だ。ラウレンス、貴方がここまでエステルを守ってくれたようだな。恩に着る」
「一人で行かせるわけにはいかなかったからな。」
「しかし……こうなると昨日現れた幻覚は…エステル、君が作ったものだったのか?」
「リリアの事ですね。」
「リリア?」
首を傾げるジェラルド様にひとまず携帯食料を分けて食べてもらい、靴が水をはじくよう魔法陣を書く。
その間に、私のもとをラファエル殿下が訪れたこと、ベルガの森にある入口、私達がここまで辿った道、壁に書かれた三人の言葉、この【楽園】のこと、祭壇のこと、リリアの事……簡単に説明をした。
私がうっかり排水を作動させたところではちょっと笑われてしまった。どうやらジェラルド様にも水流の音が聞こえていたらしい。
そしてリリアの姿はちゃんと私の姿に見えたらしいけど、「自分の頭がとうとうおかしくなった」と思って無視していたそうだ。言われてみれば確かに、そう誤解するのも無理はない。
地底湖を渡ろうと歩き出すと、後ろの方からぱしゃぱしゃと音がする。
メナシウサギの親子が三匹揃って、私達の後をついてきていた。親が子供を背中に乗せているのがかわいい。
水晶に魔力を流すと、相変わらず透けていて淡い光を纏うリリアが姿を現した。
けど――…
「ラファエル」
「アレット?」
ジェラルド様と私が驚いて声を上げ、互いに顔を見合わせる。
昨日はジェラルド様の姿だったはずなのに、今はラウと一緒に屋敷へ来た時の、ワンピース姿のアレットだ。ラウは黙っている。
『やぁ。エステル、ラウレンス…そして、ジェラルド?ようやく話ができるね。』
「………、本当に…すごい魔法だな。完全にラファエルの声だ」
「昨日は私かラウが水晶にずっと魔力を流して、リリアに頑張ってアピールしてもらってたんです。」
「苦労をかけたな。あれを案内無しで出るのは無理があった」
『こちらも、僕を知らない人を案内するのは初体験だったよ。三人とも、無事に合流できてよかったね。』
「貴方のお陰よ。ありがとう、リリア」
手を差し出すと、リリアは触れないまでも握手の真似事をしてくれた。
「後はどう脱出するかだが……エステル達は《石の町》から来たんだったな。」
「えぇ。リリアにも外観を確認したから間違いないと思います」
「貯水装置んとこに各町へ続く魔法陣がある。そこから《石の町》に行けば、俺達がつけた目印を頼りに外に出れるはずだ」
リリアに遠隔の案内を頼む事ができたら良かったけど、そのためには最低一人ここに残らなければならない。
あの広い空間から町までは一本道であること、町のどこに出るのか、入口は内側からどう開けるのかをリリアから聞き取って、私達はこの楽園を出る事にした。
いつの間にか地底湖をすいすい泳いでいたメナシウサギの親子が、岸に上がってふるふると水滴を飛ばす。
……メナシウサギって泳ぐのね。
元の毛色は黒と白、子供が灰色だったようだ。彼らはてこてことジェラルド様に寄っていく。
「何だ、お前達泳げたのか」
「みー」
たまたま近くにいるのではなく、ジェラルド様についてきていたらしい。何やら親しげに撫でてもらっている。
私だって今日はまだなのに?
じっ…と見ていると、目が合ったジェラルド様に「エステル。これは違うんだ」と言い訳された。何が違うと言うのか。
私はリリアに向き直った。
「さようなら、リリア。ちょっと遠いから中々難しいけど、またいつかこっそり来るわね。」
「王家が許さないんじゃねぇか?」
「入口を教えた時点でラファエルの責任だ。構わないだろう」
『そうだね、来るならこっそりおいで。僕は変わらずここにいるよ。何かに壊されない限り』
地底湖を見回し、その美しさにため息を漏らす。
思った以上に広くて、魔法陣だらけの楽園。
同時にここは、大きなお墓なのだろう。
足を踏み出す前にふと振り返れば、ラウの背中が見えた。
その先には淡い光を纏う人が佇んでいる。
「――……、じゃあな。」
リリアはただ、薄く微笑み返していた。
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ジェラルド様捜索四日目
ラウとリリアのお陰だ。
私はジェラルド様と合流し、夜には地上へ帰還した。
森に出たらすぐ近くに焚き火をしている男達がいて驚いたが、
皆ジェラルド様の知り合いかつアレットのお友達だった。
二手に分かれ、魔法陣を見つけられないまでも
どこからか私達が出てくるのを待っていたらしい。
ちょうどラファエル殿下の一団もやってきて、
ジェラルド様と凄い勢いで報告を交わし合っていた。
侯爵邸で待ち構えていたアレットいわく、
さらに別の出口も聞き出して別のお友達が張っていたとか。
…陛下を強請ったというのは、さすがに聞き間違いだろう。
リディとイレーヌに泣かれ、クレマンは心労で老け込んだが
皆私達の帰りを喜んでくれた。
私の不在に気付いて大混乱になった侯爵邸を
アレットが上手いこと宥めてくれていたようだ。
施錠した自室で儚くなってる説が出ていたと聞いて、
ちょっと心外だった。
ラウとアレットは帰ったが、
メナシウサギが三匹綺麗に洗われてふわふわになっている。
ジェラルド様、まさかあの子達と寝るつもりだろうか。
追記:
ジェラルド様を独り占めして眠った。
これからもずっと、彼の隣は私のものだ。




